■最後の手紙
北海道に発つ日,部屋を出る前に直江先生は倫子へのビデオレターとともに七瀬先生へ手紙を書いたのではないかと思う。 おそらく自分を一番心配してくれた恩師に対して,言っておきたいことがあるのじゃないかなと,そう思った。
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七瀬先生
先日はわざわざ訪ねてくださってありがとうございました。
もう先生にお会いすることはないと思っていたのでとてもうれしかったです。
先日脾臓破裂による腹腔内出血の手術をしましたが,途中何度か貧血に襲われやっとの思いで手術を終えました。
覚悟していたこととはいえ,もう医者としてできることはなくなったかもしれないと痛感しています。
病気のことがわかってから,そのときが来たら消えようと決めていました。
今,いよいよそのときがきたのだと感じています。
この手紙が先生に届く頃には,僕は存在していないでしょう。
あのとき見ていただいたレントゲンやデータなどはすべて,行田病院の同僚である小橋医師に託しました。
彼は僕の病気に気づきながら,それでも僕の意を汲んで黙って見守ってくれました。
とても優秀で誠実に医療に従事する医師です。彼から連絡があったら協力してあげてください。
「自分が一人ぼっちだなんて思うなよ」
先生のこの言葉はこたえました。
長野を離れて以来,自分が一人ぼっちだなどということは考えまいとしてきましたから。
しかし,あのとき先生にこう言われたお陰で,僕は人生の最期にかけがいのないものを見つけました。
今,僕のそばには志村倫子という女性がいます。
もう誰も愛することはないと思っていましたが,彼女に会って僕は救われました。
何に対しても真剣でひたむきな女性です。
僕のそばにいたいと言った彼女を一度は拒絶したのですが,僕が最後に求めたのは彼女の笑顔でした。
彼女は僕の病気のことを知りません。最期まで彼女には言わないつもりです。
うすうす感づいているでしょうが,僕の嘘を信じようとしています。
残される彼女を悲しませるのはわかっていますが,彼女ならわかってくれる。
そう信じています。とても強い女性ですから。
だから僕は幸せでした。決して一人ぼっちではなかったのです。
そういう女性に会えて,本当によかったと思っています。
今,僕は穏やかに最期のときを迎えられそうな気がしています。
医者として生きたいという僕を見守ってくださってありがとうございました。
最後に一つお願いがあります。
彼女に僕のことは何でも話すと約束していましたが,昔のことをいろいろ話してあげられる時間が僕にはありませんでした。
もし,彼女が先生を訪ねることがあったら,長野にいた頃の僕の話をしてあげてください。
直江庸介
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いずれ倫子は七瀬先生に会いに行くと思う。病院の前でとてもうれしそうな顔をして七瀬先生を迎えた直江先生を覚えているはずだから。
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