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にゃんこさんが書いたサイドストーリー 「Seasons」

■ 第14話 晩秋

倫子が意識を取り戻したときには、すべてが終わっていた。
直江は、七瀬や小橋に見送られ、すでに旅立っていたのだ。
倫子はそれでもよいと思った。
自分が直江を見送るなど、とても正気では出来なかっただろう。
「最期は笑ったのよ…あんな笑顔、見たことなかった」
清美が涙ぐんで話すのを聞きながら、「知ってる…」と倫子は心の中でつぶやいた。
自分も見たのだ、すべてから開放されたあの鮮やかな笑顔を。
倫子が、すべてを受け入れられると判った清美は、あるものを見せた。
それは、直江が取り寄せたあの黄色い表紙の『赤ちゃんの名づけ事典』だった。
「中を見て御覧なさい」
清美に言われるがまま、ページをめくると一枚の紙がヒラリと足元に落ちた。
拾い上げるとそこには、直江の乱れた筆跡で『男、陽介 女、七海』と書いてある。
「先生ってば…」
自分と同じ読みをする名前を付けろなんて…、倫子は心の中の直江に笑いかけた。
でも、それは自分の命がもう長くないことを知っていて、名前をついで欲しいという気持ちの現れだったのだろうか。
女の子の名前は七海。ななみ…七かあ。
『先生のボート、ラッキーセブンの七番ですね』
倫子の言ったことが、直江の頭の片隅に残っていたのだろうか。
今となっては、それを確認することは出来ないけれど…。
「直江は知っていたんだよ、自分の時間が残っていないことを」
秋の日差しがさんさんと降り注ぐ病室で、七瀬は淡々と倫子に語った。
「最後に君と、2人だけで暮らしてみたいといわれてね、退院の許可を出したんだ」
直江が回復すると期待していたのは、自分だけだった。そう知っても倫子はもう動揺しなかった。
小さな家の2人だけの生活は、毎日毎日がかけがえのない日々だった。
あの時間は直江から倫子への贈り物だったのだ。
もう、泣くのはやめよう、私は強くなる。
枕元に置かれたベビーベットで眠る、小さな小さな陽介を見ながら、倫子は心に誓った。

あれから3年たったある秋の日、倫子は陽介を連れて北海道へやって来た。千歳の空港へ着くと、乾いたひんやりとした空気が倫子たちを包む。
すっかりやんちゃになり、ちょこまかと動く陽介を追いかけながら、倫子は空港を駆けずり回った。
「こら!じっとしてろ!」
ようやく陽介を捕まえると、頭をこつんと一つたたいた。
「いい子にしてないと連れて行かないよ」
「どこへ?」
回らない舌で陽介が尋ねた。
「いいとこよ」
ふふっと笑って答えると、陽介を抱き上げてレンタカーの受付へと急ぐ。
途中、黒いコートを来た男性とすれちがって、つい目で追ってしまった。
おかしい、と倫子は思う。
もういないはずなのに、北海道に来れば、どこかで直江とすれ違うことが出来るのではないかと思ってしまうのだ。
北海道のどこかで直江は生きている…そんな錯覚に陥っている自分がいる。
だから、その錯覚が壊れるのが怖くて、今日まで北海道に来ることが出来なかった。
でも…
「はやく、ブーブー」
陽介は生意気にも、足をじたばたさせながら催促してきた。
「はいはい」
倫子は、小さく苦笑すると足早に歩き始めた。

久しぶりに訪れた支笏湖は、まだ11月はじめだというのに紅葉も終わり冬の装いだった。
「北海道は、冬がくるのが、本州より1ヶ月ぐらい早いんです」
レンタカー会社の受付嬢がそう言ったのを、倫子は実感した。
駐車場に車をとめると、支笏湖がそこにあった。
「ここが、僕が、一番心が落ち着く場所なんだ」
倫子の脳裏に、直江の言葉がよみがえってきた。
「ほんとだ」
不思議と自分の心も落ち着いてくる。
直江とあの日たたずんだ湖のほとりに、今度は陽介と立つ。
「ここ、いいとこ?」
陽介は、人気のない支笏湖の雰囲気に少しおびえたのか、倫子の足にすがってきた。
「そうよ」
倫子は笑って陽介を抱き上げた。
「ここはね、お父さんが一番好きだった場所なの」
倫子は陽介を下ろし、足元に置いた旅行バックから、小さな白い壺を取り出すと逆さにして、さらさらと白い砂のようなものを掌で受けた。
それは、激しい闘病ですっかり砕けてしまった直江の骨だった。
倫子は手を振り上げると、掴んだ骨を、湖の遠く、遠くへと投げ入れた。
砕けた骨は、風にのり、流され散って、やがて湖へと消えていく。
(先生、先生はここに還ってきたかったんですよね)
心の中で倫子は直江に語りかけた。
きっと、直江はここで眠りたかった――その気持ちを考えると、こうするのが一番いいことなのだと、倫子は考えたのだ。

すっかり退屈した陽介が、足元で自分もやりたいと騒ぎはじめた。大人にとっては辛い作業も、子供にとっては楽しい遊びに見えるのだろう。
倫子はためらったが、陽介を抱き上げると、その掌にも砕けた骨をのせてやった。
陽介は、一度、大切なものを掴むように掌をぎゅっと握ると、パッとひろげる。
すると、ちいさなつむじ風が起き、直江の最後の痕跡は、ふわりと風に乗り、陽介の掌から離れていった。
「ああ…」
倫子がかすかな溜息をついたとき、広げた小さな掌に、空から小さな白い塊がひらひらと落ちてきた。
「ゆきーーー!」
陽介が歓声を上げる。
空っぽになった陽介の掌に、一つ、また一つ、と雪が落ちてくる。
「ほんとだ、雪だ! 」
倫子もはしゃいだ声を上げた。
2人の歓声にあわせるかのように、そばにあった松林が風に揺れてさわさわと音を立てた。
直江が笑っているようだ、と倫子は思った。

終わり

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