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18年後の広島 |
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昭和38年大学3年、21才春休み、親友Kusumiに「広島旅行」に誘われる。
彼の兄が東京に居りそこで1泊、翌日広島に向かう。
彼の広島在住の親戚宅に数日間?滞在、各地を訪れた。
今でこそ原爆の悲惨さを理解出来るが、当時はほぼ何の予備知識もなかった。広島の親戚宅も特に被害らしきことも無かったようで具体的に「原爆」について話し合った記憶もない。
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・原爆ドーム
・五右衛門風呂
・お茶の作法
・錦帯橋
・厳島神社
・広島城
・人影の残ったビルの玄関 |
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広島に数日間?滞在歓待を受けたが、交通費、宿泊費、食費等々どうなっていたのかトンと記憶にない。そもそもKusumiはどういう目的で誘ってくれたのか、いまでは確かめようがない。 |
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後日、4年になった夏か秋、例の広島の親戚が新潟を訪れるという。「会って、新潟を案内してほしい」とのこと。当時の新潟市、全く案内するような場所もなく、「護国神社」「小林デパート」を案内する。 |
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2023年の今、共に昭和16年生まれ、80才を越えた。
・ロシアとウクライナの戦争も継続。
・広島で行われたサミットでは核の必要性さえ話し合われ
・識者のなかには既に「第三次世界大戦」が始まっている。と指摘する人も
・戦後・・・年ではなく、既に戦中なのかとも言われる。
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