旅する冒険ライダー 坪井伸吾のページです

 

 

  9511月、キリマンジャロで軽い雪盲になった目を、麓の町MOSHIで癒し、以前ナイロビで会った日本人のバイクカップルに勧められたタンザニア北西部に広がる草原、マサイステップを走ってみることにした。でも勧めた本人たちも、おもしろいと聞いただけで、何がどうおもしろいのか、道はちゃんとあるのかという肝心のことは全くわからないらしい、まーいーか、マサイステップって響きなんかおもしろそうだ。

MOSHIARUSHAの中間地点あたりで地元の人に聞いて、マサイステップへの入口らしい道を南下すると、すぐに予想どうり楽しいダートとなる。思ったより人が歩いているのでのんびり進んでいると、昼頃少し大きなマサイ族の村に出た。こんな所にラッキーにもガソリンがあったので満タンにして、予備10リットルにも入れておく(悲しいことに僕のTTRは燃費が悪いのだ)。この村にはなんとバイクに乗っているマサイもいて、赤いマントを翻したマサイライダーはなんともカッコイイ。

◆しかし、その村を出ると道は急に道でなくなった。村の出口に洋服を着たマサイがいたので方角を聞いてそのとうりに行くと、道らしき物はそこらじゅうで分岐しまくり、やがて何がなんだか分からないうちに山の中でそれは消えていた。ふと嫌な予感がして振り返ると道と思っていたものは何もなく、ただ前は山、後ろには斜面に広がったブッシュがあるばかり。あいたー、やってしもた、さてどうしようか。意味もなく動くと、もっと状況は悪くなるだろうし、かといってじっとしてても事態は変わらない。赤い地面を睨んで唸っていると暑くて頭が痛くなってきたので、顔を上げ眼下に広がる赤い荒野と、その先にある丸い雲いっぱいの青い青い空を見ると、なんだかほっとした。

◆そうだよな、焦っても仕方ないんだ、まー冷静に状況を見てみようか。とりあえず頭が働くよう水を飲んでパンをかじる。ガソリンは多分いける、でも水は1リットルもなしか、何とか元のルートに出られないと、野宿になると苦しいな。そう思いながらその辺を歩き回ると、自分のワダチがうっすらと残っていたのでゆっくりその跡を辿ると、元の道らしき場所に出た。ああよかった、今度からは気をつけよう、と思っていたものの、分岐は際限なく現れ、その度に間違いを繰り返した結果、もう南を向いている方が正しいと勝手に決めこみ進むことにした。しかし、さすがマサイステップというだけあり、ここにも人の気配がありギャートルズみたいに足跡だけが道の上に続いている。

とにかく足跡の先には人がいるはずなので、今度は足跡をたよりに進んで行くと、いきなり広い道にでた。どうやらこれがARUSHAの方から入って来るもう一方の道らしく、少し進んだ集落にはバスまで来ている。この道を来るとこんなに苦労は入らなかったようだ。そこから道は岩石地帯の山道となり、それを越えると今度はなんと畑のあぜ道になる。本当にこれでいいんだろうか、全く呆れるほど変化に富んだルートだ。

◆あぜ道をすぎ、UPDOWNのある平原に出て少し行った時だった。何か右後方に妙な気配を感じ振り返ると、何か巨大な生き物の群がこっちに突っ込んで来ているではないか。一瞬、僕は夜道で車のライトを突然あびた猫みたいに硬直してしまった。その瞬間にそいつらはもう僕の100メートルぐらいの所まで来て微妙に角度を変え。目の前20メートルぐらいを走り抜けた。キリンだ!!と思う間もなく続いてその後ろを50匹ぐらいのシマウマやヌーやクドゥーなどが猛烈な勢いで過ぎ去った。そして群れは、50メートルぐらい離れた所で止まり、こっちの様子を窺っている。やっと余裕を取り戻して、キリンの数を数えると12匹もいた。写真を撮ろうかとも思ったが、残念だけど、この臨場感を表現できそうにないのでやっぱりやめた。こんなとき、やっぱりこの感覚を共有できる人がいるといいのにな、と思う。

◆感動の余韻に浸りながら草原を過ぎると路面は深い砂状となり、タイヤをとられ苦しんでいる頃、もうサバンナには夜の気配が忍び寄ってきていた。野宿の場所も決まらず今どこにいるのかも分からないまま、不安な気分で進んで行くと、前方に小さい村をみつけた。ああ良かった、今日はここに泊めてもらおうと思い近づくと、不思議なことに道端にこぎれいなテントがある。挨拶すると、ドイツ人のハンティングサファリのサポーターのタンザニア人たちだった。ドイツ人たちはバッファローを撃ちにブッシュに入っているので、ここで待っているという。

◆これはまさにヘミングウェイの世界だな、と思いつつ、ともかく隣にテントをはる許しを得て準備をしていると、すぐに村のガキどもが集まってきた。よく見ると遠くの方には様子を窺っているマサイの赤いマントも見えている。幸いにもタンザニア人たちは英語が話せたので、「今日は村が見つからなかったら、ブッシュで寝ようと思っていたんだ」って言うと、彼らは急に真顔になり、「とんでもない、このへんにはライオンもいるんだぞ、恐ろしいこと言うな」と怒られてしまった。さっき野生のキリンを見たばかりだというのに、なにかライオンといわれても実感がわかないのはなぜだろう。

◆「ところでおまえ、腹減ってないか、アフリカンフードならあるから食え」と言って、彼らは鹿の一種であるアンチロープの干し肉とチャイを持ってきてくれた。これが、ちょっとグロテスクでスルメイカみたいに堅いけど、なかなかいける味なので、そう言うと、彼らは大喜びして、「そうか、ならもっと食ってくれ。実はドイツ人連中は我々の料理を食べてくれないんだ。おまえはうまいって言うのか。そうか、もっと食ってくれ。ところで、おまえの名前は何て言うんだ」「伸吾だ。シンゴはスワヒリ語で首っていう意味だろう、すぐ覚えられるだろう」「ほう、よく知ってるな、オーケー、シンゴ、とりあえずここにおまえが居るということを村の連中に知ってもらっている方が無難だ。これから村の実力者たちを連れてくるから挨拶しろ」そう言って彼が連れてきた人達は、突然あらわれた外国人である僕をなんの違和感もなく受け入れてくれた。

◆すぐに地酒が用意され、赤道直下の満点の星の下、焚き火を囲んで村長たちと話していると、ナイフ一本でバッファローのアキレス腱を切れるというタンザニアのブッシュマンまで現れ、昼間の疲れも忘れるほど、その夜は最高に楽しかった。

◆翌朝、またチャイを分けてもらい、スタートする。彼らの話では、この次にガソリンが手に入るのはキバヤという村らしい。ガソリンがもつかどうか、かなり際どいところだ。燃費に気をつけて、昨日より少しはまともな道を走っていると、昼頃パンクした。しかたないので、暑い中タイヤを外そうと引っ張っていると、突然横から手が出てきてタイヤを掴んだ。いつの間にか、ひょろりと背の高いマサイが隣にいた。

たまげている僕を気にもせず、マサイはこっちにむかって何か話しかけてくるが。さっぱりわからない。どうやら手伝ってくれようとしているらしい。それで、タイヤを後ろに引っ張るんだと、身ぶりで示すと彼はすごい力でタイヤをあっさりと外した。

◆「次はどうする」と言っているようなので「いや、もういいよ、ありがとう。あとは自分でするよ」ということを身振りで伝えた。そうか、という感じで彼はひょいと僕の横に座り、作業の様子を見ていたが、やがて、また何か言い出した。「ゴメンわからないよ」と身振りで伝えると、次はスワヒリ語で話し出した。

これも少しは分かるけども、何が言いたいのかはやはりよく分からない。なんか申し訳なくなって日本語で「ゴメン」って大声で言うと、今度は、なんと英語ではっきりと「おまえはどこから来た」と言った。「どこって、日本だけど」「日本?」通じたのかどうか分からないが、少しの沈黙の後、彼は「おまえはどこの部族だ」と聞いた。どこの部族だ、と言われてもなあ、僕はいったいなんの仲間だろ、と考えながらとりあえず「日本部族だ」と答える。「これからどこへ行く」「ダルエスサラーム」「それは無理だ」

◆え!どうして。この先の道が崖崩れとか、洪水でなくなっているのか。かといって、ここで引き返すとガス欠は避けられない。これは参った。ともかく彼に「なんで無理なんだ」と聞いてみると、彼は「遠いから」とあっさり答えた。

「…」。なにそれ、こんな凄すぎるオチってあり? 何か強烈な脱力感に襲われグッタリする。ウーンまあ、歩くと確かに遠いのかもしれない。彼と別れたあと、再びパンクしたが、無事マサイステップ中央部を抜け、キバヤに出て、それから2日後、僕はタンザニア一の都会ダルエスサラームについた。

地平線通信 19972月、3月、5月号

 

 

giraffe.gif (62921 バイト)

マサイキリン 磯野義員さん撮影

 

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