老兵ax
ヨーロッパ(ロンドン・パリ)旅行記

 概要

1.日程 2004.8後半(夏休みを利用して)の8日間

2.旅行人数(大人)2名 N君、H君

3.目的 イギリス及び(ユーロスターで)フランスを探訪し、(雑誌やテレビで見ただけの)両国の文化・芸術を(直にこの眼で)検証し、記憶として留め、心身をリフレッシュする。

4.利用航空会社 VS(バージンアトランテック)、BD(ブリテッシュミッドランド(フランスとイギリス間の航行))

5.概算旅費(航空・宿泊費2人分、8日間)約68万円、ツアー(現地払)約15万円、夕食代ほか17万円、計100万円(@50万円)
  (夏休み期間の8月旅行は高く付くね)



 第1日目 旅行日(出国、入国準備、時差との闘いがある)

J07:45  (5時起きして成田に向かう)成田第一ターミナル着、2人合流、JTB航空券受領、搭乗手続08:00、空港内で軽食。
 両替(イギリスポンド券¥10万=£473、ユーロ券¥10万=E719、TC=£280,E600)計¥35万 
「本日のレート:£1=¥211,E1=¥139」
J10:00  搭乗口で持物検査、10:30機内へVS901便RONDON HEATHROW行、エコノミークラス8人掛×36列(約500人乗り)
 ジェットエンジン2基、ボディにエンジェルが書いてある。主翼後方の右席、やはり成田の地ベタを30分も歩き回り
J11:35  やっと離陸、成田、新潟、日本海、ロシア北部を通過、
 スエーデン、ノルエー、ドーバー海峡の各上空経緯し、ロンドンヒースロー空港へ。
 イギリスとの時差―9H(夏時間―8H)、搭乗時間10H(到着時刻現地15:30)、VS機でも席は狭い(外国機種は広いと思った)。
L15:30  テムズ川にロンドンブリッジ、ビッグベンが見えた。無事HEATHROW空港に着陸(天候曇り)、ターミナル内を結構歩き疲れた。
入国審査(根本りつ子風の若い超美女が)Pleaseとスマイル、2人纏めて審査「Shightseeingですか?」 Yes I do.
 ついでにLondon Bridge and Big Ben とおまけ。「Good!」 (待ち10分、審査10秒)ホッとする間も、出口でオバサンに再質問、
 How long… staying? 出迎えのフロアーは、まるで人気スターが旅行帰りの感じ、たくさんの「ファンが黒山で声援が?」
L16:00  JTB職員(紺野美沙子風のN子さん)が出向え、日本旅行者10人程、バス乗込み各ホテルに、地下鉄ベイカール線駅近く「ミレニアムグロースターホテル(MILLENIUM GLOUCSTE RNONDON)」に到着、チェックイン、N君ホテルに着くや「バタンQ」で朝まで熟睡、そのため今夜の夕飯はなし。(狭い機内で疲れたし、機内食いろいろ食べたから、マーいいか)
 壁はあちこち破れ、トイレの水流すと「サイレン」のようにケタタマシイ音がなる部屋です。古いだけが取り得の感じです。
 第2日目 市内名所観光、午後ウインザー城観光、夕方はテムズ川ディナークルーズ

L06:00  起床(天候、晴れ、朝は涼しい、今日は日曜日) 7:00ホテル1Fで朝食(昨日食べていない分、色々パクパクのバイキング)
 ホテルからの見晴し良とは言えず。ガラス張りの屋根のレストラントが眼下に見え朝食中、ここで食べるのかな?
L08:00  地下鉄で10分「ピカデリーサーカス駅」まで一直線「MY BUS」の案内所に着く、ツアー代金支払い、バスを待つ。
L08:45  市内半日観光(49名)、ロンドン塔、ロンドンブリッジ、ビッグベン、国会議事堂、ウエストミンスター、セントポール寺院、バッキンガム宮殿を観光、観光案内はミスターX(この道30年のダンデイー、元警察官とか、ギリシャ、フランス等の案内人を勤めて60歳、若さ保つ秘訣は「人前に立つ仕事をする」こと(小奇麗にする必然性がでるとか、悩みの無い顔立ちは立派だ)、ビッグベンの荘厳なゴング、大時計の長針が6mもあるとか、バッキンガム宮殿はたくさんの観光客、主のエリザベス女王は避暑地にバカンス中、本日閲兵交代は無い日、宮殿立派金ピカ、森や公園の敷地は壮大で手入れが良い。
L12:15  昼食タイム、ピカデリーサーカスから歩いて直ぐの中華街で満腹にしたあと、スターバックでコーヒータイム。
L13:15  ウインザー城観光(26名)、郊外のウインザー市(イギリス国6000万人の内、ロンドン72万人、ウインザー62万人)は大都市。あのダイアナ妃、チャールズ皇太子が執務した広大な城で人気のスポット(カミラ出現で、今はどうかな?)、城下も観光客で賑わう。
 石垣の広い城内、街なかを散策、珍しく日差し強く暑い。小高い城への専用鉄道(駅に御用機関車展示され)がある。
L17:30  テムズ川沿い散策、クルーズまで時間潰し(ホテル帰る時間も少ない)、朝、市内観光ルートを再散策、橋詰公園でコーヒーブレーク、対岸に斜張歩道橋を渡って川沿い歩く。夕方湖畔で大道芸、スプレー絵など、やる方も見る側も思い思いの楽しみ方がある。
 帰りの橋上で秋田から着たお嬢さんにN君、カメラシャッター頼まれ、ハイチーズ!
L19:00  テムズ川デナークルーズ、左岸に戻ってクルーズに出航(日本客3組)、シーステージが目の前で(最良の席か最悪か結論が後で分かる)、シャンパン飲みながら綺麗な歌手の歌を聞いて、メーンは鴨肉ステーキ、テムズ川を2往復して夜景を堪能、最後は生バンドと歌でダンスタイム(船上騒然で席を移動シターイ)、帰路地下鉄車両で夕方合った秋田美女とバッタリ再遭遇(ロンドン一人旅6日間、乗換え便利な隣駅パテングトンに宿泊とか)
L22:45  ホテルに戻る、23:30就寝
 第3日目 今日1日は、郊外のコッツウォルズ村々を観光します

L06:00  起床、08:00ゆっくり朝食
L08:45  集合時間の勘違いで、雨中タクシーで「ピカデリーサーカスの案内所」まで飛ばしセーフ(10分料金£15、チップ£2)
L10:00  コッツウォルズ村々観光(雨が降ったりやんだりの天候)、30人位のツアー、(JTB案内イギリスの方と結婚したCオバサン)小高い丘の意味らしい、石や岩の混じった大地を開墾し(その石で建物を建て)牧草を育て、羊を放牧して羊毛を売り、財を成した人々の街を4ヶ所も回っても「違いが分からず」です。
L12:30  昼食、どこも超満員、街なか食べる処を探しまわり、或るレストランに入る、ここも満員が丁度席空いて座る、お勧め郷土料理を頼む。 オりーブ油タップリのパスタ料理、N君はズブ濡れも平気な方ですね、傘あるのにねー?(後で風邪引くんですが)
 帰りのバス中、前から Cが説明、前で携帯する彼女、後は、おばさんが大声でズーと世間話、うるさい、昼寝も出来ないです!
L16:00  市内で解散、ハロッズデパートで記念品の紅茶を頂く、店内広く、お目当てを探す時間が大変掛った。
L18:00  食欲なし、調子イマイチで、ホテルに一目散に帰る。疲れはて、夕食なしで,そのままベッドに直行、就寝。N君クーラーで体調崩す(濡れた体が冷えたんです)、風邪薬のんで休むも、明日フランス移動日で体調回復を祈る。
 第4日目 ユーロスターでフランスに入国、市内名所シャンゼリゼなどを通過してホテルに

L06:00  起床、07:00 朝食、N君前日と比較して驚異的な体調回復に安堵し、移動準備する。 ホテルからJTB案内人、駅までバスで移動(8人ほど)ユーロスター乗車券を引換え「2時間45分の旅」、ユーロ圏は、入国手続き省略だ(ロンドン、パリ間は1時間の時差があり、時計上では約100分間である。)
L09:09  ユーロスター(9012便)、30分待って乗車、4人掛け、速さや豪華さは、日本の「こだま」より劣る。
 席が中央向固定で後向き席(背中がパリ方向)、雨のイギリスを後にして、ドーバー海峡横断を知らない内(20分間で)通過。相変わらず給水、N君大好きなオレンジジュースを調達して喉を潤す。
P12:50  ついにフランスに着く(快晴で眩しい)、モネ描いたSL到着寸前の力強い絵(サン・ラザール)に雰囲気漂う大屋根があって、歴史ものの建造物、スター先頭車両が勢揃いも、薄汚れで、いまいちです。駅の立派な彫刻が、正面玄関に8体がお出迎え、JTB案内人出迎え(客10人)バスで市内観光開始、エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、凱旋門などを経緯して、ホテルへ。
P14:00  我が宿泊先は「HOTEL CONCORDE LA FAYETTE PARIS」
 凱旋門の東300mの処にある30階のホテル(9F)、東にモンマルトの丘があり展望良しだが、反対側は凱旋門とエッフェル塔が丸見えで、展望更に良し。中々宿泊手続きが難しいようです、早く着き過ぎで部屋チェックイン出来ず。JTB案内賢明に膨大な資料で説明も分かりません。パニック状態、ツインベット契約が、ダブルのようで再交渉要求も叶わず、不満タラタラ、契約不履行。
P16:00  疲れて外食せず、教えて貰ったホテル続きの地下スーパーで飲物、鮨、果物などの夜食を調達し、これを押込み、就寝。
 H君お腹の調子と関節痛、風邪薬3錠を貰って飲む、良くぞ日本から風邪薬を持参して。
 第5日目 午前は市内名所観光、午後はルーブル美術館であの美女とデートするんです

P06:00  起床、07:00朝食、H君、体調を回復、相変わらず朝食はフルーツとヨーグルトです。
P08:45  MY BUSから、バスで市内観光、
 リュクサンブール公園(=朝の清々しい広大な公園を散策、自由の女神の原型像、公園で様々な方たちの憩いがある)
 コンコルド広場(=街は大統領が出席して盛大なフランス?50周年記念行事があるとかで警戒厳重)
 シャンゼリゼ通り、凱旋門(=凱旋門にバカデカイ国旗掲揚しての行事、ガタ付いた道路舗石を修理中)
 エッフェル塔(=パリ博で建設(300m+アンテナ21m)塔前で記念写真、塔下は、かなりの旅行者が数珠つなぎ、展望台には明日登るぞー。(東京タワーは、これより負けられない、と333mを創る)
P12:30  昼食、MY BUSに近い中華店(サッポロ1番軒)で「ラーメンと野菜炒め」を食べに直行。
P13:15  ルーブル美術館見学、ルーブル美術館には、案内所から歩いて、ゴールドの騎馬像を左折し、すぐ右にある。(5分)
 地下に降りて、逆さピラミッドを通り、クリスタルピラミット屋根からルーブル正面建物を見る。入場券、パンフ片手に、やはり歴史が館や都の悲哀を物語る。堅固な創り、新築なった大理石造りの美術館が実に美しい、物凄い数の観光客、これでもこの時期少ない
とか。最初の対面が「ミロのビーナス」すてきな肌つやと(触れたい程の)美体、たくさんに観光客が動かない、写真撮るのも苦労、次々に壁画、天井絵、シャンデリア、調度品、修復なった戴冠式の壁画が、眩しいほど鮮明である。
 30年前に上野美術館で拝見の「(レオナルド・ダ・ビンチ作)、モナ・リザ」と再会、変わらない「微笑み」にうっとり、ここの前だけがギュウギュウ詰め、中々(カメラアングルの)特等席まで移動できず、来たーと思ったトタン押し出される始末。写真もブレて失敗。
 N君は、これらのあり様、観客を写真にする事に専念、色々の壁画はフラッシュ撮影禁止(宝石が顔料の絵画で、紫外線はダメ)、写真がセピア色に、全館見学するには、4日は掛かるとか、2時間ツアーではこの程度かなー。時間ある方は何度も見て良いが、帰ることにした。売店で、お勧めお土産「ビーナス彫刻」は20cm位のが73C(その他+消費税17.5%)もするので買えない。
P17:30  (お土産の品定めもいろいろ迷うね)パリの絵葉書セットで我慢し、地下鉄でホテルに戻る。
P19:00  地下街で飲物、果物など調達、H君は、そのまま就寝ゴロン。N君は、体調回復で夕食(スパゲテーなど)をルームサービスで。
 第6日目 自由行動ではエッフェル塔に登り、午後からベルサイユ宮殿見学、フィナーレをムーランルージュでデナーです

P06:00  起床、08:00 ホテル1F朝食(バイキング)、今日の午前は、自由行動でゆっくり起きる。2人の調子はマーマー。
P09:00  例の地下鉄に乗って、エッヘル塔近くの駅(シャイヨ宮殿地下)でハプニング劇発生。長い登りのエスカレータ、我々2人ノミと思ったら途端、猛然と追い付いて来た2人?あと2m位で降りる直前、追抜いた男が「業とらしく」右手からキーを床に落とし、モタモタして前を堰き止めた(コリャー後が、きっとスリだな)案の上、降り口で糞詰まり、(後ろからスルヤツ来るな)、我が右ポッケは地下鉄案内パンフだけ、小銭入れ(地下鉄キップが入っている)を握っている。左と後のポッケは空、左手にカメラを持っている。一瞬右手に生暖かい手を突っ込まれた(空振り、残念ネー)その瞬間、後ろで気勢、N君が男の首根っこを両手で突上げている(オメーすりだろー業とぶつかって来たー)、H君はしゃがんでバケード役を蹴飛ばしエスカレータから飛び降りる。後はN君に首を絞められた男が万歳している。オメーラすりだろー!と叫んでいる。前の男が立ち去らないので牽制しながら、手を離し下がる。
 N君もスリの実害がなかったが、思い切って(振り向きざまに、後ろの男を)ブンナグレば良かったかなーと後悔。俺さまに手を突っ込み、財布を失敬しようなんてバカにしやがって!腹が立つ。N君いわく、大声でドロボーて叫べよー、日本語だって怒ってるのだーを表現しないとー」(いろいろ指導受ける、はいそうでした)」かなりのズー体2組なので乱闘は叶わない。あまり人が通らない地下鉄の出口が、あのエッフェル塔の出口だなんて、パリのバカヤロー!(何人か、すられたのか?悲しい思いした方もいたかも)、それにしてもN君は機敏でした。
 気分を取り直して、エッフェル塔が目の前で歩く、昨日よりは人並んでいない。最上階まで10Cだ。全方向写真、中段に降りて又写真、シャッター押し頼まれたカメラは、NIKON、見渡すとCANON、SONYなど我がJAPON製品カメラばかり、外国観光客がたくさん持っている。世界には分かるのですネー素晴らしい機能のカメラは、やはり日本製を改めて感心。記念品を買って降りる。
 地下鉄での移動をやめて、橋詰めからタクシーで、MY BUSに戻る。
P12:30  昼食をやはり「サッポロ一番軒」に行く。大繁盛だ。朝日新聞(E3.5=約400円)を調達し我が国のオリンピック情報等を確認。
P13:30  ベルサイユ宮殿見学、MY BUSセンターから、バスで1時間位郊外に出る。案内は(バッハ風)J氏、日本語うまいが話の合間に、「なになに ダケド」と話す。いわゆる「ダケド博士」と認識した。広大で宮殿の先に更に3km先が本殿とか。そこまで電気バスで遊覧ができる。やはり2時間では見尽くせない、立派な彫刻、壁画、調度品が見もの。宮殿は石灰岩で出来ているが老朽で修理工事が至るところで実施中、ルーブルにあった載冠式の絵画(同じ構図も一部がピンクの衣装が違う部分)、観光バスがヨーロッパの各国から来ている。ユーロ圏の「ベルギー、オランダ、スイス、イタリア」から、凄い人気のスポットなのですね。(ダケド石畳は歩きにくいです)
P18:30  ムーランルージュ、バスで30分、19:00シャンパン0.5本/人(ビールなら小2本)、デナーは1kg近くの牛肉ステーキ、ボリュウムあるが硬い塩味、ポテトもコンモリで半分残す。ムーラン・ルージュ(紅い風車)のいわれ=モンマルトの丘はパリの都市に必要な良質石灰岩発掘場、その動力源として風車が使われ、のちに過発掘で地盤崩落し、次々にその風車が姿を消し、ゴーストタウンに、この街の風車をモチーフにした一代繁華街に再生させた歴史がある。
 ショーが始まる。我ら日本人観客は6×3テーブルで18人(他にステージ前にたくさんいるようだ)、ショーダンサー(女性60人、男性40人、身長175cm以上で白い肌、プロポーションとダンスがうまいのが採用条件とか。ウクライナ系ロシア人が多いとか)フランス人は20人と少ない。ダンスの合間にアクロバット、ショー、腹話術が大好評。全世界から観戦に集まるから、黒人ダンサーもいる(1人)。
 (1ステージは、800人対応です。2000年の出し物で10年は続ける内容で、ステージセットが20億円も掛け製作ですって)終わっても更に11時から、第二公演がある。これを見るため入口は長蛇の列です。入替えが大変です、大盛況だ。ここは不夜城そのもの。街はライトアップで美しい。
P22:30  迎えのバスに乗り、ホテルを4ヶ所ほど巡回して帰る。
P23:00  ホテル着(明日は、いよいよ帰国で、荷物を準備する)、就寝
 第7日目 パリ(ドゴール空港)からイギリス(ヒースロー空港)に移動し、乗り換えて日本へ

P06:00  起床、07:00朝食、今日は、移動日です。
P08:15  JTB案内人、出向い、(円形コンクリート造の)ドゴール空港へ移動、航空会社はBD社
P11:00  のんびり経営、ベタ遅れでも平気ですね。ドゴールはコンパクトで移動が楽ですが、免税店は小さい、(小さなジェット(350人乗り位))で1時間のフライトだ。ヒースロー空港に着陸も遅れて、大丈夫かいな?案の上、乗り継ぎ遅れ、ターミナル1から3まで、結構な時間(30分ぐらい)駆け回る。疲れた、VS900便の発着乗り場を賢明に探す。荷物の積み替えは大丈夫かいな。
 足腰弱いおばちゃん連中、広すぎて乗り継ぎには完全にアウト状態だが、皆乗れたかの心配がある。
L12:30  ロンドン発VS900便も2時間遅れ離陸。忙しない帰国便です(フー 汗噴出す)、良く乗れたねが実感。今度は直行便にしようね。
 「時差は―1時間」、N君の前は、またまた大男で、ずーと「リクライニング」するから窮屈になる。子供は泣き叫ぶ騒音の機内。
 無理やり暗くしても直ぐには寝られないよ。機内で土産追加したが、つり銭がないとかで、差額をチップになる。
 第8日目 成田に帰国、解散(時差のタイムトンネルと闘う)

J09:00  成田に無事着陸、帰国審査、手荷物回収、疲れたね。何か食べたいが、帰国した成田に食べ物屋ナゼか全く見当たらずで。
 残金を両替(400ポンド位、夕飯食べない日が3日もあって)し、解散、帰路。
 帰って土産品を発送時間だけが気になる。お疲れさんでした。
J11:30  「家に着いたぞー」のメールを互いにする。深呼吸し、お土産を小分けし、宅配便に出し、風呂に入り、熟睡する。
 旅行後記

1.どこにでも居るのですね  1)ユーロに乗ったが、鉄道沿線の擁壁にあの特徴のある落書、バカモンがどこにも!
2)これまたユーロの車両内、巨体の男、大声で2時間半もズート話しっ放しで「携帯電話が」うるさい!
3)コッツウエルスのバス移動、後ろのおばさん達「大声でズーと世間話を」ガイド説明なんか関係ない。ハモッテしまい、うるさーい!
2.JTB企画は説明不足よ 1)パリでは、最東部のホテルに、MY BUSセンターまで地下鉄移動だが、乗り場をまちがえ飛んだことに行ってしまい、戻るのが大変だった。間違いないように、キチット案内図で説明してよ。
2)ホテルの宿泊条件(費用だけAグレードで)ツインの部屋確約のハズが、ダブルでは、はっきり提示してよ!
3)乗り換え便は、非常に大変、一般の方には使えない。旅費が同じなら、直行便を推薦してよ!
3.私がカモに見えたようだ 1)他人が落としたものは「絶対に拾うの手伝わない」こと。スリの猿芝居は、初めから分かっていたが、手伝いの、その隙にスル手口だ、善意を悪事に利用する「ばか者どもが」、腹立つなーもー。
2)現地のお土産品みんな高い、売る気があるの?欲しいのは、免税店で買いましょう。
4.アラブのオイルダラーが健在  イギリスもフランスも(テレビチャンネル゙が20もある)半分はアラビア語か字幕スーパー付き、石油金持ちのお客がたくさんお金使うので優遇処置かな?それとオリンピック中継なんて自国が決勝に進んだ自転車位です。
 一方我が日本のは「NHKニュース録画」を延々1chだけ。あるだけマシか?しかも肝心な画像がない「音だけ」で動かないラジオです。
5.岩での都市つくり 1)大火歴史と資源が岩での都市づくりですが、地震がないから、あの重い材料でも大事に保全されて来た。しかしホテルの中が近代建築です、水が出るとき「サイレンのように唸るのは」4星のホテル、レストランとは考えられないです。古さだけが4星ですが。
2)建物には、横丁がない。隣の建物がピッタリ接触した岩造りで、建物内通過しないと裏地に出られない。大通りしかありません。
3)フランスの下水道は、深い(4m以上はある)。大抵トイレは地下にある。歴史が地下道を発展させたようで。
4)街路樹が、あるのはシャンゼリゼ通りぐらいです。あとは公園に一杯纏めて取ってある。街は石畳と小舗石道でこだわりがあります。   
6.髪はキチット束ねて仕事をキッチリです 1)イギリスでもフランスでも、働く女性は、皆共通のヘアースタイルです。空港職員、パーサー、ホテル、観光地売店、美術・博物館窓口、案内、船上受付、ムーランのクローク、掃除のオバサンなど至る所の女性は決まって私の大好きな「ポニーテイール」です。特別にアクセサリーは付けていないし、仕事に専念出来て良いですね。これ程に徹している国も珍しいです。
2)片や日本人は、客とは言え、全部が、チャラチャラ、ぼさぼさのスタイルで、対象的です。   
7.体調は万全で旅行しましょう 1)半日もの時間差がある国には、体調十分で行きましょう。調子狂って大変です。待望の食事も美味しくなくなる。今回の旅行で、夕食を4回もパスしたので(資金は、お土産に回しましたが)、現地の食文化探訪に欠けていました。反省します。
2)機内は狭すぎます。人間の座るところでないよ。1〜2時間の旅なら良いが、10時間では今のジェットでは、鶏小屋のようなもの、あんな狭い席では、みんなが病気になります。
3)水にも注意、結構のどが乾くし、定期的にトイレを探すのも大変です。大抵、トイレは有料です。免税店で何か買えばタダですが。   
8.イギリスの子は、(親からでなく)銀行から融資(借金)を受け大学に入る  高校卒業すると(必ず)1年間を社会に出てボランテアで働く(チャールズ王子もやっていましたね)その上で自分が将来目指す方向の進路を定め、銀行から融資を受け、授業料とし、卒業し借金を返す責務があり、馬鹿なことが出来ない仕組のようです。
 (親は大助かり、子供は自立し、資金援助の必要もない)、日本と、どちらが良いシステムかは、歴史がそうしているのです。   


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