沖縄ビンボー旅行記

救いなきバイク野郎 〜心地よく危ない睡魔〜

僕の沖縄バイク旅は、いきあたりばったり。
金はすっかりなくなったけれど、行く先々でいろんな人に助けられた。
それでも腹がどんどん減ってきて、もうろうとしてきた。
いったい僕はどうなちゃうんだろう?

台風一過
気がつけばすっからかんの僕

台風で西表島に閉じ込められた。YHの外は暴風雨だった。石垣島の港にある我が愛車は無事だろうか?。会社を休まなくちゃいけないと、心配顔のサラリーマンを尻目に、大学生だった僕は新車で買ったバイクの事ばかりを考えていた。時折、突風が窓ガラスを枠ごとガタガタゆすり、その外に広がる暗い空に稲光が走るのだが、それを見る度になぜだか無性にワクワクする。雨が小降りになった隙に、生暖かい突風の中をみんなで喫茶店まで全力で走った。やり過ごせばいい台風を体で感じたくて仕方なかった。

その頃海外に出たことなかった僕にとって、八重山諸島はほとんど海外に等しかった。中でも大コウモリが町中にいたりする西表島は僕らを子供に変えてしまう、常識を越えた魔法の島だった。当時、この島には僕らの他にもここを天国と感じて住み着いている旅行者達がいた。僕はひどく彼等に憧れつつも、浪人までして手に入れた大学生という身分を捨てる事はできなかった。

台風が去った後、海はまだいつもの美しさを取り戻してはいなかった。

仕事に復帰する人達とフェリーに乗り、西表島から石垣島に帰って来た時、気つけばもう本土に帰るお金は残っていなかった。ここんとこ、舞い上がりっぱなしで、それまで残金の事なんか考えてなかったのだ。これからどうしようか?いきなり現実に引き戻された僕は急に祭りの後のような寂しさに襲われていた。

ともかくもう宿に泊まるわけにもいかないので港の近くの公園に移動して寝ていると、そこに西表島で出会った早稲田の学生ヒロシが現れた。彼もお金がないので今日はここで寝るという。なんだか少しはホッとした。

南国とはいえ日没後、空気はやっぱり冷えてくる。西表島のジャングルで靴を失い、沖縄で買った米軍の払い下げのタンクトップしか持ってない身では気温がすごく良く分かる。そのうち寒さに耐えれなくなった僕はベンチから電話ボックスに移り、コンクリートの床にエビのように丸まった。

深夜コツコツとガラスを叩く音がする。『やばい!警察か』慌てて飛び起きるとヒロシが立っていた。『坪井さんホテルで寝ましょう』『へっ?何言ってんの』『いや、今ちょっと見てきたら奥の会議室の鍵が開いてたんです。あそこで寝ましょう。』『・・・』『大丈夫です。僕に任して下さい。』

こいつ何て事言うんやと思いながらも、僕らはこっそり石垣島NO,2のホテルに忍び込んだ。ヒロシの先導で階段を上がると確かに会議室の鍵は開いている。しかし本当にこんな事していいのか?。戸惑いながらもまたもや例のワクワク感がよみがえって来た。罪悪感とスリル満点のドキドキの狭間で興奮しながら内側から鍵を掛けると、緊張感から解放されたせいかどっと疲れがでた僕はすぐに机の上で熟睡してしまった。

 ぐーすか寝ていると明け方またヒロシに起こされた。『坪井さん、ぼちぼち脱出しましょう。これ以上いると危険です。いいですか、もし途中でホテルマンと会ってもびびらないで下さい。堂々としてると向こうは絶対気付きませんから』
それを聞いて一気に目が覚めた。ドキドキしながら廊下を歩いていくとまずい事に玄関を掃除してるホテルマンがいる。やばい!どうしょう?一気に脈拍が上がってくる。
『ヒロシッ』
小声で彼を呼ぶが返事はなかった。そうだった。びびったらダメなんだ。ホテルマンは僕らが5メートルぐらいの距離まで来た時、掃除していた手を止めこっちを見た。
『おはようございます』
彼はさわやかな笑顔で僕らにそう言った。ヒロシは田中角栄みたいにちょっと手を振り『よう、おはよう』と言い、僕も真似て『おう』と言った。勝ったと思った。

 そしてそのままの顔で昨日の公園まで来ると二人とも笑いが止まらなくなった。
『ねっ、坪井さん僕の言った通りでしょ。堂々としてたら分からないんですよ』
『ほんまやな、でも何であそこに会議室あるなんて分かったん?』
『ホテルの構造なんて似たようなもんなんですよ、僕東京でずっとバイトしてたから分かるんです。それに一回顔覚えられたら逆にあのホテルマンに対しては僕らはフリーパスです。僕、なんかウンコしたくなったから、もう一回行きますけど坪井さんどうします?』
『んじゃ、僕も行くわ』
 考えてみりゃひどい話しだが、こうして僕らはまたもやホテルを利用したのだった。

 しかしその日、那覇に向かったヒロシを港から見送った僕の状況は何一つ良くなってない。またひとりになったなと思いながらバイクの置いてある所へ行くと、新品のバイクに合わせたて買った、お気に入りだった同じカラーリングのメットが盗まれている。寂しそうなバイクを見てると怒りや悲しさを超えてなんだか笑えてきた。いいや、どうせ本土に帰る金もないのならとヤケになった僕はその場で日本最南端の島、波照間島行きのフェリーへと乗り込んだ。

お金がない。ガソリンもない
どうすりゃいいんだ?

そのフェリーはすごかった。なにがって船が出てしばらくすると船長が後の甲板からトローリング用のルアーを流すのだ。やっぱりここは日本じゃないと思った。降りそそぐ陽射しと船の上に流れる穏やかな時間、それだけでこの船に乗った値打ちは充分あった。もともと僕は波照間に行きたくてこのフェリーに乗ったわけではなかったので、島に着いたら何かすっかり満足してしまい、結局その日また石垣島に帰ってきてしまった。

その船で僕はまたもやヒロシとあった。今度は慶応のヒロシだった。彼もまた早稲田のヒロシ同様貧しかった。船の中でとにかく次の沖縄行きの船が出るまで何とかお金を残そうと相談した僕らは、海岸で自炊して船を待つ事にした。幸いにもヒロシは米を持っていたし、珊瑚礁の海に潜ると結構食べられそうな貝も取れた。落ちていた流木を集めて火を起こし、拾ってきた鉄板で貝を焼いているとそれなりに幸せな気分にはなれた。

しかし夕闇迫る頃、僕らのささやかな幸せをぶちこわす賑やかなキャンパーが現れ、隣でいきなり豪勢なバーベキューが始まってしまった。僕は急に惨めになり茂みの方に隠れたのだが、ヒロシは何を思ったのかブツブツ言いながらキャンパーの近くをうろうろしている。しかし実はこれは彼等に僕らの存在を印象づけるヒロシの作戦だったのだ。そのうちヒロシが気になったのかバーベキューグループのリーダーらしき人が『一緒に食べませんか?』と声を掛けてくれた。作戦成功だ。

『あっ、それはどうも。ちょうど取れたての貝ありますよ。』そう言ってしらじらしく彼等の焚き火に近付くと、炎に照らされたそのリーダーの顔はどこか見覚えがある。なぜだろう?考えてると僕の視線に気付いたのかその人はこっちを見て、『あれ!今年の冬、函館で会ったよね』と言った。やっぱり栗さんだった。

あの時『暖かくなる頃には南下して南の島で仕事探すよ』と言った言葉どうり石垣島のホテルで働いていたのだ。すっかりごちそうになった僕らに栗さんは『明日ホテルに来いよ、俺が腹一杯食わしてやるよ』と言って去っていった。

翌日、気合いの入った一張羅でホテルに現れた僕らは、歩くだけで後からモップがけされるほどの大ヒンシュクをかったが、それでも気にせず食いだめしまくり、酔っ払い、また公園で寝た。そして、その翌朝僕らはついに那覇行きフェリーに乗った。

しかし考えてみればヘルメットを盗まれたけど、それを買うお金はない。靴は西表島のジャングルの藻屑となったためビーチサンダルしかない。ガソリンもあんまりない。さてこれはどうしたものか?まずは警察ともめない為にヘルメットを何とかすべきだろう。そこで、また船で知り合った貧乏人達に協力してもらい、国際通りの近くの工事現場で黄色の現場ヘルを狙った。しかしこの日はたまたま仕事が忙しかったのか、妙に作業員が多くツケいる隙がない。真夏の炎天下で2時間ぐらい頑張ってると暑さと栄養失調で全員倒れそうになった。

これではあまりにみんなに申し訳ないないので、そこで彼らと別れた僕はひとり那覇の職安に向かった。職安のドアを開けると一升瓶を持った土方のオッサンが三人、車座になってトランプをしている。慌ててドアを閉めたが看板をみるとやはり間違いなく職安だった。なんちゅーとこや!と思いながら職業紹介本をめくってみるが仕事なんてやっぱり全くない。もう考えるのもイヤになった僕は港へバイクを取りに戻り、沖縄の警察も米軍には弱いだろうと以前買った米軍払い下げの迷彩服を着て、ノーヘルのままこっそりと奥武山公園を目指した。

ここの公園は素晴らしかった。ベンチに始まりトイレ、水道、なんと雨避けの屋根まで完備している。僕はそこに居る先輩達のマークをチェックしながら一つのベンチを選んだ。さてどうしよう完全に浮浪者になってしまった。暑さのために脳ミソが働かないのでダラりと横になってると、2歳ぐらいのまだ足元が危なっかしい女の子がなんか嬉しそうにこっちに歩いてくる。その後ろから母親が慌てて追っかけてきて子供を抱き上げで去って行った。その様子を見て僕は今の自分の状態を改めて自覚した。あの母親にとっては僕は近付くことすらも汚いゴミなのだ。ふーん、なるほどね。自分は今までこんな表情で道端の彼らを見下ろしていたんだ。そう思って見上げてると、なんだかすごくおもしろかった。低い視線から見上げると、今まで見えていた物が全く違う見え方をしている。公園に夕日がさしていた。

親子連れは家路に付き、隅っこのベンチにはいつのまにか気合いの入った先輩がぼんやり座っていた。腹が減ったが動く気力も起こらず、そのうち腹が減った事すら忘れてしまった。日が暮れてからカップルが現れて僕のベンチの端っこに腰掛けたが、どうやら暗いのでこっちに気がついてないようだ。ゴロリと寝返り打つと驚いて逃げていった。

夜中なんか寝苦しくて目が醒めると野良猫が胸の上で寝ている。こっちが起きた事にも気付かずに幸せそうに寝ているのでそのままにしておくと、ノミをうつされたらしく朝起きるとそこら中がかゆかった。

さすが沖縄だ。日が上がると暑くて寝てられない。パンをふたつ仕入れた僕は公園の暑さから逃れるためにノーヘルのままGPZにまたがり意味もなく那覇から58号線を北上した。やがて目の前に沖縄の素晴らしい海岸線が広がりだした。走ってもガソリンと体力を消費するぶん余計事態を悪化させるだけだが、そんな事はもうどうでもよかった。

この救いのない状態を
どこかで期待していたのかもしれない

潮風を受け走っているとなんだか無性にコーラが飲みたくなった。仕方ないのでバイクを道端においてガソリンスタンドで水をもらい、ボトルにつめる。3時頃あまりに腹が減ったので砂浜にバイクを止め、パンでも食おうとヤシの木の木陰に座るとそのまま動けなくなってしまった。

いつの間に寝たのか分からないが、気がついた時はきれいな夕日が海に沈むところだった。そこからまた意識が飛んだ。次に気付くと満月が海を照らしていた。きれいだなぁ・・と思いながらまた意識が飛んでいた。次に気付いた時には月は頭上にありヤシの木の影は見えなかった。夜の海を見ながら波の音を聞いているとまた気持ちいい睡魔が襲ってくる。しかしこれは本当に睡魔なのか?もしかしたら危ないんじゃないのか?

何か食うべきだ。そうだ!パンがある。思考力の低下した脳味噌が出した結論はそれだった。しかしいざ実行しようとすると、たった5メートル先のバイクまで行くことができない。それどころか起き上がることすらできないのだ。そんな訳ないだろうと何回か起き上がろうとしたのだが繰り返しているうちになんか嫌気がさしてきた。するとまたもや睡魔がきて、今度は『もういいじゃないか』という声まで聞こえてきた。

僕は以前に工場で何日も徹夜で働いた時に幻覚と一緒にこの声を聞いた事があった。その時もその声は確か同じように『もういいじゃないか』って言っていた。この優しくて抗いがたく、そして恐ろしいこの声はどこから聞こえてくるのだろう。どうもその声は自分の中から聞こえてくる気がした。どうなってるのかわからないが、この声は体を休めなさいという本能からの声かもしれない。

でもその時、僕はわずかな意識の中でこの声に従うのは危ないと思った。分裂した自分の中の自分との戦いを続け、ようやく僕はバイクにたどり着いた。ところがなぜか食欲がない。それでも無理やりパンを半分齧って水を飲むと少し思考も戻った。もうちょっと食べようと思ったが、これを食べてしまうと明日食べるものがない。そう思うとそれ以上食べる事ができずまたふらふらと寝てしまった。翌日また暑い日が上った。不思議とまだバイクに乗る力はあった。その日もまた意味もなく僕は北を目指し、気が付けばいつのまにか沖縄を一周してまた那覇の奥武山公園に帰ってきていた。ガソリンが持ったのはほとんど奇跡だった。

このままでは本当に危ないと思ってなけなしのお金でカップヌードルを買った。薄汚れた青い財布から小銭を取り出すと、もう財布はペラペラだ。ひっくり返すと中には9円しか残ってなかった。たった1円足りないだけの事なのに、もう家に助けてくれと電話をかける事すらできなくなった。こうなる前に電話を一本入れておけばこんな状況にはならなかったはずだ。しかし僕は人の力は借りたくなかった。自分でなんとかしたかったのだ。今考えると他に手はいくらでもあっただろうし、あまりにも無意味な行動が多すぎる。でもこの時は自分なりにせいいっぱいだった。まだ警察に駆け込めばなんとかなると思いながら、それでも意味のないプライドがそれを許さなかった。

ぼんやりしながら夕日を見ていると、もしかしたら僕はこの救いのない状態を心のどこかで期待していたのではないか?という意外な考えが浮かんできた。確かに僕は旅行中にそれまでも何度も公園で寝ていた。でも一度も自分が浮浪者だと思った事もないし、その視線から人を見上げた事がなかった。でも今、逃げ場を失って初めて、その視線を手に入れている。そのせいか見下されているのに、なんだか嬉しい。僕はずっと自分の限界を超えた先にある感覚に憧れていたのだ。それがマイナス方向だとしても未知ならそれでよかったんだと思った。

やがて日が暮れる頃になるとまたすべてがどうでもよくなった。公園では前に来た時と同じ光景が展開し、また浮浪者の先輩は同じベンチに静かに座っていた。それを見ながら僕の意識はまた昨日のようにすーっと消えていった。また朝が来た。起き上がってみると朝は不思議と動ける。水道で頭を洗うと脳細胞のいくつかはまた動き出した。ここんとこ忘れていたけど僕は現役の大学生だった。そういえば毎月、親が仕送りしてくれていたはずだ。もしかしたら銀行にお金があるんじゃないか?そう思ってフラフラ銀行に行くと仕送りはしっかり振り込まれていた。

結局、釈迦の掌の上にいる孫悟空みたいで、あまりにもあっけなくそして情けない結末だった。それから一ヶ月半、公園を渡り歩きながらひたすら走り続けた僕はいつのまにかほとんど日本を一周していた。季節はもう秋だった。寒かった東北から北陸あたりにさしかかった頃になんだか無性に帰りたくなったので、京都の下宿に帰る前に久し振りに和歌山の実家に顔をだしてみた。オヤジは僕の顔を見て
『なんや、そのギラギラした目は!まぁとにかく臭いから風呂入れ』
とだけ言った。両親は行方不明になった僕をキャシュカードをどこで使ったかで捜してくれていたらしい。悪かったなと思った。

ポカラ16号(1999年10月)

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