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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 え 』。

 No.1270。

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu     

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□ 日本史 辞典 (総合)          

□        ● 事柄順。

〇 えじ  絵島 

             (えじま) 。 《人名》。

          (1681ー1741年)。

             EJIMA.

          ○ 江戸幕府の、大奥の御年寄

             おとしより 、上級幹部)。 

          ○ 絵島生島事件の中心人物。

              ● 絵島 (えじま、1681ー1741年) は、

             江戸幕府の、大奥の御年寄 (おとしより 、

             上級幹部) であった。 

              ● 絵島は、 絵島生島事件 (えじまいくし

             まじけん) の中心人物 であった。

〇 えじ  絵島生島事件

                         (えじまいくしまじけん)。

          《江戸時代の事件》。

          (1714年)。 

             THE EJIMA-IKUSHIMA INCIDENT.

              ■ 絵島生島事件 (えじまいくしまじけん)

             とは、 江戸時代中期に、1714年(正徳4

             年)に、江戸幕府の、江戸城・大奥で発生し

             た事件である。 

              ● 一説では、天英院(てんえいいん)・秋元

             老中(あきもとろうちゅう)派 と 月光院(げ

             っこういん)・間部詮房側用人(まなべあきふ

                           さそばようにん)派 との対立が、 月光院側

             近(月光院付御年寄)の絵島(えじま)の門限

             破りの出来事から、事件を大きくした。 

                絵島生島事件での大奥大粛清の処分

             後、 大奥では、7代将軍徳川家継生母の

                           月光院が面目を失い勢力が衰え、 6代将軍

                           徳川家宣正室夫人・天英院が大きな力を持

                           つようになった。

                       そして、天英院は、江戸幕府の次期第

             8代将軍に、月光院が推(お)す尾張藩主を

             退け、 紀州藩主の徳川吉宗(よしむね)を

             指名し、将軍・徳川吉宗が出現する。

 

 

□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

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■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典

 

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□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

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#e

 

#ejima

 

■ 絵島  

      (えじま) (江島) 。

 

■ 絵島。

■ 生没年 : 1681〜1741年。

■ 名称 : 絵島 (えじま)、 

        正式名は、江島 (えじま)。 

■ 絵島は、 月光院(お喜世)の右腕(側近)で、17 

     13〜14年 に、江戸城本丸の大奥を運営し総支

  配する、御年寄 (おとしより、大奥上級幹部) で、

  大奥の実務の実権を握り、 大奥で権力をふるっ

  ていた。 

■ 絵島生島事件、 月光院(お喜世)、 天英院(熙子

  (ひろこ))、 徳川吉宗 に関しては、 当日本史辞

  典の 『  絵島生島事件 (えじまいくしまじけん)、 

  月光院(げっこういん)、 天英院 (てんえいいん)、 

  徳川吉宗 (とくがわよしむね) 』 の項目を参照し

  て下さい。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 71239。

 

□ 絵島が登場する、興味深いドキュメン

   タリー、ドラマ、映画。 

 

 

■ 江戸幕府・第6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)の側室

  夫人の、お喜世(= 月光院)は、世継ぎの男子を生み、 

  その子が、幼少で7代将軍の、徳川家継(いえつぐ)と

  なった。 

 

● 1713年、 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任1713〜16) が、 江

 戸幕府・第7代将軍となる。 家継将軍時代の、1713〜14年、 家継

 生母の月光院 (お喜世) が、大奥の最高権力者となった。

  そして、1713〜14年、 月光院付御年寄・絵島が、大奥の実務の実

 権を握(にぎ)った。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 幼年の7代将軍・家継 (いえつぐ、将軍在任、1713〜16年、生没

 年1709〜16年) の時代に、 家継生母の月光院 (お喜世)が、 初

 めは、1713〜14年 に、 大奥で、大きな権力を持ったが、 1714年

 の絵島生島(えじまいくしま)事件後、 月光院は、 面目を失い、大奥で、

 権力を低下させ、  前将軍(6代将軍)家宣(いえのぶ)の正室・天英院

 (てんえいいん 、熙子(ひろこ))が、 前の6代将軍家宣時代(1709〜

 12年)と同様に、1714〜16年、大奥で、権力をもりかえした。  

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 絵島生島 (えじまいくしま) 事件 (1714年)。

● 1714年(正徳(しょうとく)4年)1月、 江戸幕府の大奥御年寄 (実

 務幹部)の絵島(えじま) は、 絵島の仕えている月光院の名代として、

 前将軍・家宣の墓参りのため、上野・寛永寺、芝・増上寺へ参詣した。 

  その帰途(きと)に、懇意(こんい)にしている呉服商の誘いで、木挽町

 (東京・東銀座界隈、歌舞伎座周辺)にある芝居小屋の山村座で、生島

 (いくしま)の芝居を見た。 芝居の後、 絵島 は、生島らを茶屋に招い

 て、宴会を開いたが、 宴会に夢中になり、 江戸城の大奥の門限に遅

 れてしまった。 江戸城の大奥の七ツ口の前で、通せ、通せぬの押し問

 答をしているうちに、 このことが、江戸城中に知れ渡ることとなり、 評

 定所が審理することになった。

● 評定所の審理により、 絵島 は、 大奥の出入り商人と不正を行い

 (利権を貪(むさぼ)り)、 歌舞伎役者(男優)の生島(いくしま)と密会し

 不義密通をしていた との容疑をかけられた。

 

● 月光院 (7代幼少将軍・家継生母)の側近で、 大奥を運営していた

 御年寄(おとしより、上級幹部)の、絵島(えじま) は、利権貪り、不義密

 通の容疑で、 (月光院の嘆願により死罪を免ぜられて) 「高遠(たかと

 う)藩お預け」 (信濃の高遠(長野県高遠町)へ、永蟄居(えいちっきょ、

 事実上、本州山間部での終生幽閉) となり、 絵島と密会・不義密通し

 た容疑で、 歌舞伎役者(男優)の、生島 (いくしま) は、「遠島(えんと

 う)」 (三宅島へ島流し) となった。

  これを契機(けいき)に、 評定所が、関係者を徹底的に調べ、絵島同

 様、大奥の風紀を乱し利権を貪っていた多くの大奥の奥女中 や その

 取り巻き(商人等)の関係者 が 処罰され、追放され、 大奥の風紀が

 粛清(しゅくせい)された。 大奥の風紀粛清の名目で、多くの連座者が

 出て、 最終的に、関係者(大奥、町方あわせて)、1500名ほどが、処

 罰された。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 月光院 (お喜世) の禁断の愛。  

● 月光院の生んだ家継(いえつぐ)が、幼少(5歳頃)で、7代将軍となり、

 幼少将軍の補佐役に、 側用人(そばようにん)の間部詮房(まなべあき

 ふさ) と 学者の新井白石(あらいはくせき)が付き、 政治を行った。 

 

■ 1713年、 生母の月光院 と その側近の絵島を始めとする月光院

 側の奥女中(女官) は、 6代将軍家宣(いえのぶ)の正室の天英院と

 天英院側の大奥の奥女中(女官)に代わって、 「大奥の実権」 を握っ 

 た。 しかし、その後(1713年以後)、 大奥の風紀は、 乱れていった。

  月光院(お喜世)の夫、6代将軍家宣が死去し(1712年)、月光院(お

 喜世)の子、家継が将軍になった後(1713年後以後)、 江戸城本丸に

 入り、本丸の大奥トップとなった、現将軍家継・生母の月光院(お喜世)は、

 幕閣(ばっかく、幕府の重臣)の側用人、間部詮房を、たびたび、将軍以

 外男子禁制の大奥に招き入れ、一緒に過ごしていた と言われている。

● 『 月光院様は大奥の掟をやぶって、幕臣の1人を毎晩のように自室

 に招いては、仲むつまじく時を過ごすようになった 』 (「三王外記」の記

 述より)。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 月光院(お喜世)の夫の徳川家宣の、将軍就任前の

   甲府藩時代。  

     町娘のお喜世 (おきよ、後の月光院) は、 17

     04年に、甲府藩の桜田御殿に出仕し、 1708年に、

     桜田御殿で、美女のお喜世は、徳川綱豊(つなとよ、

     後の徳川家宣)から寵愛(ちょうあい)をうけ、綱豊(徳

     川家宣)の側室夫人となった。 その後、 1708年に、

     お喜世(月光院)の夫の甲府藩主・綱豊(家宣) が、

   第6代将軍継嗣(けいし)となり、お喜世(月光院) は、

   綱豊(家宣)に同行して、江戸城・西の丸に入った。  

      お喜世(月光院、町娘出身) と 間部詮房 (ま

   なべあきふさ、能役者出身) は、 甲府藩の桜田御

   殿時代(1704〜1708年)から、 元々身分の低い

   者同士で助け合い、 深い仲であった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

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□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

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#ejima-appearingscenes

 

♪♪ 絵島(えじま)が登場する、興味深いドキュ

        メンタリー、ドラマ、映画。 

 

★ 絵島が登場する、興味深いドキュメンタリー。

  

■ 片岡愛之助の解明!歴史捜査 

   『 江戸城 禁断の女の園! 

        大奥重大事件の真相を追え! 』。

     (日テレ・テレビ・2016年1月31日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

■ 大奥の詳細を述べる。

■ 絵島生島事件の詳細を述べる。

 

■ その時歴史が動いた 『 大奥 悲し

   みの果てに 〜徳川家宣正室 天英

   院 熙子の生涯〜 』。 

   (NHKテレビ・2006年(H18)4月・

    本放送・ドキュメンタリー番組)。

■ 大奥を述べる。

■ 絵島生島事件を述べる。

 

★ 絵島が登場する、興味深い関連ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションです。 

   歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の事実) と 

   架空の出来事 が、 混じって、描かれています。 

   また、現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 大奥 (おおおく) 』 。

   (日本の2006年制作東映・映画)。

■ 7代将軍家継(いえつぐ)時代 と その時代の大奥 

   を描いた映画。

● 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、浅野ゆう子 等が

  出演。

● 絵島(えじま)を演じた女優名 : 仲間由紀恵。

 

■ 『 大奥・もうひとつの物語 』 

   (フジテレビ・2006年制作・テレビドラマ)。

■ 6代将軍家宣(いえのぶ)時代  と その時代の大

  奥 を描いたドラマ。

● 深田恭子、高島礼子、井川遥、浅野ゆう子 等が出

  演。

 

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#ejimaikushimaincident

 

 絵島生島事件 

       (えじまいくしまじけん)。

 

 絵島生島事件  (1714年)

■ 時期 : 1714年。

 名称 : 絵島生島事件 (えじまいくしまじけん)。

 江戸時代中期に、1714年に、江戸幕府の・江戸城・

  大奥で発生した事件。

■ 権力・勢力争いに巻き込まれた、大奥女中・絵島(え

  じま)と歌舞伎役者・生島(いくしま)。

■ 天英院(熙子(ひろこ))、 絵島、 月光院(お喜世)、 

 徳川吉宗 に関しては、 当日本史辞典の 『 天英院 

 (てんえいいん)、 絵島 (えじま)、 月光院 (げっこ

  ういん)、 徳川吉宗 (とくがわよしむね) 』 の項目

 を参照して下さい。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 71238。

 

□ 絵島生島事件が登場する、興味深いド

   キュメンタリー、ドラマ、映画。 

 

 

■ 大奥では多くの事件が起こったが、内密にされていた。 

      しかし、大奥が関係した事件の中で世間一般に

  知れ渡ってしまったものには、 絵島生島(えじまいくし

  ま)事件 がある。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 絵島生島事件 (1714年)。

■ 絵島生島事件 (えじまいくしまじけん)とは、  江戸

  時代中期に、1714年(正徳4年 )に、江戸幕府の、江

  戸城・大奥で発生した事件である。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 一説では、天英院(てんえいいん)・秋元老中(あきも

  とろうちゅう)派 と 月光院(げっこういん)・間部詮房

  側用人(まなべあきふさそばようにん)派 との対立が、 

  月光院側近(月光院付御年寄)の絵島(えじま)の門限

  破りの出来事から、事件を大きくした。 

     絵島生島事件での大奥大粛清の処分後、 大奥

  では、 7代将軍徳川家継生母の月光院が面目を失い

     勢力が衰え、 6代将軍徳川家宣正室夫人・天英院

  大きな力を持つようになった。

            そして、天英院は、江戸幕府の次期第8代将軍に、

  月光院が推(お)す尾張藩主を退け、 紀州藩主の徳川

  吉宗(よしむね)を指名し、将軍・徳川吉宗が出現する。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 絵島生島事件 (えじまいくしまじけん) (1714年)。

● 1714年 (正徳(しょうとく)4年) 1月、 江戸幕府の大奥御年寄(実

 務幹部)の絵島(えじま)は、 絵島の仕えている月光院(げっこういん)の

 名代として、前将軍・家宣 (いえのぶ)の墓参りのため、上野・寛永寺、芝

 ・増上寺へ参詣した。 

   その帰途に、懇意にしている呉服商の誘いで、木挽町(東京・東銀座

 界隈、歌舞伎座周辺)にある芝居小屋の山村座で、 生島(いくしま)の芝

 居を見た。  芝居の後、 絵島 は、生島らを茶屋に招いて、宴会を開い

 たが、宴会に夢中になり、 江戸城の大奥の門限に遅れてしまった。 江

 戸城の大奥の七ツ口の前で、通せ、通せぬの押し問答をしているうちに、 

 このことが、江戸城中に知れ渡ることとなり、 評定所が審理することにな

 った。

● 評定所の審理により、 絵島 は、 大奥の出入り商人と利権を貪(む

 さぼ)り、 歌舞伎役者(男優)の生島(いくしま)と密会し不義密通をして

 いた との容疑をかけられた。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 月光院 (7代幼少将軍・家継生母)の側近で、大奥を運営していた御

 年寄(おとしより、上級幹部)の、 絵島(えじま)は、利権貪り、不義密通

 の容疑で、 (月光院の嘆願により死罪を免ぜられて) 「高遠(たかとう)

 藩お預け」 (信濃の高遠(長野県高遠町)へ、永蟄居(えいちっきょ)、事

 実上、本州山間部での終生幽閉) となり、 絵島と密会・不義密通した

 容疑で、 歌舞伎役者(男優)の、生島(いくしま) は、「遠島(えんとう)」

 (三宅島へ島流し) となった。

   これを契機に、 評定所が関係者を徹底的に調べ、 絵島同様、大奥

 の風紀を乱し利権を貪っていた多くの大奥の奥女中 や その取り巻き

 (商人等)の関係者が 処罰され、追放され、 大奥の風紀が粛清(しゅく

 せい)された。 大奥の風紀粛清の名目で、 多くの連座者が出て、最終

 的に、関係者(大奥、町方会わせて)、1500名ほどが、 処罰された。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

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□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

   の 先頭ページへ 。        

□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。 

 

 

■ 絵島生島事件 (1714年)。

● 絵島生島事件 (えじまいくしまじけん、絵島事件) とは、 大奥風紀

 粛清事件であるが、 その真相は不明である。 絵島(えじま)の利権貪

 り・不義密通説 と 幕閣の事件でっちあげ説 が 有力である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 絵島の利権貪り・不義密通

   の従来説の、絵島生島事件。

■ 天英院派と月光院派の対立。

● 大奥では、天英院 (てんえいいん、6代将軍家宣正室・煕子) と月

 光院(げっこういん、7代将軍家継生母・お喜世) が、対立していた。

● 政治では、月光院派の側用人・間部詮房、学者・新井白石 の側 と 

 天英院派の老中、譜代大名 の側 が、 対立していた。

 

■ 月光院が実権を握っていた大奥では、 風紀が乱れていた。 

■ 天英院 や 天英院側の大奥の奥女中(女官) は、 「大奥の実権」

 の回復を、狙っていた。

■ 大奥の奥女中(女官)が、 密会・不義密通することは、 幕府により、 

 固く禁じられていた。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 月光院の側近の、絵島(えじま) は、大奥を運営する御年寄(実務幹

 部)で、大奥で権力をふるっていた。 絵島(えじま)は、 歌舞伎の芝居

 好きであった。

  ある時、本来大奥・奥女中が行っていけない芝居見物で、絵島が 門

 限に遅れて大奥へ帰ってきた時、 それが、天英院派の幕府の重臣(幕

 閣)に知られ、問い詰められ、 絵島が、 大奥の出入り商人と利権を貪

 (むさぼ)っていたり、 絵島が、芝居見物の後、 歌舞伎役者(男優)の

 生島(いくしま)と密会し不義密通をしていたことが判明してしまった。 

  この事件を契機に、 天英院派の幕府の重臣により、 絵島と関係する、

 月光院側の大奥の奥女中(女官) が、大奥で、風紀を乱し利権をむさぼ

 っていたという理由で、 多数、 処罰され、大奥より追放された。 月光

 院側の奥女中と組んで風紀を乱し利権を貪(むさぼ)っていた、幕府の取

 り巻きや出入り商人等関係者も、 連座して 処罰された。 大奥の風紀粛

 清の名目で、 多くの連座者が出て、最終的に、関係者1500名ほどが、

 処罰された。

   これにより、7代幼少将軍家継の生母の月光院 は、面目を失い、自

 分を支えていた奥女中(女官)をほとんど失って、 大奥での勢力を失い、 

 一方、 6代将軍家宣(いえのぶ)の正室の天英院 と 天英院側の大奥

 の奥女中(女官) が、 「大奥の実権」を握った。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

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□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

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■ 幕閣の事件でっち上げ説

    の、絵島生島事件。

● 従来の説とは別に、 近年の研究で、 江戸幕府の重臣(幕閣)の、事

 件でっち上げ説も有力になっている。

 

● 天英院と天英院側の大奥の奥女中(女官)が事件に関係したかどうか

 は不明であるが、 江戸幕府の重臣が、大奥の風紀の乱れを憂(うれ)え、

 しかし、 大奥の実権をもち、現幼少将軍家継の生母である、月光院を責

 めるわけにもいかず、 そこで、 江戸幕府の重臣達は、幕府の威光、威

 厳を保ち、 大奥の風紀を正すため (城の内外で好き勝手なことをしてい

 る大奥の奥女中を排除するため)、 歌舞伎の芝居好きの、(月光院側近

 の)絵島に目をつけ、 絵島にとって芝居見物の後の宴会で会って面識は

 あるが、密会・不義密通は全くしていない、歌舞伎役者(男優)の生島(い

 くしま)を、絵島の密会・不義密通の犯人にしたてあげる(でっちあげる)こ

 ととし、 また、 絵島を、大奥の出入り商人と利権を貪(むさぼ)っていた

 犯人にしたてあげる(でっちあげる)こととし、ある時、本来大奥・奥女中が

 行っていけない芝居見物で、 門限に遅れて大奥へ帰ってきた絵島を問い

 詰め、本人が否定したにもかかわらず、 絵島が利権を貪(むさぼ)り、絵

 島と生島が密会・不義密通をしていた事件 としてしまった。 

   この事件を契機に、幕府の重臣により、 風紀を乱し利権を貪(むさぼ)

 っていた多くの大奥の奥女中 (多くは月光院側の奥女中) が、処罰され、 

 大奥より追放され、 それらの奥女中と共に風紀を乱し利権を貪(むさぼ)

 っていた、幕府の取り巻きや出入り商人等関係者 も、 連座して 処罰さ

 れた。 大奥の風紀粛清のため、 多くの連座者が出て、最終的に、関係

 者1500名ほどが、処罰された。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

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#ejimaikushimaincident-appearingscenes

 

♪♪ 絵島生島事件が登場する、興味深いド

       キュメンタリー 、ドラマ、映画。 

 

 絵島生島事件が登場する、興味深いド

    ュメンタリー。 

 

■ 片岡愛之助の解明!歴史捜査 

   『 江戸城 禁断の女の園! 

        大奥重大事件の真相を追え! 』。

     (日テレ・テレビ・2016年1月31日・本放送・

     ドキュメンタリー番組)。

■ 大奥の詳細を述べる。

■ 絵島生島事件の詳細を述べる。

 

■ その時歴史が動いた 『 大奥 悲し

   みの果てに 〜徳川家宣正室 天英

   院 熙子の生涯〜 』。 

   (NHKテレビ・2006年(H18)4月・

    本放送・ドキュメンタリー番組)。

■ 大奥を述べる。

■ 絵島生島事件を述べる。

 

 絵島生島事件 が登場する、興味深い

   連ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

      歴史のドラマや映画は、 史実(歴史上の事実) 

   と 架空の出来事が、混じって、描かれています。 

   また、現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 大奥 (おおおく) 』 。

   (日本の2006年制作東映・映画)。

■ 7代将軍家継時代 と その時代の大奥 を描いた

  映画。

 

 天英院側の大奥女官・幕府重臣 と 月光院側の

  大奥女官・幕府重臣 との大奥や幕府内での対立 

  と、 月光院側近の、絵島の恋を描いた華麗な映画。

 

● 仲間由紀恵 (絵島役) 主演。

● 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、浅野ゆう子 など

  が出演。

 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 話を面

  白くするため、 史実とドラマでは異なる部分が、多

  数あります。

    (例) 映画では、生島は死刑となっていますが、

  史実では、三宅島へ島流し です。 

● (注意) 映画やドラマで聞く「大奥総取締」という役

  職は、実際にはなく、史実ではなく、 大奥の実務の

  長で、大奥を運営し総支配する御年寄(おとしより、

  上級幹部)のことであり、 権力のある、御年寄の中

  の1人が、 大奥を管理、運営していました。

 

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□ 日本史 辞典 の「え」 基本見出し語

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上