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月ふたつさんが書いたサイドストーリー 「めぐり逢い」

■ 6 あの曲

ときどき・・・得田憲一の病室から見える庭に庸介が遊んでいるときがあった。
小さな庸介の倍以上もある大きな楽器を操る得田の動きを、幼い庸介が遊びの手を止めて窓からじっと見ているのを、倫子はときどき見ていた。

得田:「貴女のお子さん?」
初めて得田から聞かれた。
倫子:「ええ、庸介といいます」
得田:「1才くらい?」
倫子:「ぼつぼつ1才半になります。あの・・・この子が何かお邪魔しましたか?」
得田:「いやいや・・・小さい子ってのは、音を聴いているときの表情が実になんともいいね」
倫子:「そうですか」
得田:「興味があるんだろうね」
倫子:「きっと、そうかもしれませんね」
得田:「僕の音楽仲間がね」

手を伸ばして楽器を構えながら得田は少し顔をしかめながら言った。
どうしても痛みがあるのだろう。

得田:「こんな話をしてくれた。彼が小さいとき・・・何だったかもう覚えてないけど、とにかく、目の前に、太ったおじさんがいて、コントラバス・・・チェロよりもっともっと大きな楽器だけど、それを弾いていて・・・曲も覚えてないけど、あんぐりと口を開けてじっと見ていた記憶がある・・・
それがそいつの音楽の原点で・・・そいつは今、うちのオーケストラのオーボエの第一人者さ」
倫子:「へえ」
得田:「そのコントラバスのおじさんは、自分の前にいた鼻垂れ坊主が、将来音楽家になってくれと思って弾いたわけじゃない。単なる練習のときに目の前にたまたま居たのかもしれない。
でも、音が素敵だったからこそ、その坊主は覚えてたんだろう。その光景をね。だから・・・」
弓を構えながら弦をこすって、音程を合わせだした。
得田:「きっと、この子も、何十年かたって、こうやってチェロを弾いてた僕のことを見てた自分・・・
僕の顔じゃないんだよ、そうやって音楽に見とれてた自分自身を思いだしてくれるといいな。
遠い遠い記憶の中にしまわれてね」

そうやって弾きだした曲は・・・倫子が忘れもしない、マーラーの第五の一節だった。

得田:「看護婦さん? 志村さん?」
得田に声をかけられて我に返った。泣いていたらしい。
倫子:「ご、ごめんなさい、私・・・」
得田:「何か・・・思い出のある曲?」
倫子:「え? ええ。あの・・・この子の父親が、よく部屋で聴いていて・・・私もよく一緒に聴いていました」
得田:「そう・・」
倫子:「とっても素敵で」
得田:「辛いこと思い出させちゃった?」
倫子:「いいえ、いいえ」強く言った。
倫子:「お願い、ときどき、この曲弾いてください。あの人を・・・近くに感じることができるような気がして」
得田:「そう? この曲ね、僕がNN交響楽団としては最後のノリ番だったときの曲さ」
倫子:「ノリ番?」
得田:「定期演奏会に出演するってことさ。交替で休みの番のときを降り番というんだ。それで出るときはノリ番」
倫子:「・・・・」相づちを打てない。もうこの人は二度とその舞台には立つことはない。

得田:「でもね・・・コンサートはするよ。さっきここの所長さんにお願いしたんだけど、ここの集会ホールでね、楽器が持てる間は、お客の前で弾きたい。いい場所だよ、ここは。景色が良くてね。気持ちいいよ」
倫子:「ここの集会ホールで?」
得田:「ああ、貴女も聴いてね」
倫子:「はい。楽しみです。私・・・今までクラシックの演奏会なんて生で聴いたことなくて・・・」
得田:「そう? そりゃもったいないことしたね」


ガンは確実に得田の体をむしばんでいく。ついに立てなくなって、毎夜毎夜激しい痛みに苦痛の日が続く。
楽器だけはお腹の上に乗せてでも弾いていた。3月31日にホスピスで開くコンサートのために・・・
気分のいい日は彼の周りに、前のコンサートで仲良くなった、患者の子どもや、庸介を含む、ホスピスで働く人の子どもたちが集うときもあった。
男の子:「おじさん、ほんとに何でも弾けるの?」
得田:「ああ、チェロは万能楽器だからね」
男の子:「じゃ、ポケモン、弾ける?」
得田:「ん? じゃ、歌ってみて」
元気よく歌い出した子どもの声を一節ほど聴くと、すぐチェロがメロディを奏で始めた。

倫子:「すごいですね〜さすがだな」点滴を交換しながら倫子がつぶやく。
得田:「志村さんも、タイトル知らなくても歌ってくれれば、何かリクエストしてくれてもいいよ」
倫子:「あ・・・でも、私、音痴みたいだから」
得田:「大丈夫、プロがついてる、お任せあれ」
倫子:(今日はご気分いいんだな・・・じゃ、あれを・・・)

もう一曲、思い出の地で・・・支笏湖を眺めながら聞いていたあの曲を鼻歌みたいにして歌ってみた。
得田:「ああ、わかるよ、カヴァレリア・ルスティカーナ、きれいな曲だな」
すぐにチェロが歌い出した。
倫子:(本当に・・・チェロってこんなにも豊かに歌う楽器なんだなぁ)

続く


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