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通信インフラ後進国ー日本ー
遅い!高い!インターネットの必要性、その便利性については誰よりも早く認識したつもり。しかし、この遅いこと、通信料の高いこと、「アメリカでは月2000円くらいで、つなぎっぱなし」ということを聞いたときは、なんともやりきれない気がしたもの。若干遅いということは、まあ、我慢するとして,、通信料の高いことには、腹がたった。
誰の責任か!時の政治家、特に総理大臣
「日本をIT先進国にしよう」といい始めたのは、あの不人気な森首相。とてもITとは無縁のような人。しかし、すでに通信インフラの面では韓国、インド、シンガポールにはるか先をいかれ、この面では後進国でした。一体どうしてこんなことになったのか.
宮沢元総理
バブル崩壊直後の総理大臣、宮沢さん。遅すぎたデビュー。彼は優秀な政治家と思っていたが、ただ、年をとり過ぎていた。20年、30年前に総理になるべき人、高度成長期の人。このときに5年、10年の長期政策をもっていたなら現在の様相も相当違っているのではないかと思うが。
宮沢さんはバブル崩壊後、最初にいわゆる「不良債権の処理」を言い出したひと。結果的にできなかったわけだが、もしあの当時からはじめていたら?
フレッツISDNの登場 -歓喜したフレッツISDNー
いつの日か光ファイバーになるだろう。それまではなんともならないとあきらめていた頃。フレッツISDNの情報が入る。「繋ぎっぱなしで定額制」これを待っていたんだと歓喜したもの。ところが、大都市圏優先。地方都市にはなかなかこない。ここでもまた、腹がたったもの。2000年秋、ようやく我が郡山市でも可能となった。早速導入、2000年11月、我が家の環境もようやく、「繋ぎっぱなしの定額制」を満喫するようになった。
このときの投資が工事費2,800円、DSU内臓の「AtermIT55DSU」41,000円。Proxy97を使っての家庭内LANである。このProxyがまた不安定で、時々、一方が繋がらなくなったり。それでも通信料金を気にすることなく、使えるというメリットは素晴らしいものだった。
喜びもつかの間のADSL
Proxyソフトを使っての家庭内ランは、どうも不安定。2001年春、ダイヤルアップルーターに切り替える。ヤマハの「RTA52i」。これでようやく、安定したLAN環境になる。ここでの出費が4万円を超える。この頃から、高速通信回線「ADSL」を耳にしたのは。この情報には、また頭にきた。NTTはISDN以外に通信システムはないがごとくに、拡販を進めるなかで「ADSLで高速のインターネット環境がつくれます。」という話。それも、従来の電話回線をつかってである。ISDN回線に切り替えて、ダイヤルアップルーターも購入してとそれなりの投資をした矢先の話。
なぜ、ISDNとADSLを同時に進めなかったのか。
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