直江は医局に戻り,医学雑誌を見ていた...しかし,本を開いているだけで読んではいない。
MM…もう初期の段階は過ぎている。治療といってもわずか命を長らえるだけだ。
助かるわけでもない...あと2年かそこらだろう。
入院すれば,もう医者の仕事はできなくなる。
自分はどうすればいいんだろう,ようやく考えがそこに行き着いたとき,涙が流れた。
あと数年しか生きられない。
医者は,人間の死と対峙する職業だが,直江はこれから自分自身の死と向き合っていかなくてはならなかった。彼の場合は残された時間も短く,判断する術を持ち合わせる医者であるだけに質が悪かった。
「直江先生,交通事故で男性が搬送されてきます」
「容体は?」
「意識がないそうです」
突然にやってくる死。なんの覚悟も要らないが,何もかも一瞬のうちに奪われてしまう。
突発的な事故と助からない病気。同じ死ぬならどちらが納得できるのか。
オレの場合は...納得して死を受け入れられるだろうか。
もはや死は避けられないのだ。
「家族は一縷の望みにかけて,治療してもらいたいと思う。
治療して,それでもだめだったときにようやく,しかたがないと納得するもんなんだよ。」
「患者さんは家族に『元気だ』と嘘をつく。でも,本当はとても不安なんだ。
家族に弱みを見せられないんだよ」
直江は七瀬にいろいろなことを教わった。
直江は医者という職業を"患者を助ける仕事"と思っていたが,七瀬は『生死を決めるのは患者のほうだ』と言った。
病気が治るのも結局は患者の生命力。医者はそれをサポートする役目。
生死の境目にいる患者を救っても,患者に生命力がなければ助からないだろう。
だから,一番尊重されるべきは患者の意思なのだ。
自分と同じように死が避けられない人は,どうやって死ねばいいのか。
死ぬとわかったらどうするだろう…オレは一体どうしたいんだろう。