結子は、オープン・カフェで中江を待ちながら碧の水面(みなも)に目を落としていた。肩に羽織った軽やかなオレンジ色のカーディガンが、時折そよぐ風にその裾をなびかせる。胸にはクリスタルのペンダントが控えめに輝いていた。
(申し訳ないな……)
忙しい中江を呼び出してしまったことに、結子は後ろめたさを感じていた。
三日前のこと。結子は中江に電話を入れた。プレゼントのお礼というより、本心はただ中江の声が聞きたかった。
(話がしたい)
心の隙間を中江のぬくもりで埋めたかったのだ。
メタリック・ピンクの携帯電話が、結子の耳に中江の落ち着いた声を届けてくれた。型どおりのお礼を述べ、近況を報告した。結局は、気が済むほどの会話もできぬまま「三日後の午後二時に会おう」ということになった。
お濠に浮かぶカフェ。白い建物の周りを緑が取り囲む。濠端には一定の間隔で桜の木が立ち並んでいる。枝先をほんのりとピンク色に変え、つぼみの膨らみを感じさせている。水面に張り出したデッキには、心地いい間隔にテーブルが並べられ、思い思いにアフタヌーン・ティーを楽しむ人々。隣のテーブルでは若いカップルが旅行のパンフレットを見ながら楽しそうに談笑している。このカフェには、都会の真中にありながらも、超然とした雰囲気が漂っている。
「待った?」
振り向くと、赤いキャップを深々とかぶり、洗いざらしのジーンズ姿の中江が立っていた。
「すみません、お忙しいのに……」結子の頬がわずかに紅くなる。
中江は、水面に視線を残したまま「『カナルカフェ』か…、いいところだな」とつぶやいた。
二人はティーオレを注文した。用件を切り出すことにためらう結子は、取り留めのない話をし出した。
「ここ、素敵なところですよね。何度か、母に連れて来てもらったことがあって…。母のお気に入りのお店なんです」
中江はKENTに火をつけ、深く吸い込んだ。
「私、川が好きなんです。ほら、ここ川みたいでしょ」と上目使いで中江に視線を送る。「私、小さい頃、母から『泣きたくなったら川に行きなさい』って言われて……。だから、川は私の友達なんです」
結子は、中江がまだ口を開いていないことに気がつき「こんな話、つまらないですよね」と気遣った。
「――いや」
中江はわずかに首を振った。
結子は、夜の支笏湖で自分に付き合ってくれたこと、そして、誕生日のプレゼントを贈ってくれたことにお礼を言った。
「あのー、これ……」
示すように胸のペンダントに優しく触れた。
「…ん」はにかむ中江。
結子は下を向いてクスリと笑った。
(撮影が終わってからここ何日も中江さんと会っていなかったけれど、やっぱり中江さんだな…)
結子には中江が照れ屋であることがわかっていた。そして、物静かであることも。
それは、普段テレビやステージで見せる中江からは想像しがたい。明るく、華やかで、そしてエネルギッシュ。それがスター中江義広を表すにふさわしい言葉である。しかし、この三ヶ月あまり、多くの時間を共に過ごしてきたことで、結子は一人の男性としての中江を感じ取れるようになっていた。そして、そんな中江を知っていることに、ささやかな満足を感じてもいた。
「志村、俺に話があるんじゃないのか?」
中江の方が切り出した。
「えっ、あ、はい……」
結子は、テーブルに置かれたティーカップを伏せ目がちに見つめている。気持ちを整理するのに時間が必要だった。
視線を中江に戻した。
「北海道でのことなんですけど……」
打ち上げのあったあの夜、なぜ動揺していたのか。そして、父のとった行動を理解できずに苦しんでいること、母に裏切られた思いがしていること。今の精神状態をありのまま伝えた。
中江は黙って耳を傾けている。
「中江さん、私……」