誰がなんと言っても僕は出たいの! イカダってどうやって作るんだ? 宣戦布告はこんなものとして、さていよいよイカダ作りだ。材質を何にするか?これが重要な問題だ。大会規則によればイカダの幅は1メートルまでのものとし、穴吹町に関する標語と船名の旗を立てる。チームは4人以上で構成、女性一人を含むこととなっている。 なにも考えずに読むとどうってことなさそうだが、4人乗り以上のイカダを作るのは思ったよりも難しい。去年僕らがホームセンターで買った板とタイヤチューブで制作したイカダは3人乗っただけで川に沈んでしまった。それで後日、魚市場でマグロ用の発泡スチロールをもらって取り付け、なんとか4人乗れるようにごまかしたのだ。 しかし今年は去年とはひと味違う。なんせ僕らにはイカダの浮力を計算出来る大阪市立大理学部物理学科出身の遠藤カメラマンがついている。去年の教訓を踏まえたドリームチームに死角はない! 何度か電話で打ち合わせしていると『昔、永谷園の創始者がワシんとこで働いとったんや』という宇治茶の名家永谷さんから、彼の親戚の飯田木材さんで端材を譲っていただけるという情報が入った。さっそく山深い京都府和束町に直行すると、端材どころかすでに製材されてあるヒノキの丸太をイカダに必要なだけ切ってくれるという。総ヒノキ作り!かってこれほどまでに贅沢なイカダがあっただろうか?チェンソ−でサクリサクリと切られたヒノキを強引に永谷さんのバン、『コマワリ君』に突っ込み、後から1メートルぐらいはみ出た状態のままで、二人は揚々と今回のアジトである琵琶湖の見える関西冒険クラブ事務局へと凱旋した。 出迎えてくれた理学部遠藤カメラマンは丸太を見るなり銀メガネを光らせて『う−ん坪井さん、私の計算だとこれじゃ浮力足りませんよ。浮力は、体積なんですよ。で、丸太の体積から重量を引くとですね、このイカダの浮力は160キロぐらいですかね』とクールに言いはなった。おおっ!さすがはドリームチームの頭脳理学部遠藤カメラマン。なんて説得力のある言葉なんだ。 『それならどうしたらいいの?』『ん−、やっぱりホームセンターで部品探すしかないでしょうね』。なんだぁ、結局そうなのか。そこで素早く買い出しに行って20リットルのポリタンク8個と風呂場のスノコとロープを仕入れて制作開始。しかしここで新たな問題が浮上した。飯田さんから丸太同士を固定するにはロープよりも真鍮の棒を通したほうが安定すると聞いていたのだが、実際やってみると丸太に真っ直ぐ穴を開ける方法が分からない。日が暮れてきたのでとりあえずその日はそこまでにした。 理系遠藤カメラマンの誤算 数日後、永谷さんより『丸太に穴開けるの大変やから竹でいこう。竹ならワシんとこの裏山になんぼでもある』という電話があった。ワシの山とはさすがは名門永谷家だ。しかし竹で本当に浮力は大丈夫なんだろーか?そう聞くと『遠藤さんが大丈夫と言ってるから大丈夫だ』と言う。さっそく山から竹を切り出す。この間のヒノキの丸太は長さ3メートルだったが、それでは組み立てて四国まで運ぶのはキツそうなので、なるべくコンパクトにしようと竹は2・6メートルでいくことにした。 アジトで材料を組み立て始めるが、よくよく考えるとこれだけ晴天が続けば水位が下がっている可能性は十分にある。だいたい穴吹川ってどんな川なんだ?もう一度昨年の詳しいチーム紹介を見ると、イカダ大破により途中リタイヤとか、負傷者が出たとか、5回転覆したとかいろんなことが書いてある。これはいい加減な物を作ったらマズいんじゃないか。なにせ今回我々は優勝を脅かす存在として注目されている・・はずだ!大会まで一週間、イカダはまだ完成していなかった。 数日後の夜、電話を取ると理系遠藤カメラマンだった。今日は最終組み立て&琵琶 こんなんイカダとちゃうで! 大会前日快晴。結局イカダは現地で組み立てることにして一路穴吹川を目指す。車から見下ろす穴吹川はきっと野田(知佑)さんでも認めるに違いない美しさだ。河原に車を下ろした時だった。『えっ、これ!もしかして?』突然高嶋君が呻いた。彼の目線の先にはトラックに乗った何か長い物がある。嫌な予感がして慌てて駆け寄ってみるとそれは今大会参加者のイカダらしい。しかし、これは!・・これは船やん。それはカヌーのような流線形の船体に一人一人の座席を備え、最後尾には舵とり用の特別席まである素人目にも『いい仕事してますね−』と唸る一品だった。『なるほど、長さをとることで浮力を増して、喫水を低くしているわけですね』遠藤カメラマンが鋭く指摘し『これ反則ですよ』と高嶋君が呟く。確かに大会規定には幅以外の指定はなかったけど、イカダレ−スでこれはないだろ。そりゃ、僕らもカヌーの回りに板を張ったイカダを作ったら勝てるなとか、猫を乗っけてこれは人間ですと言い張れば軽量化できるとかの姑息な作戦は考えたけど、こんなイカダを作ることは考えなかったもんな、悔しいけどこれは僕らの想像を遥かに超えてる。さすがは歴史15年だ。奥が深いわ。 川沿いに車で走ると予想通り水位が低い。これはかなりの区間を引っ張って進む必 翌朝スタート前に隣のチーム、トロイカ号から『アナタがアマゾンに行ってた人です そしてレースは始まった 午後1時20分、レースが始まる。スタートは一分間隔だ。一番艇が浅瀬をイカダを引っ張りながら全力で駆けていく。カッコエエなぁと見ていると最初のカーブでそのイカダがいきなり転覆した。ありゃ、なんやそんなもんか?とメンバーを見渡すとなぜか匹田嬢だけがこわばった顔をしている。『テンプク?あ、全然大丈夫』と無責任に彼女をメンバーに加えたけど、そういえば彼女は泳げなかったんだ。すっかり忘れてた。『ゴ−ルで待ってるぜ』と出ていったお隣りさんは7番目、そして僕らの後には3年連続優勝のサークルマウンテンの黄色の船体が控えている。 合図と共にスタート、すぐに最初のカーブが迫る。漕げー!と叫んでいるうちに岩に乗り上げ転覆。そしてすぐにひっくり返ったイカダが頭の上に落ちてくる。ジタバタしながら下敷きから脱出すると、すぐ目前に黄色の船が迫る。スタートわずか3分ほどで速くも優勝候補艇に抜かれたのだ。衝突、転覆、漂流。その様子は遠藤カメラマンの望遠レンズにクールに収まっていた。 一度、転覆するとそうとう体力を浪費する。復活した頃にはもう黄色の船体は見えなくなっていた。なんちゅ−速さだ!と呆れているとすぐに次のイカダが来る。慌てて避けると岩に乗り上げて名家永谷転落。もう何が何だかわけが分からない。緩やかな流れや浅瀬では体力で負け、岩場では技術で負け、最初の転覆で折れたドリームチームの旗は穴吹川に流される。そしてその様子は自転車で先回りする遠藤カメラマンのカメラにまたもやクールに記録されていく。中間地点を過ぎた辺りで後の方からリズムの整った掛け声が聞こえてきた。振り返ると27番の番号が見える。『ちょっと待ってよ、僕らって8番ですよね』高嶋君が叫ぶ。そういえばそうだった。勢いよく27番に追い越されていくのを河原で見ていた日傘のおばあちゃんに『なんでこんなところに8番がおるんじゃ』と言われる。うわぁ−、もうどうにでもして!何とでも言って!もうこの辺まで来るとレ−スなんかどうでもよくなってきた。せっかく四国一の清流に来ているんだから楽しまないと。 遠藤カメラマンの銀メガネはキラリと光った 河原で声援を送ってくれる家族づれに手をふってるとイカダの横に木片が流れてきた。誰じゃ!四国一の清流穴吹川にゴミをすてるヤツはとその木を拾うと、それはポリタンクを固定するのに使ったスノコの木片だった。数々の激突で僕らのイカダは崩壊寸前になっていたのだ。さらに追い討ちをかけるように最後の難所の堰堤が現れた。ここだけは乗ったまま越すのは無理なので、大会役員がパイプでこしらえた斜面を3メートルぐらい下の川まで滑り落としてくれる。しかしこのイカダがその衝撃に耐えられるだろうか?。ドカーン!下で待っているとイカダが落ちてきた。その瞬間、ポリタンクがイカダの横から飛び出す。もうすでにスノコはなく、固定しているロープもブチブチだ。このままでは完走も危ない。 やがて正面の山腹にゴール地点の国民健康保養施設グリーンヒル穴吹が見えてきた。確か大会規定ではイカダも人間もゴールした時点で穴吹牛のバ−ベキュ−券を得る資格が出来るという残酷なルールだったはずだ。こうなったら部品になってもゴールして穴吹牛を食う。そしてビールだ!そこに遠藤カメラマンが現れる。『どうですか?』『ビ−ルじゃ、ビ−ルをくれ』『もうゴールはそこです』。灼熱の太陽の下、キラリと銀メガネを光らせた理系遠藤カメラマンはどこまでもクールだった。 そしてゴール。『ただいまゴールしましたのは関西冒険クラブ。標語は”穴吹の川に流 |
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