■最後の夜
「また来るなら春がいいなぁ。その時は今度こそ一緒にボート乗りましょう。」
君の言葉に答えることができなかった。
嘘の返事でもして、話を終わらせてしまえばよかったが、できない約束はしたくなかった。
君は「じゃあ東京で」と言った。
「分かった」という肯定も、「会えない」という否定もできなかった。
「僕はいつでも君と一緒にいる」「君のそばにいるから」

今日まで彼女に隠し通していた真実。
それでも、彼女に言葉を残さずにいられなかった彼の深い愛情。
この時点で彼は数日後に彼女が味わう深い悲しみを知っていたし、それを救うのが自分が残した言葉であることを知っている。

君は僕を絶望の淵から救い出してくれた。でも、僕は君を助けてあげることができない。
君は立ち直ってくれるだろうか。あの言葉が君を救うチカラになることを信じてる。
今はこれが精一杯だ。今朝撮ったビデオにすべてを語ったつもりだ。
だから、君が一番最初に見つけてほしい。君には何でも話すって約束を果たしたよ。
そのとき僕はいないけれど。。。

君は僕の隣りであどけない顔をして寝ている。幸せそうな寝顔だ。君に会えてよかった。
こうして最期にこんな穏やかな気持ちでいられるのも君のおかげだ。
君の笑顔にどれだけ癒されたことか。あんなに怖かったのが嘘のようだ。
30年は短い人生だったな。もっと医者を続けたかったが、こればかりはどうしようもない。
医者としてやれることは最期までやったつもりだ。だから、よしとしなければ。
今更人生を惜しんでもしようがない。

もう夜が明ける。ここにしようと決めたのはいつだったかな。あのときは絶望しかなかった。
僕なんかいなくなっても誰も悲しんでくれないだろう。そう思ったこともあった。
君はすごく泣くだろうな。僕を許してくれるだろうか。僕がここに連れてきた意味をわかってくれる
だろうか。君には幸せになってもらいたい。僕のことなど忘れてもいいから。
でも。。。いつかここに来て僕を思い出してくれたら。
。。。矛盾してるな。

「先生?」
「ん?」
「いつから起きてたんですか?　風邪引きますよ」
「ああ」
「ここにきてよかった。心がまっさらになって素直に頑張ろうって思える。私たち同じもの見てる」
「ああ」
「同じこと感じてる」
「ああ同じだ」

二人で見ていたものは支笏湖。二人で感じているのは二人でいる幸せ。
『好きだから一緒にいたい、好きだからそばにいたい』
この倫子の思いは、このとき直江先生も感じていたはずだ｡
『最後の最後までそばにいてほしい』