奥羽古城散策
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管理人:貞庵

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中館 なかだて

別名
時代
室町時代~安土桃山時代
分類
中世山城
規模
標高:80m、比高:約70m
現状
雑木林・耕地
場所
宮城県気仙沼市松川前
最終訪城日
2011年12月10日

沼館熊谷氏から分かれた中館熊谷氏の居城と伝わる。現在は耕地と雑木林になっている。

城史

年代 出来事
15世紀頃 気仙沼館の熊谷氏の分流が中館を築いたのが始まりとされるが定かではない。
1574年 中館の熊谷直平が熊谷氏惣領の長崎熊谷氏に対して反旗を翻し、長崎城やその周辺の城へ攻め込むが、逆に反撃にあって中館を攻め落とされ、中館熊谷氏一族は滅亡した。
16世紀頃 長崎熊谷氏より熊谷直房が中館に移り、中館熊谷氏を再興したという。
1590年 「奥州仕置き」により葛西氏は所領を召し上げられ、家臣であった熊谷氏も没落した。城はこの時廃城になったとされる。

縄張り

城は府中山から南に伸びた尾根の東南端に築かれており、山頂の主郭、二の郭を中心にして周囲に大小の郭が築かれている。

【主郭】
山頂の主郭は低い段差の付いた雛壇状の構造になっており、元からこうなのか耕地化によるものなのかは不明。最も高い場所には祠があるが、何を祀っているかは不明(八幡社?)。山頂ではあるが、木々のせいで展望は利かない。

【二の郭】
主郭より低い場所にあるが、城内のちょうど中心部で広さもあるため、主要な建物はここにあったと思われる。ただ、よくみると山頂側を削って広げたような形跡があり、元々はここまで広い郭ではなく、耕地化による影響と推測できる。

【西郭】
二の郭より西側の一段低い場所に中規模の郭があり、尾根側から来ると必ず通る場所なのでここも重要な郭だったと思われる。例に漏れずここも耕地化している。同様にに二の郭の南側の低い場所にも中規模の郭があり、ここからは麓が一望できる。

アクセス

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