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年頭祈願祭
平成20年
一月一日〜三日
今年も新年を迎え本堂でお加持奉行
(予約制となっているが当日の受付もある。)
2008年初春の記録
午前11時と午後3時に行われます。
一日(元旦)
午前の部
当日申し込みの方で混み合う受付の様子 山首と修法師による加持祈祷
山首謝辞並び年頭挨拶
今年は暮れからの雪で、除夜の鐘の参詣が少ない年明けでしたが、本日は
こうして雪の中お参りに来られましたことに心から御礼申し上げます。初
詣などでよく云われるのが、魔を払うとか浄化などですが、自己に必要な
のが「荒行」なのです。本日こうしてお参りに来られた皆様は、「行」を
して辿り着いたと私は受け止めております。一年を占う上で、初日に行を
すれば穏やかな年となります。良かったですね。ご多幸をお祈りします。
ご自分の御札を探され帰られる参詣者の方々
足下が悪く、寒い中お疲れさまでした。
僧侶に抱かれる子供と売店受付の模様


午後の部
多くの参拝者が読経を共に暗読。

約1時間の読経後、加持祈祷

上段に上がってお祓いを受けます。
二日目の模様
午前の部
毎年、この日の午前が最も多い日となります。
今年も多かったです。

読経を聞く参詣者
一時間経過の後
いよいよ加持祈祷が始まる
粛々と頂戴経を受ける皆さん
山首謝辞並び挨拶
新年明けましておめでとうございます。また今年も御参詣ありがとうございました。昨年は「偽」と
いう文字が最後に示され「今年の字」といわれ、マスコミが競って書きましたが、私はあまり感心あ
りませんでした。恐らく皆さんも「しつこい」と想われたことでしょう。偽りのない社会が果たして
存在出来るのでしょうか?佛教的に言えば人間の知恵なのかもしれません。人のためと書いて僞なの
ですが、ある意味共存する為の手段として僞は存在する必要な事柄ともいえるのです。宗教の起源は
「殺してはいけない」から始まりとされています。それは全ての既成教団も同じです。しかし生きて
いく為には食べなくてはならない。そこで、必要な分だけ確保して「いただきます」だったんです。
それが今日、食材を余らせて、或いはBSEといっては牛を吊した映像を電波で世界に流し、インフル
エンザといっては鳥を殺した袋詰めを世間に晒したりと目を覆う筈の画像が物を見せる為の特ダネと
して幼い子供達にまで飛び込んでくる。どっちが正しいかを今年はよくお考え下さい。賞味期限とは
何か、売り買いの成立は何処に支点を置くのか。私達が今このことを是正しなくてはならないのでは
ないでしょうか。急がなければ人間の為に死んでる尊い命がうかばれません。今年はそんなことを考
慮しながら情報編集人生を送って下さいますようお願いしご挨拶と致します。「いのちを大切に」と
言っている私達日蓮宗も、この言葉を使う事事態が宗教的末期だと本当に悲しく、憂ているのです。
午後の部
多くの御参詣を頂きました
御札を探す参詣者
ご祈祷ののち、御神籤を引く方々

正月一日と二日のスナップでした。
三日目
午前の部
読経(寿量品10卷)を聞く参拝者の方々。
役僧に促され上段に登る参拝の方々。
加持祈祷
山首謝辞
本日が最後の年頭祈願となります。御参詣ありがとうございました。
今年の慶を本日の今を忘れずに祈り続けてください。必ず成就しますよ。
祈願祈祷を終えて
御札を探す参拝の方々、ご挨拶をされる方々。
佳い年でありますように。
午後の部
受付の模様
祈祷と山首謝辞
御参詣ありがとうございました。本日の今を持って年頭祈願を魔性なく終了しました。
この日に縁あって御参詣下さいました各位に心から謝意を述べます。ご苦労様でした。
こうして、三が日のお勤めを納めました。
来年も是非御参拝されてください。
最後までご覧頂き、厚く御礼申し上げます。
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余 談
本佛寺では昔と変わらず、古式を継承しております。それは、正月のご挨拶です。 必ず
除夜の鐘・朝勤・外回り(各御堂法味言上)を終えると一同が会して新年挨拶をします。
明けましておめでとうございます!(午前6時)
御前様をはじめ修行僧が徹夜で行った年末年始の読経を労いながらお屠蘇を頂戴します。
職員全員で夜明け前に行う由緒ある行事でした。
短い時間で儀式を終え、今年の慶を分かち合いました。
余談でした!
ご覧頂きありがとうございました!
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