■生きることと死ぬこと
時々「皆いつかは死ぬのに怖くないのだろうか」 と考えることがある。今生きている人には遅かれ早かれ死が訪れる。
身近な人が自分の前から「いなくなる」というのは耐え難いことだ。昨日まで話し掛けてくれた人がもういない。二度と姿を見ることもできないし、声を聞くこともできない。温もりを感じることもできない。相手を心配することもできないし、自分を心配してくれることもない。ただ、一方通行の思いが残るだけだ。
「生きることは死ぬこと」 生きているからこそいつかは死ぬ。
「納得して死ぬために、悔いなく生きる」 悔いがあっては納得して死ねない。
「死ぬときに、いい人生だった、生まれてよかったと言えれば」 究極の遺言。
分かっていながらどれだけの人が納得して死ねるだろう。
死について、「現実の世界では自分の死を他人に委ねるしかないが、直江は自らで死ぬ時期と死に場所を選んだ」という話を聞いて、考えさせられた。
他人に自分の死をさらさなくてよいということはうらやましいことだと思う。だが、そうだからといって、果たしてどれだけの人が実行できるだろうか。
やはり、そこには自分の死期を悟り、自分の死を冷静に見つめる「医師としての直江」がいたのだろう。「医師としての直江」が、お膳立てし自らの「死の形」を整えた。
時にはくじけそうになり、時にはヤケになり、崩れそうになる直江自身を、医師として支え、元気付けていた。他人に事実を隠し、最後まで医者であり続けようとした直江には、自分自身しか頼る人がいなかった。
「人は一人で生まれて一人で死んでいく。
ならば一緒に同じ時間を過ごし、同じことを感じたりすると
いう存在がなければ、生まれてきたことの意味がない」
三城プロジューサー
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「人は一人で泣きながら生まれてくる。
最終的な決断も自分の責任で一人で決めなくてはならない。
だから、何をやるにしてもいやいややりたくない。
人はその人生の終わりに一人で死んでいく。
でも一人では生きられない。
やっぱり人と関わりながら生きている。
だから、できるなら死ぬときは笑って死んでいきたい 。」
中居正広(公式HP・BBSより抜粋)
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白い影に関わる人たちが奇しくも同じことを発言していることは非常に興味深い。プロジューサーのいった言葉が、白い影のテーマ、直江と倫子の関係を端的に表していると思う。
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