■ 1 残照1
茜色に染まった夏雲がのんびりと浮かんでいる。一日の仕事を終えた夕日は、山の稜線に静かにその姿を隠そうとしていた。
--湖の残照
ほの暗い湖面に夕日が溶けだし、橙色の道がさざ波に揺れて輝いている。先ほどまで陽光にきらめいていた湖は、気がつくと、間もなく訪れる漆黒の闇を迎い入れようとしていた。
ゆるやかに漂うボートに身を横たえ、わたしは暮れなずむ空をぼんやりと眺めていた。聞こえるのは満々とたたえられた水の音。周りを取り囲む万緑のにおいが心を落ち着かせてくれる。そよぐ風が心地よい。
(湖のベッドで、天空のシーツに包まれているようだわ)
支笏湖を訪れるのはこれで三度目になる。最初は先生と、そして前回は息子と一緒だった。一人で来たのは今回が初めてだ。
いつかは自分一人でこの湖を訪れなくては、そして先生と向き合い話をしなくては、と思い続けてきた。だが、現実にはこれまでなかなかその勇気を持てずにいた。
先生を失ってから三度目の夏になる。ようやく彼の死を受け入れ、想い出として振り返ることができるようになったのかもしれない。
先生を失ったことによる心の痛手は大きかった。気遣ってくれる母や友人たちに心配を掛けまいとして気丈に振舞ってはいたものの、心にぽっかりと開いた穴はそう簡単に埋まるものではなかった。唯一、我が身に宿った先生の忘れ形見が、お腹の中で日に日に大きくなってくることが生きる支えになっていた。
生れてきたのは男の子。陽介と名付けた。「先生が残してくれた暖かい陽だまりみたいな宝物」だと思った。その陽介を育てながら重ねてきた時間が、「先生との日々」をようやく客観的に見れるようにしてくれた。
藍色の空は、まばたきするたびにその色を濃くしている。
あの青白い輝きは、こと座のベガ。夏の空のダイアモンドのようだ。そういえば、こと座にはオルフェウスとその妻の悲しい恋の物語が込められているのだった……。
先生と訪れた二年半前のあの日を思い返しながら、思わずつぶやいた。
「先生…、先生はあの時、どんなことを考えていたのですか。『守られているのは湖の方だ』と言っていました……」
一つ二つと天空にまたたき出した星たちがにじんで見える。
(涙は見せないつもりだったけど、やっぱり無理。でも許して、先生。今だけ……)
湖に浮かぶボート
今、先生に抱きしめられている
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