私はアニメ版『極上生徒会』になにを求めていたのか

はじめに

 そもそもの出発点は、私がアニメ版『極上生徒会』を気に入ってしまったところにある。このアニメ、誰が見てもたいして出来がよくない。作品全体の評価としては面白くないと言わざるをえない。でも、それなのに、なんだか好きになってしまったのだ。もちろん、たまには及第点を超える回もあった。しかし、ほとんどは、今週こそは面白いのでは、と期待してテレビをつけて、ああ、今日もダメなお話だったなあ、と嘆息する、という毎週であった。それを繰り返しつつ、最終回までつきあってしまったわけだ。
 このような現象は、オタクにとっては珍しくないものと思われる。

凡作愛の論理

 さて、以上のようなオタクの態度は、いささか合理性に欠けたもののように思われる。凡作と見切ったのならば、その時点で視聴を止めればいいはずだ。なぜ観続けるのか。この愛はどこから生まれるのか。
 しかし、「オタク道」に則って、妄想の快楽と批評を区別するならば、この見かけの非合理は解消される。
 『極上生徒会』は一アニメ作品として批評するならば、あまり評価できるようなものではない。しかし、こと妄想喚起性ということからいえば、まあまあ評価できるのである。
 『極上生徒会』をひとつの作品として論じても不毛である。出来が悪いのだから。しかし、それにもかかわらず、我々は『極上生徒会』の個々のキャラクターについては、そこそこの熱さをもって萌えを語ることができるのだ。キャラを立てることにはそれなりに成功しているからである。作品全体の出来がいまいちでも、キャラだけは魅力的でありうる、という理論の実例なのだ。
 『極上生徒会』は、妄想と批評が別の営みであるということを我々に改めて気づかせてくれる、よいモデルケースなのである。
 さらに、「萌え語りの論理と倫理」で提示した「寛容の原理」にも着目すべきだろう。キャラの描き方にすらも不出来な点は多々ある。しかし、ある程度寛容に見てあげれば、きちんと萌えキャラを抜き出して妄想することができるのであり、そうすることがオタクとして成熟した態度なのである。
 ただし、前掲拙稿でも強調したように、だからといって『極上』制作スタッフの仕事を手放しで褒めているわけではまったくない。駄目な部分が少なくないことは知っています。わかってます。でも、それはそれ、これはこれ、いいキャラを届けてくれてありがとう、とは言えるのである。
 ただまあ、そうはいってもやはり、凡作に期待して裏切られたなあ、という思いも残っていないわけではない。そこで、あらためて私がアニメ版『極上生徒会』になにを求めていたのかを整理しておきたい。

萌えにおける友情至上主義

 原点に戻り、キャラへの萌えがどう成立するかについて考えておこう。
 キャラ萌えが成立するためには、そもそもキャラが立っていなければならない。これが大原則である。
 しかし、多くの萌え狙い駄目作品は、記号的な属性の寄せ集め以上のキャラを提示することができていない。つまり、固有の魅力をもってきちんと立ったキャラをつくれていない。このような事態については、別稿においてさんざん愚痴を垂れてきた。
 では、記号化せずにキャラを立たせるためには、どうすればいいのか。
 たとえば「百合萌えと繊細の精神」で指摘した「繊細であれ」なども答えの一つなのだが、本稿では別の答えを挙げてみよう。
 私が思うに、もっとも有効な手段の一つは、エピソードとして「恋愛以外のコミュニケーションをきちんと描く」というものである。
 キャラを立たせること、つまり、そのキャラがどんな人間かを描くこと、このためには、当該のキャラがさまざまな他者と取り結ぶさまざまな人間関係をきちんと描いていかねばならない。
 至極当たり前のことのような気がする。しかし、萌え狙い駄作には、これをやっているものがあまりない。
 私が思うに、萌え狙い駄作には、根本的に勘違いしているところがある。連中は、ラヴもしくはエロにかかわるエピソードを連発すれば萌えが生じる、と思い込んでいるのだ。
 これはまったく浅薄な勘違いである。そんな限定された状況のエピソードだけをいくら積み重ねても、キャラが立つことはない。もっといろいろな状況を丁寧に繊細に描かねばならない。
 また、「日常において友人たちなどに見せる彼女ないしは彼の姿」の描写がきちんと積み重ねられているからこそ、「その彼(女)が恋愛という場面で見せる姿」が萌えるものとして輝いてくる、ということもある。濫発されるラヴやエロのエピソードは、逆に我々を萎えさせるのである。
 もちろん、ラヴやエロのエピソードだけでキャラを立てることが不可能というわけではない。しかし、それがたいへんに難易度が高いことは確かだ。お手軽な萌え狙い作品には、まず無理だ。だからそれらは失敗する。
 ということで、まとめればこうだ。萌えを成立させたいのであれば、まずは友人同士の日常的なエピソードを積み重ねるべきなのだ。これがすなわち萌えにおける友情至上主義である。
 最近の萌え狙い駄作はそこがわかってないんよ。せっかちなんよ。すぐに異性とどうこうを描こうとする。それは抜きエロゲーやAVのやり方だ。それじゃ萌えにかんする美食家はついてこない。萌えってのはそんなお手軽なもんじゃない。萌えは日常的な場面の描写の丁寧な積み重ねにおいてはじめて成立するのだ。
 先に述べたように、そういう駄作すら寛容な読みをして楽しめてしまうこともあるのがオタクなのだが、私としてはここはきっちり辛口に批判しておくべき場面だと思うのだ。
 (註1 本稿では女の子同士の友情を強調した。しかし、もちろん男女間の友情でもいいわけだ。また、友情でなくてもいい。D.O.の名作『家族計画』などは、その名のとおり「家族の絆」を描くことでキャラを立てていた。)
 (註2 もう一つ付け加えておくならば、友情至上主義と百合萌えは混同されがちだが、明らかに眼目が異なる。友情至上主義は、ラヴやエロを排してキャラ立ちを求めるのにたいして、百合萌えは、ラヴやエロをも繊細に描こうとするのである。)

萌えにおける薄味趣味

 ここまで述べた友情至上主義は萌え一般に当てはまる話である。
 私の個人的な趣味は、これをもっと極端にしたものである。
 私のようなエロゲー嫌いコンシュマーギャルゲー好きの寸止め志向の人間にとっては、もう露骨なラヴやエロのエピソードなんかほとんど不要である。そんな濃い味つけは、下品で口に合わない。九割九分ラヴやエロと無関係なエピソードでいいのだ。
 いくつか思いつくままに例を挙げておこう。ただし、あくまで私の薄味趣味に基づいての話である。
 たしかに単発の萌えエピソードを描くのは上手いとは思うのだが、私は赤松健と小林尽の芸風がどうしても口に合わない。どうにも技巧が鼻について、釣られている嫌な感じがして駄目だ。私には、彼らの萌え描写が教科書の練習問題の模範解答のように味気なく見えてしまう。技巧についての知的興味はそそられても、萌えの情念が浮かんでこない。まあ、好きな人も多いようだし、私の感覚がおかしいのかもしれないが。
 ともあれ、女の子同士が仲良く交流しているさまを繊細に描いていくことで、キャラという素材の味を存分に引き出すだけでいいのである。料理人はあくまで裏方。こういう京料理のような繊細な仕事こそが、粋な萌えを生むのではないだろうか。
 たとえば、漫画であれば、あずまきよひこ『あずまんが大王』を嚆矢として、氷川へきる『ぱにぽに』とか、渡辺航『制服ぬいだら♪』とか、笑いとか毒とかマッタリ感とかできちんと味を調えつつ、女の子同士の関係をテキトーに読ませていくのだけでいいのよ。
 エロゲーであれば、『姉、ちゃんとしようよっ!』シリーズや『Pure×Cure』などが、女の子たちの相互交流の楽しさをきちんと描いているものとして挙げられようか。やっぱりエロゲーなので、ラヴやエロの要素が少ないわけではないが、バランスとしては私の好みの範囲にある。あんまりやってないので他に思いつかない。
 古めのギャルゲーを挙げさせてもらえば、『プリズムコート』とか『ひみつ戦隊メタモルV』とかがよい友情至上主義に基づく薄味の例となろうか。どちらも好きなんだよね。
 また、山本ルンルンの『マシュマロ通信』とか安野モヨコの『シュガシュガルーン』とか「低年齢層女子向け漫画」も読んでいて楽しいわけだが、このへんも、子ども向けであるがゆえに下品なエロやラヴのエピソードが濫発されず、友情エピソードが軸になっているからこそ、素材の味を生かした上質な萌えを堪能することができるのだ。
 薄味趣味を満足させる、という点に、「なぜ子ども向けなのか」で燃えの場面にそくして展開したのとは異なった、萌えにかんしての「子ども向け」の意義を見て取ることもできるかもしれない。
 まあ以上は私の趣味なので、他人に押し付けるつもりはない。

おわりに

 ここまで書けばもう着地点は見えたと思うのだが、私は『極上生徒会』のコンセプトが好きなのだ。友情至上主義をかなりわかったうえで、薄味趣味に合わせた味つけで企画を立てている。
 男なんぞは萌えには不要。女の子が仲良くしていればそれでいい、しかし本格的な百合には行かない、という具合だ。
 これはかなり私の嗜好に合致している。私はその志を買ったのである。
 どれだけ高いレベルでそのコンセプトを実現できたかは、たしかに問題ではある。だがまあ、上手くいっているところもあるにはあった。
 市川まゆらがなんとなく年下の子たちの面倒みていたりするさまとか、桂聖奈のお姉さんっぷりとか、銀河久遠や矩継琴葉がクールを気取るくせに情が深いさまとか、なんとなくいい感じだったじゃないのさ。
 ゲーム版はまだ現時点では未購入なのだが、お布施の意味でも買うつもりである。それくらいは私を萌やしてくれたのであり、まあ、そんなもんで仕方ないのかな、結局は深夜萌えアニメだもんな、と自分を納得させたりしているわけなのである。

(追記。ゲーム版はかなり出来がいい。でもやる時間がない…。)

(再追記。いつの間にか私の魔窟にDVDが全巻揃っていた。結局、アニメ版も大好きだってことか。なんだこれは。そのうえ、見るとやはりあまり面白くない。どうなっているんだ。)

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