■ 2016年に観た映画
  
2016年12月 「ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」
ロバート・アルトマン監督作品と言えば、僕は「M★A★S★H」くらいしか見たことがない。日本でそれほどメジャーな監督とは扱われていないと思うが、本作を見るとハリウッドではかなりの位置にある監督らしいということがよくわかった。映画監督を描くドキュメンタリー映画、というのはいろいろとあるが、その中でもよく出来ているほうだと思う。本作を見て、彼の映画をいろいろと観てみたい気持ちになったからだ。
2016年12月 「ブラッド・ワーク」
クリント・イーストウッド監督&主演のミステリー。原作はマイクル・コナリーだ。イーストウッド演じるFBI捜査官が心臓移植手術を受け、その心臓の持ち主の姉と共に事件を追う、という異色の設定。そこそこ面白くは観られるが、特に鋭い描写などもなく、見終わってみれば何も残らない。まあ、ミステリーとはそういうものか。
2016年12月 「COP CAR/コップ・カー」
人に勧められて見たら、これは思わぬ拾い物だった。1台のパトカーを巡って繰り広げられる攻防戦。次の展開が全く読めず、いろんなアイデアに溢れていて、次から次へと面白い展開が続く。詳細はあえて書かないが、本当によくできた映画。
2016年12月 「マイマイ新子と千年の魔法」
この世界の片隅に』で衝撃を受け、片淵監督の撮った前作である本作をDVDで借りて見た。うーん、正直、まったく良い作品とは思えなかった。マイマイ(頭の“つむじ”)のある主人公・新子が、空想で現出させた太古の昔のお姫様と交流する。新子の日常と太古の世界が交互に描かれるわけだが、そのどちらもまったく魅力的に思えず、それらがうまくリンクしているとも、とても思えない。絵はきれいと言えばきれいだが、特筆するほどでもない。僕は何かを見落としているのだろうか。これなら、『花は咲く』というミュージックビデオ(これも片淵監督作)のほうがよほど素晴らしかった。
2016年12月 「ゾンビ・ガール」
最近のゾンビ映画は秀作が多いのだが、これは旧来のゾンビ映画同様にダメダメだった。巨匠と言えるかわからないが、有名ではあるジョー・ダンテ監督作だ。どうでもいいストーリーと演出、スプラッター表現にも何もオリジナリティが見られない。たかがゾンビ映画と言っても、やはり観客はそれなりのクオリティを求めるものだとよくわかった。
2016年12月 「赤い天使」
増村保造監督作で僕の見たものといえば、『兵隊やくざ』と『陸軍中野学校』くらいしかないが、いずれも傑作だった。野戦病院での医師と看護師の触れあいを描いた本作もまた良くできている。兵士の性処理の実情、病院とはいってもまともな設備など望めるはずはなく、少しのケガで腕や脚を切断していく医師の姿など、あまり見たくはないが事実そうであったろう事柄を、逃げずに描いている。ただ、前半の迫力に比べ、なんだかどんどん他愛もない恋愛話に縮こまっていく後半は見どころが少ない。それにしても若尾文子の、映画映えする美しさよ!
2016年12月 「妹の体温」
映画監督の三宅隆太氏が、「よく出来た文芸エロス映画」という感じで勧めていたが、僕にはあまりピンと来なかった。登場人物達にあまり魅力を感じられず、離れて暮らしていた異父兄妹が惹かれ合うというストーリーにも新鮮味を感じられなかった。
2016年12月 「サムライ」
映画評論家・町山智浩氏が絶賛し、数々の映画の元ネタになったことでも知られる。僕には鈍重でもったいぶっているだけの作品に思えてしまった。アラン・ドロンもさほど格好良く撮られていない気がする。
2016年12月 「ホドロフスキーの虹泥棒」
ホドロフスキーの過去の未公開作が劇場にかかるとなれば、見ないわけにはいかない。というわけで、我が愛する名画座・刈谷日劇に足を運んだ。例えば大富豪のルドルフが娼婦達を呼んで派手に騒ぐシーンなど、前半部のいかにも“らしい展開”に比べ、後半はどんどん地下水道での普通の冒険物語へと変わっていく。それはそれで見どころたっぷりだし、オマーシャリフとピーター・オトゥールという二大名優の演技合戦も楽しい。(ちなみに大富豪役はあのクリストファー・リーだ!)ホドロフスキー節を期待するとハズレかもしれないが、迫力満点の地下水道のシーンは劇場の大スクリーンで充分に堪能でき、普通に面白い映画だと感じた。
2016年12月 「ザ・ヤクザ」
アメリカから見た日本社会とは、どうしてこう一律に考証不足による勘違いが横行するのだろう。本作でもそれがノイズになって、まともに見ていられない。大事なヒロイン役に岸恵子というあまり演技が達者でない女優を持ってくるあたりにも、本作の制作陣のセンスの無さが伺える。高倉健はいいのだけれど、殺陣シーンはいつも巧くない。結局、半笑いで見るための映画になってしまっている。
2016年12月 「チルドレン・オブ・ザ・コーン」
カルトなホラーとして、ずっと昔からタイトルだけは知っていたのだが、初めて鑑賞。子供の不気味さを描いているはずなのに、だんだんと話がオーバーになっていき、最後は何と戦っているのか、何を描きたいのかがどんどんぼやけていく。変てこな作品としては堂々たるカルトだと言えるが、見て面白いものではない。
2016年12月 「目撃」
これは僕が見たイーストウッド監督作の中では最も出来の悪い作品。のっけから、ジーン・ハックマン演じるアメリカ大統領(これが全然、大統領に見えない!)と愛人との、だらだらしたラブシーンが続く。その後、大統領の側近やシークレット・サービスが、ありえないようなしらじらしい演技を続け、サスペンス的仕掛けが何もかもことごとく失敗に終わっている。
2016年12月 「狼の死刑宣告」
あまり期待せずに見たが、意外に見ごたえがあった。ケビン・ベーコンは本当にいい役者だと思う。チャールズ・ブロンソンが復讐鬼と化す『狼よさらば』と同原作者で、話もほぼ一緒だ。妻と子供を無法者に殺された男が、復讐を遂げていく。が、『狼よさらば』でのマッチョなチャールズ・ブロンソンに対し、ケビン・ベーコンは銃を撃ったこともない非力な一市民であり、その彼がいかに変貌していくかが見どころの一つ。もう一つの見どころは、新鮮味溢れるアクションシーンだ。特に駐車場の一連のシークエンスは特筆ものだった。
  
2016年11月 「さびしんぼう」
「さびしんぼう」という言葉の意味が、誰かの「好きな人」だったり、誰かの「昔の姿」だったりなど、あいまいなのがいい。いかにも日本映画という大仰なコメディ要素はいただけないいし、冨田靖子という女優が、主人公の憧れる存在というのにもピンと来ないけれど、大林宣彦風味の変てこな和製ファンタジーとして、そこそこの出来だと思う。
2016年11月 「殺人者はバッヂをつけていた」
フィルム・ノワールに分類される作品で、小品だが味わい深い一作。タイトルから想像できる通り、女性に惹かれた警官が道を踏み外し、犯罪に手を染めていく。妖艶なヒロインを演じるのは、これがデビュー作というキム・ノヴァク。21歳にして既に風格がある。頑強な警官がこんな小娘の色気にやられてしまう展開は、いかにも昔の映画風の気がするし、中盤以降、特にラストあたりのもたつきが気になる。あと10分削って、隣人の彼女と鉢合わせして終わり、というほうがすっきりしただろう。
2016年11月 「奇跡の2000マイル」
景色は綺麗だし、女性の冒険ものとしての意味合いはわかるんだけれど、僕には今ひとつ。主人公の女性は、どんな苦難を経験しても、それらの出来事がまるで最初から起こらなかったように実にあっさりと過ぎ去っていく。ハラハラドキドキのスリルがなく、成長していく様子も見られない。
 そもそも、水や食料など、他人からの助けをどれだけ自分に許しているのかという定義がわからないため、彼女の苦難も心境も理解できないのだ。際限なく人から水や食料をもらったりして「ありがたい」と感じるのなら、全部誰かにすがって便利な道具を使って歩けばいいだけだし、自ら望んで冒険的試練を設定する意味がなくなってしまう。彼女が何を望んでいて、そのためにこの苦難な状況を乗り越える必要がある、という図式が見えないので、ただずるずると不機嫌に行動しているだけに思えてしまう。
2016年11月 「蜘蛛の瞳」
黒沢清監督が1990年代に製作したVシネマの一本で、「蛇の道」の続編にあたる。「蛇の道」のシリアスさに比べ、本作はかなりシュールでとぼけた演出がされている。暴力の道を突き進む新島(哀川翔)だが、彼にはもう目的はなく、ただ流されるままに人を殺していく。彼をとりまく人物達も全員、普通ではない(凶暴という意味ではなく)。ダンカンの存在感はさすがだけれど、特に彼が出ているシーンはどうしても北野武映画を思い出してしまう。
2016年11月 「シルバラード」
「スター・ウォーズ」シリーズの脚本家として名高いローレンス・カスダン監督作。さすがによくできた脚本で、堂々たる西部劇に仕上がっている。雄大な景色を存分に味わえる画面は、ぜひ劇場の大スクリーンで見てみたいところだ。人と人とが移動し、無法者が暴れ回り、間に立つものが苦悩する。映画を面白くする要素がばっちり詰め込んであり、誰もが楽しめる娯楽大作。
2016年11月 「リトルプリンス 星の王子さまと私」
サン・テグジュペリの「星の王子さま」の映画化、という訳ではない。この原作を書いた著者が実は王子と実際に会っていて、その話を少女が聞く、という設定の物語。さらに、王子はまだ生きていて、少女が彼に会いに行くと王子は意外な人生を送っており……、というオリジナルストーリーが続く、なかなかに複雑な構成となっている。アニメーション表現は原作にとても良く合っており、美しく、素敵だ。いっぽう、お話のほうはというと、王子の“その後”まで辿ってしまう展開には今ひとつ乗れない。さすがにそこまでリアリティを追求されても、と思ってしまう。むしろ、原作の中に少女が入っていき、そこで辻褄が合うような、例えるなら史実を題材にしたフィクションと似たような作りにしたほうが、もっと面白い作品になった気がする。アニメ自体がとても魅力的なだけに惜しい。
2016年11月 「GONINサーガ」
僕がこれまでに見た石井隆作品の中で、ダントツに出来が悪い。何がそうさせたのか、脚本がぐちゃぐちゃでしかもわかりづらく、とてもまともなエンターテインメントと呼べない作品になってしまった。いい役者も揃っているのに、本作では全く輝きが見えない。
2016年11月 「キートンのマイホーム」
いやあ、さすがのバスター・キートンだ。モノクロの無声映画、しかも20分ほどの小品なのに、しっかり笑えて楽しめる。確かスタント無しですべてキートン本人が演じていたと思うが、アクションもなかなかに派手で、かつ危険なことをやっている。面白くするためのアイデアが詰まっていて、今の時代にも見る価値が確かにある作品。
2016年11月 「フルートベール駅で」
2009年の元日に殺された黒人青年の一日を追った作品。彼の近親者から得た情報に基づき、実際に起きたできごとが再現されている。だから内容は、青年側の立場から警察側の理不尽さを描くものとなっている。これは一見正当なようでいてやはり一面的であり、この映画だけでは問題の本質は見えてこないだろう。つまり、警察官がそれじゃあ完全に非道で非人間的な奴かというと絶対そんなはずはなくて、警察には警察の立場や考え方があるわけで、そのあたりも描かなければ公平ではないし、問題解決も見えてこない。
 もう一つ、この映画で問題だと思ったのは、黒人青年のいい加減さや暴力衝動を抱えた性格が見えてしまうところで、本作を見ると、「ああ、確かにちょっと“アブナイ”奴かも」と思えてしまう。これは黒人側にとって、有り難くない話だろう。
2016年11月 「ザ・ウォーク」
9.11テロ時に破壊された貿易センタービル。かつて、この二棟にロープを張り、綱渡りを試みた男がいた。彼のドキュメンタリーは「マン・オン・ワイヤー」として2008年に映画化された。対して本作は、事実を元に作られた再現ドラマとなっている。映画を観て、その設定と結果を知っていてなお面白い要素があったかと言えば、ほぼ何もない。だから本作の“売り”は3D表現だけになってしまうが、自宅のテレビで見ているから意味がない。
2016年11月 「グラン・トリノ」
クリント・イーストウッドの映画をあまり観ていないことに気づいてから、機会あるたびに観るようにしているのだが、これまでに観たのは監督作・出演作合計で25本程で、イーストウッドを語るには明らかに足りない。この「グラン・トリノ」は、イーストウッドの映画遍歴やアメリカ産業史などの知識、リテラシーを問われる作品だ。だから、なまじ娯楽作としても観てしまえる分、それだと評価は単に「よくある話で、出来はフツー」ということに終わってしまう。
 本作については、町山智浩氏や宇多丸氏の映画評を見る(聞く)ことで、かなり理解が深まると思う。受け売りながら僕なりに書けば、消えゆくアメリカ文化、とくに白人が継承してきたアメリカ魂の新たな継承の物語といえよう。イーストウッド本人が最後の主演作として登場し、昔ながらの生活を守る偏屈おやじを演じている。舞台はデトロイト。かつて自動車や航空産業で大いに賑わったものの、今や見る影もないほど寂れてしまった住宅地だ。住人達は新天地を求めて去っていき、いまは他国からの移住者が中心のスラムのような場所に、彼だけは頑固に住み続けている。黒人やヒスパニック、アジア人達を嫌い、付き合おうとしない彼はむろん、差別主義者だ。それでも避けられない近所づきあいの中で次第に心を開いていき、交流が深まっていく。そしてラスト、アメリカの古き良き時代の終焉を、自らの手で刻みつけるのだ。
 「グラン・トリノ」とは自動車産業の繁栄の末期に作られた車で、彼はしつこくそれに乗り続けている。この車が、最後に誰の手に渡るのか。静かに風景を流し続けるエンディングに涙せずにはいられない。
2016年11月 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
たぶん有名なのは、ジェシカ・ラングとジャック・ニコルソンが共演した1981年版のほうだろう。そちらは当時、激しい性描写で話題になっていたのを覚えている。本作はそれより遙か以前の1946年に作られたモノクロ版だ。性描写も暴力描写もなく、淡々と物語は進む。おまけにどの登場人物にも思い入れできず、楽しむのに苦労する。ただ、後半は法廷劇も出てきてサスペンス要素が生まれ、やや持ち直す。
2016年11月 「野ゆき山ゆき海べゆき」
大林宣彦映画を観る際、独特の青春バカ喜劇に乗れるかどうかで評価は分かれると思う。本作はけっこう評価が高いようだが僕は全く乗れなかった派だ。たしかに、これが映画デビューとなる鷲尾いさ子はとても綺麗に撮られていると思うが、演技にはまったく納得できない。僕がそもそも子供嫌いで、子供が大人をやりこめる映画が嫌いなのも、この映画を好きになれない大きな理由だろう。『青春デンデケデケデケ』に全力で乗れたのは、主人公が高校生だったからだ。
2016年11月 「この世界の片隅に」
何から語ればよいのか躊躇してしまう。今年見たうちでは圧倒的ベストであり、僕の生涯ベストの一本とも呼ぶべき一作。とにかく、主人公のすずさんが生きている。生きて、そこにいる。それを確信させるだけの、途方もない作り込みがなされている。これを作った片淵監督を、あえて天才と呼びたい。それは、“惜しみない努力をすることができる”天才のことである。
 全てのシーンに神経を行き届かせ、綿密な取材に基づいて絵が描かれ、セリフが語られ、音が鳴らされる。4DXでもないのに、花の匂いを嗅いだ記憶や、空襲を受けた痛みの感覚を覚えている、そんな気にさせられる。僕は日頃、「映画は映画館で見るべき」論には懐疑的なのだが、本作においてのみ、絶対的に劇場で観ることをお勧めする。
 単純に白黒を押しつけるのではなく、善と悪とがないまぜになって過ぎていく“The 日常”がここには描かれている。すずさんもこの映画自体も、決して反戦を声高に叫んでいない。すずさんに至っては意外にもかなり好戦的な思いも抱いている。しかし、映画を見終わった観客の胸には強い反戦意識が生まれる。
 もちろんいろんな見方があるだろうが、僕が最も心を打たれ、声をあげるかと思うほどに泣けたのは、すずさんと夫・周作とのやりとりだ。すずさんは、自分がぼんやりした性格だということを自覚し、何度もそれを口にしている。つまり、それを自覚し、客観視できている。ということは、いろんな場面で、そういう自分を自演していることだろう。「悲惨な状況でも、笑ってのほほんと過ごしている私」を演じている部分が必ずあるはずだ。でも、すずさんだって悲しみや苦しみを抱えていて、ふとしたことで漏れ出てしまうこともある。それが夫婦の会話だ。普段とは違う押し殺したような声で、周作に恨み節を唱える、あのすずさんの苦渋のセリフに、僕は溜まらなくなって泣いた。のん(元・能年玲奈)さんの声の演技が奇跡的に素晴らしい。
 同時に、爆笑するシーンも何度か出てくる。変にウケを狙ったわけではない、そこはかとないユーモアが、すずさんや周りの人のキャラクターを通して描かれると、笑いにさえ凄まじいほどの生々しさが宿る。声をあげて笑いながら、腹の底にどすんと響く映画のテーマを感じていた。
2016年11月 「君の名は。」
『この世界の片隅に』を観たあと、今年のアニメヒット作として並べられる本作をとりあえず観ないとけなすこともできないと思い、劇場に足を運んだ。なるべく偏見なく観ようと思っていたのだが、それでも言いたいことはある。
 まずは、ごった煮。本作は、タイムスリップ、(『転校生』的な)人体入れ替わり、恋愛、災害など、様々な要素がただ並べてあるだけで有機的にからみあっていない。これなら誰かに「ヒットする要素を詰め込んだだけ」と笑われても仕方ない。新海監督は、アニメーション作家というより絵描きなんだと思う。一コマ一コマの絵ははっとするほど美しく、一つのシークエンスとしての映像表現も綺麗だ。だが、一つの映画作品、しかもストーリー性のある作品を手がけると、そこに彼の才能は発揮されていない気がする。“美しい映像”を見せるために、無理矢理物語が作られている感じ。想像するに本作、「君の名は?」と呼びかける男女の映像が最初に頭に浮かんで、そこから作品世界を作っていった気がする。入れ替わりが元に戻ると名前を忘れてしまう、という設定が終盤になって急にクローズアップされ、他のことはいろいろと覚えているのに名前だけ忘れてしまうという不思議な展開に、どうにもしらけてしまった。
 アニメーション映画というのは1秒間に24コマの静止画を連ねたパラパラ漫画に過ぎないのだけれど、単純に絵を並べていけばアニメになる訳ではない、ということがこの映画を観るとよくわかる。今の僕はどうしても『この世界の片隅に』と比べてしまうのだけれど、あの映画の作り込みの凄さを知った今では、本作の“浅さ”がどうにも気になって仕方がない。
2016年11月 「聲の形」
『君の名は。』と同日に続けて見た。現在ヒット中のアニメ2作を10分ほどの間隔で見た訳だが、どちらも『この世界の片隅に』には遠く及ばなかった。とはいえ、『君の名は。』に比べれば、まだこちらのほうが見ごたえはあった。
 聾唖の少女・硝子(しょうこ)と、彼女をいじめたことで後に自分がいじめられる側になる将也(しょうや)の二人が、傷つけあいながら、周囲の人々との軋轢を重ねながら生きていく様を描く。子供同士のいじめが意外に陰惨で、生々しい。特に、将也への秘かな思いを抱く植野の言動は酷く、人間の嫌な面を存分に見せつけられる。そのあたりは見ていて気分が悪くなるほどで、だからこそ良い映画だとも言えるが、いくつかの気になる点がノイズになって集中できなかった。まずは、将也の造型だ。小学生時代にいじめっ子だった彼が逆にいじめられるプロセス、その後に自ら手話を習い始める展開などが、非現実的に思えた。そして、硝子の変化を描くべきだと思うのに、将也ばかりがクローズアップされるのもいただけない。彼が周りととけ込めないのを表すため、人の顔にバッテンがついた状態で見せられるのもうざったい。そもそも、将也は周囲とじゅうぶんうまくやっているのだ。彼の些細な成長などより、やはり硝子か、または植野の成長をこそ見たかった。
2016年11月 「岸辺の旅」
かなり評判が高く、楽しみに観たのだが……。死者が蘇るという設定の場合、通常はある特定人物以外の人にはその姿が見えないとか、物体に触ることができないなどの制限があるが、本作においてそれらは豪快にすっ飛ばされ、“幽霊”は他の人にも普通に見えるし、何でも触れるしご飯も食べられる。そのすっとぼけた感じには味わいがあるのだけれど、そうしたお約束ごとをひっくり返した先に“何か”があるのかとじっくり観ていったのだが、何もなかった、という印象。とてつもなく凄いシーンとか展開とか、考え方とか、僕には何一つ感じられなかった。むしろ、どのシーンをとっても凡庸で、映画に対する熱意すら伺えなかった。
  
2016年10月 「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」
前後編をまとめて鑑賞。うん、やっぱりどう見ても失敗作だ。冒頭は結構いい雰囲気で期待したのだが、主人公のエレンが、恋人役と言えるミカサにマフラーをかけてあげるシーンからして雲行きが怪しくなった。今どき、女性が「くしゅん」ってくしゃみをして、男が「寒いか」みたいにいたわってあげるなんてシーン、本気で撮る神経がわからない。巨人の登場シーンはさすがの迫力だし、その後も巨人が人間を食べるシーンはかなり恐怖感があおられており、悪くない。それに対し、誰もが指摘している通り、人間ドラマパートの出来がひどい。なにかと大仰に騒ぎまくるエレンを見ていると、しらけてしょうがない。エレンと何かにつけ衝突するジャン、二人のケンカのシーンも、同じことの繰り返し。全員の演技が思わせぶりな割に間抜けで、見ていられない。迫力のある巨人の残虐シーンも、何度も繰り返されるので、もういいよと思ってしまう。そのうち、巨人がどうも松本人志作「大日本人」に思えてしまい、映画全体がコントに見えてくる。巨人を倒すための立体機動装置という、スパイダーマンのような武器もどうやって操縦しているか不明だし、もっと効率的に倒す方法がある気がする。まあこんなことを言い出したらきりがない。前後編を見終わって浮かんだ言葉は、「子供だまし」だった。

他にいくつか浮かんだ疑問点を列挙しておく。

・壁を修復する、というのが人間の大きな目標となっているが、そもそも巨人が壁を壊したのだから、修復してもまた同じように壊されるだけだと思うのだが……。
・巨人に乳首はないけれど、乳房はある?
・人間が巨人化する仕組みがよくわからない。全体が巨人化したかと思えば、うなじ部分に元の人間が操縦士のように収まっている。だとしたら、巨人の大部分の肉体はどうやって生成されるのか?
2016年10月 「シン・ゴジラ」
僕のゴジラ鑑賞歴は浅く、初代の『ゴジラ』(1954年)と、それに続く昭和シリーズから『キングコング対ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』『ゴジラ対ヘドラ』あたりを見ただけだ。1984年版『ゴジラ』以降の平成シリーズ、ハリウッド製作の二本も見ていない。そんな僕が見ても、本作は充分に素晴らしい出来映えと感じた。
 よく、映画はその時代の世相や風俗と絡めて見る必要があるとか、映画の裏に潜むメタファーを理解して見ろとか言われるが、あまりぴんと来たことがなかった。本作において初めて僕は、そうした言葉を理解できた。とにかく、ゴジラの登場シーンがとてつもなく恐ろしかったのだ。町が破壊され、人々が殺される様に、生理的な恐怖感を覚え、涙が出そうになるほど悲しかった。言うまでもなくこれは東日本大震災を想起させるからで、あれから数年後という現代における生々しい感触を、切に味わった。怖いと感じたのは、本作で描かれる、災害時の政府の対応のまずさも含めてである。つまり、現実世界にはゴジラは現れないにせよ、自然災害や原発事故はあり得るわけで、そうした事態にどう対処できるのか、いや、対処などできないだろうと思わせられてしまうのが、本作だ。
 最初に出現した時の形態にまず唖然とさせられる。とても人の言葉が通じる相手ではないという絶望感が、形としてよく表現されていた。その後も形を変えていくのだが、この、言葉も意志も通じない、情け容赦のない存在、恐ろしくて受け入れるしかない存在、という表現にぶれはない。他の怪獣と戦って地球を救ってくれる要素など、みじんもないのだ。
 本作を作るにあたり、庵野監督は徹底的なリサーチをおこなったという。だから、政府の対応や会議の進み方など、まったく破綻無く作られている、ように見える。独特の早口のセリフについても、現実世界ではあり得ないが、この映画内では、あれはリアルなのだ。
 いっぽう、ヒーロー譚としての出来は、さほどでもない。主人公の矢口を演じた長谷川博己はちょっとかっこよすぎるというか、もっと何もできない存在であってもいいと思った。結局、協力した民間会社の奮闘が世界を救い、政治はたいした意味を持たなかった、という感じ。また、カヨコを演じた石原さとみは、ぎりぎりうざったくならない程度だが、さほど重要な存在意義も見いだせなかった。彼らより、巨災対メンバーのほうをもっとクローズアップしてくれてもいいくらい、彼らの存在感が大きかった。ネットでは「市川実日子」が本作のヒロイン、という声があったようだが、うなずける。
2016年10月 「ゴジラ」
シン・ゴジラを見てから、その他のゴジラ作品を見てみたくなり、まずは1984年版の本作をTSUTAYAで借りてきた。1954年の初代ゴジラが再度現れた、という想定らしい。これまでの怪獣対決、怪獣プロレスものから離れ、ゴジラを凶悪な破壊者として描いている点はよいと思うが、いかんせん、映画全体の作りがしょぼい。これはきっと、いわゆる大人の事情で、とんでもないしがらみがあったのだろうと思う。沢口靖子はデビュー作ではそこそこの演技をこなしていたのに、本作の演技は酷い。演出次第でどうにかなったはずである。それは主役の田中健にも言える。そして、あからさまに浮いていて存在意義のわからない武田鉄矢。こうしたキャストの不自然さがノイズになって物語がぼやけてしまう。全体として、オリジナルのゴジラに少しでも近づこうとか超えようというような意識がまるで感じられない。それほどゴジラとは巨大なプロジェクトだったのだろうが、そう考えるといかに「シン・ゴジラ」が偉大な作品かがわかる。
2016年10月 「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 3」
西部劇の時代に迷い込んだりドクに恋人ができたりなどの新展開はあるものの、さすがに第三弾ともなると勢いは失せる。これまで登場した1955年、1985年、2015年という3時代にまたがってもっといろいろと仕掛けが出来そうな気もするが、さすがに錯綜してしまい、ギャグのキレも今ひとつだったように思う。ただ、シリーズファンにとってはおおむね好意的に受け止められる最終章ではなかろうか。
2016年10月 「肉弾」
岡本喜八監督の作った反戦映画、しかもヌーベルバーグ調の文芸映画として、紛うかたなき傑作。特攻を命じられた青年が最後に過ごす休日を、幻想的な映像で描く。主人公の青年を、寺田農が見事なリアリティで(本当にああいう人がそこに存在するように)演じ切っている。これがデビュー作となる大谷直子が爽やかに脱いで熱演している。断片的で理解不能なストーリーも、本作では心地よく見続けることができる。
2016年10月 「白いリボン」
第一次大戦を控えたドイツの村が舞台。そこでは子供達が、虐待とも言える厳しいしつけを受けている。牧師や医者、地主など、強権者においてはその傾向が甚だしい。彼らの教育はどういう結果を生むのか――。
 ミヒャエル・ハネケの作品は、いつもなかなかに手ごわい。目を背けたくなるようなシーンがときおり出てくること、それから文芸映画調でわかりづらいという二つの理由からだが、後者については今回、町山智浩氏の詳細な音声解説を聞き、まったくそうではないことがわかった。町山氏いわく、ハネケ作品というのは本当にわかりやすい、わかりやすすぎて漫画のような映画だとのこと。確かに、解説を聞けばよくわかる。難しいという先入観を退けて素直に見てみれば、犯人探しは簡単だし、映画のテーマも明確だ。これまでに見てきた「隠された記憶」や「ピアニスト」に比べれば、引っかかりの少ない作品とも言える。本作を見て「わけがわからんかったー」と思う人は、是非町山氏の解説を聞いてみてほしい。有料だけど。

・町山智浩の難解映画32 ミヒャエル・ハネケ監督『白いリボン』
2016年10月 「エデンより彼方に」
なかなかに映画的リテラシーを要求される作品だ。1950年代のアメリカ東部の町を舞台に、黒人差別はびこる社会での許されぬ恋が描かれる。映像技術を駆使し、当時の美術を再現した映像は美しいが、単純に見ればただの古臭い話ということで終わってしまう。だが本作は、50年代の映画『天はすべて許し給う』のパロディになっており、そこをこそ楽しむ作品なのだ。こうした説明もまた、町山智浩氏の解説によって知識を得られる。『町山智浩の映画塾!』で一般公開されているので、ぜひ見てほしい。映画の理解に大いに参考になる。

・町山智浩の映画塾!「エデンより彼方に」<予習編>
・町山智浩の映画塾!「エデンより彼方に」<復習編>
2016年10月 「ヤング@ハート」
もう何度見たかわからない、それでも何度見ても泣いて笑ってハッピーになれる最高の映画。アメリカにあるコーラスグループを描いたドキュメンタリーで、メンバーは平均年齢が80歳の高齢者ばかり。なのにあえてロックやパンクなど難しい歌に取り組み、それを自分達なりにものにしていく。どんなに年をとっても挑戦し続けることに価値があり、しかもそれは必ず何かの結果をもたらしてくれる。奮闘する彼らの姿を見ているうちに、自分の中に潜んでいたパワーが溢れてきて、心から元気になる映画だ。
 今回、自分の好きな映画を紹介しあう会に参加し、そこでめでたく“見てみたい映画ナンバーワン”に輝いたことで、鑑賞会が開かれることとなった。それだけでも十分喜ばしいのに、ありがたいことに好評で、その後、DVDを買ったと報告して下さった方もいた。こうしたドキュメンタリーはなかなか大規模公開されずに埋もれてしまうが、本当にいい映画なので、一人でも多くの人に見てほしい。
2016年10月 「哀しい気分でジョーク」
ビートたけし主演作。たけし自身をモデルにしたようなコメディアンが主人公だ。やさぐれた生活を送る彼の息子が難病になり、金を工面するために売れない仕事に精を出す。これがたけし監督作なら全く違う映画になったろうけれど、とにかく演出も脚本も古くてださくて下手なので、見るに耐えない。役者たけしの力量だけでかろうじて成り立っている作品。
2016年10月 「ディス・イズ・オーソン・ウェルズ」
今やオーソン・ウェルズとは忘れ去られた映画人であろうか。僕の学生時代(30年ほど前)でさえ既に、英語の教材でしゃべっている、昔すこし売れた俳優、というイメージだった。
 本作では、いかに彼が偉大な映画監督兼俳優であったかが、何人かのインタビューを中心に語られる。彼に影響された人を知れば、その存在の凄さが伝わってくる。ただ、オーソン・ウェルズ作品を全く見たことのないに人は、本作を見ても何も伝わらないかもしれない。それにしてもやはり、映画で見るとおりの傲慢で横暴な人だったんだろうなあ、と思う。
2016年10月 「ナイトクローラー」
トクダネ映像を追う狂気の男を、ジェイク・ギレンホールが熱演。これは彼のキャリアでも突出した出来映えだろう。とにかくあのギラギラした目から、尋常ではない迫力が伝わってくる。殺人や強盗に比べ、映画で描かれる犯罪としては“おとなしい”ものなのに、これほどの背徳感を味わわせてくれるのは凄い。小心者のくせに金と栄光には目がない相棒の造型も見事。彼をめぐる最後の展開には心底ぞっとさせられる。
2016年10月 「秒速5センチメートル」
現在大ヒット中の「君の名は」は見ていないのだが、お気に入りの名画座「刈谷日劇」で過去作を二本立て公開していたので、見に行く。新海誠作品を初めて見たが、何のひねりもなく青春ラブストーリーが展開されており、逆にたじろぐ。絵や編集のセンスは感じるのだが、あまりにも真っ当すぎて面白みに欠ける。主題歌かつ主題そのものにもなっている、山崎まさよしの曲「One more time, One more chance」も、あまりに映画のテーマとの照合があからさま過ぎて、感動どころか失笑ものだった。そして今回、しっかりこの曲を聴いて、山崎まさよしという歌手の下手ささえ浮き彫りにされてしまった感じだ。
 一言で言って、青臭すぎる。そのことに自覚的でなさそうなのも困ったものだ。
2016年10月 「星を追う子ども」
「秒速5センチメートル」と同時鑑賞。こちらは一転して非日常のファンタジー。そのあたりを全く把握せずに見始めたので、途中で線路に怪物が現れた時点で大いに動揺する。その後の展開にもなんだかついていけず、ただ感じたのは「宮崎アニメで見たようなシーンばかりだなあ」というもの。さすがにこれは監督も自覚的なようだが、だからといって面白い作品になっているわけではない。面白そうな要素をつぎはぎしただけでは、オリジナリティも説得力も出てこない。そのあたりがタランティーノとの根本的な違いだろう。
2016年10月 「ヒックとドラゴン」
たとえば水の表現など、アニメ表現の粋を極めたレベルの高さは言わずもがなで、そこに隙のない物語的な面白さを十全に備えた、誠に完璧に近い作品だ。ドラゴンと人間の闘争は、そのまま民族間闘争に結びつき、非常に現代的なテーマを扱っている。だからこそ、やや楽観的すぎてリアリティに欠けるとも言えるが、物語でくらいこうした理想を描かないでどうする、とも言える。ラストで主人公に訪れるある“変化”には拒否反応を示す人がいるかもしれないが、上記のリアリティ問題に絡めて、あれでバランスを取っているのだという気もする。(見ていない人には伝わらない文章だろうけれど、気になる方は是非、ご覧になってみてください)
2016年10月 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」
シリーズ最高傑作との呼び声が高い。僕も、一作目に並んで出来のいい作品だと思う。本作においても、飛んでいる飛行機の側面につかまったりなど、ほぼ全てのシーンをスタント無しで実演するトム・クルーズには本当に頭が下がる。困難な任務をチームプレーで切り抜ける小気味よさ、カー&バイクアクションの迫力、ラストでの「ざまあみろ」感、どれをとっても一級品の娯楽大作。誰が見ても満足できる一本だろう。
2016年10月 「ボビー・フィッシャーを探して」
ボビー・フィッシャーとは、実在したチェス名人の名だ。天才的なプレイヤーだっただけでなく、様々なトラブルを起こした末にアメリカ国籍まで取り上げられた、問題人物でもある。一方、この映画の主役となるジョシュ・ウェイツキンもまた、幼い頃からチェスの才能を発揮していた実在の人物だ。彼のお父さんの綴ったドキュメンタリー本を原作に、映画は作られている。ジョシュの才能は様々な人達に見出され、「ボビー・フィッシャーの再来だ」とまで言われるようになる。その気になった父親は名コーチに息子を委ねる。腕を磨いていくジョシュだったが、周りの期待に徐々に神経をすり減らしていく――。
 映画では、ジョシュを描くのと同時に、ボビー・フィッシャーの数奇な人生も平行して描かれ、深みが増している。ただ、僕はチェスをよく知らないので、攻防の面白さはまったくわからず、それがスポ根物として今ひとつに感じてしまった理由だ。
2016年10月 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」
昨年、劇場で見た作品をWOWOWで視聴。最初から最後まで、本当によく出来ている。ただ、人物の相関関係などがちゃんと説明されないため、そのあたりの知識(誰が誰の手下で、誰と誰が敵対していて、誰と誰が親子なのか、等)を仕入れてから見るのがお勧め。僕もこれで二度目なのに序盤の展開についていけず、途中でいったん見るのをやめ、ネットで知識を漁ってから見返すこととなった。1980年代あたりの音楽が挿入されるのは楽しいのだが、音楽を知らない人でも楽しめる。初見時には、各惑星でのエピソードが単発でとぎれがちな印象があったが、今回はさほど気にならず、うまくまとめてあることに感心しきり。
2016年10月 「蛇の道」
黒沢清が1990年代に撮ったVシネマの一作だ。Vシネマ特有の安っぽさは感じられず、普通の映画として楽しめる。愛娘を殺されて半分心が壊れた親と、静かな狂気を秘めた協力者。二人の男が協力して犯人を追いつめる。序盤はなかなか設定さえ謎に包まれているのだが、わからないなりに見られる作りになっているのが巧い。ただ、わかってくるにつれ興が削がれていくのも事実。それから香川照之については、僕にはややオーバーアクト気味、かつどの作品でも似たような演技に思えて、“名優”と言われることにいつもほんの少し、違和感を覚える。
2016年10月 「あん」
河瀬直美監督作品を見るのは、実は初めて。どら焼きスタンドを営む男のところに年老いた女性が訪れる。女性は店でアルバイトをさせてほしいと頼むが、男にそんな余裕はない。ところが、彼女の作る餡(あん)の美味しさを知るや、彼女を雇い、どら焼きは飛ぶように売れ始める。ところが彼女には隠された秘密があった――。
 女性を演じるのは、樹木希林さんだ。いまや日本映画は彼女に頼りすぎだろうと思うが、どんな役を振られてもしっかり演じきり、そしてやはり樹木希林だなあと思わせる凄みがある。ただ、悪い作品ではないと思うのだけれど、テレビ局主導作品のせいか、どうしても押しつけがましさ、それに伴う浅薄な感じがにじみ出ているのが惜しい。
2016年10月 「海よりもまだ深く」
是枝裕和監督は、いつも絶妙なところを突いてくる。是枝作品には、偉大なことを成し遂げた人物など一人も出てこない。どうしようもない“普通”の人々を描き、まったく共感などできないはずなのに、最後には彼らの生きる姿に感動を覚えてしまう。“普通”をなめんな、というか、好きで“普通”をやってるんじゃない、どういうわけか“普通”の人生になっちまってるんだよ、というか。人生のどうしようもなさをユーモアを交えて丁寧に描き、そのどうしようもない人を遠くから包み込むように肯定している。この点、二部作とも言える2008年の映画「歩いても歩いても」に似ているようで違う。「歩いても〜」のほうは、“普通”の人の、一見優しいようで実は生臭くおぞましい部分を、ほとんどホラーのように描いていた。
 それにしても日本映画はやはり樹木希林に頼りすぎだと思う。上記の二作で、ほぼ正反対の女性を見事に演じていた。
2016年10月 「死への逃避行」
これは、殺人コメディとでもいうのか、一風変わった作品。イザベル・アジャーニ扮する殺人鬼を、黒鉄ヒロシ似の探偵が追う。殺人も証拠残しまくりでいい加減だし、探偵の操作や尾行もあからさまに不自然かつコミカル。物語全体がファンタジーといった雰囲気で進む。イザベル・アジャーニの七変化を楽しむ一面もあろうが、その割には彼女があまり綺麗に撮られていないのも不思議。それでも見ごたえがあり、なんだか古き良き映画に出会えた気分になる。
  
2016年 9月 「愛すれど心さびしく」
期待どおりの秀作だった。聾唖(ろうあ)の青年シンガーは、同じく聾唖で知的障害を持つ友人と毎日を暮らしていたが、友人の症状が酷くなって入院し、一人になってしまう。病院のそばに下宿を見つけ、その家族たちと一見平和に暮らしているように思えたが、やはり本当に心を通わせることは困難だった――。
 いったんいい関係に収まったかに思える主人公が、少しずつまた孤独に陥っていく。ただ、それには彼の責任もあるのだ。常に他人の役に立とうとし、他人に手を差し伸べる彼だが、その行為が時に人を苦しませることもある。これは単に「障害者と健常者」という問題ではなく、人間のコミュニケーション全般に言えることだ。だからこそ、この物語はとてつもなく悲しい。
2016年 9月 「審判」
カフカの同名小説を、オーソン・ウェルズが見事に映像化している。「K」とイニシャルで呼ばれる主人公が、何の罪かわからないまま刑事達に追われる冒頭から、徹底して不条理な展開がつづく。当然、見ているほうもわけがわからないが、不条理世界があまりにもよく作り込んであるため、わからないながらも見ているだけで楽しくなる。ただ、見終わって何かが得られるというわけでもない。
2016年 9月 「暗闇にベルが鳴る」
オリビア・ハッセー主演のサスペンス。クリスマスパーティーの会場に不気味な電話がかかってくるところから、惨劇が始まる。電話の謎が解けるところがクライマックスで、ここはやっぱり驚くと共に心底、薄気味悪くなる。Wilipediaには大きなネタバレが書いてあるので、本作を見ようと思う人は絶対に読まないように。
2016年 9月 「ミッドナイト・イン・パリ」
妻と一緒に鑑賞。絵画や小説好きなら、出てくる人物を見ているだけで楽しくなるだろう。ウディ・アレン監督が、監督人生45年ほどで最高の売上を記録した作品。アカデミー脚本賞を受賞した脚本は、短い映画ながら人生について考えさせられもするし、何よりおしゃれな映画に仕上がっている。
2016年 9月 「キッズ・リターン」
妻と鑑賞。たけし映画の中では、僕はいちばんバランスの取れた作品だと思っている。バイオレンスや不条理、ポエティック表現に過度に走ることなく、それでいて他の誰にも撮れない映画だ。たけし自身による編集の妙、演出の妙、すべてにおいて一級品。
2016年 9月 「オーソン・ウェルズのフォルスタッフ」
オーソン・ウェルズが主役を熱演している。彼が俳優として出る作品は、だいたいにおいて彼の素のままの姿のようだ。傲慢な態度で周りを威圧し、迷惑をかけるものの、何故か人に愛されもする。人間について、嫌でも考えさせられてしまう。
2016年 9月 「さらば愛しき女よ」
はるか昔に小説を読んでまったくぴんと来ず、この映画も最初は内容をよく掴めなかった。短い時間に登場人物がどんどん出てきて、把握しきれないのだ。途中でいったん鑑賞をやめ、じっくりと人間関係をおさらいしてから再度のぞんだところ、ようやく楽しむことができた。映画の世界観作りがとてもうまくいっていると思う。ロバート・ミッチャム演じるフィリップ・マーロウというのは、小説好きからするとどうなんだろうか。
2016年 9月 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
妻と鑑賞。もう何も言うことはない、完璧な脚本。無駄なシーンは一つもなく、様々に張られた伏線をどんどこと回収していく。これぞ映画の中の映画。誰もが楽しめる名作であることに間違いはない。
2016年 9月 「カッスル夫妻」
フレッド・アステアが、珍しくタップダンスをほぼ封印し、社交ダンスに徹している。アステア&ロジャース作品ではあまり有名ではないが、意外に楽しめた。アステア作品は、彼が女性に対して自信満々なのが鼻につくところがあるが、本作ではそれがあまり気にならない。珍しくシリアスな内容なのもいい。
2016年 9月 「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 2」
続編としては、出来のいいほうだと思う。CGもこの時代にしてはよく作られているし、前作に絡めた映像効果も素晴らしく、にやりとするシーンが多い。時代を行ったり来たりするのは見ていて少し疲れるが、難解になることなく面白い脚本になっているのがすごい。むかし見た時よりも楽しめた気がする。
  
2016年 8月 「刑事物語3 潮騒の詩」
シリーズ第3作。2作目以降は、どうも脚本と演出に素人臭さがたってしまい、話にのめりこめない。これがデビュー作となる沢口靖子さんも、さほど魅力的に描かれているとも思えない。4作目以降はもう見ないかも。
2016年 8月 「鉄男」
塚本晋也監督の、衝撃のデビュー作。主演を務めた田口トモロヲの出世作としても知られる。90年代からその存在を知っていながら、今回初めて見ることとなった。確かに異様な迫力があり、ただものでない感じはひしひしと伝わる。いちおう筋書きがあるにはあるが、とにかく次々と繰り出される映像表現を体で受け止めるしかない。体力がない時に見たら、弾け飛ばされそうだ。
2016年 8月 「フレンチアルプスで起きたこと」
人間心理、人間関係のいやあなところをじわじわと突いてくる。実に、観ているのがいたたまれなくなる作品だ。しかも通常の映画文法とは異なる、独特の奇妙なテンポで物語は進んでいく。だから、心理的圧迫感、異常性などが、見る者に際立って迫ってくる。題材は些細でありふれたことなのに、とんでもない領域に連れて行かれる。こんな映画をよく作れるなあと感心する。すごく面白いが、しんどいから見返したいとはあまり思えない作品。
2016年 8月 「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」
フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー作品をなるべく多く見たいと思っているのだが、なかなかその機会がない。本作は監督の最新作(2014年制作)で、なんと84歳での作品だ。
 ロンドンにある美術館ナショナル・ギャラリーの舞台裏が描かれる。イギリスの美術館は有名どころでも無料の場合が多いが、その実現のためにスタッフは大変な努力をしている。実に淡々とじっくりとそのあたりを見せていく。眠くはなるが、退屈にはならない。見終わる頃には、この美術館で働く人々への敬意が湧いてくる。
2016年 8月 「リアリティのダンス」
僕の好きなホドロフスキー監督の最新作。最初に思ったのは、彼の映画とは思えないほど上品だ、ということ。もちろん、主人公の妻が素っ裸で夫にまたがり、小便をかけるようなシーンがあるのはホドロフスキーだからしょうがないわけで、それでもこの映画には品がある。ストーリーも意外とわかりやすく、彼のこれまでの映画のようにイメージ主体のシーンばかりで構成されていたり、理解不能な展開が続くようなこともない。(それが良いことかどうかはわからないが。)
 『エル・トポ』では、監督自身と実の息子が主演を務め、父子を描いていたが、本作においては正に監督自身の実体験が素地になっている。小さい頃に父親から虐待を受けたホドロフスキーが、今度は実の息子を自分役として主人公に仕立て、監督の過去の痛みを昇華する作品となっている。ホドロフスキー映画の文脈を知っていればなおさら楽しめると思うが、逆に「ホドロフスキーがこんな“いい映画”を作るなんて」と不満の声もあるかもしれない。
2016年 8月 「悪魔のいけにえ」
20年以上前に一度見た。当時はホラー・スプラッター映画が大好きだったのだが、本作については「何とも気持ちの悪い映画」という記憶だけが残っており、あまりいい印象を持っていなかった。それが今回、“公開40周年記念版”として4KリマスターされたものをHDで鑑賞し、とてもまっとうなスラッシャー映画だと感心した。脚本がしっかりしており、恐怖感の盛り上げ、画面や演技の不気味さなど、確かに一級品だと思う。特に、最初に殺人鬼が出てくるシーンの潔さが、今見ても斬新だ。凡庸なホラー映画だと、妙にもったいつけてばかりの過剰な演出だったり逆に薄味だったりしていただけない。本作では、そのあたりが過不足なく描かれており、嫌みがない。誤解を恐れずに書けば、見ていて実に“楽しく”なる作品だった。
2016年 8月 「不思議惑星キン・ザ・ザ」
1986年制作のソ連映画。過去に二回ほど日本で上映されたことがあり、その時も話題になったらしいが、僕はまったく知らなかった。ソ連映画と聞いてちょっと難解かも、と構えて見に行ったら、意外にわかりやすくしっかり楽しめる作品だった。社会主義社会における資本主義批判、人種差別などを寓話的に表現しているが、そのあたりを詳しく知らなくても面白く観られる。なんといっても愛らしいキャラクターが素晴らしく、スター・ウォーズのロボットコンビを思わせるデコボコ二人組に魅せられる。ラストの幕切れも鮮やか。これは万人に勧められる良作ではないか。
2016年 8月 「人類滅亡計画書」
SFホラーを題材にした三つの作品からなるオムニバス映画。とくに二作目の「天上の被造物」の出来が突出して素晴らしい。ロボットが僧侶になり、悟りを得る。信者達はロボットだと知りながら“彼”をあがめている。ロボットを製作した会社はこれに危機感を覚え、ロボットを解体しようとするが、信者はそれを認めない。ロボットにも悟りはあるのか、人とロボットに違いはあるのかないのか――。この問いかけには唸らされた。「シークレット・サンシャイン」などもそうだったが、韓国映画にはときおりこうした意表を突かれる作品があるから気が抜けない。
  
2016年 7月 「宮本武蔵 一乗寺の決斗」
内田吐夢監督、中村錦之助主演のシリーズ第4作。人間模様が入り乱れ、前3作の内容をきっちり頭に入れておかないと理解できないほど。武蔵と吉岡一派との確執がどんどんふくらんでいき、ラストで一気に花開く。その展開も見事だ。交わされる会話の言葉が文語調で雰囲気を高めてくれる。これまでの4作のうちでは、1作目と並んで出来が良いと思う。
2016年 7月 「ニューヨーク、恋人たちの2日間」
ジュリー・デルピー監督・脚本作はいつもそうだが、非常に興味深い内容がオリジナリティ溢れるやりかたで提示される。けれど、あまりに良く出来ているせいで、見ていてとても嫌な気持ちになる。このジレンマは悩ましい。
 ジュリー・デルピー自身が演じるフランス女性は、子持ちのバツイチで、ニューヨークに暮らしている。同じく離婚経験者で子持ちの恋人と同棲中だ。そこへフランスから、彼女の父親、妹、妹の恋人(兼、彼女の元カレ)がやってくる。この3人がそれぞれ迷惑者なのだ。父親は英語がまったく話せないのにいろんなところに首を突っ込み、騒動を起こす。妹は露出狂の淫乱、その恋人は素行が悪く、部屋にドラッグの売人を呼んだりする。とはいえ、デルピー自身も隣人にとんでもないウソをついたり、決して善人とはいえない。同棲中の恋人も身勝手に振る舞ったりする。こうしてマンションの部屋はぐちゃぐちゃになっていく。
 僕ならこんな部屋、一秒たりとも我慢ができない。迷惑な人達が騒動を引き起こす映画はたくさんあるが、絶妙にリアルな設定なので、見ていて本気で嫌になるのだ。そしてそういう人達が最後に「やっぱりみんないい人だった」と終わるなら絶対イヤだ、と思っていたら、もうすこし違う着地点だった。それにしてもこの映画の問いかけは素晴らしいと思う。たしかに人生とはこういうことかもしれない。
2016年 7月 「キングスマン」
前半は、スパイ映画としての面白みが現代的な演出に良くマッチしていて、面白く観られた。この手の作品の場合、リアリティ設定が難しい。後半、気球のようなものに乗った人が大気圏ぎりぎりまで上昇して衛星を打ち落とすというあたりからだんだんバカバカしさが先に立ってしまい、やや興を削がれた。繰り返される理不尽なスパイ訓練は、サスペンスと意外な展開という効果を生むけれど、なぜ何もできなかった主人公が武道の達人レベルに達するのか、あの訓練だけではまったく納得できない。終わってみれば、中程度のB級映画を観たという感想になる。
2016年 7月 「宮本武蔵 巌流島の決斗」
内田吐夢監督、中村錦之助主演のシリーズ第5作にして最終作。遂に武蔵と小次郎の対決となる。城太郎に替わる子役として新たに伊織が登場し、なかなかの活躍を見せる。お通とのやりとりのシーンでは、遂に彼らの思いが通じ合う。あまりに素直な武蔵の言葉に驚き、胸を打たれた。
 ラストまでたっぷり焦らす展開だが、これまでの4作品と同様、一対一の対決では、一瞬で決着がつく。やはりあっけなく思えるが、これこそ本シリーズの真髄なのかもしれない。残念だったのは、一作目で強い印象を残した沢庵が、その後登場はするものの、まったく活躍をしなかったところ。いいキャラなのにもったいない。
2016年 7月 「気儘時代」
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの共演8作目。当時は初の赤字興業となったそうで、「トップ・ハット」あたりに比べて知名度はぐんと低い作品だ。ストーリーはなかなか込み入っているし、催眠療法によって傍若無人となったロジャースが好き放題にいたずらを仕掛けるのも楽しい。それでもやっぱり、マンネリ感が随所に感じられ、そこが当時の人にも不評を買ったのかと思わせる。二人のダンスシーン、特に夢の中でのダンスの美しさ、レストランでテーブルを飛び越えて回る豪快さなど、見どころはあるにはあるのだけれど。
2016年 7月 「Zアイランド」
品川ヒロシ監督作は、みんなが言うほど僕は嫌いではない。本作も、宮川大輔がゾンビになるあたりまでは、とても楽しく観られた。ただ、女子高生二人のあまりに長い格闘シーン、鶴見辰吾のあまりにチープな親子愛、やくざ同士のあまりに陳腐な対決などが出てきて、辟易してしまった。それから思ったのは、この監督には映画の才能はあるけれどお笑いの才能がない、ということ。ただ、演者には恵まれており、(木村祐二と大悟を除き)お笑いタレント達の演技は総じて良く、彼らのお笑いの味がこの映画に上手く生かされている。もちろん、窪塚洋介、風間俊介といった役者陣の安定感ある演技は映画をしっかり支えている。それよりなにより、この映画の柱を折っているのは、哀川翔の大根演技だ。
2016年 7月 「大魔神」
本作の存在は小学生時代(ほぼ40年前!)から知っていたのに、これまで一度も観ることがなかった。この年になって初めて観たら、大傑作ではないですか! まずは時代劇としての骨肉がしっかりと構築されており、そこに大魔神の物語がぴったりと収まっている。特撮技術も当時としては最高峰のものだろう。いま観てもそれほどチープな感じはなく、上手く処理されていると思う。神とは、敬うとともに怖れる対象でもあった。大魔神のあの表情の造型こそ、昔からの神という概念を表している。これはぜひ残り2作も見なければ。
2016年 7月 「アリスのままで」
若年性アルツハイマーに罹った女性をジュリアン・ムーアが好演している。事実、本作で彼女はアカデミー主演女優賞を獲得した。いい映画だとは思う。ただ、なんだかあらすじだけを見せられた気がして、彼女の無様なシーンなどはあまり出てこない。全てのシーンが、病気の特徴をとらえたピースの連続という感じで、あまりにあっさりと過ぎていくのだ。おそらくこの監督はとてもいい人で、本当に辛い場面は描けないのだと思う。
2016年 7月 「少林サッカー」
とても評判の良い映画だが、予告編で見た衝撃を、本編は一歩も超えていなかった。つまり、少林寺拳法的なアクションでサッカーをする、というアイデア一発だけで、深みのない作品だ。コメディ要素もほとんど笑えず、ヒロインの扱いも雑。ハチャメチャで楽しい映画というものは存在するが、本作はそれにあてはまらない。
2016年 7月 「お早よう」
実に恐ろしい映画だ。もちろん見方はいろいろあり、一言で片づけられないからこそ通常はホームコメディという評価に落ち着く。子供vs大人の確執、それに伴う大人社会の戯画化が表だったテーマだろう。昭和三十年代の庶民の暮らしが生き生きと描かれ、それを見ているだけでも楽しい。人と人との交流は実に些細なやりとりで成り立っており、それがタイトルともなっている「あいさつ」だ。子供から見れば何の意味もなく映る不可解な習慣が、とくにラストにおいて淡い恋愛模様とともに描かれるあたりは秀逸だ。
 ただ、こうした人々の営みを、おそらく小津監督は“良きもの”として表現したのだろうが、僕にはそうとも取れないところがあった。僕が恐ろしいと思ったのは、各世帯がフランクかつ緊密に繋がり、そこで様々な確執が生まれるところだ。密集した住宅地では玄関も窓も開け放しで、隣の家の状況が筒抜けだ。人々は自分の家のように近所を行き来し合う。これは現在でもある話だが、こうした密な付き合いで住民達の仲がいいかというと、全くそんなことはない。表面上はうまく付き合っているようで、その場にいない人の噂が飛び交い、火のないところに煙が立つ。こうしたメカニズムで人は心を病んだり、殺人が起きたりもするのだ。僕ならここには絶対に住めない。現代風の夫婦がいたたまれずに出て行き、「彼らが悪かった」という演出で描かれているが、僕はこの夫婦に大いに共感する。
 親子の確執に話を戻せば、昔から親の子供に対する接し方は下手だなあと思う。とくに叱り方がいけない。「お前はうるさい」「駄目といったら駄目だ」などと繰り返すばかりで、あれは子供でなくとも納得ができなくて当然だ。情けない親だなあと思う。
2016年 7月 「ニューヨーク1997」
続編の「エスケープ・フロム・L.A」は観ていたのに、こちらは未見だった。今からすればアクションは物足りないし、ディストピア表現もなんだかあっさりしている。主役のカート・ラッセルがはまり役なのは揺るぎないところだが、もっとダークに活躍するシーンを観たいと思った。
2016年 7月 「刑事物語2 りんごの詩」
一作目が非常に面白かったので期待して観た。なんでも、シリーズ最大のヒット作らしい。りんごの種の謎を巡って北海道と青森を行き来しながら物語が進む。今回も武田鉄矢でなくては出せない味が満載。脚本に名前が連なっているのはクレジットでわかるが、原作の「片山蒼」も武田鉄矢の別名義だったことは今回初めて知った。
 付き合っていた彼女が暴漢に襲われたあとの嘆きのシーン、子供に拳法を教え、共に戦うシーンなど、見どころ一杯で飽きさせない。ただ、脚本の雑さはいただけない。最後に謎が解ける展開も強引だし、何よりヒロインが二人登場するところに節操の無さが伺えてしまい、観ていてしらけてしまった。
2016年 7月 「バルタザールどこへ行く」
バルタザールとはロバの名前だ。小さな子供だった頃、とある家に引き取られたバルタザールは、その家族を巡る数奇な運命に翻弄される。不幸な彼ら家族にバルタザールが巻き込まれるのか、バルタザールがいるから彼らが不幸になるのか。バルタザールはもちろん、黙して語らない。
 僕にはいつも、ロバというのは悲しい生き物に思えて仕方がない。馬のように逞しくもなく、牛のように乳を出したり肉を食されることもなく、単純な労役をかろうじて与えられ、それに甘んじて生きている感じ(もちろん誤解だけれど)がして、見ていてどうにもやりきれない。
  
2016年 6月 「いまを生きる」
これは渋い良作だ。いつも演技過剰でうざったく思えるロビン・ウィリアムズが、奇跡的に抑えた好演を見せている。青春映画としても、たとえばジョン・ヒューズ作品のような陳腐な展開に陥らず、全てに見応えがある。原作をほぼ忠実になぞっている割に、映画としての自由さを感じるというのは、よほど腕のある制作陣なのだろう。
2016年 6月 「アイアムアヒーロー」
かなりの評判で期待していたが、観てみると、「ゾンビ映画としてはよくできているほう」くらいの作品だった。やはりあの少女が後半、ぜんぜん生かせていない割に思わせぶりな存在なのがいただけない。もしかして、今はやりの続編ありきの作品なのかもしれないが。長澤まさみも、なんだかマンネリ感が強くて魅力的に見えない。普段だめな男がようやくヒーローになれる、という本作のキモは、その象徴のはずの銃の使われ方が雑なので、爽快感に欠ける。
2016年 6月 「宮本武蔵 般若坂の決斗」
内田吐夢監督、中村錦之助主演のシリーズ第2作。前作は人間ドラマが中心で、三國連太郎の怪演もあって見応えがあった。本作は剣劇が入ってくるが、その迫力が足りない。そして、今や是枝裕和監督のように見事に子供に演出をつけるのに慣れたせいか、この子役演技にはかなりの違和感を感じてしまう。この時代はこれくらいのものだったのだろうか。
2016年 6月 「デッドマン・ウォーキング」
僕が最も嫌いな部類の映画。物事を一面的にしか捉えない、安っぽいヒューマニズムに堕した作品。主人公の女性は、目の前の物事を自分の頭で考えようとせず、ただ既存の宗教観によってのみ行動する。殺人犯の被害者遺族に会うシーンなど、あまりのデリカシーの無さに怒りが湧いてくる。娘を亡くした両親の反応を見て彼女は驚くのだが、ただただ馬鹿馬鹿しい。人が人を裁くことの是非、そして死刑囚が更正すれば救われるのかという問題については、韓国映画の「シークレット・サンシャイン」のほうがよほど良く出来ている。主役のスーザン・サランドンがアカデミー主演女優賞を取ったらしいが、終始びっくり目玉のワンパターン演技で、どこが評価されたのかさっぱりわからない。
2016年 6月 「群盗」
韓国製マカロニ・ウェスタンという触れ込みで話題になった本作。見てみると、テンポや音楽の使い方、テロップの使い方など、タランティーノをまるっきり真似していて驚いた。そしてストーリ―やキャラ設定は、三池崇史版「十三人の刺客」を思わせる。東西のエンタテイメント映画の面白どころを満載しているが、それで最高に面白くなるかというと、そう簡単なものではない。韓国映画はときにシリアスなのかコメディなのかわからないことがあり、それが独特の雰囲気を醸している場合があるが、本作においてはそれが中途半端な印象でマイナスに作用している気がする。ハ・ジョンウはもう少しかっこよく撮ったほうがよかったのではないか。それから、CGがかなり酷いのも気になった。
2016年 6月 「刑事物語」
とても愛おしくなる映画だ。武田鉄矢のキャラクターが全開だが、鬱陶しくなるほどではなく、うまくバランスが取られている。邦画にありがちな、程度の低いコメディに堕することもない。ヒロインにもちゃんと魅力がある。有名なハンガーヌンチャクのシーンは思ったよりも淡泊だった。格闘シーンがもう少しあってもよかったのではないか。
2016年 6月 「ホドロフスキーのDUNE」
アレハンドロ・ホドロフスキーといえば、「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」を撮った監督。まあどちらも典型的なカルト映画で、僕は大好きだけど一般的な知名度はさほど高くない。そのホドロフスキーが人生を賭して挑んだのが、「DUNE」という作品だった。構想はどこまでも膨らみ、ダン・オバノンやH・R・ギーガーなど錚々たるスタッフ陣も巻き込みながら制作は進んでいく。ところが結局、ホドロフスキーは映画から降ろされてしまい、デビッド・リンチが監督になって映画は完成した。(そして大失敗作となった。)
 本作は、その過程を主に回想インタビューでつづったドキュメンタリー。ホドロフスキーが本当に無邪気に(だからこそ、はた迷惑に)映画について語るのがとても印象的だ。やや誇張的ではあるにせよ、完成しなかった映画なのに後世の作品群に影響を与えているというのが驚きだ。
2016年 6月 「有頂天時代」
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの共演作において、最高傑作と評される。なんだか最近、フレッド・アステア作品を前ほど楽しめなくなった。何故かはわからない。アステアの、いつもどこか気取って自信満々な態度が鼻につくのかもしれないし、ストーリーの他愛なさが物足りないのかもしれない。そしてやはり、もっと歌と踊りをたっぷり見たいのだ。本作でも、別れ際にアステアとロジャースが踊るシーンは美しく素晴らしいのだが、それ以外にあまり見せ場がなかったように思う。
2016年 6月 「インサイド・ヘッド」
少女の頭の中にある、喜び・悲しみ・怒り・ビビり、といった感情をキャラクターにして表現するという画期的なアイデア、そしてその展開のしかたが素晴らしい。大人には深く考えさせられる内容であると共に、子供には単純な冒険話として楽しめる。面白さが階層的に構成されていて、それらが同時に高いレベルで実現されていることが驚異的だ。キモは悲しみの感情であり、通常はマイナスの感情だからと他の感情達に虐げられ、その存在意義が問われるが、最後にそれが逆転し、深い感動を生む。素晴らしい!
2016年 6月 「宮本武蔵 二刀流開眼」
内田吐夢監督、中村錦之助主演のシリーズ第3作。遂に佐々木小次郎が登場する。演じるのはなんと、若き日の高倉健だ。これが時代劇初出演とのことで、どうも殺陣がお粗末だし、雰囲気からしてミスキャストの気がする。
 二作目に比べ、ふたたび人間ドラマというか波瀾万丈のストーリーが展開され、なかなかに見ごたえがある。離れていた武蔵の知り合い達がどんどん集まってくる様もおもしろい。ただ、宿敵・吉岡清十郎との対決はちょっとあっけなさすぎだろう。
  
2016年 5月 「兵隊やくざ 強奪」
シリーズ第8作。既に戦争は終結し、日本兵は現地のゲリラ達と抗争を繰り広げている。そんな中、遂に、大宮と有田の間に子供が生まれる(?)。というか拾った赤ん坊だが、とにかく二人で育て、果ては、「内地に帰って三人で暮らそう」ということになる。まあストーリーも設定もほとんどどうでもよく、深まっていく二人の関係を追っていくだけだ。それだけなのに面白く観られてしまうところがすごいのだが。
2016年 5月 「カプリコン・1」
アメリカが有人の火星探査船を打ち上げるが、実はウソだったという話。飛行士達は宇宙船には乗らず、巧妙に作られたセットに入り、宇宙船にいる演技をする。アポロの月面着陸もこうだったのではと思わせる内容で、公開当時、かなり物議を醸した。「大統領の陰謀」のような政治の内情を暴く社会派サスペンスかと思いきや、二流の脚本と演出で、実に稚拙な映画だった。極秘任務を進めている政府側があまりに間抜けで、例えば監禁されているはずの宇宙飛行士達が簡単に抜け出せたりする。バカバカしくて見ていられない。
2016年 5月 「ファール・プレイ」
僕の好きなゴールディ・ホーン、33歳の時の作品。サスペンスなのかコメディなのか判然とせず、のめりこめない映画だった。ゴールディ・ホーンが可愛いだけが救いの映画。
2016年 5月 「新兵隊やくざ 火線」
遂にシリーズ最終作となった。前作から4年が過ぎ、なんと本作のみカラー作品である。なので、これまでの作品群と毛色が違い、番外編的側面が強い。ストーリーも前作からの繋がりはなく、大宮と有田は再びどこかの戦場にいる。そしてやはり大宮が上官からいじめられ、ケンカをする。カラーのせいか、暴力シーンはなかなか凄惨だ。ただ、村井邦彦さんの音楽が全然映画に合っておらず、70年代青春ドラマの雰囲気になってしまう。勝新の歌う主題歌も唐突だ。これは、寄せ集め的に作られた特別編と思ったほうが良さそうだ。
2016年 5月 「新宿スワン」
園子温監督作で、僕の見たうちの最低最悪の作品。何がどう駄目なのかを言いたくもならないほど。こんな酷い映画を何故作るのだろう。園子温はずっと過大評価だと思ってきたが、本作は存在することが許せなくなるほどの出来。
2016年 5月 「チョコレート・ファイター」
公開時、かなり評判になったのは、ひとえに主役の少女のカンフーアクションの素晴らしさに尽きる。だから、ストーリーはどうでもいい、と言うが僕にはあまり見過ごせなかった。もちろん、アクションが説得力になりうるのだろうが、やはり稚拙な物語は見ている興味を削がれてしまう。もう少ししっかりした作りの映画が、僕は好みだ。
2016年 5月 「アメリカン・スナイパー」
本作の一番の突っ込みどころは、主役のブラッドリー・クーパーが凄腕の射撃手に全く見えないところだ。その手腕を示す風貌とか、訓練シーンとか、何かが欲しかった。ストーリーは淡々と進み、ドラマ的盛り上げもあえて避けている節がある。何度か戦地に赴くが、それぞれが単独のお話になっているので、そのたびに見る気持ちもリセットされてしまう。ラストにはさすがにぐっときたが、それは実話のなせる技ということだろう。
2016年 5月 「グランド・イリュージョン」
ユージュアル・サスペクツ」と並んで、「このラストのオチが凄い!」的に語られる作品だが、まったくいただけない。まず、手品の持つインパクトを映画に再現するのは難しい、というかほぼ無意味であることを本作の制作陣は知るべきだ。手品がなぜ人を驚かせるかといえば、絶対不可能な状況のもとで、絶対不可能な出来事がおこるからだ。つまり、「いま、目の前で起きていること」だからこその驚きなのだから、編集可能な映画という世界でそれを見せられても仕方がない。編集したんでしょ、CGでしょ、で済まされてしまう。(たとえ編集やCGでなかったにせよ、だ。)
 もちろん、手品を題材にした優れた映画はあり得るだろうが、本作などは手品の凄さをそのまま映画の凄さにしようとしている時点でアウトだ。最後のオチも、役者のオーバーアクトにより減殺されてしまっている。人にまったくお勧めできない映画の典型。
2016年 5月 「ヴァージン・スーサイズ」
確かに少女達の美しさは特筆ものだし、なにか謎めいた雰囲気は伝わってくるから映画の見た目としてはきれいなのだが、さほど感銘を受けたというほどのこともない。「思春期の少女の不思議さ」に寄りかかり過ぎているのだと思う。途中でモテ男君のエピソードがやたら長く語られたりなど、バランスも悪い。
2016年 5月 「龍三と七人の子分たち」
これは僕の見た北野武映画の中では最低の部類。演技も演出も、テレビドラマ並のレベルだ。もうたけしには映画を撮るエネルギーがないのではないか。
  
2016年 4月 「博士と彼女のセオリー」
宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士と妻との生活を描いた、実話に基づく物語。同年でアカデミー賞を争った「イミテーション・ゲーム」と似たような題材だが、作風はかなり異なる。違いは主に人物表現で、「イミテーション・ゲーム」の主人公アラン・チューリングは、頑固で気配りゼロで社交性ゼロ、我々が想像する典型的な学者タイプだが、こちらのホーキング博士のほうは、ジョーク好き&女好きという普通の人間っぽいところを備えており、本作も途中までは恋愛映画的に展開する。ただ、事実を元にした映画はたいていそうなるが、ドラマ性に欠け、それを上回る何か興味深いものも見いだせずに映画は終わってしまった。ホーキングを演じたエディ・レッドメイン(本作でアカデミー主演男優賞を獲得)は素晴らしかった。
2016年 4月 「兵隊やくざ 大脱走」
シリーズ第5作。前半は、慰問団の娘をめぐる展開が新機軸で面白い。人情深く助けてあげた女性に、「一回だけお願いできないかな」と頼むのが大宮(勝新太郎)たる所以で、あきれながらも笑ってしまう。ここでキャラクターを曲げないのが素晴らしいのだ。その後、大宮が一人で戦地へ戻ってきたところ部隊が全滅しており、上等兵の有田を思って号泣する。しかし有田はなんとか生きており、ふたたび号泣しながら喜ぶ。この後、二人はなんと腕をからませて歩いていくのだ。ラブラブ感、ホモホモ感も極まれりといった風だ。
 後半では、なんと二人が将校に化けて別部隊に合流し、好き勝手に振る舞う。これまでいじめられてきた憂さを、二人と共に観ている観客も晴らすこととなり、なかなかに痛快だ。だが、将校の立場はもちろん慣れていないため、部隊の訓練もいい加減になり、いつばれるかと冷や冷やすることになる。そこへかつて憲兵として二人を苦しめた青柳(僕の大好きな成田三樹夫が演じる)が歩兵に化けてやってくる。互いの本当の姿を知り合う相手とあって緊張感が生まれ、ドラマも盛り上がっていく。
2016年 4月 「インヒアレント・ヴァイス」
「マグノリア」はかなり面白く観られたが、ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作であるこちらは、なかなかにハードルが高かった。映画評論家町山智浩氏の有料音声解説(https://tomomachi.stores.jp/items/555f12503cd482e87c0038c6)によれば、以前の同監督は、複数の出来事を平行に描き、最後にそれらが融合して大団円を迎えるというやり方が得意だったのが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」あたりから作劇法を変え、撮影時に役者に自由に演技をさせるようにしたらしい。結果、物語性は薄くなり、シーンごとの即興的な面白さが前面に出る作品となった。確かに、どのシーンもわけのわからない刺激に満ちてはいる。ただ僕はこれを楽しむまでには至らなかった。それでも、もう一度観たくなる作品でもある。
2016年 4月 「ファイト・クラブ」
デヴィッド・フィンチャー監督の代表作として名高い本作。デヴィッド・フィンチャー嫌いの僕でもこれは楽しめるかと思いきや、やはり世評ほどの感動は得られず、これはもう徹底的にこの監督とは合わないのだと思い知る。現代の消費社会に生きる我々が生きる意味も意欲もなくし、それが素手で殴り合う行為に原初的な感動を見出す、というテーマはわかるし、面白いとは思うのだが。冒頭のこれ見よがしのCGから始まる一連のハッタリ手法に、どうもウンザリしてしまうのだ。この映画は、映像的な説得力がないと成立しないはずなのに、さほど魅力的なショット、美しいショットがあるわけでもない。
2016年 4月 「兵隊やくざ 俺にまかせろ」
シリーズ第6作。大宮と有田は、田沼参謀(渡辺文雄)率いる部隊にいる。とある場所の戦闘に駆り出されるが、作戦の全貌を知り、二人は田沼を責める。マンネリ感と、やや間延びしている感じはあるが、戦場ドラマとして及第点の出来ではあると思う。
2016年 4月 「ベイマックス」
昨年、飛行機の中で鑑賞し、まったく面白くなかった。飛行機の座席モニターという環境だったからかもしれない、と今回、自宅のテレビにて鑑賞するが、感想はほとんど変わらなかった。というわけで、2015年3月の感想(http://www.ne.jp/asahi/sealion/penguin/movie/movie_list2015.htm#201503002)と同じなので割愛。
2016年 4月 「トップ・ハット」
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのコンビによる一連のミュージカルの一作。CSで特集していたので、続けて観る。かなり評価の高い作品だが、僕にはフレッド・アステア作品のうち、あまり良いとは思えないものだった。踊りはさして感動的ではなく、ストーリーに至っては、人違いというアイデアをどこまで引っ張るのかという感じで稚拙。(まあミュージカルとは大抵そんなものだが。)
2016年 4月 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
かつての映画スターが年老いて落ちぶれ、起死回生を目指してブロードウェイの舞台に挑戦する。ところが共演者に恵まれず、家族からは見放され、やることは全てうまくいかない。やがて彼は内面からの声に悩まされるようになる――。
 2014年のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞などを受賞した作品。特殊技術を使い、映画全編が1カットに見えるように作られている。これが絶妙に効果的で、映画全編に渡って異様な緊張感が持続する。だから見ていて非常に苦しく、いたたまれない気持ちになってくる。内容的にも、主人公の老俳優の境遇が悲惨なので、その意味でも見るのが辛い。一人の俳優の痛々しさが映像的に巧みに表現されているのが素晴らしい。そしてこの映画のラスト。これは、僕の知る限り最高レベルに“キマった”ラストだと思う。
2016年 4月 「兵隊やくざ 殴り込み」
シリーズ第7作。名コンビ大宮と有田が、上官のたくらみにより引き離されてしまう。通信兵教育を受けることを命じられた有田が別部隊に派遣され、残された大宮は例のごとく暴れて独房に入れられる。そしてまたクソ上官たちから酷い扱いを受け、今回ばかりは大宮も音を上げる。そこに期間を短縮して教育を終えた有田が戻ってきて、感動の再会(ほとんどラブシーンだ)となる。有田の帰還に一役買うのが一人の少尉で、戦場で出会う数少ない人格者だったが、そういう“いい人”は悲しい運命をたどることになる。大宮いじめはさすがにマンネリ感があるが、慰安婦達との交流や最後の戦場シーンの迫力など、なかなかよく出来た一本に仕上がっている。
2016年 4月 「オオカミは嘘をつく」
珍しいイスラエル産のサスペンス映画。映像は綺麗で、予想を裏切り続けるストーリーは確かに斬新だ。だが、そこここに稚拙な点が目立ち、見終わってあまりいい印象は抱けなかった。予想は裏切ればいいというものではない。そこになるほどと頷かせるものがなければ、ただ荒唐無稽なだけだ。サスペンス的な演出があまり上手くなくて、例えばかなり酷い事態が既に起きている状況で、同様の事態が起きるか起きないか、ということにさほどドキドキ感は生まない。そしてラスト。「驚愕の」と言われる割に、「これはすぐばれるだろう」と思わせる仕掛けで、ちょっとしらけてしまった。
2016年 4月 「ペーパー・ムーン」
これは良作。生意気な子供が主役の映画はあまり好きではなく、本作も始まってしばらくはイライラしながら見ていた。それでも、子役のテータム・オニールの演技の凄さは認めざるをえず、中盤は楽しんで見られた。バディもの、ケイパー(チームを組んでの犯罪)もの、ロードムービー、親子もの、等々、いろんなジャンルの楽しみ方が詰め込まれており、これで楽しくないはずがない。ただ、ラストに向けて少し尻すぼみな感じだったのが残念。
2016年 4月 「ピッチ・パーフェクト」
ひっじょーに出来が悪いコメディ。有名な女生徒が吐くシーン(なんと2カ所もある!)は本当に最低で、見るに耐えない。
 とある大学のアカペラコーラスグループが紆余曲折を経てコンテストを勝ち抜いていくという映画。主人公が所属する女性グループは時代はずれで下手、常勝で傲慢な男性グループが並はずれて上手い、という設定なのだが、普通に見ている分にはどちらもそこそこ上手いから違いがわからない。最初のオーディションでも、集まった女生徒達は明らかに“下手”として描かれるのに、なぜか合格となり、その理由は明かされない。メンバーごとのキャラクターはほとんど描かれず、全てが記号だけの、つぎはぎの展開だ。リーダーの女性がワンマンで、彼女のかける「1,2,3」の号令がいつまでもうまくいかない描写など、ほんとに詰まらなくて勘弁してくれと言いたくなる。準決勝でも彼女らはいつもと同じナンバーを歌い、審査員や観客にはまったく受けないにもかかわらず2位となる。(何故? という質問はこの映画ではしてはいけないらしい。)その後、どうやって練習したのかわからないまま決勝を迎え、結果は……。まあ本当にどうでもいい。
2016年 4月 「ショーガール」
ポール・ヴァーホーヴェン最大の失敗作と言われるが、確かにこれまで僕が見た中でも最低の部類。何かしがらみでもあったのだろうか。別に、性表現が激しいとか下品だというのは問題ではない。そうであっても良い映画はいくらでもある。やはり、稚拙な筋書き、ご都合主義の展開、といったところか。画面が派手なだけにそうした粗が目立ってしまう。
  
2016年 3月 「フル・モンティ」
タイトルはずばり、素っ裸という意味だ。イギリスの田舎町の炭坑が閉鎖され(この設定は「ブラス!」など、比較的よく見かける)、失職した男達が心機一転、男性ストリップで金儲けをたくらむというコメディ。どうしようもないながら憎めない男達が生き生きと描かれていて、爽やかささえ感じる。主役のガズを演じたロバート・カーライルが素晴らしく、まさにこういう男がそこにいるんだという実在感を見せている。ストリップの仲間を探し、無理矢理に引き込んでいく過程も面白い。ただ、練習風景があまり描かれないため、最後のカタルシスにはやや乏しい。
2016年 3月 「ゴール・オブ・ザ・デッド」
サッカーの試合にゾンビがなだれこんでくる、というバカゾンビ映画。前半と後半にパートが分かれ、別の監督が担当している。僕はそれを知らずに見て、後半になって急に演出が違って「なんだか監督が変わったみたいだ」と思っていたら、本当にそうだった! 前半はもったりした展開で面白みがなく、後半のほうがアイデア満載で金もかかっているようで、そこそこ楽しめる。あくまでも「そこそこ」ね。
2016年 3月 「恋人たち」
「ぐるりのこと。」の橋口亮輔監督の最新作。評判どおり、骨太で胸に迫る一作だった。おもに三人の人物のやりきれない日常が描かれている。彼らはほとんど交錯することなく、それぞれの人生を生きている。真剣に生きる道を探る者、一見さほど不幸でもないが決して幸せとも言えず、わずかな希望に身を託す者、人の心を理解しない非情な人物に見えて実はその人なりの苦悩を抱える者。その様は滑稽でときに笑ってしまうけれど、これこそが人間の本質なのだと映画は訴えかけている。中でもいちばんの主役、アツシの人生はあまりに厳しい。全ての人間を呪いたくなる状況の中で、やはり救いとなる人や言葉はある。それはときに、ごく簡単なことだったりする。すべては日常の中でおこることだ。だから全ての人間に通じるドラマ性を感じる。ただ、このアツシのエピソードが他の2人のものから突出しすぎていて、ややバランスを欠いているように感じた。彼のドラマをもう少し抑えた形で見せられれば、真の傑作になったかと思う。
2016年 3月 「第七の封印」
イングマール・ベルイマン監督と聞いただけで身構えてしまうが、映画評論家町山智浩氏の説明(有料音声で紹介)によると、タイトルは聖書からとられているけれど、キリスト教がわからなければ楽しめないということもないようだ。確かに、見ていてさほど難解という感じではない。死に神とチェスの勝負をし、負けるまでは死ぬことを猶予されるという設定も、とぼけた味があって面白い。全編ユーモアにあふれながら、それでも鋭く人間の生と死が描かれる。その後の多くの映画に多大な影響を与えたらしい、普遍性を備えた作品だ。僕はまだ半分も消化しきれていないが。
2016年 3月 「福福荘の福ちゃん」
森三中の大島美幸さんが男役で出ているということで話題になった作品。それでも僕にはこの、「女性が男性を演じる」ということに寄りかかっただけの、志の低い作品に感じた。だいたい、男性を演じるには大島さんはあまりに顔が売れているし、それほど不細工でもなく女性としての魅力もある方なので、彼女が「不細工でもてない男」にまったく見えないのだ。キャラクター設定も、冒頭でいじめ役の荒川良々にまたがって放屁するところからして豪快な奴かと思えば、引っ込み思案の内気な男という場面も出てきて、統一感がない。ストーリーが進むにつれてだんだんどうでもよくなってきて、見る気が失せた。「恋人たち」のような骨のある作品と比べると、存在意義すら見つけられない作品。
2016年 3月 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
昨年の映画鑑賞においての一番の後悔は、本作を見逃したことだった。見ようと思っていた日に用事が入り、8月には行こうと思っていたら、7月一杯でぴしゃりと扉を閉めるように全ての映画館での公開が終了してしまった。それでもどこかでまたやってくれる、という希望を捨てずにいたら、ようやくリバイバル上映が叶った。
 月並みだが、凄まじいアクションを見た。ただ行って帰るだけの話だが、そこに人々が熱狂するのは、たいがいの出来事が行って帰る話だからだ。そこに人生が丸ごと収まっていると言ってよい。人生をアクションで見せている。だからやはり劇場で観るのが一番だ。画面も、思っていたよりCG臭くなかった。映画とはこういうものだと、胸を張って言いたい。
2016年 3月 「崖」
フェリーニ監督が、大名作「道」の直後に撮った作品。こちらは非常に小品に思えるが、なかなかに興味深い。初老の詐欺師アルベルトは仲間と組み、神父に化けて貧者から金をくすめとる。やがて仲間とは離れ、また別の人間達と同じ手口を使うが、自分の娘と同じ年代の少女と出会い、後悔の念を抱く。しかし……、とこの後はラストのオチなので見て確かめてもらいたいが、人間の卑小さがえげつなく描かれていて、痛々しい。前に見た「青春群像」とキャストもかぶっているので、続編のようにも思える。
2016年 3月 「恋しくて」
青春映画としてかなり有名な本作。僕にはぜんぜん良さがわからない。むかし、二十歳くらいの頃に見た時にも同じように思った。なんとも浅い描写ばかりで誰にも共感できないのだ。ただ、メアリー・スチュアート・マスターソンのボーイッシュな可愛らしさだけは輝いている。彼女の魅力に頼っただけの駄作だと、僕は思う。
2016年 3月 「マグノリア」
この世の不可思議さを、じっくり丹念に見せてくれる秀作。十人ほどの主要人物がいて、彼らの人生が複雑に絡み合っていく様が同時並行的に描かれる。海外ドラマでよく使われる手法だが、よほどのセンスがないと、単なる雑多な映像の寄せ集めのようになるところ、実にうまく処理している。優しいようで冷たく、冷たいようで温かい人の心が、彼らの交流の中からにじみでてくる。クライマックスでかなり悲劇的な方向に物語が傾きかけたとき、あっと驚く展開がまさに“降って”湧いたように現れる。とても奇妙だが、同時に優しさを感じる演出だ。できればあまり情報を入れずに見たほうが楽しめると思う。3時間を超す長い映画だが、まったく苦痛に感じず、いつまでも見ていたい気にさせられる。
2016年 3月 「さよならミス・ワイコフ」
公開当時、女教師が襲われるシーンがセンセーショナルに宣伝されていた記憶がある。今回初めて見て、確かにショッキングなシーンはあるが、それよりも、女性心理の不可解さが緻密に表現された秀作だと感じた。これはポランスキーが「反撥」や「ローズマリーの赤ちゃん」で執拗に描いていた、女性が自身の“女性”性を嫌悪するテーマに通じる。が、本作の主人公ワイコフは、レイプされた後はみずから男を求めるようになっていき、ラストでもどこか爽やかな表情を見せる。そこが不可解というか恐ろしいというか。
2016年 3月 「マッドマックス/サンダードーム」
マッドマックスシリーズで、一番人気がない一作。敵のボス役を演じたティナ・ターナーとの契約で、あまり無茶なことができなかったとも聞く。前2作のシリアスでカルトな雰囲気から、ファミリー向けのアドベンチャー映画になってしまった。マッドマックスがそんな雰囲気にしっくりくるわけがない。
2016年 3月 「6才のボクが、大人になるまで。」
ビフォア三部作で有名になった監督が、12年間を費やして撮影した作品。映画史に残る試みであり、それは成功に終わったといっていいだろう。6才の少年が12年間をかけて成長していく様を、役者そのものの成長と共に見せていく。他の配役も全て同じであり、これを実現することは想像以上に困難があったと思う。姉を演じたのは監督の実の娘だが、撮影当初はノリノリだったのが、数年もすればもう飽きてしまい、出たくないとゴネたらしい。内容は、タイトルの通りだ。まるで実際の親戚の子などを見るような目で、「ああもうこんな大きくなったんだ」とか「おお、声変わりした!」とか言いながら楽しめる。
2016年 3月 「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」
昨年のアカデミー賞をにぎわせた作品だが、僕はあまり乗れなかった。暗号を解くスリリングな感じがまったく表現できていない。だいたい、数学的なパズルを解くためにクロスワードパズルの得意な者を集めることからして納得できない。前者は数学的思考を問われ、後者は知識を問われるものだからだ。史実だから変えられようがないのかもしれないが、それならもっと納得できる説明がほしい。全体的に、主人公の頭の良さが伝わってこず、その割にあからさまな展開で友情やチームワークが芽生えたりして、冷めてしまう。また、現代、戦時、高校時代という三つの時代を描いているが、このうち現代の場面はまったく必要がなく、単に見ているものを混乱させるだけだと思う。
2016年 3月 「ノスタルジア」
タルコフスキー作品を初めて見る。やはり手ごわい。映画評論家町山氏の有料音声解説によれば、旧ソ連の抑圧的状況が描かれているらしく、現代の日本に生きる我々にとっては相当に理解しづらい。それでも、映像詩と呼ばれる画面の美しさ、特にウェス・アンダーソンに影響を与えたと思われる、シンメトリーを多用した神経質なまでの絵づくりには、見ているだけで崇高な気分にさせられはする。ただし、“眠い映画”であることに間違いはない。町山氏の解説をしっかり聞き込んでから、いつかもう一度挑戦しよう。
2016年 3月 「続 兵隊やくざ」
兵隊やくざ」シリーズ第2作。前作で機関車を切り離して脱走した大宮(勝新太郎)と有田(田村高廣)だったが、地雷で吹き飛ばされ、野戦病院に入れられる。その後、ふたたび別の部隊に配属となり、やはり二人はいろんないじめにあい、制裁を受ける。勝新太郎と田村高廣のコンビが本当に愛おしくておかしく、見ているだけで楽しくなる。
2016年 3月 「新・兵隊やくざ」
兵隊やくざ」シリーズ第3作。このシリーズは、きっちり前作からの続きで作られるようで、本作もまた「続 兵隊やくざ」のラストシーンから始まる。ややシリーズ疲労が見えてきたようで、勝新太郎・田村高廣のコンビは健在だが、同じことのくりかえしにも思える展開に、見ていてちょっと飽きがきた感じもする。
2016年 3月 「兵隊やくざ 脱獄」
兵隊やくざシリーズ第4作。前作からのつづきで、逃亡中に捕まえられ、牢獄に入れられてしまう二人。牢獄で看守たちにいびられ、いわれない暴力を受けるが、同時に心優しい受刑者とも出会い、それがのちにドラマを生み出す。短い割に密度の濃い物語が展開され、前作あたりではややマンネリ感が出ていたのが、本作では見事に“復活”してみせた。
2016年 3月 「セッション」
1時間46分の間、まさに息もつかせぬ展開がつづく。ある場面があって、普通ならこう展開するだろうという予想を常に裏切り続けるから、新鮮な驚きと共に次への期待が見るものを飽きさせない。実は、用事があったので途中で中断する予定だったのが、思わず全部見切ってしまった。
 本作は、ジャズミュージシャンである菊地成孔氏と映画評論家町山智浩氏との間で論争になったことでも有名だ。菊地氏がジャズ関係者の立場から本作を酷評し、町山氏は映画関係者の立場から本作を擁護した。ただ、僕にはそうした論争は関係ない。僕が本作を面白いと思ったのは紛れもない事実である。もちろん、両者の言い分を知って、理解を深めたところはある。
 やはり、鬼教官フレッチャーを演じアカデミー賞を受賞したJ・K・シモンズが素晴らしい。正にああいう人が現実に存在するとしか思えない。簡単に底を見せない演技と脚本が、魅力ある悪役を生み出している。それに比べれば、主役を演じたマイルズ・テラーはやや弱いか。この役のためにドラムを猛練習し、劇中のドラムは全て彼が本当に演奏したものだ。その「下手さ」が菊地氏の酷評ポイントの一つなのだが、別に僕は、吹き替えでやってもよかったと思う。普通に見ている分にはわからないだろうし、名プレイヤーの吹き替え演奏ならば、うるさ方にもその点では満足してもらえたかもしれない。
2016年 3月 「薄氷の殺人」
評判のよい中国映画だが、僕には今ひとつ。セリフを少なくし、映像で物語を語る手法なのだが、途中から全くテンポがおかしくなり、それが最後まで続いた。ファム・ファタールの女性は確かに綺麗で蠱惑的ではあるが、人を貶めていく恐ろしさは感じられず、そこが何よりの不満なところ。これがジョニー・トー監督やニコラス・ウィンディング・レフン監督なら、変てこな映画であってもなにか底知れない感じを与えるものだが、本作にはそれがなく、ただ下手でセンスのない監督というイメージしか残らない。
  
2016年 2月 「こわれゆく女」
ジョン・カサヴェテス監督作は、「グロリア」に続いて2本目。主演女優はやはりジーナ・ローランズ(カサヴェテスの妻)で、鬼気迫る演技をここでも披露している。旦那役は、刑事コロンボでおなじみのピーター・フォークだ。日常に起こるホラー的な要素をえげつないくらいに見せてくれるので、見ていて果てしなくしんどい。でも面白い。本作を、夫婦の強い絆と愛、と評する向きもあるようだが、僕にはただ旦那が駄目な奴だとしか思えなかった。
2016年 2月 「紙の月」
1年ぶりの再見。前回見たあと、他サイトのブログにおいて、「平凡な主婦がふとしたきっかけで罪に手を染める」という本作の一般的な評価は違っている、ということを書いた。今回見直しても、やはり同じ感想を抱く。娯楽作品として一級品であるばかりか、深いテーマにも迫った意欲作だと思う。吉田大八監督の次回作が、ますます楽しみになってきた。
2016年 2月 「007は二度死ぬ」
まあ007はこれで良しと、当時はされていたのだろう。様々な映画を観てきたなかで、過去の大作・名作として見るにはあまりに辛い、トホホな内容。日本を舞台に007が活躍するのだが、日本といえば侍、刀、忍者、という短絡的な発想にあきれる。コメディとして見れば悪くないのかもしれないが、僕には乗れなかった。浜美枝&若林映子という女優コンビが魅力的だったのが、唯一の救い。
2016年 2月 「エージェント・マロリー」
ソダーバーグは巨匠として言われることが多いが、僕には今のところ、まったく理解できない。やたらわかりづらい構成で話がつかめず、最後まで物語に入っていけず、面白いポイントを見出すことができなかった。アクションで語る映画にはアクションを見ているだけで納得できるだけの娯楽性があるが、本作にはそれすらまったくない。これは映画として成立しているのだろうか。
2016年 2月 「スターシップ・トゥルーパーズ」
大好きなポール・ヴァーホーヴェン監督による、SF大作。いやあ、やっぱり面白い。冒頭からしばらくは、SFというより青春映画であり、その後は「フルメタル・ジャケット」的な鬼教官によるしごき映画である。そして後半は怒濤のSFアクションで魅せまくる。激しいバイオレンス表現は監督の真骨頂だが、全てにおいて言えるのは、CGを本当に“ちゃんと”作っていることだ。これは「インビジブル」でも思ったが、納得できるまで映像を作り込んでいるからこそ、荒唐無稽な話に説得力が生まれる。この時代(1997年)における、最高レベルのCG映像であることをきっちり主張しておきたい。
2016年 2月 「モンキー・シャイン」
 事故で半身不随となった青年の元に、介護犬ならぬ介護猿「エラ」がやってくる。エラは彼の身の回りの世話をするが、彼の心を読む能力も備えており、人知れず復讐を企てる――。
ロメロ監督といえばゾンビ映画、となるが、それ以外にもたくさんの優れた映画を作っていることはあまり知られていない。特に、「ゾンビ」の前年に撮られた吸血鬼映画「マーティン」は異色の大傑作で、今はなかなか見られないのが惜しい。本作は、ゾンビ三部作の最後を飾る「死霊のえじき」の翌年に撮られたもので、僕は初見だった。最初は猿と友好的な関係を結び、役に立ってくれていたものが、だんだんと抑制が効かなくなっていく。こうした映画は他にもあるが、ロメロ監督はじっくりと題材に取り組み、荒唐無稽ながらちゃんと見応えのある作品に仕上げている。
2016年 2月 「ドラゴン特攻隊」
これは子供の頃、劇場で観て非常に気持ちの悪い思いをした映画だ。ジェッキー・チェン主演のコメディであり、周りもコメディ演技をする役者で固められている。人質を救出に行くへっぽこ集団を面白おかしく描き、たとえば爆弾を落とされたら髪がチリチリになって顔が真っ黒、というようなギャグが満載なのだ。そういうリアリティラインで進んできた映画なのに、ある場面で急にその一人が床から刀で串刺しにされ、血をごぼごぼ吐きながら死ぬ。この展開には驚き、気持ちが悪くなった。リアリティラインが崩れたからだ。わざとそれを狙って奇妙な効果を出す映画もあるが、本作においてはただそのあたりの管理がされていないだけだろう。まあ普通の香港映画くらいの面白さはあれど、僕にはどうにもその記憶で見てしまう。
2016年 2月 「宮本武蔵」
いやはや、非常に見ごたえのある一本だった。吉川英治版の小説を元にしてあるが、娯楽作品として骨太な作品に仕上がっている。演技も撮影も、いま見ても最高レベルで、見ごたえはたっぷりだ。ただ、これは続く5作品で完結となるため、本作はその出だしにすぎない。武蔵が関ヶ原の戦い以後に逃げ回り、いったん捕まって姫路城に幽閉されるまでが描かれる。途中までだが十分に楽しんで見られる。主役の中村錦之助はもちろん、怪僧・沢庵を演じる三国連太郎の演技も素晴らしい。
2016年 2月 「ビッグ・アイズ」
デビッド・フィンチャーなどと並び、僕がぜんぜん評価できない監督の一人、ティム・バートン。本作は、「ビッグ・アイズ」と呼ばれる特徴的な絵を描いた画家を巡る、実話を元にした物語だ。画家のウォルター・キーンの作品が実はすべて妻のマーガレットによるものであり、その妻の苦悩を描く、というはずだが、この妻の苦悩にまったく共感できない。そのあたりがまったく演出されていないのだ。妻役のエイミー・アダムスは下手な役者ではないはずだが、この映画ではいつも同じ表情で、まったく冴えない。夫役は、演技派として僕も大好きなクリストフ・ヴァルツだが、彼もまたこの映画では魅力に乏しい。実話を元にした作品は、ともすれば話の広がりに欠けて映画としての出来が犠牲になってしまうことがあるが、本作の問題はそこではない。バートン節とも言われる妙にカラフルで人工的な美しさも、それがどうした、というレベル。
2016年 2月 「フィールド・オブ・ドリームス」
25年ほど前、レーザーディスクで買って見て以来の鑑賞。ケビン・コスナー扮する野球好きの主人公が、天からの声に従って野球場を作ると、そこに往年の名プレイヤー、シューレス・ジョーがやってくるという物語。僕の記憶では、苦労や葛藤の末に野球場を作り、そこに選手がやってきて終わり、という話だったが、実際にはそのあたりは冒頭15分ほどで済んでしまい、そこからさらに別のストーリーが展開する。まあ面白くなくはないが、さほどたいした映画でもない。
2016年 2月 「フューリー」
戦争ドラマの中で、人間の多様性がえげつないまでに描かれる。非常によくできた良作だ。ブラッド・ピット扮する隊長が、時には常軌を逸した戦争狂人ぶりを見せ、時には仲間思いの熱い男ぶりを見せる。敵方を容赦なく殺し、女と見ればレイプする兵士達は、最低の野郎として映るけれど、それが別の場面では胸を熱くさせるような行動を見せる。人間とはかくも奇異な生き物なのだ。そして、人間とともに、運命というものもまた奇異なものだ。ラストで若き兵士がどういう運命をたどるか、ぜひ見てほしい。
2016年 2月 「フォックスキャッチャー」
オリンピックで金メダルを取りながらも、その後の生活に窮するレスリング選手。彼に近づき、再度の栄光を取り戻そうとする富豪。彼らの交流を描く、これは実話に基づいた作品だ。富豪の真意がどうにも読みとれず、それがもどかしくて作品にどうものめり込めないままに終わってしまった。非常に評判の高い作品だが、ちょっと僕にはぴんと来なかった。これは僕の見落としかもしれない。ただ、実話に基づく作品全般に言えることだが、自由に話を広げられない制約が、どうしても映画作品としての出来を縮こまらせている気がした。
2016年 2月 「いつかギラギラする日」
マッドマックスに匹敵すると言っても過言ではないほど、アクションシーンは素晴らしい。とくに車の壊し方がマッドマックスっぽいのだ。ストーリーも結構練られていて、当初はただのいかれた女だと思っていた女性が実は重要なキャラだったりするのも面白い。ただ、主役の萩原健一はもちろん抜群にかっこいいのだけれど、もう一つ突き抜けなかったのは、対決相手となる木村一八の頼りなさに尽きる。ライバルの存在が大きくて初めてヒーローがヒーローたり得るのに、そこが根本的に弱いのが、本作の弱さにつながっている。惜しい。
2016年 2月 「兵隊やくざ」
恥ずかしながら、勝新太郎をちゃんと見たのは初めてだった。いやこれほど魅力的な役者とは思っていなかった。三十代前半の、まだまだ若さあふれる彼の顔は、意外にかわいい。人形のような目が、彼の演じる凄みある荒くれ者のイメージと乖離していて、そこがまた深みを与えていて面白い。彼の指導役として、非暴力主義の三等兵がつくのだが、これを演じた田村高廣もまた素晴らしい。二人は不思議に惹かれ合っていき、友情が芽生えていく。クサいシーンではなく、戦争という異常事態のなかでの暴力と非暴力を通じて、人と人とのふれあいをじっくりと描いていくから、説得力がある。これはシリーズ全部を見ねば。
  
2016年 1月 「キング・オブ・コメディ」
スコセッシ映画の中でいちばん好きかも。ロバート・デ・ニーロ演じるコメディアン志望の男が、冒頭からうっとうしさ満載でテレビスターに近づき、見ているほうはイライラが募る。コメディともシリアスともとれない不思議な雰囲気がたまらない。狂気の果てにたどりつくのは、人間の性(さが)か、優しさなのか。生きることを考えさせてくれる傑作だが、見た目はとっても軽いノリで見られるのが真にすごいところ。
2016年 1月 「マッチポイント」
ウディ・アレンが低迷期から脱却して傑作を撮ったという誉れ高い一作。ウディ・アレン臭さがなく、割と真っ当なサスペンスという感じ。よく言われるとおり僕も、モンゴメリー・クリフト&エリザベスーテーラーの「陽のあたる場所」を思い出した。
 テニスになぞらえて、ネットに当たったボールの行方がラストの展開と呼応しているところや、主人公が序盤で読んでいる本が伏線になっているところなど、巧いなあとは思わせる。ラストについては、僕はウディ・アレンにしては優しいなあと思ったけれど、この先彼が生きていく上で背負い続ける苦悩を考えれば、逆にシビアな終わり方だという気もする。スカーレット・ヨハンセン演じる女性の態度が豹変するのが不自然、という評価もあるようだが、それこそ男性優位の考え方であって、あれは女性として(というか人として)ごく当たり前の反応だと思う。
 たしかに面白いけれど、細部に魂が行き届いていないというか、そこまでの映画的体力がなくなっている印象を受けた。これなら僕は、もっと後年の「恋のロンドン狂騒曲」や「ローマでアモーレ」のほうがいじわる展開満載で好きだ。
2016年 1月 「スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒」
遂に見た。予想を遙かに上回る、心底楽しい映画だった。おおむね良い評判ばかりを聞く。この監督は、大変な仕事を成し遂げたと思う。
 オープニング。20世紀フォックスのファンファーレが鳴らない! でもあれはスター・ウォーズの曲ではないし、今回配給会社はディズニーなのだから仕方がない。しかも、スター・ウォーズにまったくそぐわないディズニーのロゴが流れないのはとても素晴らしい配慮だった。だからいきなり「A long time ago〜」が表示され、テーマ曲に入る流れとなる。そしていつもの文字説明では、たいへん重要な情報が公開され、一気に物語に突入する。最初、夜の砂漠のシーンではスター・ウォーズらしくなさに違和感たっぷりだったが、戦闘シーンの迫力の前に、いつしかそんな思いは消え去り、映画に見入っていた。
 新キャラの一人、フィンの登場シーンでは、ストームトルーパーの一人に印をつけて引き立たせるところからして巧い。ルーカスに比べ、人間を描く手際の良さはこの監督の真骨頂かもしれない。どのキャラもしっかり物語に溶け込み、スター・ウォーズ世界の一員として機能している。CGを最低限に抑えたのも大きかった。だいたい、存在感のまるでないCG映画が多すぎるのだ。あれで「ちゃんと出来ている」と判断する映画スタッフに、この映画できっちり「物申す」ができたのではないか。今時、CGだとわかるCG映像ほどダサくて無意味なものはない。新ドロイドのBB-8も、予告編で見るかぎりCGだと思っていたのが、本当に動く実物が存在すると知って仰天した。しかも、同じ動きをするミニチュア版が4万円ほどで売っている。欲しい……。
 とにかく旧作ファンの大半に好意的に受け止められ、新しい境地も切り開いて見せた本作には、心から敬意を表したい。すごいことやってるよ、JJ、と。
2016年 1月 「野火」
「鉄男」など、塚本監督作品は一つも見たことがなく、これが初見。各所でだいぶ評判になっていたが……僕にはあまり響かなかった。派手なドンパチがあり、残虐描写も満載だが、本作には真の反戦思想が感じられず、ただ映画的に派手なシーンを作ることにのみ目が向けられている気がした。だいたい、役者の演技に鬼気迫るものが感じられないのだ。これは役者の力量、役者を選んだスタッフ、演出力、全てに問題がある。ここ最近で見た「人間の條件」「戦争のはらわた」「激動の昭和史 沖縄決戦」などに比すべくもない。これは制作費の多寡の問題では決してない。
2016年 1月 「青春群像」
フェリーニ監督の、かなり初期の作品。「道」より後の作品群は、僕には寓意や前衛が過ぎてよくわからない。本作にはそういった難解さはなく、素直に楽しめる内容となっている。中盤までは青年達の生活を見ているのが心地よかったのだが、主役の一人ファウストの行動があまりにも世の中をなめた思い上がりに充ち満ちてきたため、うんざりして映画自体の評価も下がってしまった。
2016年 1月 「彼岸花」
これは大傑作。娘の結婚に対する複雑な親心を、ユーモアと皮肉たっぷりに描く。思い切り笑ってしまうシーンがいくつかあるが、この笑いの感覚はただごとではない。主役の佐分利信のぼそぼそしゃべりは堂に入っていて、この矛盾に満ちた初老の男性を見事に具現化している。その妻を演じる田中絹代も、このやっかいな亭主と確かに何十年も共に生きてきたのだと思わせる深みを感じさせる素晴らしい演技だ。それからなんと言っても、京都の母娘! 浪花千栄子と山本富士子の軽妙な掛け合いは、本作の白眉だ。山本富士子さんってこんなに美しくてこんなに凄い女優だったんだー、と感心することしきり。
2016年 1月 「マッドマックス」
昨年、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を劇場で見損ねたのは、最大の過失だった。実は過去には一作目しか見たことがなく、しかも内容をまったく忘れてしまっていた。CSで年末にまとめてやってくれたのを録画し、順番に見ている。今回見直して思ったのは、やはりこれはカルトムービーなのだということ。メインストリームを張る内容でも規模でもない。が、確かに何かを感じさせる底知れない迫力は感じた。続けてあと二本、楽しみに見ていきたい。
2016年 1月 「一条さゆり 濡れた欲情」
日活ロマンポルノの初期を代表する名作の1本、という触れ込みで見たのだが、一条さゆりに思い入れのない僕にとっては、見て楽しむところまでは到達できなかった。それでも、70年代の街の雰囲気、無軌道に生きる若者たちの生々しさには惹かれた。タイトルの割には一条さゆりの出番はすくなく、主人公の伊佐山ひろ子が弾けた演技を披露していて素晴らしい。
2016年 1月 「激動の昭和史 沖縄決戦」
強烈な戦争映画だった。前線となった沖縄について、いかに大本営と現場との方針に食い違いがあったか、それでもそれぞれに言い分はあり、どちらが悪いと一言では言えない状況だったかが、緻密に描かれる。全てを時代のせいにするのもまた短絡的ではあるが、どうしようもない流れの中で、いろんな人がうごめき、悲しい運命をたどっていく。現代を生きる我々とは状況も考え方もまるで違う世界において、それでもここに放り込まれたら似たような行動を取るのだろうと思うと、なんと一人の人間とは弱くはかない存在なのだろうと心が痛む。それにしても、これほど深い内容を、オールキャストのエンターテインメント映画として作り上げた手腕には恐れ入る。その割には本作はあまり現代に名が残っていない気がするが、ものすごく勿体ない話だ。一人でも多くこの映画を見てほしいと思う。「野火」なんて、やっぱり駄目だよ。
2016年 1月 「花よりもなほ」
大好きな是枝裕和監督作だったが、これは駄目だ。初の時代劇、しかも是枝作品としては一番のオールスターキャストで、一見華やかに見えるものの、内容は薄い。申し訳ないが、かなりの大役を当ててもらっているお笑い芸人さん達の存在が、演技としても映像的にも作品の質を落としていることは否めない。是枝監督は俳優の演出に長けた監督だと思うが、さすがにこれだけの数をさばくことは難しかったのだろうか。黒澤明の「どん底」や「どですかでん」のような世界を描きたかったのかもしれないけれど、ぜんぜん到達していない。脚本にも魅力を感じないなあ。
2016年 1月 「ゾンビ・コップ」
古きよきB級ホラーど真ん中で、見ていると幸せな気持ちになってくる。死体を蘇生させる装置が開発された、というとってもとっても安易な設定で死人が甦る。ゾンビが強盗をし、巻き込まれた刑事もまたゾンビになってしまう。最後の最後で憎い相手が自殺してしまい、刑事達が悔しい思いをしていると、本当に馬鹿馬鹿しくも楽しい展開が待っていて、にやり。ああ、こういう映画っていいなあ。
2016年 1月 「秋刀魚の味」
さすがの小津クオリティ。年老いた父親と行き遅れた娘という小津映画の定番設定だが、2時間しっかり飽きずに見られる。小津作品の特徴として僕が思うのは、そのユーモア表現の豊かさだ。今回は2カ所ほど、あっと驚く展開があって、それがほのぼのとした笑いに繋がっている。このセンスには脱帽だ。最後の“嘘”は、これがウディ・アレンなら本当のことにして超絶いじわるなラストにするところ、小津監督の優しさがそれを許さない。
 それにしても、ヒロインとなる岩下志摩さんの凛とした立ち姿の美しさよ。「彼岸花」の山本富士子さんといい、小津作品のヒロインはとてつもなく魅力的で画面に映える。
2016年 1月 「リンカーンVSゾンビ」
あのリンカーン大統領がゾンビとの抗争に巻き込まれていた! そんな素敵な設定で南北戦争のさなか、大統領とゾンビが戦うというトンデモ映画だ。それでも、史実と無理矢理むすびつけようとしていたり、なかなかのアイデアを見せてくれて、楽しい。ゾンビの襲撃シーンも、意外にしっかり作り込まれておりチープさは少ない。悪くないゾンビ映画だと思う。
2016年 1月 「昼下りの決斗」
巨匠サム・ペキンパー監督が、肩の力を抜いて作った感じの作品。決斗(決闘)と言いながらもなかなか戦いは始まらず、当初の目的だった現金輸送はどうでもよくなり、老雄二人の熱い友情話になるかと思えばそうでもなく、結局はたまたま合流した若者と、たまたま出会った、さほど魅力的でもない女性(失礼!)との恋話のもつれが騒動を引き起こす、というなんとも微妙なストーリー。
2016年 1月 「ベルヴィル・ランデブー」
二年半ぶりくらいの再見だが、やはり傑作で、大好きな作品。セリフはほとんどないのにどんどん引き込まれていく。デザインの全てが斬新でオリジナリティたっぷりで、魅力的なのだ。それでいて芸術志向に走らず、ストーリードラマとしての体を為している。このバランス感覚の見事さよ。
2016年 1月 「の・ようなもの」
森田芳光監督の伝説のデビュー作。レンタルDVDショップでも見なくなり各所を探していたら、WOWOWで放送してくれて高画質で見ることができた。いまだ何者でもない「〜のようなもの」である若者たち。伊藤克信の演じる落語家・志ん魚を中心に話が進むが、ストーリーはあってないようなもので、ノリとしては「心はロンリー気持ちは…」を思い出す。なんとも不思議でつかみどころがないが、見終わって心の隅に残り、いつまでも考え続けてしまう。それがまさに名作たる所以だろう。
2016年 1月 「GONIN 2」
おもしろい! 一作目にも感心させられたが、今回のほうがより真っ当なエンターテインメントになっている。やや石井隆色は薄れるものの、とんでもなく面白いことに違いはない。この人の作品はいつまでも見ていたくなる。ただ、女性5人のキャストがやや弱いのが難点。余貴美子と夏川結衣の顔がよく似ていて区別しづらく、志保役の西山由海はさすがに人数あわせとしか思えないほど影が薄い。他にも細かいところを見ていくと不満が多くなるが、きっちり2時間楽しめる作品であることに間違いはない。
2016年 1月 「マッドマックス2」
一作目を遙かにしのぐ傑作。1より面白い2という希有な一例だ。前作の数年後という設定だが、世界観はまるで違う。一作目が警察vs暴走族という現代劇だったのに対し、本作は近未来ディストピア映画だ。前作から引き継がれているのは主人公とそのキャラクターくらいで、彼の抱える暗い背景設定すら薄れている。ストーリーは抽象性を増し、荒廃した世界で石油の利権を争うという強烈に単純化された内容となっている。シンプルさゆえにアクション一つ一つの重み、メッセージ性が際だっており、ただドンパチとやっているだけのシーンが続いてもなぜか見応えがある。本作が、以後の映画や漫画、小説に大きな影響を与えたというが、確かにそれだけの存在感を持つ映画だ。
2016年 1月 「味園ユニバース」
渋谷すばるの歌、そしてその風貌は、確かにインパクトがあった。赤犬というバンドが本人役で出ているのも同じく存在感はたっぷりあって、ライブ場面を見ているだけで面白い。でも、映画はそれらに頼りすぎて作られており、肝心の中身が追いついていない。記憶を失った男が歌う喜びを思い出して立ち直っていくあたりが、なんとも弱い。暴力でしか自分を表現できない男の映画としては、韓国映画の「息もできない」のほうが百倍も見ごたえがある。関西弁でがんばっている二階堂ふみも、本作ではあまり魅力的に見えない。