夕方から降り出した雨は、いつの間にかみぞれになっていた。マンションの入り口の植え込みがうっすらと白くなっている。ほころびかけた梅のつぼみが、つかの間の戸惑いを見せていた。
結子は、早朝からドラマの撮影に追われていた。ロケ現場からスタジオに移り、次々とシーンを撮っていく。すべてのスケジュールを終え、スタジオを出た時にはすでに零時を回っていた。
避難するようにマネージャーの車に乗り込み、そのまま話すことも忘れて眠ってしまった。
気がつくとマンションの前に着いていた。
「じゃあ、明日またよろしくお願いします」
プジョーの右ウインカーがオレンジ色に点滅し、数秒とたたぬ内にあたりの闇に低いエキゾースト音が響いた。
車を見送り、アーチ状に石組みされたマンションの玄関をくぐった。ぼんやりと一日を思い返しながら中廊下を歩く。ブーツの靴音が響いている。誰かに後をつけられている感じがして深夜のマンションは好きになれない。
自宅が近づくにつれて肩の力が抜けていった。突き当たりから二つ目の扉の前で、バッグから鍵を取り出す。扉の横には、名刺サイズのステンレスプレートが申し訳なさそうに張られている。無意識に目をやり『志村』の文字を確認した。
鍵を開けて中に入った。リビングの灯りがついてる。
(お母さん、まだ起きているんだわ……)
「ただいま、お母さん」
その声と重なるように奥の部屋から声がした。
「お帰り、結子。コーヒーでもいれようか?」