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 サチ アップ
波動って何?

  一枚の板に、小さな二つの穴を開け、それに向けて一つの素粒子を打ち出すと、
  どうなると思いますか?
  一つの素粒子は、二つの穴を同時に通り抜けてしまいます。
  これは、現代物理学の一つである素粒子論でわかった、ミクロの世界で起こる現象です。
  何故、一つの素粒子が、二つの穴を同時に通り抜けることができるのかというと、
  素粒子は、粒子であると同時に、波動であるということです。
  日常の生活で目にするこの世界では、理解し難いですね。
  しかし、肉眼でみえる世界にとって、ミクロの世界のことなんて関係ないと言えるでしょうか?
  決して言えません。肉眼の世界は、ミクロの世界によって構成されているわけですから。
  一般に、粒子にエネルギーを加えると振動を始めます。そして、粒子が振動すると熱が
  発生します。さらにエネルギーを加えると、粒子は螺旋進行運動を始めます。
  実を言うと、この運動は。地球が銀河系のなかで描く軌道と相似になっているんです。
  世の中のものは、宇宙の構造から素粒子の世界まで、フラクタル=相似形になっています。
  どうも現代物理学になじみの少ない我々にとって、現実の生活では、粒子性に偏った物の視点に
  なれてしまっている感があります。
  粒子性は姿・形を表し、波動性は物の性質や機能を表しています。
  その両面を同時に併せ持ったのが、「一つの存在」として考えられます。
  皆さんは、誰かと握手したことはありますね?お互い確実に触っているという実感がありますよね?
  しかし、粒子性のみで考えると、実は触れることなんて、不可能なんです。
  原子を地球の大きさに例えると、原子と原子の間には、地球と太陽の距離ぐらい間があいているんです。
  どんなに強く握手をしても、原子と原子の間は、縮まりません。
  では、握手をすることで感じるあの感覚はなんでしょうか?
  相手の波動を感じているとしか考えられません。
  仮に、台風の日に私が外に立っているとしましょう。その横に私にそっくりなマネキンが
  立っています。私の体重と全く同じ重さをもったマネキンです。
  強い風にあおられ、私は立っているのがやっとです。マネキンのほうはどうでしょうか?
  簡単に倒れてしまいませんか?その違いは、私には倒れまいとする強い意志があるからです。
  この意志の力も波動エネルギーとして考えられます。
  目に見えないからといって否定しても仕方がありません。波動エネルギーが活用出来れば、
  運命に翻弄されることもなくなります。簡単に倒れたりもしなくなります。

  また、瞑想に上達してくると、くるくるっと回りながら上に引っ張られてしまう感覚が
  生じてきます。そうすると、普段時間空間のなかで生活している時の感覚が消えてしまいます。
  どっちが上か下か、右か左か、前か後ろかというのが、無くなってしまいます。
  ドコもかも前、という感覚です。また、より上達してくると、意識の拡大が起こってきます。
  最初は、自分のいるちょっと上ぐらいの空間だけだったのが、だんだん上にと同時に
  周りの空間を包み込んでいく感じです。部屋全体、家全体、土地全体、地域全体、日本全体、
  地球全体、宇宙全体へというふうに、より大いなるものと一体化していきます。
  時間空間の感覚が無くなると申しましたが、呼吸をしている感覚もありません。
  しかし決してまどろんだ状態ではなく、意識は非常にクリアーで鋭いんです。
  肉体は目を閉じているにもかかわらず、家全体に意識が広がると、別の部屋にいる家族が
  何をしているのかまでありありとわかるんです。
  変な話、屋根裏にいる、小さな虫の動きまでわかってしまいます。
  まるで、家全体が自分の手足のようなんです。
  小さな虫も自分の足の小指みたいなもので、自分の意志と連動します。
  こんなこともありました。職場で休憩中に、ボーっとしていたときです。
  突然電話を感じたんです。しかも、私の母の電話です。物理的に耳で聞いたわけではなく、
  そう感じたというか、わかったんです。案の定、母から電話が来ていました。
  当時の職場は、東京の吉祥寺にある4F建てのビルでした。電話は1Fで鳴りました。
  私は屋上にいました。ただでさえ騒々しい界隈ですし、屋上の扉も閉まっていました。
  五官の聴覚では、聞こえようがありません。でも、わかったんです。
  また、その同じ職場のことですが、2Fと3Fの間の階段のところで、同僚のひとりが
  何やら下を向いて探していたんです。「何を探してんの?」と聞いたら、
  「コンタクトレンズをどこかに落としたみたい。」と言います。
  ひとつ力になろうと思い、こうしました。
  私のとった行動は、目や手で、辺りを一緒になって捜し回ることをしませんでした。
  少し呼吸を整えた後、「神様は、全ての全てですから、彼のコンタクトレンズが
  ドコにあるかも知っています。見つかりました。ありがとうございました。」と、
  先に決めてしまいました。そして、目を開けて、気になる方へと歩いていきました。
  歩いている最中は、コンタクトレンズを探しているということを全く考えていません。
  ただ、歩いただけです。しばらく歩くと、その先にはコンタクトレンズがありました。
  屋上にあった、社員用の洗濯機の蓋の取っ手のくぼんだところでした。
  その同僚は、「ありがとう。」と言いながらも、不思議そうな顔をしていました。
  こういうこともありました。小学生の頃から、毎年春先になると扁桃腺が腫れて、
  高熱が出ていました。中学1年の時には、病院で切り取ろうとまで言われました。
  母が病院嫌いでしたから、お医者さんの言うことを無視してずっと切らずに22歳まで
  毎年高熱が出ていました。しかし、22歳のその時に、高熱がありながらも瞑想をしていたら、
  突然咳が出てきたので洗面所まで行き、何度か大きな咳をしたら、両手の平大のイチジクのような
  今まで見たこともないような物体が、口からボコーッと出てきたんです。ゼリー状で、
  全体は赤紫をしており、赤黒いイチゴの粒のようなものが点々とした物体です。
  気がついたら、体調は良くなっていました。それ以来扁桃腺の熱でうなされることは無くなりました。
  他にも、何もない空間から塩が次から次に手の平に出てきたり、意識だけが、現実の時間よりも
  未来に行ったり、現実の場所から離れたところに一瞬にして行ったりもしました。
  小学生の時から、一瞬にして病気になったり、また一瞬にして健康体になったこともあります。
  何故か、天井の蛍光灯や、自分が掛けている毛布と一体化した体験もあります。
  UFOらしき物を友人と見たり、得も言われぬ壮大で美しい天上の音楽とでもいうべき音楽が
  聞こえたこともあります。お香をたいてもいないのに、臭いがしたり、自分にとって
  必要と思われるメッセージを、言葉として聞こえるわけではないのですが、全身でわかるという感じで
  受けることもありました。言い出せばきりがありません。
  こういう経験は、何も私だけに起こるわけではなく、たくさんの方が、いわゆる「不思議」と
  いわれる経験をされているであろうと思われます。しかし、それらは私達が肉体的存在であると共に
  波動的存在でもあると考えると、不思議でも何でもありません。
  そもそも日本人が言う「自分」という言葉自体に、私という存在が、一つの物体(個)であると同時に、
  全体とも繋がれるような波動的存在であるということを表しているのではないでしょうか?
  部分であり、全体でもある。自然の一部。自然の分け御霊。それが「自分」である。

  この現実生活において、粒子性と同時に波動性をも考えた視点に立てば、とても上手に
  生きることが可能になるんです。
  波動というものが理解出来れば、「こうすればこうなる。」ということまで
  見えてくるようになります。予知能力などではなく、誰でも簡単に先がわかるんです。
  私の尊敬するひとりである(株)船井総合研究所の船井幸雄名誉会長は波動について
  最も造詣の深い方のひとりです。
  船井幸雄氏は、波動の性質には次の4つがあると言っておられます。
  1,同じものは引き合う。(共鳴)
  2,逆に違うものは排斥し合う。(非共鳴)
  3,出したものは返ってくる。(フィードバック、カガミの法則)
  4,優位の波動は、劣位の波動をコントロールできる。(包み込む)
  以上ですが、これだけで世の中の現象を全て説明可能に出来ると、考えておられます。
  私も全く同じ意見です。一見複雑に見える様々なこの世の現象が、波動を知れば
  簡単に解明できる。本当でしょうか?

  全ての存在物は、姿形がどれひとつとして全く同じ物がないように、固有の波動、振動(周波数=f)を
  出しています。
  そう考えると、私達は、波動を食し、波動を出し、常に外界の波動に反応する波動的存在であると
  いわねばなりません。
  私も、杉本博という波動的存在です。無数の波動が集合して、ひとつの杉本博という固有の
  波動的集合体を形成しています。それら無数の波動に秩序を与え、統率しているのが、
  本来然るべき本体であるサムシンググレート、創造主、ブラフマン、神様、仏様、実相の分身である
  良心、ハイヤーセルフ、アートマン、御霊、仏性、神の子という存在であります。
  その存在は時間空間を超越しておりますが、今生においては杉本博という固有の存在として
  時間空間の世界に投影されているわけです。しかし、固有とは申しましても、1分1秒として
  じっとはしておらず、常に変化しております。心も波動ですから、心の変化と共に波動も変わります。
  如何なる物質といえども波動の世界ではダイナミックに変化しており、波動同士で
  干渉しあい、その影響を受けたり与えたりと、とにかくとらえどころがないのです。
  ですから、「これが杉本博の波動だ」とは決して言えません。
  波動を測定して数値を出すと言うことは、例えば写真を撮ることに似ています。
  杉本博の姿を、カメラのシャッターを押してその一瞬の姿の写真を撮っても、
  シャッターを押した次の瞬間には、違う姿の杉本博に変わっています。
  また、カメラマンによっても、きれいに写ったり、ピントがずれたり、
  撮る角度が違ったり、お尻だけを撮ったり、天気や室内、屋外などの環境の
  違いでも同じ被写体であるにもかかわらず、様々な杉本博の写真になってしまいます。
  シャッターを押して「これが杉本博の写真だ」と言っても、次の瞬間には、
  髪の毛が1本抜け落ちてしまってるかもしれません。
  このようにとらえどころがなく、客観性に欠けるのが波動ではありますが、
  かといって波動なんて全く以て無意味なのかといいますと、決してそうではありません。
  楽しかったときの写真を見て、楽しくなったり、
  好きな人の写真にドキドキしたり、美しい写真に感動したり、
  たとえ一瞬を写した1コマでも、確実に影響があります。
  壮大で、美しく、力強くしかも深みのある富士山の写真を見た時に、
  100人中100人が感動すれば、その写真は、全ての人を感動させる力があるという
  ことにおいて、客観性が生じます。
  また、波動は転写コピーすることも可能です。封じ込む=焼き付けることも可能です。
  そういう意味で、波動を上手に活用することができれば、無限の可能性が開けてきます。
  では波動についてもうちょっと深く探ってみましょう。

良い波動・悪い波動

  右の図1を見てください。
  波動には、レベルがあります。それを縦軸とし、
  周波数で表します。上に行けば行くほど高次元。
  下に行けば行くほど低次元とします。
  そして正の波動と負の波動があります。
  それを、横軸にとります。
  正の波動とは良いチカラのことで
  仮にプラスで表します。また、エネルギーの流れは
  右回りになります。与えるという特性があります。
  これと逆に負の波動は悪いチカラのことで
  仮にマイナスで表します。エネルギーの流れは
  左回りになります。奪うという特性があります。
  こう考えると説明がしやすくなります。
  良い波動と悪い波動といっても
  本来は良いも悪いもなく、
  全体としては調和するような仕組みになっています。
  先に述べた4つの波動の性質にありました、
  出したものは返ってくるというフィードバック、カガミの法則も調和を乱さないための性質です。
  フィードバック、カガミの法則は、自己完結、自己責任の法則ともいえます。
  出した波動は、もとに戻って消えるようになっています。
  高次の波動は、低次の波動をコントロールできるというのも、
  あまりに全体のバランスが崩れて不調和になってしまうような、いざというときには
  高次の波動が秩序を維持するために、働き出すための性質です。
  オーケストラが全体として美しい音楽を演奏するように練習していることに似ています。
  あまりに不調和な音が出ていると、そこに指揮者(=高次)が入り指導します。
  各奏者は、自分で出した音をよく聞きながら、より上手になるために反省し、
  それを演奏に活かします(=フィードバック)。上級者になればなるほど、より早く反映させることが
  出来るようにもなります。出した波動が還ってくるのも、人間性が成長すればするほど
  早く還ってくるようになります。

  次に行きます。右の図2を見て下さい。
  波動には強い波動と弱い波動もあります。
  強い波動と弱い波動が出会うと、弱い波動は強い波動に包み込まれてしまいます。
  強い波動は周りを巻き込み、影響を与える度合いも大きくなります。
  波動というものを音に置き換えると、わかりやすくなります。
  強い波動は、大きな音。弱い波動は、小さな音。
  大きな音と小さな音が出会うと、
  小さな音は大きな音に包み込まれて、小さな音は、聞こえなくなります。
  波動の強弱は音でいえば、音量、ヴォリュームのことと同じです。

  では、図1を音波に置き換えて右の図3を見ながら説明します。
  まずは横軸からです。
  波動では、右に行けば行くほど良い波動、
  左に行けば行くほど悪い波動と定義づけました。
  これを音に置き換えると、音質になります。
  音色ともいえると思います。
  右に行けば行くほど、心地よい音で、本来の音ともいえます。
  逆に左に行けば行くほど、粗雑な音、耳障りな雑音です。
  一流のヴァイオリニストが奏でる音色が右側で、
  一概にはいえませんが、初心者の弾くヴァイオリンの音が
  左側になります。
  実をいうと、私が小学生の時、テレビのとある番組で、
  ヴァイオリンと平らな鉄板とを共鳴させて、
  その鉄板の上の砂鉄がどういう運動をするかという
  実験を見ました。
  美しい音色からは、なんと、結晶のような美しい幾何学的模様が出来ました。
  しかし、粗雑な音色では、全く以て砂鉄は模様を成さず、ただ、バラバラのまま
  飛び跳ねているだけに終わったのです。
  小学生の私には強い衝撃でした。
  またその時、水も同じで、良い水はきれいな結晶になり、悪い水は結晶の形もいびつ
  ではないかと直感しました。
  将来僕はこの研究に一生を捧げようと、決心したくらいに音=振動=波動が形になって
  見えるようになることに、びっくり感動したものです。
  ですので、江本勝氏の「国際波動友の会」が発足したときは、真っ先に会員になりました。
  今でも会員です。「国際生命の水協会」と名前は変わりましたが。
  水の結晶写真集が出たときは、正直、「先にやられた。」と思ってしまったもんです。
  と同時に、素直に喜びました。
  波動をとらえた結晶写真集は、幸up研究所の子供の教育にも活用させてもらってます。
  横の軸が目で見える写真としてわかる時代になりました。

  縦軸の次元は、音でも同じで、周波数で表せます。
  上に行けば行くほど高い音、高音になります。
  下に行けば行くほど低い音、低音になります。
  周波数がどんどん高くなると、五感では聞くことが出来なくなります。
  逆に周波数がどんどん低くなっても、五感では聞けなくなります。
  縦軸には階層があるのです。
  1つのドから次のドまでの間が1つの次元であり、
  また、次の1オクターブ上や下のドレミファとの間には、
  波動でいうと、何らかの次元の境目があるともいえます。
  耳には聞こえない高周波のドが鳴っていると、
  下の次元である耳に聞こえるドも、鳴らしてもいないのに
  共鳴して鳴ります。これは音の長い短いにも関係しています。
  高次元の音が低次元の音に加わると維持機能が働き、音は長く鳴り響きます。
  例えば、モーツァルト作曲のような良い高次元からの音楽に感応して出来た曲は、
  人々の心を捉え、いつまでも愛されるようになります。それとは逆に、人々の
  関心がすぐに薄れてしまうような曲には高次元の波動が共鳴していないということです。
  悪い高次元の波動が共鳴したものもあります。それは、近代科学が生み出した
  兵器や合成化学物質などです。これらは、長期にわたって影響を残します。
  例えば、ビニール。捨てたら捨てたで、自然に還りません。
  燃やせば燃やしたで、有害物質をまき散らします。埋めたら埋めたで、
  有機物と反応してダイオキシンの問題になります。処理に困ります。
  核廃棄物問題と同じですね。どこまでいっても悪影響が続きます。
  しまいには、宇宙空間にでも捨てるつもりでしょうか。
  原子爆弾による被爆も、当事者だけでなく親から子へと世代を越えてまでも
  悪影響を与えます。戦争で使われる軍事兵器も、後々までその悪影響を残します。
  イラクから帰ってきた自衛隊員に起こる現象がそれを実証しています。
  彼らが帰ってきてから産まれた子供達は、何らかの疾病を抱えたまま産まれています。
  自然界にはもともと存在していなかった合成化学物質も同じです。
  合成洗剤で皮膚から吸収されたり、吸引したり、食品添加物を口にしたりして
  体内摂取しています。それらは、水に溶けませんから、汗や尿、便などでは排出されません。
  体内脂肪にたまり、主に男は前立腺、女は子宮に蓄積されます。血液や脳を酸化し、
  子供が出来づらい体質にしていまい、様々なアレルギーや疾病を生み出しています。
  自然の摂理のままに生活している民族には、肥満はありませんね。
  また、子供が出来ても、それらの有害物質は、母から子へと容易に通過してしまいますから、
  産まれたときにして既に、何らかの疾病を抱えたまま産まれてしまいます。
  お願いです。早く気付いて下さい。人間は自然界の一員です。自然界のルールに従うのが
  当然です。何故、反自然的な物を使用するのでしょうか。
  病気は反自然的な心であるストレスや悪い環境、反自然的物質による波動で起こってしまうんです。
  病気になってもなお、反自然的な波動で治そうなんて、たとえ一時的に良くなったとしても、
  所詮一過性にしか過ぎません。物質的に切り取っても、病気の原因である波動は残っていますから、
  再発や別の形でまた顕れてしまいます。お願いです。気付いて下さい。お願いです。
  これ以上本来の幸せをゆがめないで下さい。病気になることを常識や運命で片づけないで下さい。
  私の父も、私の親族も理解してもらえませんでした。私を信じて下さいとは申しません。
  どうかとことんまで学んで下さい。私達人類は、自然界が何十億年も掛けて産んだ
  自然界の産物なんです。たかが百何年にしか過ぎない現代科学のルールに従ってはいけません。
  生活習慣病や、アレルギー、花粉症などは、現代病ともいわれています。
  お願いです。人間は本来病なんかとは無縁です。どうか学んで下さい。
  現代科学から産まれた原爆も、生活にどっぷり密着してしまっている合成化学物質も
  同じ波動です。どこまでも害を与えてしまうんです。皮下腺からの汗で合成化学物質が
  排出されるともいわれます。しかし皮下腺からは、それと同時に生命にとって大事な
  ミネラルをも排出してしまい、かえって危険です。実は、私の友人の奥さんも、
  癌になり、子供を産み、その子が3歳の時に他界してしまいました。
  夫や子供に託した最後の言葉は、非常に美しく、愛に満ちた最後でした。
  皮下腺からの汗では、体力を消耗してしまい、自然治癒力をも働かせなくしてしまいます。
  人間が本来の然るべき実なる相を顕すには、波動を学ぶしか手はありません。
  強い高い良い波動こそがその鍵を握っているんです。強い高い良い波動には、裏がありません。
  良いことしかありません。どこまでいっても良い面しかありません。
  自然界は、無限に造化発展しています。人も同じように常に柔軟に進化し続けるのが人の道です。
  「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり。」(中国四書五経のひとつ「中庸」より)
  素直の「素」には、「自然」という意味もあります。この自然の摂理である変化と反対に
  自己保存、自己保身、現状維持を考えると、波動が滞り、肉体に反映して病や不幸を顕してしまいます。
  家を建てたら主が病に倒れるという言い伝えもあながち迷信ではありません。
  こういう自然の摂理は、実は目に見える自然現象からだけで判断してはなりません。
  波動の法則も自然の摂理のひとつなんです。この世には、大きく分けて3つの波動の原理が働いています。
  右の図4を見てください。
  一番左側は、「精神の原理」の働きです。
  「精神の原理」が、引き合うチカラを生み出し、
  そこに秩序が生じます。
  その「精神の原理」に「高次元の原理」が
  加わると、秩序維持機能が働きます。
  それを表したのが、図の中の一番右側です。
  決して変化をしないのではなく、
  「精神の原理」と「物質の原理」の
  バランスが取れている状態です。
  図の中の真ん中は、「高次元の原理」が働かず、
  「精神の原理」から反対に「物質の原理」である
  分離のチカラが働いている図になります。
  人の一生も「精神の原理」と「物質の原理」との
  バランスの上に成り立っているとも考えられます。
  「精神の原理」が、完全になくなったときに
  人は死を迎え、「物質の原理」が働き、肉体も
  自然界に還ります。
  企業や組織にも同じ事がいえると思います。
  起業時の精神が失われ、「物質の原理」に
  支配されると、その組織は崩壊に向かいます。
  もう1つ例えてみましょう。
  2つのお米があったとします。片方は、農薬を多く含んだ不健康なお米。
  もう片方は、手間ひま掛けて愛情たっぷりに作られたお米としましょう。
  同じ場所に置いておくと、時間と共に変化してきます。その変化を観察してみましょう。
  2つのお米で違う変化が現れてきます。まずは、不健康なお米から。
  周りから電子を奪いますから、空間は酸化してきます。粗悪な波動に共鳴して
  腐敗菌が集まってきます。お米の量が少なければ、「物質の原理」が働き、自然界に還ります。
  もしもお米が大量だったり、強力な酸化物が含まれていたら、「高次元の原理」が加わり、
  病原菌などが発生して、より悪い強い波動になり、どこまでも害を与えてしまいます。
  では、手間ひま掛けて愛情たっぷりに作られた健康なお米はどうでしょうか。
  周りに電子を与えますから、空間は還元してきます。良い波動に共鳴して
  発酵菌が集まってきます。ほおっておいたら陽極まり陰に転じ、「物質の原理」が働き、自然界に還ります。
  しかし、そこに人間の愛や知恵を通じて「高次元の原理」が加われば、(自然の)お酒などの
  より良い強い波動になり、人から人へと時代を超えて伝わります。
  「精神の原理」によって無から有を生じ、「物質の原理」により、また無に帰す。これはネイティブアメリカンの
  思想では、聖なる輪として表現されています。蛇が自分の尻尾をくわえているイメージでも表現されます。
  しかし、例えばパラマハンサ・ヨガナンダという聖者が亡くなったときに、その亡骸が死後もなお
  腐敗が進行しなかったり、中国広東省の韶関市の近くにある南華寺という大きな寺院には、達磨大師から
  6代目の禅宗の継承者である慧能(638〜713)のミイラが安置されていますが、死後1200年以上経過しているのに
  今でもまるで生きているかのような姿のままです。また、インドのニューデリーにあるイスラム教寺院、
  クトゥーブ・モスクの境内には、はるか古代に建造されたアショカ・ピラーという不思議な大鉄柱があります。
  何が不思議かというと、全く錆びないんです。これを削ってみて調べた科学者もいますが、ただの錆びやすい
  鉄だそうです。実際削った鉄片は見事に錆びてしまったそうです。また、バチカンの調査委員会が奇跡であると
  認めている、ルルドの泉、ラサレット、ファチマなど、イヤシロチ化によって生じる不思議現象、
  生長の家の聖典である「生命の實相」を読んだだけで病が癒えたり、一燈園の創始者である西田天香氏による
  青酸カリを飲んでも全く変化しなかったという実験(高次元の波動=意識が低次元の波動=物質をコントロールする)
  など、例を挙げると、枚挙にいとまがありませんが、こういう現象が「高次元の原理」によって起きるんです。
  もちろん普通の人が青酸カリを飲んだらどうなるかは皆さん承知のことでしょうから、
  絶対に真似をしないで下さい。西田天香氏は、よほど高次元の強い意識をもたれていたのでしょう。
  普通の人が、ライオンに手を出したりすると、噛みつかれる危険があるでしょうが、
  高次元の強い意識をもった方には、ライオンもおとなしく、従順になるという話も聞きます。
  中国の歴史書などにも、トラをペットにしているような話がよくあります。
  出しても出しても減らない、むしろ、より強くなる「氣」のパワーなんかも「高次元の原理」が
  働いていると言えそうです。出せば減るとか、疲れるような程度の「氣」では、「高次元の原理」が
  働いているとは言えそうにありません。
  ちょっと視点を変えると、「精神の原理」と「物質の原理」は「横の原理=横波」、
  「高次元の原理」は「縦の原理=縦波」となります。
  人間関係でいうと、友達関係が横の原理で、師弟関係が縦の原理になります。
  横の原理だけではだめでして、縦の原理があってはじめて人も進化することができます。
  夫婦関係も同じです。横の原理だけでは波動が合わなくなれば分かれてしまいます。
  尊敬という縦の原理があってこそ、末永い夫婦関係が築けるというものです。
  「志は氣の帥(スイ〜統率者)なり」と孟子にもあります。イメージトレーニングなども
  縦の原理の応用の一つです。
  上記3つの原理は大きな基本ですが、実際には様々な波動の作用があります。
  それらの作用が絡み合いながら、この3つの働きを生み出しています。
  では、次にその様々な作用について、考えていきます。

  最初の図1をもとに横軸における作用を
  説明します。右の図5を見てください。
  最初に説明したように横軸は、
  波動の質になります。仮に中心から
  右に行けば行くほどプラスの値。
  左に行けば行くほどマイナスの値とします。
  図の中にはA、B、C、Dという4つの波動を
  点にして書き込んでいます。
  それぞれ縦軸は同じ高さにあります。
  ですから、互いに共鳴する関係になります。
  この図で大事なポイントは、BとCの関係です。
  1つの音を消そうと思えば、その音のもつ
  波形と逆の波形を持つ音を流せば、
  無音になります。耳には聞こえません。
  波動もこれと同じです。Bを消そうと思えば、反対のCを持ってくれば消えます。
  例えばBという病気を消すには、Cという波動を持ったもので、無になります。
  しかし、実際にはBという波動は、一瞬としてBのところにとどまっていません。
  常に変化しておりますから、タイミングがピタッと合わなければなりません。
  それは、不可能に近いのかも知れません。ただしそれはあくまで同じ強さの場合です。
  もし、Cが強い波動であれば、Bは消えます。音でいうと、Cが大音量なら、
  Bという小さな音は聞こえません。
  道を歩いていて、空き缶が落ちていたとします。拾おうという想念=Cが発生しました。
  しかし、すぐに面倒だなぁという想念=Bが発生し、プラスマイナスで消えます。
  Cが強い想念であれば、拾うでしょうが、拾わなければ、Cの想念が残ります。
  それが後悔の念になってしまうと、またBが発生して、それを打ち消すために
  例えば財布を落としてしまうなどの出来事が起きて、無になります。
  またAを医薬品とすれば、医薬品は悪い高次元の波動と共鳴していますから、
  強い悪い長い波動です。ですからBは消えます。
  しかし、強い悪い波動自体は残りますので、別の悪い波動が次から次へと
  引き寄せられてしまいます。それがいわゆる副作用といわれるものです。
  しかし、その同じAという医薬品でも、それを与えたり、摂取する人の意識が
  良い高次元の波動と共鳴した良い強い長い波動であれば、Aは無害となり、
  Bも消えます。物質の次元よりも、意識の次元の方が、より高位の次元だからです。
  また、CとDは、右回りのエネルギーです。もしそのエネルギーが強いと
  AとBは左回りですから、右回りのエネルギーに飲み込まれて逆回転現象が起こります。
  まるでテープの巻き戻しのようになります。ですから、小さい子供であればあるほど、
  早く巻き戻りますから、良くなる変化も早いんです。しかし左回りで年齢を積み重ねれば
  積み重ねるほど、巻き戻しにも時間がかかります。そのエネルギーの流れが
  変化しだしたときにうねりが生じます。それが好転反応といわれているものです。
  この図から、もう1つ例えてみましょう。
  子供にA、B、C、Dという4つの特性があったとします。
  Bは、友達から物を奪う行為。Cは友達に物をあげる行為とします。
  子供が物を奪う行為を見て、母親が怒ったとします。Bは、より強くなってしまいます。
  逆に物をあげる行為を見て、母親がほめたとします。Cは、より強くなります。
  BよりCが大きければ、友達から物を奪う行為は、無くなりますが、
  CよりBが大きければ、友達から物を奪う行為は、助長してしまいます。
  長所を伸ばせば、短所が消えるとは、こういうことからもわかります。
  これはあくまで単純に考えた場合です。実際にはもっと複雑です。
  子供が物を奪う行為を見て、母親がそれをほめたらどうでしょうか?
  逆に物をあげる行為を見て、母親がそれを怒ったらどうでしょうか?
  この母親の出す波動は、実は心の次元でB側の波動です。
  ですから、子供のBは強くなり、Cは打ち消されてしまいます。
  行為の次元よりも、心の次元がより高位の次元ですから、
  行為そのものよりも、心を見なければなりません。
  親なり先生なりが子供のドコの部分を見ているのか。
  見ているところが現象にも顕れてきます。上司が部下のアラばかりを探していると、
  その部下は失敗してしまうものです。胃の調子が悪いと、胃がここにあるとわかりますが、
  胃の不調の無い人は、どこに胃があるかなんて気にしないでしょう。
  幸up家では、親類がとある新興宗教の信者で、「お金は私が払うから、新聞とって。」
  なんて、何やらまるで成績やノルマがある保険のセールスレディーさんがよくやるような感じで
  頼んできたものだから、断るに断り切れず了承してしまった関係で、その宗教新聞が毎朝届くんです。
  何事も勉強ですから、一応ざっと目は通すものの、その程度の低さには、ほとほと参ってしまいます。
  見出しには、以前その宗教団体と共にあり、今は離別した宗教の悪口が目立ちます。
  「極悪OO」なんて実名まで挙げて攻撃しております。これ宗教新聞?なんか俗な週刊誌を
  彷彿してしまいます。こういう争い、攻撃の波動には、高次元の良い波動は共鳴できません。
  強い悪い波動が共鳴してしまいます。きっと条件付きの幸せを提唱しているのでしょう。
  信者の方に良いことがあると、信じる心のおかげだ。悪いことがあると、信じる心が
  足りないんだと。要するに、幸せになるためには、この宗教を信じなければいけない。
  他の宗教では幸せになれない。だから、もっともっと活動して、信者を増やし、
  一所懸命に信じれば、幸せになれる。なんて、、、。
  本当の幸せは、「私は幸せだ。ありがたい。」という平和な波動にこそ共鳴するんです。
  幸せには決して条件なんて必要ありません。条件付きの信仰からは、現象世界においても
  不幸を招いてしまいます。しかし、こういう宗教も大いなる存在から観れば、必要があって
  存在しているわけです。その宗教を信じている人にとっては、その宗教から何らかの学ぶべきことが
  あるが故に、現時点では、その人にとってベストな存在なんです。そうして、その人のレベルが
  上がってきたら共鳴できなくなりますから、次のステップへと進めることが出来ます。
  こだわったり、何かに執着したりすると、心が凝り固まり、それに共鳴して血の流れや
  氣の流れも滞ったりしてしまいかねません。
  こういう道話がございます。とある高僧に、お弟子さんが聞きました。
  「師よ、道とは何でしょうか。教えてください。」
  「お前ご飯は食べたか?」
  「はい。頂きました。」
  「じゃあ、器は洗ったか?」
  「・・・・・・。」
  宗教とは当たり前のこと、自分のやるべきことを至醇の心で明るく楽しく淡々と感謝の心で生活
  することなんです。何も遠いところにありません。そうすれば、自ずと与えられる人になってきます。
  宗教を信仰していて、使う洗剤は、合成洗剤、善玉微生物を死滅させ、自然を破壊しているなんて、
  奪う側の生活です。乱れた波動がまた出した人へと忠実に戻ってきます。皆さんの宗教の施設には
  合成化学物質=反自然的なものがありませんか?もし、普通に置いてあるなら、こう言いましょう。
  「現象世界は、心の反映です。粗悪な物質の使用は、汚れた汚泥のお風呂に入っているようなもので
  ますます心も汚れてしまいます。心の浄化からはほど遠いと言えるでしょう。」
  視点というのはとても重要なんです。立場=自分のレベルと、ベクトル=他者のどのレベル(縦)と面(横)を
  観るかは、連動しています。
  子供が母親の手伝いをしようとして、誤ってお皿を割ってしまいます。あなたならどうしますか?
  イライラして怒ってしまえば、子供は手伝おうという心が消えてしまいます。
  一人の人間には、横の原理として、良いところもあれば悪いところもあります。
  また低次元である現象としての存在=肉体だけではなく、より高い次元においても、同時に存在しています。
  ハイヤーセルフと対話が出来る方は、ご自分のハイヤーセルフだけではなく、他人のハイヤーセルフとも
  対話が出来ます。幸up研究所のお客様にもこういう方がおりまして、私の許可無く、勝手に
  私のハイヤーセルフと対話してしまってるんです。私抜きで会話が弾んでいるんですから、何とも
  もどかしい気持ちです。私なんかは、本を読んでも、文字を目で追いながら共感したり、賛同できなかったりと
  感情や知識で判断しながら読んでいますが、その方は、著者のハイヤーセルフと対話しながら読んでるんです。
  相手の良い面、なおかつ高い次元へと、自分の意識が向いているかというベクトルが大事です。
  それを可能にするには、自分の立場をより高い次元にしなければなりません。
  結局、教育にしても何にしても、自分の人間性向上が根本にあるんです。
  低次元の部分しかわからないと、相手の低次元のことしか見えませんから、正しい判断が出来ません。
  私はギターを弾くのですが、自分が成長しているときは、誰のギターを聞いても、その人の良い面しか
  見えなかったんです。ところが、ちょっと自己満足が生じたとたんに、人のアラしか見えなくなって
  しまいました。そうなると、成長がストップしてしまい、それから先に行けなくなってしまったんです。
  技術テクニックやジャンルにこだわると、自分の行動範囲も狭くなり、音楽にも幅が出なくなり、
  一部の人にしか受け入れられないようなマニアックなものになってしまいます。
  ドコまでも成長し続けようとするなら、やはり人間性、徳性を第一義として、ギターはあくまでも、
  それを高めるための、いちツールとして捉えるのが良いようです。
  また、ギターを通じて学んだことに、ただがむしゃらに練習するよりも、イメージ力や集中力、また
  呼吸法などのリラックス力を伸ばすことで、より早く上手にもなれるようです。
  素晴らしいミュージシャンの演奏を聴いただけで、自分の演奏も成長した経験があります。
  波動の原理と全く同じです。自分のやるべきことを楽しく淡々とやっていると、
  横の原理では、他の良い面しか見えなくなります。
  縦の原理では、より上のレベルと付き合うことで、自分も引き上げられるんです。
  このように、横軸の作用とともに縦軸の作用も考えてくると、より正しく波動というものを
  認識することが出来ます。

  次に縦軸における作用を説明します。
  右の図6を見てください。
  これまでの説明でも度々述べていますので、
  もうおわかりだと思いますが、
  次元には階層があり、高次の波動が
  低次の波動をコントロールできます。
  上に行けば行くほど周波数も高く、
  出した波動も早く返ってきます。
  各次元同士はパラレルワールドのように
  共鳴しあいながら連動しています。
  上の次元が変わると、下の次元も変わります。
  人の意識や体にも高次低次の各次元により
  重なって存在しています。

  では、いままでに述べてきたことを
  まとめてみましょう。
  波動には、高い波動、低い波動があります。
  良い波動、悪い波動があります。
  強い波動、弱い波動があります。
  長い波動、短い波動があります。
  それらが全体として調和バランスを取るために、
  共鳴、非共鳴、相殺、反射、コントロール、連動などの作用を通じて、
  新たに生じ、成長し、維持し、無に還るという現象になるのです。
  それをもっと簡単、単純にルール化し、まとめたのが、
  船井幸雄氏のいう
  1,同じものは引き合う。
  2,逆に違うものは排斥し合う。
  3,出したものは返ってくる。
  4,高次の波動は、低次の波動をコントロールできる。
  という4つになるのです。
  最も高い、良い、強い、長い波動は、いわゆる神様や仏、サムシンググレートといわれる
  存在であろうと思います。また、それに最も近い波動が、
  「グラビテーショナル・ウェイブス(GravitationaI Waves)」=「重力波」ではないかと
  思われます。そして、「重力波」が出ている物質を、「本物商品」と呼んでいます。
  「重力波」については別ページを参照してください。

波動の地図帳

  教育,健康、政治、経営、人生、恋愛、運命にとあらゆることに波動を活かすことが可能です。
  では、その波動を測定することは可能でしょうか。
  横軸は、MRAなどで測定可能です。しかし、まだまだこれからでもあります。
  測定する側によって、変わってしまうんです。要するに客観性に欠けます。
  出来るだけ先入観が入らないようにして、素直で純粋な、出来れば無になれるような人に
  測定してもらうのがベストです。ただし、一瞬の1コマの波動ですから、参考程度としてお考え下さい。
  決してこだわってはいけません。こだわったり、過去にしがみついたりするとそれ以上には
  進化できなくなります。芸術家が過去の作品にこだわると、それ以上の作品は生まれません。
  子供が作ったブロックなんかも、親が褒めていつまでも壊さないでいたら、それ以上才能は
  伸びなくなってしまいます。褒めた後は出来るだけ速やかに壊した方がより良い作品が生まれます。
  次に縦軸を測定する技術としては、今のところキネシオロジー(筋肉学)を活用した
  オーリングテストでわかるようです。
  波動の強弱はどうでしょうか。これは、酸化還元電位なんかでもわかるんです。
  例えば弱い波動の物質に強い波動の物質を少量でも混ぜると、大きく変化します。
  しかし、強い波動の物質に弱い波動の物質を混ぜても、数値は変化しません。
  要するに比較することで、強弱の判断が出来ます。
  実は、幸up研究所が水道水の頃は、測定もびっくりするほど変化していました。
  水道水にキパワーソルトやサーフセラ、西瓜糖、マザータッチ、マグスティックなどを混ぜると
  大きく数値が変化したんです。ところが、エフグラビクスを取り付けてからというもの、
  測定が出来なくなってしまいました。エフグラビクスにエネルギーペレットを共鳴させた
  水に他の本物商品を混ぜて測定しても、以前のような劇的な変化が出なくなってしまったんです。
  水道水ではキパワーソルトをほんの少しパラパラ入れただけで、一気に数値が変化したのに、
  エフグラビクスでは、キパワーソルトをまるまる1瓶入れても、少ししか変化しなくなってしまいました。
  冒頭で述べたように、水は波動を取り入れやすいんです。反面変化もしやすいんです。
  カセットテープのように、ある波動に出会うたびに重ねて録音してしまうようなもので、
  次から次へとコロコロ波動が変わってしまいます。しかし、強い波動に出会うと。
  CDに焼くようなもので、少々の波動では影響しなくなります。包み込んでしまうんです。
  強弱はこういうことでわかります。
  では長短はどうすればわかるのでしょうか?
  これは、測定は今のところ出来ませんが、ルールや法則を学ぶことでわかります。
  元気で長生きしている人達の共通のルールを学んだり、息の長い企業の共通点から
  ルールを見つけたりすることです。伸びる組織体は、トップの人格が高く、
  ナンバー2が、そのトップを尊敬する度合いが強ければ強いほど伸びます。
  また、下の人間の意見が組織に反映されやすいんです。先に述べた縦の原理がどのくらい
  働いているのかを考えればわかります。衰退型の組織体では下の人間がどんなに頑張っても、
  反映されません。変化しません。今の自治体の殆どが後者ではないでしょうか?
  個々の波動が高い・低い、良い・悪い、強い・弱い、長い・短いという判断は、上記の方法で
  だいたいつかめることはおわかりいただけたと思います。しかしその個と個の相性は
  どうすればわかるのでしょうか。
  実は幸up研究所では以前から脳波測定をやっていました。脳波は、人間が出している
  微弱電流の変化を頭部で測定したものであり、心臓で測ったのが心電図になります。
  その脳波測定を通じて面白い現象が観測されます。
  測定中に第三者が被験者に触れると、脳波が変化することがあります。
  私の友人を測定中も起きました。友人の息子が友人の肩に触れる度に脳波が安定しました。
  ひょっとして相性が脳波測定を通じてわかるのではないかと思い、色々と試してみました。
  例えばAさんとBさんの2人をそれぞれ脳波測定し、触れ合った時の変化を見ます。
  ちなみにAさんの脳波の変化を見る時にはAさんの左手と、Bさんの右手を握手してもらいます。
  Bさんの脳波の変化を見る時にはBさんの左手と、Aさんの右手を握手してもらいます。
  そして、脳波が安定した場合はプラス、乱れた場合はマイナスとします。
  それから掛け算をした結果で相性の判断をします。
  AさんBさん両方の脳波が安定したとしたら、プラス掛けるプラスでプラス。相性は最高です。
  AさんBさん両方の脳波が乱れたとしたら、マイナス掛けるマイナスでプラス。相性はいいんです。
  どちらかの脳波が安定し、片方は反対に乱れたとしたら、プラス掛けるマイナスでマイナス。
  相性は悪いんです。両方の脳波が乱れたら相性は悪いと思ってしまいそうですが、どうやら
  けんかしながらも長続きするようです。お互いに何らかの学ぶべきことがあるのでしょう。
  もっと単純にして、好きならプラス。嫌いならマイナスとして、掛け算しても同様の結果になります。
  職場でもたとえ複数でも通用します。3人だろうと100人だろうと掛け算をしていって、
  結果がマイナスなら、その部署は相性が悪いから伸びないといえます。
  結果がプラスなら、その部署は相性がいいから伸びるといえます。
  家族でも同じことがいえます。また人間同士じゃなくても別にかまいません。
  物でもかまいません。また、脳波測定よりも筋肉学をもとにしたテストが簡単でもあります。
  このように、五感ではとらえどころのない波動の世界を測定するには、
  今のところ筋肉学をもとにしたテストやオーリングテスト、または、波動の原理原則を知ることが
  最も有効的な手段であろうと思います。あとは波動に敏感な体質の方の意見を参考にすることも
  有効です。脳波を測定すればその方が本当の能力者かどうかは簡単にわかります。
  また、現代は様々なアレルギーを持った方がたくさんいます。そういう方達は、体でわかるんです。
  市販のお米は食べられないけれども、無農薬のお米なら食べられるということは、どういうことでしょうか?
  波動がわかれば、これからこうなるどうなるという結果も見えてきます。またどうすればいいのかということも
  わかります。しかし、人は知識だけでは動きません。情で動くのです。自分よりも高い波動に感電することが
  感動です。単なる知ってるという知識から、色々なパターンにも応用的に活かせることが出来、瞬時に知りたい
  答えがわかる見識にまで高め、さらに現実の人生において上手に活かす胆識にまでもっていって初めて
  理解したといえます。私自身そういう意味ではまだまだ理解したとはいえません。
  身近な人ですら、「こうしたらこうなるよ。」と波動的見地から述べても、私なんかよりも社会的地位のある方や、
  有名な方に従います。そうして結果は波動の法則の通りになります。
  自分の力の無さ、波動の弱さに何とも歯がゆい気持ちになります。
  とにかくひとりひとりの方に学んでもらいたいんです。そうしてご自分でご自分の人生を開いてもらいたいのです。
  私の大好きな詩のひとつに「こころだに 誠の道にかないなば 祈らずとても 神やまもらん」というのが
  あります。神様は決してお願い事は聞いてくれません。平和的な人の心に共鳴するだけです。
  また「切なる願いは 必ずとぐるなり」と道元禅師がおっしゃられました。切に願っていると、
  それがだんだん板についてくるものです。学校の先生が板についてくるとそれなりにらしい顔つきになってきます。
  夫婦も年季が入ってくるとだんだん似た顔になってくるものです。それと同じで、「和顔愛語」「至醇」にこそ
  神様も感応するというものです。争いの念を抱えたままお祈りしても決して神様の波動には共鳴できません。
  全てのものに感謝したとき、ただただありがたい時にこそ共鳴します。だから先に決めてもらいたいんです。
  うそでもいいから、「ありがたい」と。楽しくなくても笑ってもらいたいんです。落ち込んでいるときに
  スキップをしてみて下さい。イヤなことでも「ありがとうございます。ありがとうございます。」と
  言ってみて下さい。何故かありがたくなってくるんです。失恋したときは「あっはっは」と大きく笑って下さい。
  何故か涙が止まらなくなって、すがすがしい気持ちになります。より強い高い良い波動で包み込んで下さい。
  「病気だから笑えない、感謝できない。」本当ですか?人生は理屈では上手に生きられません。

波動の応用

  ここまでに述べてきたことからちょっと実際の問題について考えてみましょう。
  2005年11月5日の徳島新聞の夕刊にこんな記事が載っていました。
  「水辺の景観台無し ごみ不法投棄 後絶たず 徳島市・徳島みなと公園 開発事務所マナー向上訴え」
  家庭から出たと思われるごみの不法投棄でごみが山積みになっているそうです。住民からの苦情も多く、
  開発事務所では6月から「当所にゴミ等を廃棄すると廃棄物の処理及び清掃に関する法律で罰せられます」
  という看板を合計5ケ所あるゴミ箱の前に設置したそうですが、不法投棄は増えていく一方だそうです。
  そこで、今回「見回りを強化するなど強い姿勢で不法投棄防止に努めたい。」というコメントを出しています
  波動的見地で考えてみましょう。もうおわかりですね。徳島みなと公園の粗悪な波動の部分に粗悪な波動を以て
  対応しようとしているわけです。これでは一害去ってもまた一害で、ごみの不法投棄防止にはつながりません。
  徳島みなと公園は新町川という川の岸沿いにありますから、子供が遊ぶような簡単な魚をもじった遊具とか、
  たくさんの花、できれば生ゴミを活用して作ったEMぼかしなんかで土作りして花を植えればいいんではないで
  しょうか。またゴミ箱も両端の2ケ所のみにして、徳島みなと公園で元気に遊んでいる子供達の写真を、ゴミ箱に
  デザインとして入れておけば良くなるでしょう。いわゆるイヤシロチ化すればいいんです。
  イヤシロチ化に関しては、別ページを参照して下さい。
  とにかく開発事務所としては、「人は不法投棄をする」ということを前提にして対処しています。
  確かに人は360度完璧な人間なんていません。しかし、良いところが全くない人間もいません。
  どうせなら、悪いところを見るよりも、良いところを見ようではありませんか。
  幸up的には「人は本来不法投棄をしない」という前提から物事を考えます。
  では何故不法投棄をする人がいるのでしょうか?誰だって不法投棄を好きでやっているわけではありません。
  不法投棄が趣味であるという人は例外ですが、良心の痛みを抑えて不法投棄をやっているはずです。
  実は、幸upの地域では燃えるゴミが週に2回、缶ゴミが月に1回、ペットボトルも月に1回の回収です。
  徳島の田舎でも24時間営業のコンビニエンスストアーがあちこちにあります。15年も前なら全くといって
  いいほど24時間営業の店なんてありませんでした。こういう店からは、ゴミも大量に生じます。
  幸upでも納屋にゴミが積み重なっていきます。要するに需要と供給のバランスが悪すぎます。
  アパートやマンションなんかだと、部屋の中にゴミを保管するわけですから、大変でしょう。
  おまけにゴミの分類も細分化が進み、何ゴミになるのかわからなくなるものまであります。
  実はプラスチックをもとの油に還元する技術もあります。しかし、日本は悲しいことに、
  環境問題を一挙に解決できるような優れた技術を実用化しないどころか、潰そうとまでしてしまいます。
  経済優先なんです。政治を動かしているのはお金なんです。これが現実です。しかし国民はそんなに
  バカではありません。近い将来、資本主義の無駄、矛盾に気付いた人達が増えてきて、今の体制が
  崩壊するでしょう。そうしないと人類と共に地球までをも崩壊させてしまいます。
  近代の問題を抜本的に解決しようと思えば、結局は正しい思いをもった強い人間教育に帰するでしょう。
  立派な人とは、決して有名な人や社会的地位のある人や経済力のある人ではありません。
  自分にしかできないことを正しい思いで淡々と楽しく活き活きとしている人のことです。

  次の応用に移りましょう。ある女性が痩せたいと思ったとしましょう。
  何々したいという思いは、奪うという特性のある負の波動です。マイナスから出発していますから
  同じマイナスの波動が共鳴します。マイナスがマイナスを呼び、強く痩せたいと思えば思うほど
  強いマイナスを引き寄せます。副作用のある薬や、リバウンドの強いダイエット法や、
  ストレスをかかえてしまったり、お金を奪おうという波動に感応してしまい、全く効果もないのに
  高い金額を払ってしまったり、挙げ句の果てには取り返しのきかないような外科的手術までしてしまい、
  その時は良くても、後々何らかの依存症や躁鬱や不眠など精神的に崩れてしまいかねません。
  傷ついたことが原因で痩せようとしたら、自虐的になってしまい拒食症に陥ってしまうこともあります。
  では、波動的視点からどうすれば良いのか考えてみましょう。
  人間の本来の姿はスリムです。まずは出発点からプラスに転じましょう。
  「痩せたい」という思いは、「太っている」という思いから発生します。
  「痩せたい」という思いの反対は何でしょうか?
  「太りたい」ではありません。これもマイナス波動です。
  「痩せたい」という思いは、「痩せている」という思いで
  消えます。ですから、「痩せたい」という思いは、
  「痩せている」という思いで実現することになります。
  思いを実現させるコツは全てここにあります。
  「痩せたい」という思いは、実は「太っている」という
  ことの確認をしていることになりますから、決して実現しません。
  「お金持ちになりたい」という思いは、「私は貧乏だ」ということを
  確認する作業にしか過ぎませんから、いつまで経っても貧乏のままです。
  縦波、いわゆるモデルとして、まず人間本来はスリムであるということを
  イメージ確信しましょう。そして「私は痩せている。ありがとうございました。」
  と、先に決めてしまいましょう。そうしたら後は簡単です。高い良い強い波動の
  物である本物商品が、その意識に共鳴し、連動することで、自然に実現してきます。

  どうか皆さんもここまでに述べてきたことを活かして、楽しい人生を実現してください。
  波動を理解すれば、「世間はそんなに甘くない」という言葉は、そう思っている人にのみ
  適用する言葉であることがわかるでしょう。正しい思いと正しい環境が共鳴したところに
  一般的にいわれる奇跡というものが生まれるのです。
  また、良いものかどうかの判断を、筋肉学をもとにしたテストなどで簡単にわかりますから、
  皆さんもご活用下さい。


筋肉学の参考文献

「パワーか、フォースか 人間のレベルを測る科学」 三五館刊
デヴィッド・R・ホーキンズ著、エハン・デラヴィ&愛知ソニア訳



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