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熊谷直光が築いた山城で、以後は(長崎系)気仙沼熊谷氏代々の居城となった。現在は大部分が耕地となっている。
年代 | 出来事 |
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1515年 | 熊谷直定の次男の熊谷直光は長崎村を与えられ、長崎城を築いて居城とした。これは葛西稙信の命によるものとも伝わる。 |
1533年 | 葛西稙信は背任の罪で赤岩の熊谷直景を討伐する軍勢を起こし、長崎の熊谷直光に先鋒を命じて攻めさせた。直景は赤岩城に立て篭もったが、多勢に無勢で破れ、郎党皆撫で斬りにされたという。これ以後、熊谷氏の惣領は長崎熊谷氏が担うことになった。 |
1574年 | 中館の熊谷直平が長崎熊谷氏に対して反旗を翻して長崎城へと攻め寄せた。赤岩や月館も戦場となったが、結局中館勢は敗れて鎮圧された。 |
1578年 | 月館城の熊谷直澄が長崎熊谷氏に対して反旗を翻し、「松川の合戦」にて長崎熊谷氏当主の熊谷直良を討ち取って勝利した。これにより、1533年より続いた熊谷氏の内訌に終止符が打たれたという。 |
1590年 | 「奥州仕置き」により葛西氏は所領を召し上げられ、家臣であった熊谷氏も没落し、長崎熊谷氏は後に伊達氏に仕えたという。城はこの時廃城になったとされる。 |
城は大川左岸の東西に伸びる舘山丘陵地帯に築かれており、最も高い場所にある主郭から東西に大小の郭が連なっている。南北は急な斜面になっており、中腹には腰郭も確認できる。