2002年10月24日、最高裁は国民の権利に大きくかかわる憲法判断を回避する恥ずべき決定を行った。
「せたがやの家」訴訟では、2001年6月25日に東京地裁が世田谷区長と自民元区議夫妻に1億6200万円の支払いと毎年継続する補助金1700万円についての差止めをも命じ、原告全面勝訴となっていたが、2002年4月24日の控訴審判決では逆転反動判決となった。
原告の木下区議と下条区議は、ただちに抗議を声明するとともに、上告した。ところが、最高裁は同年10月24日、「本件上告を棄却する。本件を上告審として受理しない。」とする決定を下した。いわゆる、門前払いの決定である。
東京地裁判決が、全国各地で毎年2000億円の予算規模を超えて使われている優良賃貸住宅制度の補助金を初め、官僚専横の温床となっている補助金のシステムそれ自体に大なたを振るった判決であっただけに、最高裁での憲法判断が期待されていた。
一体、現職の議員が行政と癒着して1億6200万円もの補助金を受け取り、毎年1700万円もの補助金を継続して得ることが、許されるという、この国は近代国家なのであろうか。こんなことが許されるかどうかを憲法にのっとって精査し判断を下すのが最高裁の務めではないか。
最高裁は、高裁判決の矛盾を擁護しえないばかりに、上告理由は法令違反の争いに過ぎないとし、憲法審査を避け、判断を避けてしまったのである。
結果、ただ単に、上級審の判断だからというだけで、高裁判決が確定してしまった。
最高裁の責任放棄は、結果として行政専横国家日本を追認した。
この事件の一審勝訴判決と二審逆転判決は、将来とも読み継がれるだろうが、一審勝訴判決の輝きは歴史的に評価を受けることになろう。今回の最高裁の判断放棄が日本司法の恥辱として広く認識される日が必ず来ると確信するものである。
(2002年10月27日、文責・原告木下泰之)