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長崎城 ながさきじょう

別名
長崎館
時代
室町時代~安土桃山時代
分類
中世山城
規模
標高:65m、比高:約60m
現状
雑木林・耕地
場所
宮城県気仙沼市舘山1丁目
最終訪城日
2011年12月10日

熊谷直光が築いた山城で、以後は(長崎系)気仙沼熊谷氏代々の居城となった。現在は大部分が耕地となっている。

城史

年代 出来事
1515年 熊谷直定の次男の熊谷直光は長崎村を与えられ、長崎城を築いて居城とした。これは葛西稙信の命によるものとも伝わる。
1533年 葛西稙信は背任の罪で赤岩の熊谷直景を討伐する軍勢を起こし、長崎の熊谷直光に先鋒を命じて攻めさせた。直景は赤岩城に立て篭もったが、多勢に無勢で破れ、郎党皆撫で斬りにされたという。これ以後、熊谷氏の惣領は長崎熊谷氏が担うことになった。
1574年 中館の熊谷直平が長崎熊谷氏に対して反旗を翻して長崎城へと攻め寄せた。赤岩や月館も戦場となったが、結局中館勢は敗れて鎮圧された。
1578年 月館城の熊谷直澄が長崎熊谷氏に対して反旗を翻し、「松川の合戦」にて長崎熊谷氏当主の熊谷直良を討ち取って勝利した。これにより、1533年より続いた熊谷氏の内訌に終止符が打たれたという。
1590年 「奥州仕置き」により葛西氏は所領を召し上げられ、家臣であった熊谷氏も没落し、長崎熊谷氏は後に伊達氏に仕えたという。城はこの時廃城になったとされる。

縄張り

城は大川左岸の東西に伸びる舘山丘陵地帯に築かれており、最も高い場所にある主郭から東西に大小の郭が連なっている。南北は急な斜面になっており、中腹には腰郭も確認できる。

【主郭】
丘陵地帯で最も高い場所に主郭があり、現在は主に畑とゲートボール場?になっている。主郭以外の郭も多くが畑となっており、東側に雛壇状に多く展開している。

【土塁】
主郭西側に土塁が残っており、土塁の先は堀切となっている。

【堀切】
主郭より西側にハッキリとした堀切が残されており、堀切より西には小さな郭があって、それより西は縄張りがあやふやになる。

アクセス

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