
森山城 もりやまじょう
安東氏家臣の森山季定の居城で、1546年に季定は反乱を起こして滅亡し、その後は津軽氏家臣の小野茶右衛門の居城となったが茶右衛門も反乱を起こして滅亡した。現在は雑木林。▼遺構や見所
■ 主郭 ■
白神山地から海に向けて突き出た森山崎の丘の上に主郭があるが、現在は郭内部は藪でよく見えない。辛うじて主郭の周囲に土塁が確認できる。なお、居館は丘の主郭ではなく北の麓にあったという。
■ 虎口 ■
主郭の西側に虎口が確認出来、堀切の部分から虎口まで道が付いている。
■ 堀切 ■
主郭と物見台の間に岩盤をくり貫いて造られた堀切があるが、恐らく堀切というよりは切通として造られたものと思われる。
■ 物見台(狼煙台) ■
主郭からさらに海側の末端の岩の上に物見台がある。物見台の頂上は狭いが、頂上手前に画像のように四阿を置ける程度の広さの空間がある。幕末には津軽藩の7つの狼煙台の一つが置かれた。
■ 物見台からの景色 ■
物見台からは岬の南北と海が良く見渡せるため、城としては小さいながらもここが要所とされた理由が良くわかる。絶景ではあるが、現状は木々が邪魔でいい絵は撮れない。
■ 物見台へ登る道 ■
物見台は岩山にあるが、そこへ至る道が崩壊していてかなり危険。恐らく岩がかなり脆いせいで、触っただけで崩れてくる。画像は手すりが一緒に崩落している箇所。
■ 入り江 ■
城の南麓には入り江があり、ここに軍船を係留していたものと思われる。実際、城主となった小野茶右衛門は津軽氏の水軍の将であった。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1546年桧山安東氏家臣の森山飛騨守季定は謀反を起こして籠城したが、安藤尋季・舜季と蠣崎季広の軍勢に城を包囲され、水を絶たれて落城した。森山季定
- 1604年津軽氏の水軍の将である小野茶右衛門が、秋田への抑えとして森山に検番として配置される。小野茶右衛門
- 1613年小野茶右衛門が専横を働いたとして大間越奉行の笹森勘解由が討伐に差し向けられ、茶右衛門は籠城して抵抗するが水の手を絶たれて落城したという。小野茶右衛門
- 幕末津軽藩は海防のための台場と連絡用の狼煙台を整備し、森山城に南から2番目の狼煙台が設置された。津軽藩直轄?
▼詳細情報
最終訪城日 | 2017年5月2日 |
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別名 | 茶右衛門館、森山東館 |
前身 | - |
普請開始 | 室町時代頃? |
築城完了 | 室町時代頃? |
築城者 (設計者) | 不明 |
分類 | 中世丘城(海城) |
規模 | 東西200m×南北80m |
標高 | 標高:67.1m、比高:約60m |
文化財指定 | 町指定史跡 |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 堀切(切通)、土塁、郭跡 |
標柱・説明板 | 南麓の山道入口に説明板あり |
現状 | 雑木林 |
イベント | - |
注意事項 | 危険個所有り転落注意 |
場所 | 青森県西津軽郡深浦町大字森山 |