■ 2014年に観た映画
  
2014年12月 「風の歌を聴け」
村上春樹の原作を、これはなかなかいい線で映画に仕立て上げたといってよいのではないか。空気感の表現が素晴らしく、原作に寄りかかりすぎず、逸脱し過ぎもしない。前衛的な映像は嫌みでないところで留まっている。この監督はもっと評価されていい気がするなあ。
2014年12月 「人生万歳!」
ウディ・アレンの監督第40作目の作品。2009年制作で、「それでも恋するバルセロナ」と「恋のロンドン狂騒曲」の中間に位置する作品だ。冒頭から主人公が、いわゆる「第四の壁」を破ってこちらに話しかけてくる時点で、ああウディ・アレン映画を見ているなあという気にさせてくれる。僕もウディ・アレンは嫌いではないので、これだけで居心地は良くなるのだが、まさに予想通りに話が進むのでマンネリ感は否めない。まあそれでも毎年一本必ず作るってのは偉いですよ。
2014年12月 「オーシャンと11人の仲間」
「オーシャンズ11」を見る前に、オリジナルのこちらをと思い、鑑賞。ソール・バス制作のオープニングから続く流れは確かにスマートでしゃれているが、11人の描き分けがうまくいっているとは言い難い。見せ場の現金強奪は、計画も実行もずさんでアイデアに乏しく、「黄金の七人」のほうが断然面白い。フランク・シナトラの偉そうな半笑いも終始鼻についた。これなら「オーシャンズ11」のほうがまだ面白い。
2014年12月 「オーシャンズ11」
本家「オーシャンと11人の仲間」に比べ、知っている俳優が多いせいか、人物の区別がついて見やすかった。現代版ラスベガスを舞台に、なかなかの駆け引きが繰り広げられる。まあ、そこそこといった感じか。
2014年12月 「青春デンデケデケデケ」
偉大なる青春映画であり、音楽映画であり、かつ、とても変てこな映画である。きっちりしたドラマの筋立てがあるわけではなく、監督の頭の中で自由に広がるイメージをそのまま映像にしたような感じ。というと普通は独りよがりで難解な映画になりそうなのに、大林映画はあくまでも大衆向けの娯楽映画として成立しているのが凄い。大林監督のことを、爽やかな青春映画を作る人と思っていたらとんでもない目に遭う(僕がそうだったように)。
 役者もまた素晴らしい。主役のちっくんを演じた林泰文は、格好良すぎず、ださすぎず、男子高校生の標準をまっすぐに演じきっている。白井を演じた無名時代の浅野忠信は少し男前すぎるけれど、存在感をうまく消して仲間と同化している。逆に、岡下役の永堀剛敏は俳優さんとは思えないほど普通のルックスで、この映画でなければ影が薄すぎて記憶にも残らないだろうに、そんな彼さえこの映画は輝かせて見せる。これはマジックだ。そして特筆すべきは、お寺の息子、合田を演じた大森嘉之。彼の高校生離れした仙人的な立ち振る舞いは、この映画の牽引役として力強く作用している。
 とにかく、多くの人にこの大傑作を見てほしい。もちろん、気に入らない人がいることは理解できる。
 それでも、この映画の、全ての瞬間が僕は好きだ。
2014年12月 「仕立て屋の恋」
きっちりしたストーリー仕立てのサスペンスにしたいのか、主人公イールの特異な内面をえぐりだしたいのか、どちらともつかず、ちょっと中途半端な感じ。凝った映像づくりは一見の価値ありだけれど。
2014年12月 「武器よさらば」
トーキー化直後の時代の作品。戦時下の日本では、タイトルが良くないということで「戦場よさらば」と改題され、不適切なシーンが10分ほどカットされて公開されたそうです。現在、DVDなどでは「武器よさらば」に戻っているようですが、映像の尺からして、カットはされたままのようですね。
 戦争に運命を引き裂かれた男女の、しごく真っ当なお話ですので、さすがに今見ると退屈かなあ。
2014年12月 「ゴーン・ガール」
まわりのもの凄い高評価に期待値を上げまくって見た。結果、うーん、僕にはちょっとピンと来なかったというのが正直なところ。なにか見逃しているかもしれず、もう一度見る価値はありそうだが、「紙の月」ほどそそられる要素がないので躊躇している。
 この展開にするなら、あの夫をもうすこし高潔な人物として描く必要があるのではないか。ベン・アフレックだとあまり知性が感じられず、実際、やっていることは最低レベルの人間像なので、妻の思惑に値しないと思えてしまう。ロザムンド・パイクの演技は世評どおり。これはアカデミー主演女優賞、いくかもしれない。
2014年12月 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」
いやあ、楽しい楽しい時間を過ごせた。ディカプリオの演技は、オーバーアクションの連続なのでやや食傷ぎみにもなるが、さすがに及第点以上は与えられる出来映え。ただ、見終わって何も残らない映画ではあるので、物足りない。ああした乱痴気騒ぎの影に潜む何かを描いてほしい、というのは、言うは易しだけれど、いちおう書いておきたい。
2014年12月 「トゥモロー・ワールド」
映像美と内容が見事にマッチした傑作。有名な長回しのシーンには唸らされるし、それ以外にも、緻密に構成された映像に酔いしれる。最後の戦いのさなか、主人公と少女を見送る兵士の姿が、なにより生命の尊さを我々に訴えかけてくる。
2014年12月 「きっと、うまくいく」
2014年に観た(公開された、ではなく)映画の中で、これがベストワン。楽しくて泣かされて考えさせられて、他になにか映画に必要なものがありますかって感じ。多くの伏線をきっちり回収していく見事な脚本、練られたセリフ、すばらしい演技(ちょっとオーバーアクト気味で、みんな泣きすぎだけれど)、話の合間にきれいに収まって最高に愉快なミュージカルシーン。僕の好きな要素の全てが詰まった作品。インド映画、恐るべし。
  
2014年11月 「アンコール!!」
音楽が人を癒すという映画は、「ブラス!」「コーラス」「オーケストラ!」などたくさんあるけれど、僕にはどれも、心から感動できる名作というものではなかった。(それにしてもこの手の映画には何故か、語尾にビックリマークが付くものが多い。) だから本作も、概要を知りながら、あまり見ようという気にならなかった。
 それでも見てみたら、かなり好印象を持てる映画だった。いかにもお涙頂戴の演出が少なく(まったくないわけではないが)、効果的な省略を多用しつつ、抑えた演技で内面の心理を描くことに成功している。名優テレンス・スタンプとヴァネッサ・レッドグレイヴの演技に負うところは大きいが、意外に息子役のクリストファー・エクルストンや指導者役のジェマ・アータートンも悪くない。大傑作とは言わないが、人に勧めたくなる良作であることは間違いない。
2014年11月 「妖女ゴーゴン」
ゴシック・ホラーの王道をいく映画。特撮のレベルには目を瞑り、映像の美しさ、雰囲気の素晴らしさを感じるのが正解だと思う。ストーリーや見せ方が地味なのも仕方ないところ。
2014年11月 「ニューヨークお受験戦争」
お受験戦争は日本だけじゃなかった、ということのわかる作品。構造は日本と全く同じで、いい大学に入るにはいい高校、いい中学、と遡っていくと、結局はいちばん初期のところの保育園に入れるかどうかに帰着してしまう。でも受け入れられる容量は決まっていて、いかに有名な保育園に入るかで親が右往左往し、入れたか入れなかったかで一喜一憂する。
 本作の特色は、人を選ぶ保育園側の様子も紹介されているところ。けっこういい加減な基準で誰を選んで誰を落とすかが決められていて唖然としたりする。同時に、受験とまったく関係ない、将来的に何も保証もないけれど、人として大事なことを学べる保育園も紹介されている。ただ、事前の予想をまったく超えない映画ではあったのが残念。
2014年11月 「アクト・オブ・キリング」
なんという映画を観たのだろうという衝撃で、まだ僕はこの作品をしっかり消化できずにいる。過去に大量殺戮をおこなった張本人が、自分の殺人を演技として再現する。そんなとんでもないアイデアで始まったこの映画は、さらに悪夢のような場面を繰り広げることになる。
 人を殺すことが良しとされる世界があり、そこでは多くを殺した者が英雄となる。英雄は楽しんで殺している、ように見えるが果たして真相はどうなのか。その世界では、楽しむことでしか正気を保てないのではないかと思えば、恐ろしい殺人鬼は自分の姿とも重なってくる。つまり、いったんその世界に放り込まれたら、誰でも彼らと同じ道を辿る可能性はあるのだ。ラストのおぞましい姿を、地獄と見るか、救いと見るか。いずれにせよ、当人のことを思えばやりきれない。
2014年11月 「SAVE THE CLUB NOON」
大阪にあるクラブ「NOON」が2012年に風営法違反で摘発された。ライブを見る観客がその場で踊ることに対し、警察は、「客にダンスをさせるなら風俗店となり、風俗営業の許可が必要。許可がないなら無断営業とみなす」とした。そもそもダンスをする場が売春や賭博の拠点になる可能性があるという、1948年の法律制定時の考えをそのまま適用したものだった。
 これに店関係者やライブの演者たちが異を唱え、「NOON」を救おうという活動につながっていく。本作はその模様を追ったドキュメンタリーで、おもに関係者たちのインタビューで成り立っている。クラブという文化にまったく接したことのない僕は最初、「だったら風俗営業の許可を取ればいいのでは」と単純にも思ってしまったが、店主の「この店は風俗店ではない」という言葉に納得させられた。
 ドキュメンタリーの作りとしては、同じような受け答えが延々と続き、その多くは、失礼ながらあまり深い考えではないというか、ノリで発言しているように思えるものなので、これで大衆に訴えることができるのか、やや疑問ではある。ただ、最後まで見ていくと、結果として「法律を変えなければどうにもならない」というまっとうな方向に変わってきており、確かにそれは正しいのだと思えてくる。
2014年11月 「東京島」
久しぶりに酷い邦画を見た。主演の木村多江さんをはじめ、役者陣はどう演じていいのかわからずに模索している感じだった。そもそも僕は、桐野夏生さんの原作自体に面白みがないのではと思ってしまう。無人島に大勢の若者と一人の女性が流れ着き、何かが起こるかと思えば結局どうにもならず、最後は完全に破綻してしまった。
2014年11月 「ボーイ・ミーツ・ガール」
ゴダールの再来とも言われるレオス・カラックスのデビュー作。ヌーベルバーグが苦手な僕には敷居が高い。冴えない男のモノローグが詩的な世界で繰り広げられる。食事をしながら二回に分けて見たのもよくなかったが、世界観に浸ることができなかった。それでも、前半あたりまでは面白く観られたので、再見の価値はある。というか、もう一度ぜひ観よう。三部作の残り二作である「汚れた血」「ポンヌフの恋人」も、近々観る予定。
2014年11月 「ボルト」
ディズニーアニメとして、そして動物アニメとしても、最高の評価を与えたい。動物好きなのに何故かこの作品には触手が伸びず、公開後6年を経て初めて観た。冒頭のアクションは、フェイクだとわかりながらも存分に質の高い映像で楽しませてくれ、ここから完全に引き込まれる。その後、フィクション世界が現実だと錯覚していたボルトが、徐々に実世界の生き方に触れていく過程は、いろんな人の実体験に結びつけることのできる、普遍的な感動を与えてくれる。つまりは、どんな人にとっても生きる目的である自分探しがテーマなのだ。ボルトが現実での自分の能力を悟ったうえで、最後に見せる行動には涙せずにいられない。
 そして本作の最大の収穫は、犬の、まさに犬らしい動きの獲得であろう。犬好きならうんうんと大きくうなずけるようなちょっとした仕草が満載で、とろけるようにかわいいのだ。毛並みや水に濡れた表現など、CG技術の恐ろしいまでの高さにも圧倒される。こうした高度な技術に裏打ちされ、しかも魂のこもった力作。こんな映画が僕は大好きだ。
2014年11月 「レイジング・ブル」
10年ぶりくらいの再見。ジェイク・ラモッタという実在のボクサーの伝記が元になっている。オスカーを獲ったロバート・デ・ニーロが、ボクサー時代と芸人時代とで、別人かと思えるほどの体格変貌を実現し、役者根性を見せつけてくれる。同情の余地もないほどどうしようもない人間、ラモッタに感情移入などできるはずもないが、それでも、こんな人間が確かにそこに存在するという感覚を味わわせてくれることに、こうした映画を観る価値がある。初見時には、ボクシングシーンの非リアルさが気になったが、今回はそれほどでもなかった。ボクシングシーンをリアルに再現することが本作の主題ではないからだと思う。まあデ・ニーロの一人舞台といって過言ではないが、これがデビュー作となるジョー・ペシの存在感もあなどれない。
2014年11月 「シュガー・ラッシュ」
ビデオゲームに出てくるキャラクター達の物語で、先日見た「ボルト」と共に満点の評価。普段は悪役として不当な扱いを受けている主人公のラルフが、別のゲームキャラのヴァネロペと共にヒーローになることを目指す。
 可愛いキャラクター達の乱れ動くファンシーな画面の中に、我々の生きる現実社会に通じるテーマが隠されている。友情、勇気、努力、自分を信じること。たくさんの大事なテーマが無理なく表現されていて、誰にでもお勧めできる。なおかつ、8ビットゲームのカクカクした動きなど、笑いの要素も外さない。この心意気とセンスには脱帽。もちろんCG技術も素晴らしいの一言。
2014年11月 「ヘラクレス」
ディズニーの最も酷い時期の酷い作品。「美女と野獣」「アラジン」「ライオンキング」など傑作を連発し、ディズニー・ルネッサンスと呼ばれた時期から何年も経っていないのに、こんなに低品質な作品が世に出てしまった。
 同監督コンビの「アラジン」と同様、ミュージカルを基本とした作りで、出だしのあたりは悪くない。失敗の原因はゼウスの造型にある。伝説上のゼウスは確かにロクでもない奴だが、この物語上では、奔放で未熟なヘラクレスとの対比の意味で、ちゃんとした神様像でなければならない。ゼウスが息子であるヘラクレスを誘拐される悲しみも、また帰ってきた時の喜びも、拍子抜けするほどあっさりしか描かれない。そもそも、長い期間ヘラクレスが近くにいるのに、それに気づきもせずたいして探した様子もないのはどういうことだろう。こうして芯のない話は進み、ヘラクレスに何が出来て何が出来なくて、どこが成長したのかもあいまいな結果となる。ギャグのセンスも最悪。
2014年11月 「パリ、恋人たちの2日間」
いやあ、よくこんな映画を作れるものだと感心してしまう。登場人物たちが本当にそこにいて、こういう生活をしているのかと思ってしまうほど、リアルそのものなのだ。それゆえに直視したくない場面や退屈きわまりない場面が続くことになる。すごいとは思うが、観ていて楽しい映画では決してない。ジュリー・デルピーという人は、監督としても役者としても凄い人だと思う。
2014年11月 「42〜世界を変えた男〜」
町山智浩氏の紹介でかなり期待を持って観ただけに、あまりいい評価は持てない結果となった。メジャーリーグ初の黒人選手に関する実話を元にしているため、派手な展開になりづらいのはわかるが、演出がどうにも稚拙で盛り上がらない。ジャッキー・ロビンソンという選手が厳しい逆境に耐えて耐えてそれを跳ね返す、という見せ方が徹底していないため、くじけそうになる手前あたりで簡単に救いの手が差し伸べられ、結局この人はたいして頑張ってもいないんじゃないかとさえ思えてしまう。
2014年11月 「モンスターズ・ユニバーシティ」
大傑作と誰もが大絶賛した前作「モンスターズ・インク」は、僕には乗り切れない映画だった。本作もかなり評価は高いようで、今度こそはと息巻いて観たものの、やはり前作と同じくらいの感想しか持てなかった。
 たぶん僕は、主人公二人が根本的に好みでないのだろう。彼らを見ていてワクワクする気持ちがあまり起こらないし、他のキャラクター達もなんだかみんな同じに見えてしまう。マイクは結局、怖がらせるという点で成長はしない。これは現実の厳しさを描いているという評価もあるようだが、僕はマイクだってまだまだ成長の余地はあると思う。あんなことで諦めるようなら人生を舐めているし、自分自身も舐めている。というわけで、二転三転するストーリーにも、ぜんぜん面白みを感じることができない。怖がらせる合戦自体、見ていて面白い展開はそれほどない。CGが素晴らしいのは認めるし、アイデアがないわけではないのに、空回りしている感じ。
2014年11月 「紙の月」
※外部サイトのブログに、本作の感想を載せました。
・「紙の月」の感想(長文です)
2014年11月 「二十四の瞳」
これは卑怯だ。子供達にあんな演技をされた日にはもう泣くしかないではないか。とはいえ、先生と生徒達の触れあうシーンは意外に少なくて、やや拍子抜けの感もある。高峰秀子さんのことは昔はあまり好きじゃなかったのに、「喜びも悲しみも幾年月」それから本作と見ていくと、もう屈服せざるを得ない。リアルタイム世代の人からすれば、当時の「ザ・日本の母」のような存在だったに違いない。
  
2014年10月 「I am Sam アイ・アム・サム」
お涙頂戴の感動ストーリーかとやや馬鹿にしていた。まあそう非難されてもしかたない側面はあるが、僕はこの映画、すごく好きです。とにかくショーン・ペンの演技だけで満点をあげても構わない。ああいう人物がまさにそこに実在するとしか思えないリアルさ。メソッド演技の真髄を見た。
 そして子役のダコタ・ファニング。彼女のことはテレビドラマ「CSI科学捜査班」で最初に見た時から注目していた。こんな子役がいるのかという、ちょっと気持ち悪いくらいの演技を見せる。本作でもその奇才ぶりが遺憾なく発揮されていて、映画から浮くくらいの存在感だ。
 さらに、弁護士を演じたミシェル・ファイファーも良かった。ヒステリックな現代女性の裏側に潜む心根の優しさを見事に表現していた。
 ストーリーとしては、言ってしまえばお気楽なファンタジーだ。そこを突っ込んで馬鹿にする人がいるのもわかる。ただ少なくとも僕は、この映画に心を動かされた。
2014年10月 「カジノ・ゾンビ BET OR DEAD」
出た出た。ゾンビ映画はこうでなくっちゃと思わせてくれる、つまらない映画。テンポが悪く、キャラ設定も悪くて感情移入できず、ストーリーもさっぱり面白くない。最近、普通に面白いゾンビ映画が多かったので、なんだかほっとした。
2014年10月 「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」
これは素敵な、そして可愛い映画だ。アンヴィルという、過去に人気がありながら忘れられたヘヴィメタルバンドを追ったドキュメンタリーで、主要メンバーのリップスとロブの現在の様子を中心に描かれる。50歳を過ぎてもなお売れることを夢見て、バイトを続けながらも音楽の道を続けている。そして多くのロッカー達と同様、愛すべき人間ではあるけれど多くの場面で駄目人間ぶりを発揮し、周りの人達からはあきれられている。そうした姿を馬鹿にすることは簡単だ。けれども皆が彼らの姿に感動できるのは、そしてどうしても応援したくなるのは、僕らが夢見ていることを実践しているという「うらやましさ」に尽きる。つまり僕らは彼らに憧れを抱いているのだ。
 ツアーをやってみるものの客が入らなかったり、店とギャラのことでトラブルになったり、周りの人達とうまくいなかなかったりなど、見ていると大変なことばかりのようだが、こうした世界に身を置く人から見れば、こんなことは当たり前で、この人達はまだ恵まれているほうだという。確かにそうかもしれないが、僕はこの映画をとても楽しめたし、勇気をもらえさえした。
 最後に、この映画のエンドクレジットの出るタイミングが大好きで、そこだけでも何度も見たくなる。
 「あ、ゴジラ」ジャーン、
 というところ。
2014年10月 「エンド・オブ・ウォッチ」
ロス市警の日常をリアルにスリリングに描いた傑作として各所で人気の高い作品だが、僕にはそれほどの出来とは思えなかった。なにせ、アメリカの警察を描いた作品としては、テレビドラマの「サード・ウォッチ」という大傑作を観ているので、比べればそちらに軍配が上がってしまう。
 こうした日常の諸々を細切れでつなぐ手法は映画に向いているとは思えず、まさにテレビドラマでじっくりやるほうがうまくはまると思う。ラストへ向けての盛り上がりにも欠けるため、幕切れの展開やセリフもあまり響かなかった。主人公二人の演技はいいのだが。
2014年10月 「魔人ドラキュラ」
元祖ドラキュラ映画。ただ、僕にとってドラキュラ=クリストファー・リーなので、その一世代前のベラ・ルゴシについては、テレビでさえもほとんど観たことがない。今回初めてしっかり観たが、ベラ・ルゴシは演技というより、出てきた時の表情一発だけの役者に思える。(実際、その後の凋落ぶりがそれを物語っている。)いまこの映画を観ると、コントのように思えてしまい、正当な評価がしづらい。
2014年10月 「天使のはらわた 赤い閃光」
やっぱり石井隆監督の映画は面白い。独自の演出はあるが難解ではなく、エログロはあるがカルトにはならず、凄まじいまでにスレスレのラインでバランスを取ってくる。つまり、ただ難解な映画、ただ訳がわからずカルト化する映画はたやすく作れるということだ。それでもこの毒々しい雰囲気が嫌いという人がいるだろうし、それでいいと思う。僕の好みには合う。合わない人がいてもいい。その割り切りというか観客への信頼が、こうした映画を作る。
2014年10月 「真夜中のカーボーイ」
つくづくダスティン・ホフマンは偉大な役者だなあと思う。もう一人の主役であるジョン・ヴォイトも、自意識過剰でうざったい田舎者を巧く演じていたのは思うが、他の役者で替えがきく。でも、ダスティン・ホフマンの替わりは誰にもできない。この映画でも、印象に残るのはホフマンのシーンばかりだ。
 それにしても、結構サイケデリックな感じのとんがった演出が多いのには驚いた。ジョン・ヴォイト演じるジョーが、明るい性格の割に過去に恋人を集団レイプされるという暗い過去を持っていたり、ホフマン演じるリコが貧しさからどんどん病気を悪化させていったりなど、暗い方向へと物語は進んでいく。そしてあのやるせないラスト。アメリカニューシネマ時代の代表作といってよいだろうが、「俺たちに明日はない」「イージー・ライダー」等に比べると、やや知名度が落ちるか。
2014年10月 「ダラスの熱い日」
ケネディ暗殺事件を、政府側の謀略だったとする視点で描いた作品。バート・ランカスターが主犯格を演じる以外、あまり有名な役者は出てこない。脚色は数々の大作・問題作を手がけた、ダルトン・トランボ。原案を書いたマーク・レーンは、ケネディ事件研究で知られる弁護士らしい。
 「ジャッカルの日」ばりに暗殺計画は淡々と進んでいく。オズワルドを犯人に仕立てるため、事前に似た人物を用意し、目立った怪しい行動を取らせるところなど、なかなか面白い。実録フィルムとフィクション映像との融合は、思ったよりうまくいっていると思う。ジャック・ルビーの扱いが取って付けた感じで、ラストがあまり締まらないのが残念。
2014年10月 「晩秋」
ジャック・レモンがシリアス路線に転向したのちの作品。さすがの演技を見せてくれるものの、映画全体としてさほどの出来ではない。老夫婦の関係、父と子の関係、子と孫との関係など、いろんな要素が詰め込まれていて、全てのピントがぼやけた印象。息子役のテッド・ダンソンが意外にいい。
2014年10月 「BEFORE DAWN ビフォア・ドーン」
WOWOWOでゾンビ映画を特集しており、続けて見ている。これまた困ったことに、そこそこ面白いゾンビ映画。愛情の冷めた中年夫婦が絆を取り戻そうと田舎の山荘で過ごすが、妻がゾンビに襲われてしまう。ゾンビ化する妻に、夫はどう向き合うのか。序盤の40分くらいはゾンビが出てこず、普通の人間ドラマのように展開する。ゾンビ映画として見る人にはそこが大いに不満なようだが、僕はこれで悪くないと思う。その後のゾンビの見せ方も低予算ながら相当に巧い。ラストはやや唐突なものの、藤子・F・不二雄の「流血鬼」を思わせるオチで、好感が持てる。これは拾い物だ。
2014年10月 「バニシング IN 60"」
H・B・ハリッキーという人を初めて知った。カードライバーとして世に出たあと、不動産や自動車解体業などビジネスマンとしても成功を収め、さらには映画製作にまで乗り出し、自身が製作、監督、脚本、主演、スタントまで務めて作り上げたのが本作だ。そして、初めての映画の割にしっかり映画になっている。通俗的な描写はいっさいなく、自動車解体や自動車を盗む手口をひたすらストイックにテクニカルに見せる。こういう映画は派手なシーンがなくても引き込まれる。と思ったら今度は40分も続くカーチェイス。ここでも、警察の動きや周囲の反応などを適度にまぶしながら、退屈させることなく描き切る。面白いかと言われるとやや疑問もあるが、見て損はなかったと言える作品。

 ただ、いつもこうした犯人対警察の銃撃戦を観て思うのは、警察が犯人を射殺するのを怖れてなかなか本格的に撃てないシーンがあるが、「逃走車のタイヤを撃てばいいだろ!」ということ。車があるから逃げられるのであって、人間ではなく車のタイヤを一斉射撃すればひとたまりもないと思うのだが。
2014年10月 「要塞警察」
これはなかなかの名作。特に前半、いくつかのストーリーが平行して進み、それらが一つの警察署に集約していく展開は、不気味な犯人達の造形と共に見る者を釘づけにする。警察に荷担する罪人もなかなか良くて、奇妙な連帯感が自然に生まれるあたりも無理なく描けている。ジョン・カーペンターという監督は、映画作りがとても巧い。決してアート作品ではなく、大衆作品として素晴らしい映画をいくつも世に出している。
 ただ後半、本格的な銃撃戦がはじまるあたりから、少しだれてしまった。犯人側は、警察署内に人質をとられている訳でもないのだから、もっとばんばんに近寄って攻撃すればいい。なんなら爆弾一つを投げ入れればほぼ確実に勝負はつく。そう思ってしまえるのが映画として惜しい。
2014年10月 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」
いやー、楽しい! 最高! 観ている間じゅう、心から楽しくて幸せな気分を味わえた。こういう映画でこそ、CGの進化と真価を充分に味わい、喜ぶべきだろう。これは絶対に劇場で観るべき作品。
 事前に聞いていた「新時代のスターウォーズ」という言葉は、大袈裟ではなかった。確かにSF映画というよりもスペースオペラといったほうがしっくりくる。ストーリーに深みがないとか、キャラの掘り下げが不完全という意見もあるかもしれない。また、この映画のウリである音楽が、若者向きでチャラチャラしていると感じる人がいるかもしれない。しかし、僕にはこれでオールOK。しっかり世界観も作ってあるし、最表層にある「単純に面白い」というところから、シーンごとに盛り込んである小ネタまで、重層的な構成も素晴らしい。
 ただ惜しむらくは、戦闘シーンがあまりにチャカチャカしていて、何が起きているのかわかりづらいという、昨今のアクションにありがちな欠点を踏襲していること。あんなにスピーディーでなくても充分楽しめるのに、もったいない。
2014年10月 「サスペリア・テルザ 最後の魔女」
まあやっぱりダリオ・アルジェントはB級ホラーの監督であって、ルチオ・フルチよりは上かもしれないが、ジョン・カーペンターやジョージ・A・ロメロの域にはとうてい届かない。この映画は、彼の作品の中では中の下くらいではなかろうか。ゴアシーンをやたら盛り込んであるが、シーンがどうもぶつ切れに感じられてしまい、映画全体の雰囲気や世界観がうまく感じられない。映像の質感も、昔の作品のほうが断然よい。
2014年10月 「ヒポクラテスたち」
青春群像劇の傑作といっていいのではないか。80年代のなんとも言えない退廃的な雰囲気が強くただよい、医者を目指す若者たちの危うい「生」が交錯する。日本アート・シアター・ギルド(ATG)という映画会社の配給によるもので、非商業的なアート系作品を多く配給し、次世代を担う若い映画人に多くの機会を与えた。本作でも、古尾谷雅人をはじめ、斉藤洋介、内藤剛志など、当時無名新人だった俳優が採用され、その後の活躍の端緒となっている。それにしても古尾谷雅人は、おかしくなる人の役ばっかりだ。
2014年10月 「フェイク」
アル・パチーノとジョニー・デップが共演したマフィアもの。僕はジョニー・デップという役者に全くピンと来ないため、この作品で彼が演じる下っ端ヤクザ、実はFBIの潜入捜査員という役柄にもあまり感心するところはなかった。アル・パチーノはさすがの演技で、ゴッドファーザーシリーズで冷徹なマフィアのボスを演じてきた彼が、その数年後に今度は冴えないチンピラになりきっている。
 物語としては、損な役回りばかりのパチーノに、補佐役となるデップがだんだん肩入れをしていく様と、潜入捜査がばれるか否かのスリルがないまぜになり、途中までは結構面白いかなと思うものの、最後に失速して終わる。実在したFBI局員をモデルにしてあって、その制約もあったかもしれない。
2014年10月 「フィギュアなあなた」
石井隆監督の映画は好きだが、前に書いたように簡単に人に勧めるのはどうかもと思った。かなりハードなエロ描写やゴア描写を受けつけない人もいるだろうからだ。この映画ではさらに不条理性という要素の重みが増していて、最後まで見るといちおう理に落ちているように思えるが、観ている間はどこへ向かっているのかわからない不安定さを強いられる。作品として成功しているかどうかは、一見しただけでは判断がつかない。ちょっと悪ふざけが過ぎたかも、とも思う。
2014年10月 「死霊のはらわたIII/キャプテン・スーパーマーケット」
サム・ライミ監督がもう好きなようにやっちゃってます、ただし予算は全然ないけど、という感じ。楽しいといえば楽しいかもしれないが、二度と見ようという気にはならない。一作目のような作品がやっぱりいいなあと思う。
2014年10月 「長江」
さだまさし氏が1980年代初めに作ったドキュメンタリー映画。歌手・さだまさしさんのファンなので、ずっとこの映画を見たいと思っていたが、なかなか手に入らなかった。このたび、BSで放送してくれて、ようやく見ることができた。内容は当時の中国の様子を淡々と捕らえたもので、正直、面白いというものではなかった。
2014年10月 「ある日どこかで」
公開当時にヒットせず、主演のクリストファー・リーブが障害者になり、かつ早世してしまったせいか、現在ではカルト映画として位置づけられているらしい。タイムワープを絡めた恋愛映画で、もっと複雑な作りなのかと思って見たら、意外にあっさりとした映画だった。過去へスリップする方法の説得力、そして二度目に過去へ戻ることができない理由づけが、もう少しうまく表現されていればと思った。クリストファー・リーブが「スーパーマン」の直後にこうした映画に出ていたのだというのは、素直な驚き。
  
2014年 9月 「ゾンビ・クエスト」
珍しいオランダ製のゾンビコメディ映画。いやあ、昨今のゾンビ映画には戸惑ってしまう。何故って、「どれもそれなりに面白い」からだ。昔は、ゾンビ映画の9割は正真正銘のクズだった。それが最近は、どれを見ても一定のレベルをクリアしている。本作も、CGやメイクには結構お金がかかっているようだし、演出のセンスも悪くないし、キャラもまあまあ立っている。物語の面白みや説得力に欠けるのは、それこそゾンビ映画らしいところだから目をつぶるとして、しかし何で今はこんなにゾンビ映画がおおはやりなんだろうと思うのであった。
2014年 9月 「スター・トレック」
実はTVシリーズからこれまでの映画化作品まで、「スタートレック」をただの一本も見たことがない。これじゃあいかんという訳で、割と取っつきやすいと評判の本作、2009年のリブート版を見ることにした。ほぼ予備知識ゼロだったのでさすがにわかりづらい部分はあったものの、なんとか楽しんで見ることはできた。
 まずは映像表現の圧倒的な説得力に感心した。これだけのCGを使いながら、あらが目立つ箇所はなく、すんなりと物語に入っていける。これは劇場で観たなら興奮度は倍増だったろう。いっぽうのお話部分はというと、タイムトラベル設定がなんだかあざといというか安易というか、今ひとつ乗り切れなかった。空間移動についても、「それができるんだったら何でもできるのでは」と思ってしまい、ややしらけた。まあ、万人が楽しめる内容にはなっていたと思う。
2014年 9月 「ウォーム・ボディーズ」
これまたゾンビの異色作で、よく出来ている。ゾンビになりきれない少年と、人間の少女との恋愛、それからゾンビにも程度があって”症状”が酷いゾンビと軽いゾンビとの抗争があったりなど、独自の設定は面白く描けている。多くを期待しなければ十分に楽しめる佳作。それにしてもゾンビ映画の面白いものがこんなに出てくるとは、それが何よりの驚きだ。
2014年 9月 「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」
戦後に起きた鉄道ミステリー事件の一つ、旧国鉄・下山総裁の轢死事件を題材にした作品。実際に事件の捜査にあたった新聞記者による原作が元になっている。この手の実録もの邦画というのは、「帝銀事件 死刑囚」や「松川事件」、八海事件を描いた「真昼の暗黒」など数多く存在する。冤罪を訴える被疑者関連の人たちによる反対運動の一環でもあり、実際、映画によって司法が動くこともある。(松川事件など)
 下山事件は中でも最大のミステリーとされており、事件は迷宮入りとなった。主人公の記者を演じるのは仲代達也だが、映画の冒頭から舞台劇ばりのオーバーアクションと説明ゼリフが続き、少々ゲンナリさせられる。映画自体はどっしり落ち着いたいい出来映えだが、主役は別の俳優さんが良かった。
2014年 9月 「アフターショック」
これは思わぬ拾い物。日本では、「“シッチェス映画祭”ファンタスティック・セレクション2013」の中の一作として2013年に公開されたのみだが、しっかり作り込まれた極限状況サスペンスだ。監督のニコラス・ロペスはチリ人で、世界的にはほぼ無名の新人だということで驚き。製作と脚本としてイーライ・ロスがバックについているのが大きいのだろう。けっこうグロい描写や不謹慎なところもあるが、アイデアたっぷりでモラルもお構いなし、先が全く読めない脚本はよく出来ている。予算の割にはCGも悪くない。伏線もしっかり効いていて、エンターテインメントとしてしっかり楽しめる。この手の作品としては、セクシー要素が少ないのが意外。
2014年 9月 「天国から来たチャンピオン」
1970年代に作られた、安心して楽しめる良作。ちょっといい話すぎて引っかかりに弱いけれど。この映画ではなんだかベン・スティラーに似ているウォーレン・ベイティは、こういういい人役がよく似合う。
2014年 9月 「地獄でなぜ悪い」
「愛のむきだし」以降、園子温監督の作品はほとんど観ているが、世評で言われるほどの絶賛にはいつも違和感を覚える。僕の中では今の邦画界において、「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八、「そして父になる」の是枝裕和に比べると、園子温は一段落ちる。いつも何かが足りない気がするのだ。本作においても、監督自身の経験から好きなように作った気概は感じられるものの、これを観て映画愛を感じられるかと言うと、答えは否だ。
 ヤクザが映画を作るという設定は面白いし、めちゃくちゃにやって構わないと思う。実際、部分部分を切り出せば、のめり込むほどに面白いシーンは幾つもあった。
 結局、ただめちゃくちゃにやるだけなら実は簡単なのだ。この映画には、適当に気楽に作ったうえで、「この映画はめちゃくちゃなんです、何でもありなんです」と言えば全て済まされるだろうという甘えを感じてしまう。だから映画を観る楽しさを、さほどには感じられない。
 この映画で救いなのは、二階堂ふみの存在感だろう。彼女のことはこれまであまりいいと思ったことがなかったが、この映画では光り輝いていた。この女性になら振り回されても構わないと思わせる説得力があった。もちろんこれは好みの問題だ。
2014年 9月 「キャリー」
じっくりと作り込まれた、見応えのある作品だった。何より、青春映画部分の出来が、僕があまり評価できないジョン・ヒューズの一連の作品などよりもよっぽどちゃんとしていたのに驚いた。この骨組みがあるからこそ、その後の展開に重みが生まれる。キャリー役のシシー・スペイセクの演技も見事という他はない。ホラーと相性のいいヌードさえ、この映画ではほとんどエロチシズムを感じさせず(それがいいことかどうかは別として)、ただ悲しみへの序曲として披露されていた。青春の生んだ悲劇というジャンルで呼んだほうがしっくりくる作品。
2014年 9月 「ローラ殺人事件」
デビッド・リンチのTVドラマ「ツイン・ピークス」の元ネタの一作として知られる。1944年作という古い映画で。いわゆる”フィルム・ノワール”と呼ばれる一連の作品群の一つ。うーん、いい映画なのに楽しみ損ねた感じ。どうにも魅力的な人物が見当たらなかった。
2014年 9月 「ミリオンダラー・ベイビー」
久しぶりに見返してみたが、やはり素晴らしい。この映画で見せられるのは、優れた解答ではなく、優れた問いかけである。本作で描かれるストーリー、特にラストの展開について、映画を観ながら、そして映画を観た後に、観客はいろんな考えを巡らせる。その余地を与えているのが素晴らしい。本筋となるストーリーだけでなく、サブプロットにもそれは散りばめられている。イーストウッドは本当に巧い。決して単なるボクシング映画、サクセスロード映画ではない。
2014年 9月 「ガントレット」
途中まではすごく面白く観ていたのに、パトカーへの一斉射撃、それからラストのバスへの一斉射撃のシーンで萎えた。題名の「ガントレット」とは、中世の刑罰の一つで、二列に並んだ兵士の間を罪人が通り、両側から棒やムチで殴られるというもの。これがラストシーンにおいて、乗っ取ったバスが警備隊の間を走り抜けるシーンの元ネタとなっているのだが、あまりにも非現実的で笑ってしまう。銃撃で蜂の巣にするのはアメリカン・ニュー・シネマからの系譜かもしれないが、主人公達が生き残ってハッピーエンドになるあたりが1977年という時代らしいとも言える。
 ただ一つ、警察側は、逃走車のタイヤを集中的に狙って撃てばいいと思うのだが。
2014年 9月 「嘆きのピエタ」
キム・ギドク作品を初めて観た。面白いが荒削り、という評判は確かにそうだと思う。ただ、荒削りというより素人臭い浅さが見える点が気になった。非道の借金取りである主人公が金を借りた人間を回って歩くのはワンパターンで、途中でだれる。残酷シーンは特に気にならないが、金を返さない男が自分で腕を切り落とそうとしたり、その前にギターを弾いたりするシーンは、あまりにも人間を舐めているような気がして不愉快な気持ちにさせられる。突如現れた女性を主人公が受け入れるプロセスもあまりに簡単すぎる。ラストシーンは確かに美しく悲しいけれど、絶賛されているほどでもないような気がした。いくつかの場面とおおよその筋書きがあって、それがバラバラのピースのまま差し出された感じ。他の作品を観たいと思う程度には面白かったけれど。
2014年 9月 「嵐が丘」
近くの図書館で定期的におこなわれる上映会にて鑑賞。ずっと昔に本で読んだ時には、長い割に退屈な作品だなあと思った覚えがあり、あまり期待せずに観たら、しっかり楽しめた。巨匠ウィリアム・ワイラー監督のわりあい初期の作品で、この頃の映画ならではのしっかり作り込まれた映像に酔いしれる。キャシーを演じたマール・オベロンの演技が素晴らしく、本で読むとなんだか移り気でふわふわした女性に思えて感情移入しづらいキャラクターに、命と説得力を与えている。ヒースクリフ役のローレンス・オリヴィエは、まあまあといったところか。
 この年のアカデミー賞では何か受賞しているかと思いきや、「スミス都へ行く」「駅馬車」「オズの魔法使い」等の名作がひしめくなか、超大作の「風と共に去りぬ」がほぼ全てを奪い去っていったのだった。
2014年 9月 「エリジウム」
2009年の「第九地区」で鮮烈なデビューを飾ったブロムカンプ監督の、2作目となる作品。ハリウッド資本から大きな予算をもらって作った、堂々たる大作だ。「第九地区」を世評ほどに評価できなかった僕としては、世評ではイマイチの本作については、けっこう楽しんで見ることができた。何より、CGがしっかり作り込まれており、実写との区別がほとんどつかないレベルに達している。それだけでも充分に評価できる。話の展開も、とくに前半部分ではわくわくさせられる部分が多かった。ただ、後半に進むにつれどんどんしょぼい展開になっていく感じは否めない。そうなると設定の矛盾が気になり始め、そもそもあのエリジウムというスペースコロニーからして、大気はどうなっているのかなど疑問点が噴出し、気持ちが冷めていってしまう。大画面でなんにも考えずに見れば、1800円の価値は充分にあると思う。
 それにしても、Wikipediaでのこの監督の記述は、あまりにも内容が薄すぎないか。
2014年 9月 「プッシャー2」
悪くないと思う。この監督の、どういうシーンを撮っても不穏な空気が潜んでいる映像になるというのは、なかなか分析しづらいが、やはり才能だと思う。本作でも、心底どうしようもない奴らが繰り広げるしょうもない出来事を連ねているだけなのに、見入ってしまうのだ。そして、瞬間的に漏れてくるような神性のようなものに、とてつもない魅力を感じたりする。こうした一連の作品を作ったあとで、「ドライブ」のような傑作が生まれたのだと考えると合点がいく。
2014年 9月 「悪の法則」
一度見ただけではよくわからず、退屈にさえ思えた。特に最初の1時間ほどは何も起きてないように見えるからだ。二度の鑑賞を終え、ようやくこの映画の渋さがわかった気がする。会話劇といっても過言ではないほど、哲学的なセリフの中に重要な意味合いが隠されている。初見では筋を追うのに精一杯で、なかなかそこまで頭に入っていかなかった。「裏切りのサーカス」などと同じく、二回以上見ることを前提に作られているのではないかとさえ思う。
 本作では、小説家であるコーマック・マッカーシーが、特別に脚本を書き下ろしている。彼の原作の映画化は「ノー・カントリー」を見たことがあるが、どんな監督が撮ろうとも、マッカーシー色というものがしっかりと映画に根付いている。実際、本作と「ノー・カントリー」の作品の質はとても近いように思う。
 巨大な悪の歯車にいったん引き込まれたらもう出られない。どこで間違ったのかを考えたところで、それはもう最初の時点だったとしか言えないのだ。この残酷さが溜まらない。自分の中のいろんな部分を引き出してくれる一作だと考えれば、誰にも悪に憧れる要素があり、それを戒めるための映画とも言える。
2014年 9月 「マドモアゼル」
映画評論家の町山智浩さんが強く勧めていたので鑑賞した。引き締まったモノクロ画面、まったく音楽のない中で、田舎町の日常に潜む狂気を見事に描ききった作品。期待通りの名作だった。
主人公である女教師を演じたジャンヌ・モローが圧巻。何を考えているのかわからない不可思議さに、こぼれそうなエロス。理に落ちないラインで物語を締めくくるラストも素晴らしい。
2014年 9月 「ミルク」
同監督の「エレファント」は、静謐な不条理を描いて美しい作品だった。本作は打って変わって、かなり大衆的な作りになっている。ただどうだろう、ゲイの男がいて、彼が政治家を目指し、数々の苦難を乗り越え、やがてその目的を果たす。この一行で書いたあらすじを映画は一歩でも越えただろうか。確かに感動的な映画ではあるが、事前の予想をまったく裏切らない、毒にも薬にもならない作品になっていないだろうか。事実を元にした映画というのは、それが事実であるという大きなメリットを持つ反面、勝手なドラマを加えられないというかなり大きな足枷をも引き受けなければならない。
 ただ、ショーン・ペンの演技はほぼ完璧。「レスラー」のミッキー・ロークを差し置いてアカデミー主演男優賞を受賞したのもうなずける。
2014年 9月 「プッシャー3」
ニコラス・ウィンディング・レフン監督のことは、「ドライブ」で知って以来注目し、遡っていくつか作品を見てきた。デビュー作「プッシャー」から「プッシャー2」、そして本作と経るにつれ、映画技術の腕が上がってきたのもあるが、確かな才能を感じずにいられない。一見荒削りに見えるが、この人の作る映画は、どのシーンを見てもまさに「映画」なのだ。凝ったBGMやCGがなくても、登場人物がただ動いているだけで「映画」になっている。これは僕の好きなカウリスマキや、たけし映画にも通じる。
 ただ、グロい描写が苦手な人には、ちょっと耐えられないシーンがある。「園子温監督の「冷たい熱帯魚」の上をいく強烈さだ。ただ、それがウリの映画では決してなく、前作までで怖いボスとして登場していた男性の情けない様が実にリアルに丁寧に描かれる。傑作といっていいのではないか。
2014年 9月 「そして父になる」
テレビ局出資、そして亀山千広製作ということで舐めていたら、とんでもなかった。さすが是枝裕和監督、僕がいま一番好きな日本人監督の一人だ。
 実際に起きた赤ちゃん取り違え事件を元にしてあるが、かなりフィクションとして改変してある。福山雅治が珍しく悪役として登場し、彼がどう変わっていくかがこの映画の見どころで、僕は最後に彼が実の息子に語る言葉に涙を禁じ得なかった。当事者たちがどれほど不幸な目に遭うかという社会的側面、親と子、夫と妻との間に起きる確執など、多彩なテーマをひとくくりにして堂々たる出来映えだ。万人にお勧めしたい映画。
2014年 9月 「許されざる者」
僕に西部劇の素養が少ないせいか、なんだかストーリーがぎくしゃくしていて入り込みづらかった。悪徳保安官は何故あの売春宿に踏み込まないのか、牧童達がなぜ娼婦にあそこまで酷い行為をし、首に賞金がかかっているのに慌てもせず逃げもせずコロッと殺されてしまうのか、よくわからない点が多い。イーストウッドも途中で簡単にのされてしまい、最後には非道とも言えるくらいの殺戮を犯して終わる。面白くないわけではないが、なんだか腑に落ちない作品
2014年 9月 「吸血鬼ドラキュラ」
子供の頃は恐怖映画が大好きで、クリストファー・リーはアイドルだった。本作は、後に続くシリーズの第一作である。恐怖映画の割に牧歌的な絵作りには苦笑してしまうものの、やはりクリストファー・リーがたたずんでいるだけで、なんともいえない不気味な雰囲気が漂うのだ。意外にストーリーも込み入っていて、しっかり見ていないと理解できないかも。
  
2014年 8月 「パピヨン」
もうこの映画、大好きなのだ。小学生の頃に駅ビルでやっていたリバイバルを家族で観たのを思い出す。途中から入場したのだが、ラストでヤシの実袋と共に大海原にダイブする姿が目に焼き付いている。それから大人になってこれが3回目くらいの鑑賞だが、観るたびに好きになる。
 得体の知れない人間というものを最後まで描き切って迷いがない。マックィーンといえば、同じく脱走モノの「大脱走」のほうが派手で有名だが、僕は本作のほうが好きだ。地味な演出で刑務所生活の悲惨さ、それに耐えるパピヨンの生命力、ドガとの友情、それでも場合によっては捨て去るような人間性も含め、すべてが生々しく描かれている。パピヨンを演じるスティーブ・マックィーン、親友ドガを演じるダスティ・ホフマン、共に素晴らしい。人とはとにかく生きていたいのだよ。
2014年 8月 「緋色の街/スカーレット・ストリート」
巨匠フリッツ・ラング作で、長らく日本で観られなかった作品。なんだか2000年代の中途半端なサスペンスのような邦題だが、70年ほど前に作られた映画だ。エドワード・G・ロビンソンが、悲哀あふれる初老男性を見事に演じている。まじめ一筋で築いた人生を、一人の詰まらない女に狂わされていく男。彼を利用し、金をかすめとろうとする若いカップル。かなり凝った脚本で楽しませてくれる。
2014年 8月 「ヤッターマン」
テレビシリーズの雰囲気をとてもよく再現していて、思ったより楽しめた。CGはかなり凝った造りで、堂々たる出来映え。役者陣では、櫻井翔演じるガンちゃん、生瀬勝久演じるボヤッキー、この二人はほぼ完璧で、感動的ですらある。ケンドー・コバヤシのトンズラーも悪くない。深キョンのドロンジョは、見た目は素晴らしいものの、演技にはややがっかりさせられた。ヤッターマン2号も同様。下品なネタには賛否が分かれるだろうが、僕は擁護派。ただ、僕がオリジナルのヤッターマンにそれほど大きな思い入れがないせいもあって、もう一度見たいかと言われるとウムム、となる。
2014年 8月 「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」
「ギルバート・グレイプ」や「サイダーハウス・ルール」などで有名なハルストレム監督がスウェーデン時代に撮った作品。1950年代のスウェーデンの地方都市の生活が静かに描かれる。特別すごい映画というわけではないが、実に心に沁みてくる、なかなかの良作。それでも性描写には異質な鋭さがあり、侮れない。追いかけてみたくなる監督だ。
2014年 8月 「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」
本作もこの監督もかなり絶賛されているようだが、僕には全然いただけない作品だった。前作「ブルー・バレンタイン」(こちらもまた皆が絶賛するのに僕は乗り切れない)でもそうだったが、事前に頭の中で考えたアイデアを、そのまま真面目に映像化してみました、という印象だ。僕は、小説にしても映画にしても、まさにそれを書いたり作ったりしていく中で新たに生まれる何物かが真の傑作の要素となると信じる。事前に人が考えることなんて大したもんじゃないのだ。作っていく最中、これはもう天から降ってくるとしかいいようのないひらめきだったり、映画だったら演出だったり描写だったりが、何かに導かれるようにあるべき姿へと変貌していく。この映画には、そうした要素がほとんど見られない。監督の頭の中に映った光景が現実化されただけ。だから、凝った脚本や設定の割に、まったく心に響かず、よく考えればいろんな矛盾点を抱えてしまっている。僕はこの映画を観ながら、「それで、いつこれは面白くなるのかな」と思い続け、そして終わってしまった。
2014年 8月 「ゴジラ対ヘドラ」
ゴジラ初期数作を見てから、第11作にあたる本作を見たら、あまりのテイストの違いにびっくり。調べると、数十作あるゴジラ作品のうち、突出して変な作品らしい。
 冒頭から女性の歌が流れ、それが、「水銀、コバルト、カドミウム、ナマリ、硫酸、……」と元素名をひとしきり並べ、「汚れちまった海、汚れちまった空」とやけに明るく歌い上げたあと、「か〜え〜せ〜、か〜え〜せ〜、みどりを 青空を か〜え〜せ」と続く。つまりこれは、公害による環境汚染がつづく現状を嘆き、警鐘を鳴らす映画なのだ。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」も下敷きになっているらしい。劇中、たくさんの人が死に、悲惨な姿を晒しもする。奇抜な若者文化を肯定も否定もせず登場させているのも面白い。その意味では、子供向け娯楽作品に寄っていった流れから急展開し、よりアナーキーに初期ゴジラのコンセプトに戻った作品ともいえる。監督は本多猪四郎ではなく、シリーズ中唯一メガホンを取った坂野義光である。とっても変な人なんだろうなと思うが、前述の歌詞を書いたのもこの人だ。製作過程はwikipediaに詳しいが、やはり相当もめたらしい。邦画低迷期で驚くほどの低予算だったようだが、その割には特撮もヘドラの造形も悪くはない。ゴジラの出現が突然でコミカルになっているのは、前数作からの流れだろうか。ゴジラが空を飛ぶのはプロデューサーから絶対駄目だと言われたようだが、監督が押し切った。
 全体として、僕はけっこう気に入った。何度も見たくなる作品ではないけれど。
2014年 8月 「ヌードの夜」
たとえば主人公の紅次郎がピストルを手に入れるために夜の街を徘徊し、そこで二度も手痛い目に遭うシーンのリアルさにしびれる。余貴美子の幸薄い美しさにも、根津甚八の静かな凶悪さにも、映画的魅力が溢れている。竹中直人も抑えた演技ながらときおり弾けたような変顔など見せてくれて楽しい。そしてなにより、映画全体に流れる隠微な雰囲気がたまらない。ラストの展開は「恐怖の足跡」を彷彿とさせる。
2014年 8月 「フォクシー・ブラウン」
パム・グリアという女優さんを初めて見たが、世評どおりの格好良さ。綺麗だとか色気があるというより、カッコいいという表現がしっくりくる。いわゆるブラックスプロイテーション映画の流れをくむ一作で、お話の内容はこの際どうでもよい。最初に彼女が登場するシーンのカメラアングルに拍手。
2014年 8月 「アンデッド・ウェディング 半ゾンビ人間とそのフィアンセ」
しかし世のゾンビブームはどこに端を発したのだろうか。ゾンビ映画も毎年毎月、山のように量産されている。本作はそれでも、半分ゾンビになってしまった花ムコがその周りの人達と繰り広げるドタバタコメディとして、まあ一定の面白さを確保している。ゾンビ映画の99%はクズ、という状況も変わってきたのかもしれない。
2014年 8月 「クロニクル」
POVもの、あるいはファウンド・フッテージものと呼ばれるジャンルの映画で、これはかなり革新的な一作だ。POVとは、カメラの視点が登場人物の視点と一致し、登場人物から見た映像がそのまま作品になるような形式。ファウンド・フッテージとは、撮影されたフィルムが第三者によって発見され公開されたという設定の作品。ホラー映画や疑似ドキュメンタリーでよく用いられる手法である。
 本作では、カメラ好きの主人公が常にカメラを持ち歩き、彼が撮影した映像がそのまま映画となっている。他にも、別の人物の撮影した映像や監視カメラの映像なども用いられ、これはつまり、「既存の映像をつなぎ合わせることで、本当に起きたできごとのように思わせる」効果を担っている。
 本作は超能力を手にした少年達をめぐる物語で、いわばSF映画なのだが、上述の形式のおかげでかなりのリアリティを持った映像に仕上がっている。もちろん演出にも優れており、映画的に大袈裟に見せるのではなく、軽い超常現象をすこしずつ見せていくことで、日常と地続きになった不可思議を体験することになる。これは、ライブで手品を見ているような感覚だ。しかもこの「カメラ好きな少年が自分を撮影する」という形式がそのまま、思春期の少年の過剰な自意識を表現している。これが他の同形式の映画と比べて、本作の傑出しているところだ。
 90分足らずでこれだけの作品が作れるとは驚きだ。低予算で作られた割に、CGも悪くない。なんだかこの監督のただものでなさを強く感じる。
2014年 8月 「ハッスル」
名匠アルドリッジ監督にして、これは失敗作だろうなあ。序盤は骨太なドラマで魅せてくれるが、リズムの悪い展開にイライラが募り、ラストで決定的にずっこける。いろんな要素を表現しようとして、ことごとくうまくいかなかった感じ。
2014年 8月 「ストリート・オブ・ファイヤー」
これはプログラム・ピクチャーの一環なのかなあ。綺麗な姉ちゃんに歌を歌わせ、格好いい兄ちゃんに敵と戦わせ、1時間半を人に費やさせるのが目的、ただそれだけの映画。1980年代に、音楽と映画の融合が新しいものに見えたのが幻想だったと今なら確実に言える。要素をつなぎ合わせるだけで映画はできないことの見本。
2014年 8月 「ワイルド・ギース」
戦争映画はあまり得意ではないが、これはじっくり腰を据えて観ることができた。大統領救出を命じられた大佐が一人ずつ傭兵を雇っていくところは「七人の侍」風、訓練風景は「フルメタル・ジャケット」風で、わくわくする。傭兵一人一人に軽重様々な役割を持たせ、重層的なドラマを紡ぎ上げている。最後に飛行機で逃げ出すシーン、レイファー大尉の姿には誰もが涙することだろう。この人、ハリー・ポッターの初代ダンブルドア校長を演じたリチャード・ハリスだったんですね! 若いなあ。
 大傑作というにはやや弱い気もするが、観たあとで充実感を味わえる一本。
2014年 8月 「はじまりのみち」
クレヨンしんちゃん映画において、大人も感動できる名作と謳われる「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」と「アッパレ!戦国大合戦」を撮った原恵一監督の、初めての実写作品。僕は上記のうち特に「アッパレ戦国大合戦」が大好きだし、「カラフル」も好きなので、期待して観た。
 本作は、映画監督、木下恵介氏の半生をドラマ化したもの。監督デビュー後に会社と揉め、辞表を提出して郷里に戻った木下が、病身の母親を疎開先までリヤカーで運ぶ一夜を中心に物語が展開する。劇中で木下監督の代表作の映像が、かなり長い時間に渡ってそのまま使われており、これがけっこう物議を醸したようだ。確かに僕も、とくにラストにおいては長すぎるかもと思ったが、最後の最後でちょっとしたオチがついたりするので、これもアリかな、という感じ。
 役者陣では、便利屋を演じた濱田岳、母親を演じた田中裕子が共に素晴らしく、どちらも泣かせてくれる。濱田岳は、人間の機微を思わせるキャラクター造形が秀逸だし、田中裕子においては、宿屋にたどり着いた時、息子(木下監督)に顔を拭いてもらっている時の表情にしびれる。
 いっぽう、主役の加瀬亮は、どの映画を観ても、“あと一歩”感が否めない。ユースケ・サンタマリアもしかり。
2014年 8月 「サスペリア」
「決して一人では見ないでください」のコピーも懐かしい、ダリオ・アルジェント最大のヒット作。昔はテレビで流れるCMが怖くて、それでも見たくて仕方がなかった。いま改めて見てみると、以前に続けて見た「歓びの毒牙」や「シャドー」に比べて、(超常現象を扱うか否かの違いはあるものの)まとまりが良い作品だとは言える。アルジェントの作品は何より、ホラーの雰囲気を出すのが巧いのだ。見ている間はその世界に引き込まれて、しらけることがない。ショックシーンの見せ方も上手だから、ホラーとしての評価はいや増すことになる。
2014年 8月 「ジャッキー・ブラウン」
タランティーノの描くだらだらとした会話シーンは、僕は大好きなので全く苦にならない。ロバート・デ・ニーロがあんな冴えない男の役なのも面白いと思う。ブリジット・フォンダの得体の知れないかわいさ(しかしこの人は年をとっても不思議に綺麗だ)も悪くない。ただ肝心のパム・グリアが、「フォクシー・ブラウン」でもそうだったが、セクシーなシーンを見せるのに戸惑いがあるのか、どうも今ひとつ乗り切れていないのだ。さらに、ストーリーに意外性はなく、後半のハラハラや時間を巻き戻して何度も見せる手法も、ありきたりで面白みがない。タランティーノ作品にしては地味な映画だなあと思うが、僕は何か見落としているのだろうか。
  
2014年 7月 「狼たちの午後」
アメリカ・ニューシネマの王道ともいうべき作品。実にへんてこな銀行強盗ものである。
 「狼たちの午後」というタイトルで主演がアル・パチーノとくれば、非道な犯罪者が冷徹に仕事をこなすイメージを浮かべてしまうが、実態はまるで逆だ。アルの演じるソニーという男、とことん頭が悪くて無計画でお調子者で仕事ができない。同時に人情味もあるので、人質の言うことをいちいち聞いてやったりする。その場に呑まれやすく、人質たちと談笑しながらくつろいだり、緊張感はまるでない。警察との交渉がはじまり、テレビ報道もされるなかで、ソニーは何故かヒーローに祭り上げられていく。その御輿に乗せられていい気になり、自分が何をしているのか、この先どうすればいいのか、だんだんわからなくなっていく。
 いっぽうソニーには相棒がいて、これがゴッドファーザーでも出来損ないの兄フレドを演じたジョン・カザールだ。寡黙で何を考えているかわからず、彼一人が危険なムードを漂わせたままドラマは進む。そして訪れる、突然の幕引き。これぞニューシネマですよ。事前の予想とはまったく違う映画だったが、こんなに面白い作品だったとは!
2014年 7月 「上流社会」
ビング・クロスビーとフランク・シナトラとルイ・アームストロングとグレース・ケリーが出ているミュージカルという、ただそれだけに意味のある映画。上流社会の醜さを描くわけでもなく、歌がそれほど魅力的だという訳でもない。ストーリーはそれこそ無茶苦茶で、とても面白いと誰かに勧められる作品ではない。グレース・ケリーは本作を最後に女優を引退し、モナコ公妃となる。映画がヒットしたのはそうした話題性からだとしか思えない。
2014年 7月 「歓びの毒牙」
「サスペリア」などのホラー映画で有名な、ダリオ・アルジェントの監督デビュー作。普通に面白い映画だと思います。映像のキレ、雰囲気づくりなど、既に監督として立派な仕事をしていて、その後の活躍を予感させる出来です。ホラーというよりサスペンス映画で、きっちり理に落ちるところが真面目すぎて面白みには欠けますが、見て損はない作品でしょう。
2014年 7月 「オールド・ボーイ」
2003年の韓国製同名映画のリメイク。ちなみに元々の原作は、日本の漫画だ。20年間、謎の監禁をされ、殺人事件の濡れ衣を着せられた挙げ句、突然解放された男。彼が自分を監禁した犯人を捜し歩く物語。

最初からずっと、ストーリーを追いかけるような、なんだか説明的な映像が続いていく。最後の大オチには確かに衝撃を受けたが、特筆すべきはそこくらいかな。ジョシュ・ブローリンの演技は渋くていいけれど、悪役は明らかにミスキャスト。アクションシーンも馬鹿馬鹿しくて乗れない。コントか、と言いたくなるシーンがいくつかあった。韓国版を見ていないので、そちらに期待しよう。
2014年 7月 「ワールド・ウォーZ」
ウィルス原因系、全力疾走系、チャカチャカ凄く映像系、のゾンビもの。しかしいつからこんなゾンビブームになったのだろう。ジョージ・A・ロメロのゾンビが大好きだから、というだけでもなく、僕にはあまり楽しめなかった。有名な”壁超え”シーンは斬新な映像だったけれど、他に特筆できる要素が何もない。恐怖もユーモアもアイデアもなく、最後のオチは「インディペンデンス・デイ」かと思ってしまった。
2014年 7月 「シャドー」
歓びの毒牙」と続けて見たら、なんだか同じような印象を受けた。超自然現象は起こらず、生身の人間が起こすサスペンス。アルジェントらしい鮮血演出は見られるものの、ややおとなしめの感じ。というか続けて見たから飽きたのかも。探偵役でマカロニウェスタンの雄、ジュリアーノ・ジェンマが出演している。
2014年 7月 「潮風のいたずら」
決して傑作とは言い難いものの、見終わった時、爽やかで優しい気持ちに浸れる佳作。とにかくゴールディ・ホーンのキュートさがたまらない。この時、すでに42歳でこの魅力。ゴールディは他に「バタフライはフリー」という傑作がお勧め。
2014年 7月 「喜びも悲しみも幾歳月」
実は高峰秀子さんのことはそれほど好きではなかった。若い時でもなんだかおばさんめいているし、知性や清楚さよりも神経質で小うるさい女性というイメージがあった。この映画でも印象はまったくその通りなのだが、それが魅力的に思えるほど圧巻の演技だった。
 木下恵介作品を見るのは、「カルメン故郷に帰る」に続いて2作目。「カルメン〜」については喜劇タッチにあまり乗れなかった。名作、名監督と謳われていても実際は評判倒れのこともあるので、懐疑的に見始めた。序盤、藤井さんという知人がやってきて騒動を起こすあたりまでは、やや説教めいた押しつけがましさを感じたものの、それ以降は総じて抑えめの演出で非常に見応えがあった。
 灯台守として日本各地を転々と移動する夫婦の生活が描かれる。各地での短いエピソードをつないでいく形式なので、「切れ切れの感じでドラマ性に乏しい」という意見もあるようだが、まったくそんなことはない。そもそもお話というのは短いエピソードの連続であり、それをくりかえし見ていくことで、この夫婦の人生のありようが見えてくる。
 これはやはり傑作だ。とにかく細かいところの演出が素晴らしい。北海道で、同僚の奥さんが病気になり、馬引きのソリに乗せて町へ行くシーン。馬車が途中でとまり、また引き返していくだけで悲しみが表現される。また、息子が暴漢に刺されても仕事をこなしてから駆けつける夫を、高峰秀子が迎えるシーン。なじって嘆く前にちょんとおなかのあたりを突く。これもたまらない。
 夫婦はもちろん完全な人間ではない。それでも二人は互いの長所も短所も認め合い、二人で生活をしていく。生きるとはこういうことなんだという人間賛歌。ラストで灯台から霧笛を鳴らすシーンで、新婚旅行に旅立つ娘夫婦を双眼鏡で覗くのだが、少しでも近づこうと身を乗り出すあの体勢! 二人のこれまでの人生、これから先のいく末を思って、涙がじんわり溢れてくる。
2014年 7月 「ロシュフォールの恋人たち」
カトリーヌ・ドヌーヴはいつもふてくされた顔つきで、あまり好きな女優ではない。本作は実姉であるフランソワーズ・ドルレアックとの唯一の共演作で、「シェルブールの雨傘」を撮ったジャック・ドゥミ監督が、アメリカから御大ジーン・ケリーやジョージ・チャキリスを呼び寄せて作ったミュージカル。そのチャキリスが出演しているせいか、出だしは「ウェストサイド物語」風で悪くはない。ただ、ドラマの作り方がもたもたしているので、見ているほうとしてはイライラが募るばかり。踊りを前面に押し出している割には、本当に巧いのはジーン・ケリーだけで、あとは群舞でごまかしている。本作を好きな人がいるのはわかるが、僕はあまり乗れなかった。ドゥミ監督はこのあと「ベルサイユのばら」を撮り、ほぼ映画界から消え去った。
2014年 7月 「ゴジラ」
もちろん子供時代からよく知ってはいるけれど、僕はどちらかと言えばガメラ派だったため、映画はもちろん、テレビ放映でさえゴジラはほとんど見たことがなかった。ゴジラ世代と言えば僕よりもう少し上の人たちだというのもある。今回、初回作を初めて見たのだが、特撮の迫力にもドラマ作りの巧さにも、そしてメッセージ性の強さにも、心底驚かされた。確かにこれは高い完成度の、世界に誇れる一作だ。丘の向こうに初めてゴジラが顔を見せる迫力といったら! 
 ストレート過ぎるとも思える反戦、反核メッセージは、終戦10年ほどのこの時代には強烈で勇気のいる行為だったろう。事実、数年たって再撮影・再編集されてアメリカ公開された「怪獣王ゴジラ」では、こうしたメッセージ性が徹底して排除されている。
 何も知らずに見たら、この映画の重さ・暗さに戸惑うだろう。単なる怪獣映画ではもちろんないのだ。
2014年 7月 「オールド・ボーイ」
先日劇場で観たスパイク・リー版に触発され、やはり本家のこちら、パク・チャヌク版をDVDレンタルしてきた。これを見ると、スパイク・リー版が、オリジナルの要素をきっちりと踏まえつつ、独自のアイデアを追加して出来た作品であることがわかる。なので、評価できる部分と評価できない部分も、二作でほぼ共通している。

 まずはそもそも、そんな理由でここまでのことをするかね、という疑問。それから、スパイク・リー版でかなり忠実に再現されていた名高いアクションシーン(ゲームの横スクロールを模した一人対大人数の格闘)も、僕にはあまり評価できない。大人数をなぎ倒すところで、昔のヒーローものと全く同じ、「大人数側が、”ちゃんと”やられるために、順番を待っている」状況が見えるのだ。本気でやったらほぼ一瞬で主人公が殺されるように”見えて”しまうところに、このシーンの決定的な駄目さがある。これならまだ「アウトロー」のトム・クルーズのほうがリアリティがある。
 ものを食べるシーンがあれだけ嫌な感じで描かれる理由もよくわからない。この二作を見たあと、少なくとも餃子を食べる気は失せる。

 スパイク・リー版よりも本作のほうがおおむね評価が高いようだが、こちらにも疵はある。なぜだかときおりはさまれるギャグ描写にセンスも前後のつながりもなく、収まりが悪い。主人公については、僕は本作のチェ・ミンシクよりも、スパイク・リー版のジョシュ・ブローリンのほうを買う。いっぽう、悪役の存在感は本作のほうが段違いに上だ。若いのに得体の知れない人物像が素晴らしかった。グロ描写も本作のほうがきつめで痛々しい。特に最後の展開での、あの”音”はかなりキツい。
 二作の最も大きな違いはラストだ。(以下、ややネタばれ)スパイク・リー版がかなりはっきりとしたバッドエンドだったのに対し、こちらはやや救いがあるとも取れる終わり方になっている。これについてはどちらがいいとも言えないのは、そもそもこの物語の動機部分に懐疑的だからだ。
2014年 7月 「エレファント」
見終わったあとに大きく息を吐き、緊張感を解放した。気づいたらわけのわからない場所にいた、そんな気分。不思議な映画体験だったが、後味は悪くない。
 1999年にアメリカで起きた、コロンバイン高校での銃乱射事件を元に作られた作品だ。本作は、説明や謎解きをおこなうわけではなく、ただ淡々と若者たちの日常を見せていく。だから、これを見ても、なぜ事件が起きたのかはわからない。それをどう感じるかは、見るものに委ねられている。
 僕が本作を見終えてまず思ったことは、日常に潜む病理、人と人との関係の薄気味悪さ、それから、同じことを経験しているようで感じ方は人それぞれ全く異なるということ。それらが、もやもやとした固まりになって僕の中に残った。どこがいいのか説明しづらいのだが、傑作であることに異存はない。
 邦画において僕が昨年大きな感銘を受けた作品、「桐島、部活やめるってよ」の吉田大八監督が、本作を参考にしたと語っている。確かに、時間軸を操作しながら複数の人間を繰り返し描く手法はそのままだともいえる。ただ、似ている映画では決してなく、どちらもが独立して素晴らしい。
2014年 7月 「愛情物語」
実在したピアニスト、エディ・デューチンの半生を描いた作品。これは誰もが楽しめて感動できる、古き良き映画の一つだろう。明るいキャラクターのエディが次々に不幸な運命に見舞われていき、その分岐点ごとに道に迷ったりしながらも気丈に生き抜いていく。
 僕が心底驚いたのは、子役の演技だ。どうやってこんな自然な演出をしたのかさっぱりわからないくらいで、子役はこの映画の中で本当にその役として生きているとしか思えない。エディの息子、ピーターがお父さんと一日外出したあと、戸惑いながら別れの挨拶をするシーンや、最後にピアノで一緒に演奏するシーン。さらには、兵役に出たエディが現地の子供にピアノを教えるシーンなど、子供がらみの名シーンが続出する。
 エディ役を演じたタイロン・パワーは、この映画のためにピアノを一から勉強し、演奏そのものは吹き替えだが、それとわからないほどの指遣いを披露していて、こうした細かい努力が映画に命を与えている。彼は、この翌年に公開されたビリー・ワイルダーの「情婦」(こちらもまた大傑作!)にも出演し、こちらのほうが有名だろう。ちなみに、エディが41歳という若さで亡くなるのと同じく、タイロン・パワーも、この映画の公開後2年ほどで、44歳にて亡くなっている。
 絵づくりにも神経がそそがれていて、シネラマスコープの横長画面がいかに効果的に使われているか、じっくり見てみるとよくわかる。丁寧に作られた映画だと思う。これは万人にお勧めしたい作品だ。
2014年 7月 「摩天楼を夢みて」
90年代に、こんなに渋い傑作があったとは驚き。出演俳優を並べてみれば、アル・パチーノ、ジャック・レモン、アレック・ボールドウィン、エド・ハリス、アラン・アーキン、ケヴィン・スペーシー、など豪華絢爛、しかもそれぞれがまたいい演技なのだ。枯れかけたアル・パチーノもさすがと唸らされるが、完全に枯れて年老いたジャック・レモンも味わいたっぷり。改めて彼が名優であると感じる。ケヴィン・スペーシーはまだ駆け出しの頃だが、後の活躍を予感させるに十分なほど既に”ケヴィン・スペーシー”である。
 いただけないのは、邦題だ。デート映画で客寄せをしようという魂胆が見え見えだが、素敵な恋愛ものを期待してみると、とんでもなく辛(から)い映画を観るはめになる。不動産の営業マン達が厳しい現実の中でいかに策を弄するか、その結果がどういうものになるか。ジャック・レモンが主役で善玉、アル・パチーノが悪玉という図式が最後にどうなるか。いやあ、それにしても辛辣だ。
2014年 7月 「パリ猫ディノの夜」
おしゃれなオープニングはいい雰囲気だったが、敵側のスパイ役、それからボスの造形がイマイチなので、やや締まりのない作品となった。猫と少女の描かれ方は悪くない。劇場でみれば、パリの街の美しさもよく実感できるだろう。見て損はない映画。
2014年 7月 「キングコング対ゴジラ」
シリーズ3作目にして、1作目のシリアス路線から既にはずれ、コメディを前面に押し出した作品となっている。しかも、アメリカのキングコングを登場させ、版権や設定変更などを積み重ねて出来上がっており、苦労のほどがしのばれる。テレビやスポンサーに対する批判が本作のテーマなのだろうが、有島一郎扮する部長のキャラが強すぎて、どうにも中途半端。評価する声もあるようだが、僕はあまり楽しめなかった。それでも当時はかなりヒットしたようで、この後の作品群につながっていくのだろう。
2014年 7月 「パララックス・ビュー」
ラジオで大槻ケンヂ氏がぼんやりと紹介されていたので、観た。途中で流される洗脳ビデオのような映像が、無駄に長くて強烈。「時計じかけのオレンジ」を思わせる。そうしたちょっと変な演出が随所に挟まれているものの、思ったほどトンデモ映画でもなく、サスペンスものとして普通に楽しめる。
2014年 7月 「グッドフェローズ」
スコセッシ監督の代表作、かつ一番人気の作品と言われる。確かに面白いが、なぜか今ひとつ乗り切れなかった。ロバート・デ・ニーロの悪役がさすがに食傷気味というのもあるけれど、「ゴッドファーザー」が大好きな僕にとっては、本作のポップな作風が合わなかったというところか。
 この監督は本当に、駄目人間を駄目に描くのが巧い。主となる3人、ヘンリー、ジミー、トミー共に、正真正銘のクズ人間で、人情味など持ち合わせてもいない。しかし、「レイジング・ブル」でもそうだったが、こういう人間って確かにいるんだという圧倒的な存在感がある。
 ところで、マフィアやヤクザもの映画を観ているといつも、“困ったチャン”はもっと早めに切っておけばいいのに、と思う。本作ならまずはトミー。彼は3回くらいミスを犯してようやく“処分”される。ヘンリーだってどんどん使えない奴になっていくのに、なんだか周囲は黙って見ているだけだ。この辺にリアリティが感じられないとも思うが、実際はこんな感じなのかもしれない。
2014年 7月 「夏の終り」
50年ほど前に書かれた瀬戸内寂聴さん原作の小説を映画化。僕、瀬戸内寂聴さんって、僭越ながらあまりいい印象がないのです。テレビで何か話をしているのを拝見するたび、年齢の割にたいしたことを言わない人だなあ、と思ってしまうのです。小説は読んだことはありません。この映画については、時間軸を自由に操作したりなど技巧に凝っている割に、なんにも伝わってきません。ストーリーからして魅力がない。いや、唯一感心したのは、満島ひかり演じる知子が、一心に染め物の仕事に打ち込む姿。これは紛れもなく美しい。
 ところで熊切和嘉監督といえば、僕にとっては「鬼畜大宴会」の人である。昔、レンタルVHSで普通に借りて見たら、人間としてどこまでグロい描写に耐えられるかのテストをされているようだった。「オールナイトロング」の初期三部作と共に、いまだ僕のトラウマ映画である。
2014年 7月 「パシフィック・リム」
うわー、これは劇場で観たかった! ちょうど今、2014年8月2〜3日に名古屋で4DX上映をやっているが、ちょっと間に合わない。でもまたどこかでやっていたら、是非観たい!
 ギレルモ・デル・トロ監督については、「パンズ・ラビリンス」にも「ヘルボーイ」2作にもあまりいい印象は持てなかった。雰囲気はいいけれど映画の骨が通っていない感じ。でも本作は違う。もちろん細かい突っ込みどころはある。記憶をシンクロさせる設定にしても、そもそも必要性が今ひとつ理解できないし、それに伴って起こる問題ももっとたくさんあるだろう。パイロットが菊池凛子演じるマコに決まる展開も強引で納得できず。
 しかししかし、いったん戦闘が始まってしまえばもう、戦闘メカのギミックにひたすら酔いしれる。ウィーンガチャ、ウィーンガチャ、と音が鳴るたび、心も高鳴る。欠点としてあげた二人のパイロットがシンクロする設定も、ドラマ性を深める上で長所ともなる。監督は、日本の特撮ものやアニメに心酔してこれを撮ったらしいが、その心意気を強く感じる。とにかく面白い。心に響くというようなものではないが、観ている間は少なくとも幸せにしてくれる映画だ。
2014年 7月 「モスラ対ゴジラ」
国内製作では、「キングコング対ゴジラ」に続く第4作。今回は、資本主義世界における人間のエゴをテーマとしており、前作よりはシリアスさが戻ってきているものの、どうも藤木悠あたりが出てくるところでコメディ色が立ってしまう。
 しかし特撮についてはこの時代だと考えなくてもなかなかに凄い。シーンごとの迫力が素晴らしく、しらけてしまうような稚拙さは見当たらない。この技術力は日本の誇りだろう。
 タイトルは、「ゴジラ対モスラ」ではなく「モスラ対ゴジラ」なのか。モスラはこの前にもう一本、まさに「モスラ」という映画があったことを初めて知った。
  
2014年 6月 「それでも恋するバルセロナ」
ウディ・アレンの地名シリーズ、この後に続く「恋のロンドン超特急」「ミッドナイト・イン・パリ」「ローマでアモーレ」あたりに比べると、弱い感じ。二人の女性のうち、真面目で身持ちの固いほうが先に口説かれてしまう展開は面白そうかなと思ったが、ペネロペ・クルスがやってきてなんだか物語が壊れてしまい、いつものウディ・アレンのいじわるで皮肉な感じがあまり出て来なかった。それにしてもハビエル・バルデムの存在感はすごいし、役柄ごとに印象ががらりと変わるのは見事。この前年に「ノー・カントリー」で非情な殺人鬼を演じ、今回はプレイボーイ。とりわけ格好いいというほどでもないのに、全身からみなぎる男のセクシーさがただ者ではない。
2014年 6月 「泥棒成金」
実はヒッチコック作品にあまりいい印象を持っていなくて、面白いことは面白いけれど、どこか一つネジが抜けてるなあと思う作品が多い。ケーリー・グラントの持つ、品が良くてスマートで格好いいのに、映画の中で浮いてしまっている印象にも通じるのかもしれない。本作はまた、グレース・ケリーがあまり綺麗に映っておらず、魅力に欠ける。謎解きもサスペンスも中途半端。
2014年 6月 「死霊のはらわた[2013年版]」
序盤はかなりいい感じで、これは傑作かもと予感した。僕はオリジナルの1981年サム・ライミ版が大好きで、これまでに数え切れないくらい観ている。本作はそのサム・ライミ監督や主演俳優も制作に加わっているので、大丈夫かもという思いもあった。実際、オープニングでの蠅の音(オリジナル版での特色)は必須だと思っていたらちゃんと入っていたし、現代風にリメイクする意味として、邪悪な者に憑依されて恐ろしい姿になり変わる様を、ドラッグ中毒の禁断症状になぞらえていたのは秀逸だと思った。
 が、それも半分まで。そもそも僕の思うホラー映画のキモは、「溜め」と「発散」がきっちり出来ているかという点だ。「静」と「動」と言い換えてもよいが、不穏な空気を十分に温めて、それがふっと無くなって気が抜けた瞬間に大きな恐怖が挿入される。これがホラーのカタルシスだ。オリジナル版は本当にそれが素晴らしくて、面白さの土台を支えていた。本作ではそこのセンスが決定的に欠けており、ゴア描写にCGを使わないこだわりは評価したいのだが、痛いばかりで面白みに欠ける。最後にはストーリーさえ破綻してしまった。リメイクとしては失敗だ。とはいえ、成功しているリメイク作のほうが珍しいのだけれど。
2014年 6月 「ヒッチコック」
ヒッチコック作品「サイコ」制作の舞台裏を描く。つい先日の「ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女」と本作、ヒッチコックにまつわる映画を続けて観たが、どうも彼を描いた作品は、テーマが散逸になりがちな気がする。ヒッチコックの人柄の奇妙さ、彼と女優、彼と側近、彼と妻、それぞれの確執など、いくつも映画に詰め込まれるのだけれど結実しない。それほど底の知れない人物だったというところで納得するしかないのか。
2014年 6月 「フラッシュ・ゴードン」
トンデモ映画として名高い本作、そう思って限りなくハードルを低くして見たところ、「意外にちゃんとしているじゃん!」という感想になりました。クイーンの音楽や限りなくチープなセットや特撮の数々は、馬鹿馬鹿しくもほほえましく、いろんな要素を詰め込んでいくあたりにはそれなりのアイデアも散見されて、そこそこの志はある映画じゃなかろうか。いっそのこと、もっとエロの要素を突き抜けてくれれば更にカルトな名声も高まったかと思うのだが、そちらは”ちゃんとした”パロディ作「フレッシュ・ゴードン」に任せるということで。
2014年 6月 「スペースボール」
メル・ブルックス監督作は、傑作「ヤング・フランケンシュタイン」以外は駄作だという刷り込みがあったので、期待せずに見たら、意外に悪くない。「スター・ウォーズ」のパロディだが、完全にストーリーをなぞらえるのではなく、そこそこ練られた脚本があり、特撮に至ってはなんと「スター・ウォーズ」のスタッフが手がけている! 道理で宇宙空間や銃撃戦が普通に迫力ある映像になっていたわけだ。ライトサーベルの戦闘も「スター・ウォーズ」そのままである。
 ただ、パロディとしては決定的に弱くて、しかもあまり笑えない。元ネタは他にも「猿の惑星」や「エイリアン」など多数あるが、もうちょっと別の展開があっただろうという気がして勿体ない。
2014年 6月 「ノッティングヒルの恋人」
それほど期待せずに観たら、意外にしっかりした映画だった。この映画、好きですよ僕。
 まず、抑えた演出がいい。ヒュー・グラントの店に初めてジュリア・ロバーツが来て、明らかに戸惑っているのだけれど大げさな演技は見せない。なのに、別の男が気軽にサインを求めているのを見たグラントから、「ああ、俺もこいつのようにサインをねだったりしたい。なのにできない俺ってなんて気弱な野郎なんだ」と悔やむ心情が見事に伝わってくる。さらには、グラントの友人との交流シーンでも、「仕事で失敗した」と言いながら入ってくる友人がその場でまさに致命的なミスを犯し、その性格を印象づけるくだりはとても魅力的だし、「一番不幸な人選びゲーム」でお互いを紹介しあい、さらにジュリア・ロバーツの秘めた心情さえ見事に描いてみせるのも素晴らしい。
 そして何より、ジュリア・ロバーツの圧倒的な魅力。この映画での彼女の可憐さはただごとではない。そして、そういう風に見せる演出側の手腕も冴え渡っている。
 他愛のない恋愛映画だし、リアリティのかけらもないし、そもそもこの二人、絶対に幸せにはなれなさそうではある。けれど、観ている間だけでも確実に幸せな気持ちになれるし、映画ってそもそもその程度のモノなんではないかと思わされてしまう。
2014年 6月 「舞踏会の手帖」
1937年に、ここまで完成された作品が作られていたという衝撃。
 36歳で夫を亡くしたクリスティーヌは、輝いていた過去の自分を取り戻すため、少女時代に舞踏会で踊った相手を一人ずつ訪ね歩く。この構成は、いま小説界で流行の連作短篇集に相当する作りで、出会う相手一人につき20分程度のドラマが並べてある。このドラマの一つ一つが驚くほどしっかりと作り込まれており、それぞれが独立した映画として成立する。尽きることのないアイデア、また、それを現実化する作り手たちには、感服するばかりだ。物語とは結局、虚構の世界を見る者の前に創り出すことであり、その意味でこの映画では、手に取れるほどリアルな世界が僕らの前に現出する。
 最後をまとめるオチも、気が利いている。映画とは美しい夢なのだ。
2014年 6月 「死霊のはらわた2」
大好きだった作品の続編、というかリブート作。前作で主演だったアッシュ(俳優も同じブルース・キャンベル)が、別の人物として登場します。それでも行く先はやはりあの山荘で、同じような事件が起こります。ただ、前作とは予算が違うのか、まったくテイストの違う作品になっています。前作ではアイデアを凝らした特撮の出来が素晴らしかったのですが、今回はさらに予算が少なくなったのか、かなりチープなものとなっています。それをごまかすためか、妙にお笑い方向に重点が移り、本当にチープな映画に成り果ててしまいました。なんで同じサム・ライミ監督がこれを撮らねばならなかったのか、理解に苦しみます。
  
2014年 5月 「デッドコースター」
人気作「ファイナル・デスティネーション」の続編。このシリーズ、単純に「ファイナル・デスティネーション2」とかにすればいいのに、邦題はなぜか(似ているとはいえ)独立したタイトルになっていてわかりづらい。
前作同様、事故を予知し死を免れた人間達が、別の方法で順番に死んでいく。前作の生き残りキャラも登場し、人が死ぬたびにミスリードを繰り返してじらせる手も同じ。前作が気に入ったので見たが、まあこんなものかという感じ。こういうジャンル映画なので、「人の死を冒涜している」という感想は的はずれというもの。
2014年 5月 「アニー・ホール」
ウディ・アレンの映画をあまり見ずにきたので、いま頑張って見られるものは逃さず見ている。本作は、彼の代表作の一本。おしゃれな恋愛映画を予想していたら、変てこ映画だった。それでも楽しい。登場人物が急にカメラのほうを向いて、映画を観ている我々に話しかけたりなど、メタ的要素も満載。挑戦的な映画づくりにも好感が持てる。
2014年 5月 「やがて哀しき復讐者」
香港映画は実は得意でなくてあまり見ていなかったりするのだが、ジョニー・トーだけは別。彼の映画は、テレビでやっていれば必ず見る。本作は監督ではなく製作なのだが、やはり一定の面白さは保証してもらえる。主人公が完全ないい人ではなく、むしろ悪人だというのも、ラストのもうひとひねりのために効いていてお見事。最初と最後に出てくる、ウユニ塩湖のCGがイマイチなのが惜しい。
2014年 5月 「ローマでアモーレ」
ウディ・アレン面白いよ〜。とくに近年の、いじわる度全開の諸作(「恋のロンドン超特急」など)はかなりのお気に入り。自分をとことん卑小な人間として描くのもウディ・アレン、器は大きいのかもしかして? 群像劇としてよく出来ているし、建築家を演じるアレック・ボールドウィンがややメタ的に他のキャラにちょっかいを出すのも面白い。シャワーの時しかうまく歌えないお父さんの展開には声を出して笑った。もちろんペネロペ・クルスの肢体を見るだけでも楽しい。
2014年 5月 「仁義なき戦い 完結篇」
「仁義なき戦い」シリーズをこの年になるまで一本も見ず、試しに一作目を見てみたらまあ面白くて、全部通して見ることになった。ストーリーとしてはつっこみどころ満載なので、3作目くらいからはどうでもよくなる。昔の俳優さんは存在感が凄まじいなあと感心し、彼らの演技合戦に見惚れればそれでよい。
2014年 5月 「ハングオーバー!!!最後の反省会」
シリーズ3作目。1作目も2作目も、けっきょく謎が解けてみるとなんということはないので、二度見るにはきびしい。今回はお決まりのパターンを変え、普通の冒険ものになっている感じ。
2014年 5月 「奪命金」
ジョニー・トー監督作なので、見ないわけにはいかない。ストーリーが真新しいということもないのに、一つ一つのシーンの展開がオリジナリティに溢れていて、どうしてこう面白く作れるのか不思議になる。日本の井筒監督あたりとはセンスも技術もまったくレベルが違うのだ。

人情あふれるヤクザのキャラクターは、映画史に残るかというくらい魅力的だ。時間操作もこうやれば面白くなるという見本。ただ、本作においては、最後の展開が尻すぼみに感じて、評価としてはあまり高くない結果となった。
2014年 5月 「黄金の七人」
「ルパン三世」の元ネタとして名高い本作、初見。なんというか、面白い映画というのは冒頭からその雰囲気が溢れているもので、フィリップ・ルロワ演じる”教授”とロッサナ・ポデスタ演じる女が車に乗っているだけでもう、わくわく感たっぷり。地下から金塊を盗み出す手口は、なるほどと思わせる緻密なところと、そんなアホなと思わせる突飛な展開がないまぜとなり、確かにこれはルパンの世界だ、と納得しきり。
2014年 5月 「死刑執行人もまた死す」
戦時中に作られたのは、反ナチ宣伝映画であるためだが、それ以上に映画の出来が完璧。この重厚なドラマをエンタテインメントに仕立て上げた巨匠フリッツ・ラングの手腕の鮮やかさよ! サスペンスとしても人間劇としても超一流、そして戦争の持つ悲劇性も忘れず、単純な勧善懲悪に終わらせない。しかも、事件が終了して「あの人」が犯人として処されるとき、それを観る我々の快哉の心情がそのまま、戦争を引き起こす人間の心の闇をも表現していることを悟り、愕然と立ちつくすのだ。
2014年 5月 「ファイナル・デッドコースター」
死刑執行人もまた死す」からの続きだと、こうした映画の感想を書くのが馬鹿らしくなってしまう……。

シリーズ3作目。相変わらずの素直じゃない邦題は置いておくとして、今回の舞台は遊園地のジェットコースター。フォーマットとしては前作と同様だが、写真にヒントが写っているという点で新しさを強調している、らしい。
2014年 5月 「オンリー・ユー」
なんでこれを観たかというと、ただただマリサ・トメイを観たかっただけ。若かりし頃はとてもチャーミングで、年を重ねた近年もまたいい味を出せる貴重な女優として活躍している。年をとってからのほうがヌードになる頻度が高いという、不思議な女優さん。

1993年の「忘れられない人」ではすごく魅力的だったのに、1年後に作られた本作の彼女はそれほどでもなかった。話の筋は紹介するほどもない、馬鹿馬鹿しい映画。
2014年 5月 「真昼の死闘」
ドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドのコンビという鉄板映画だが、それ以上に目立つのがシャーリー・マクレーンの怪演だった。イーストウッドが完全に彼女に喰われているのがおかしい。西部劇というよりロードムービーという色合いが強く、西部劇苦手な僕なんかでも楽しく観られる。派手な撃ち合いこそ少ないが、いろんなどんでん返しを含め、練られた脚本には唸らされる。名人芸。
2014年 5月 「人喰いアメーバの恐怖」
名優スティーブ・マックイーン無名時代の出演作。原題は「The blob」で、後に「ブロブ/宇宙からの不明物体」としてリメイクされ、映画の出来としてはそちらのほうが数段上であろう。1950年代に作られた作品としてはよくできているのかもしれないし、謎の粘液生物ブロブの描き方も、可愛いといえば可愛いのかもしれない。
2014年 5月 「ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女」
ヒッチコック映画のヒロイン女優ティッピ・ヘドレンが、いかにヒッチコックに愛され、いたぶられていたのかを描いた作品。テレビ映画として制作されたらしい。明らかに異常者であり、得体の知れない人物であるヒッチコックを、トビー・ジョーンズが素晴らしい演技で見せてくれます。彼に愛されるティッピに扮するシエナ・ミラーも、いたぶられながら彼の元を去らない女優を見事に演じています。
2014年 5月 「フェリーニのローマ」
フェリーニ作品は、「道」は最高に好きな映画なのだがあとはよくわからない、というのが正直なところ。ただ、こうした作品は考えて見てもしかたがない。ローマという街のいかがわしさを味わえればそれでよいのだと思う。昔のローマのカフェや映画館の描写が素晴らしい。
2014年 5月 「ゾンゲリア」
昔はホラー映画大好きでそればっかり見ていた時期があった。本作は30年以上前の映画で、当時見た時もかなりインパクトはあって楽しめたが、いま見てもなかなかのものだった。ゴシック調の雰囲気ただよう映像は耽美的で綺麗だし、ときおり思い出したように挿入されるグロ描写とのバランスは悪いものの、ジャンル映画としてくくられるのがもったいないと思わせるほど。
2014年 5月 「続・黄金の七人/レインボー作戦」
前作の銀行強盗から、続編の本作はどーんとスケールアップして、なんと国家間の陰謀作戦に発展した。そのぶん話の明快さやコメディとサスペンスのバランスがぼやけてしまった。途中の展開も、ドタバタしているだけで、何が起こっているのかよくわからない。ロッサナ・ポデスタのお色気度が増したのだけが救いか。
  
2014年 4月 「スプリング・ブレイカーズ」
2014年 4月 「アーミッシュ〜禁欲教徒が快楽を試す時〜」
2014年 4月 「横道世之介」
2014年 4月 「ファイナル・デッドサーキット」
2014年 4月 「パルプ・フィクション」
2014年 4月 「夕陽のガンマン」
2014年 4月 「セデック・バレ 第一部:太陽旗」
2014年 4月 「セデック・バレ 第二部:虹の橋」
2014年 4月 「ゾンビ・ブライド」
2014年 4月 「バグダッド・カフェ」
2014年 4月 「劇場版チェブラーシカ 特別版」
2014年 4月 「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」
2014年 4月 「仁義なき戦い 代理戦争」
2014年 4月 「映画と恋とウディ・アレン」
2014年 4月 「デス・プルーフ in グラインドハウス」
2014年 4月 「仁義なき戦い 頂上作戦」
2014年 4月 「クロユリ団地」
  
2014年 3月 「ピアニスト」
2014年 3月 「シュガーマン 奇跡に愛された男」
2014年 3月 「愛、アムール」
2014年 3月 「ゼロ・ダーク・サーティ」
2014年 3月 「卒業」
2014年 3月 「世界にひとつのプレイブック」
2014年 3月 「そして父になる」
2014年 3月 「21ジャンプストリート」
2014年 3月 「ウディ・アレンの夢と犯罪」
2014年 3月 「悪魔を見た」
2014年 3月 「女と男の名誉」
2014年 3月 「ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜」
2014年 3月 「レ・ミゼラブル」
2014年 3月 「その土曜日、7時58分」
2014年 3月 「カレ・ブラン」
2014年 3月 「アンチヴァイラル」
2014年 3月 「ジャンゴ 繋がれざる者」
  
2014年 2月 「新仁義なき戦い 組長の首」
2014年 2月 「新仁義なき戦い 組長最後の日」
2014年 2月 「ゾンビ革命〜フアン・オブ・ザ・デッド〜」
2014年 2月 「隠された記憶」
2014年 2月 「ゼロ・グラビティ」
2014年 2月 「パリ、ジュテーム」
2014年 2月 「バンク・ジョブ」
2014年 2月 「LOOPER/ルーパー」
2014年 2月 「コマンドー」
2014年 2月 「マーニー」
2014年 2月 「テッド」
2014年 2月 「おおかみこどもの雨と雪」
2014年 2月 「何がジェーンに起こったか?」
2014年 2月 「ブロークバック・マウンテン」
2014年 2月 「眼下の敵」
  
2014年 1月 「高地戦」
2014年 1月 「黒い罠[ディレクターズカット版]」
2014年 1月 「恋のロンドン狂騒曲」
2014年 1月 「狂った野獣」
2014年 1月 「ディクテーター 身元不明でニューヨーク」
2014年 1月 「マイ・フェア・レディ」
2014年 1月 「仁義なき戦い」
2014年 1月 「道」
2014年 1月 「アルフィー」
2014年 1月 「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」
2014年 1月 「太平洋ひとりぼっち」
2014年 1月 「アキレスと亀」
2014年 1月 「仁義なき戦い 広島死闘篇」
2014年 1月 「アウトロー」
2014年 1月 「その男、凶暴につき」
2014年 1月 「クラウド アトラス」
2014年 1月 「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」
2014年 1月 「かぐや姫の物語」
2014年 1月 「3-4x10月」
2014年 1月 「ホーホケキョ となりの山田くん」
2014年 1月 「恐怖と欲望」
2014年 1月 「新仁義なき戦い」
2014年 1月 「時計じかけのオレンジ」
2014年 1月 「フライト」
2014年 1月 「危険なメソッド」