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                        雑 記 帳   | 
                     
                  
                 
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                |  定着しない夏のバカンス    | 
               
              
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                 社会人生活の始まった1964年(昭和39)、最初のお盆休みである。休みは3日間、これでは何も出来ないと上司に談判、2日間のプラスを申請する。 
                 
                 「私では判断出来ないので工場長(最高責任者)に直接と。」結果はNO! 
                 
                 まあ、当たり前かも。 
                ・そんな慣習はない。 
                ・入ったばかりの新人社員のわがままは許せない。 
                ・社会、会社はそんなに甘くない。 
                 
                 38年間のサラリーマン生活、何よりも欲しかった「夏のバカンス」は経験できなかった。 
                 
                休みを欲しがらない人達。(不況時の命令休暇) 
                 生産工場である。不況時、余剰在庫を増やさないため生産機械を止め、社員を休ませ支払い給与の削減を図る「命令休暇」というものがあった。4、5日の強制休暇。ただ。給与は何十%か補償される。 
                喜んだものである。給与は減らされるが「休んでください」と言っている。 
                ところが、組合も反対、廻りを見ても浮かない顔。 
                 
                何故喜ばない!やる事がない! 
                 「給料は減らされるが。休んでいいです。」と言っている。何故皆んな喜ばないのか不思議でしょうがなかった。組合が反対するのは立場上しょうがない。ちょっとまとまった休みがあれば、あれをしよう、これをしようと。 
                ところがどうも、地元の人たちにはやる事がないらしい。「4日でも5日でも家に居るしかない、困る。要するにやることがない。 
                 
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                 (小泉首相の時代の話) 
                 アメリカのブッシュ大統領が一ヶ月の夏休みにはいる。小泉首相も16日間の夏休み。 
                (ドイツの夏休み) 
                 朝日新聞の特派員メモにドイツの夏休みが紹介されていた。 
                 休暇は3週間が基本 
                    1週目は仕事を忘れ。 
                    2週目で本当の静養。 
                    3週目は通常生活に戻るためのリハビリ。 
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