五月になった。妙に暑いような気がする。それでも、外を歩いて運動をした。 渡辺満里奈は、いつぞや 3000 円の太巻きを食べていると言っていた。 俺の昼飯は 262 円の太巻きだ。負けてなるものかと 262 円の太巻きを探したがなかった。 330 円ぐらいの、太巻きも入っている寿司詰め合わせがあったのでこれを食べた。 うーん、10倍以上と未満では、燃える度合が違う。
久しぶりにきのうきょうとプログラムを作ったので疲れた。 自分のためのプログラムであり、最低限の品質でしかない。しかし、 デマルコによれば、「ほどほどの品質などない」ということである。 このプログラムももっと手直ししないといけない。 ちなみに、このプログラムによって得られる出力は、 中小企業診断士リンク集である。
朝から館林のつつじが丘公園に出かける。最寄りの駅で館林のつつじの宣伝を見て、 おまけに床屋の主人から館林のつつじはきれいですよといわれたので、行く気になった。 電車の乗り換えは思ったよりよく、10時少し過ぎに館林に着いた。駅前で地図をもらい、 私は前の人たちについて歩いて行った。30分ほど歩いて、公園に到着した。 入園料500円を払い、内部を見学した。確かにたくさんある。ありすぎて有り難みがわからない。 おまけに人も多い。こんなところまで人が来るとは思わなかった。自分達を差し置いて考えるのは悪い癖であるが、 仕方がない。早々と公園を離れた。
昼飯は、館林市役所近くの GUM というイタリアレストランで食べた。つれあいも満足していたようだった。
帰ってきて、つれあいからずっとうるさく言われ続けていた包丁研ぎをやっとこさやることにした。 包丁研ぎは恥ずかしいことに生まれて初めてだったが、 あまり難しく考えずに砥石を水で濡らして、包丁を前後にこするだけと割り切ってやってみた。 自分ではうまくいったかわからない。つれあいに渡してみた。たまねぎやピーマンがよく切れるとのことだった。 そりゃ、今までが切れなさ過ぎた。2週間ぐらい前、つれあいが家で、豚肉を串にはさんで焼く料理を作っていたときのこと、 豚肉を切ろうとしてつれあいがギブアップして私に頼んできた。包丁をつかんだが、見事に切れない。 5分ぐらい悪戦苦闘した。本当に、あのときは包丁が切れないことはこんなにも苦労するものだと感じ入った。 そのときのことを思い出して、真面目に包丁を研いだのだった。ともあれ、包丁を研ぐ仕事も、永遠に私のものになってしまった。
部屋を片付けている。ゴミも出しているはずなのに、物がわんさか湧いてきて片付ける前より増えてしまっているようだ。 去年も同じ時期に同じことをしているのに、物が増えていくばかりだ。 ついでに私のおなかにつく脂肪も増えてきている。 なぜ増えるのかを考えてみると、捨てないからだろう。 入る物が出る物より多ければ、蓄えが増える。これは正しい。 去年から入る物を減らした。しかし、出ていく物がもっと減っているのだ。だから物が増えているのだろう。 なお、上記の「物」を「金」に置き換えると正しくない文になる。また、「自分の知恵」に置き換えても同様に正しくない文になる。 御了解頂きたい。
ところで、今日はこどもの日である。 テレビによれば、女の赤ちゃんの名前で一番多い読み方は「はるか」なのだそうだ。 そういれば、一昨年(2001年)のNHKフランス語会話で、 なんとか遥という女性が出ていたのを思い出した。しかし、名字が思い出せない。 つれあいにも尋ねたが、やはり思い出せないという。二人とも、顔は浮かぶのに。 おまけに「癒し系」ということばも一緒に出るのに。わからないと考えていて、 チラシの裏にこんな感じのことを書き付けていたら、ふと「井川遥」だとわかった。 思わずアルキメデスのようにエウレーカと叫んだ。 それにしても、ボケは確実に進行している。ご長寿早押しクイズで活躍できる日も近い。
何か面白いことがないかと思う。面白いものは見ているはずだが、 それをすぐに忘れるのだろう。老人力が高まっていることを実感する。 それにしても、 フォーレの夜想曲第13番はすごい。 頭の中で反芻すると、そのたびに新しい発見がある。
通勤の途中毎朝通る信用金庫の前を、若い社員が一生懸命掃除している。 偉いなあ。私はその信金には預けていないけれど、近々なんとかしてあげたいと思う。 しかし、金がない。
今朝見た夢。細いトンネルをくぐり抜けて行くと、出口に広い食堂が広がっている。 つれあいは既に到着していて、待っている。何が出てくるかわからないので、 つれあいと一緒に厨房に入ってみる。厨房では知り合いの料理人が一生懸命作っている。 もう一人新人がいて、彼は別のお客のために料理を電子レンジでチンしている。 この新人は手際が悪く、料理を皿から落としているが、 何食わぬ顔で落とした料理を手で拾い上げて皿に戻していた。
今日は珍しく、つれあいが弁当を作ってくれた。昼休みにおいしく頂いた後、 近くを散歩する。日ざしは強かったが、風がひんやりとして、いい散歩日和だった。 帰り、その弁当箱を勤務先に忘れてしまった。あわてて取りに帰ったが、 その分帰りが遅れてしまった。
八重洲の練習に出かける。 終了時刻が遅かったので、終わったあとで1時間だけ飲む、 と決めておきながら、結局2時間弱飲んでしまった。
つれあいに買ってもらった本棚が、きょう届いた。本を整理しないといけない。 そのため、つれあいから課題図書を読むようにと指定された。 『「捨てる!」技術』である。
『「捨てる!」技術』を読んでいる。「とりあえずとっておく」は禁句だという。 それなのに、今日早速、「とりあえずとっておく」を実践してしまった。 しかし、いけない。ラーメン屋のチケットは捨てよう。
『「捨てる!」技術』を実践しようと思う。要は、捨てられることが快感になればいいのではないか。 そう思って、最近読んでいない古い本を出してきた。インターネットの本である。 古いインターネットの本は価値がないから捨ててもいいのだが、戸惑ってしまう。 ブラウザが Mozaic しかない時代だったからで、このことに妙に感心してしまったからだ。 うーん。
『「捨てる!」技術』を読んで、実行したことが今日2つあった。一つは、 今までほとんどインクの出なかったボールペンの芯を思いきって捨てたこと。 新しい替芯と交換したら、インクがよく出るようになった。これで気分がいい。 もう一つは、ある勧誘のはがきを見てすぐに捨てたこと。これは複雑な気持ちだったが、 ここでは言うまい。
人工知能学会雑誌が届く。面白い記事はあるのだけれど、雑誌がたまっていくのはこわいことだ。
電車の中では、グロービス マーケティングを読む。感想はおいおい書く。
グロービス マーケティング の感想をリンクした。(2008-05-22)
つれあいから、今度は「暮らす技術」を読めといわれる。こちらも辰巳さんの本である。 きっと、「だんなが飯を作る」といったあたりを読ませたいのだろう。 まあ、おいおいすることにしよう。
今月は5月である。フォーレの作品に、「五月」という愛らしい歌曲がある。 この曲の MIDI を作ってみようとしたが、やめた。 既に作った方がいて、インターネットで公開されているからである。 6月以降はどうしようかと思い悩んでいるが、たぶんやらないだろう。 9月になったら「九月の森で」をやってみようかと思う。 こちらはさすがに MIDI はない。しかしその前に、作品表を作らなければいけない。
帰り道で、目の不自由な人が杖を前に振りながら歩いていたのを見た。 私は歩みを遅め、ついていった。信号の前に差し掛かると杖の人は一旦止まったので、 「青になってますよ」と声を掛けた。杖の人は「ありがとうございます」と言い、 横断歩道をわたった。そのあとしばらく、私も同じ速さで歩いていた。 すると杖の人は私に向って、「先に行っていいですよ。足音が邪魔なので。」と言った。 要らぬ親切だったのかと反省すると共に、 自分では気が付かないほどの足音を鋭敏に捕える杖の人の耳のよさに改めて畏怖した。
オヤジどもの宴会に行く。その場では盛り上がるが、帰りは疲れる。
若い人も混じった宴会に行く。その場ではいろいろな話ができて有意義だが、 帰りは疲れる。
疲れがなかなか抜けない。 つれあいとちょっとしたことで言い合いになる。もっともつれあいは、 ちょっとしたことではない、大事なことだ、と主張するのだろう。 喜びを伝える手紙が来る。
今日もつれあいが怒っている。こんな料理が世の中で幅を利かせているのは不思議だとか、 ここが妙に本が増えているからだめとか、立つ瀬がない。
今日もつれあいが怒っている。 勉強のページ に書いた「蛍光灯」の件である。 誤って買ってしまったラピッドスタートタイプをグロータイプに変えようとして買った店に行ったら、 定休日だったというのだ。これ以上は書けない。
つれあいは今日電器屋に行って、誤って買ったラピッドタイプの蛍光灯を所望のグロータイプと交換し、 ついでに点灯管も買った。 つけてみると明るい。今までの暗さはなんだったのだろうか。 月曜日からの懸案が木曜日に解決した。明るくなった勢いで替え歌を作ってみた。 お馴染みのロシア民謡「一週間」の節でどうぞ。
月曜日に電器屋に出かけ、何も買えずに帰ったよ、テュリャ×5 テュリャリャ テュリャ×3 テューリャーリャー
火曜日にダンナにいわれ、間違ったタイプを買った、テュリャ×5 テュリャリャ テュリャ×3 テューリャーリャー
水曜日に返しに行くと、店が定休日だった、テュリャ×5 テュリャリャ テュリャ×3 テューリャーリャー
木曜日にやっとまともな、蛍光灯が点ったよ、テュリャ×5 テュリャリャ テュリャ×3 テューリャーリャー
恋人よこれが私の、一週間の仕事です、テュリャ×5 テュリャリャ テュリャ×3 テューリャーリャー
これを歌ってつれあいに聞かせたら、「よかったねえ、校長先生みたいで」 私は思わず笑ってしまった。 おととい話題になった、さいたま市の替え歌校長先生のことを、 すっかり忘れていたからだ。
当初毎日新聞の記事をリンクしていたが、外した。 Google などで検索してください。(2008-04-22)
今日は久しぶりに家でビールを飲む。だいぶ酔っぱらう。 フォーレの弦楽四重奏曲を聞く。やはりいいなあ。 車中で大平健の「貧困の精神病理」を読む。 かつて一緒に仕事をしていた勤務先の人が、 ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を読んでいた。 私も負けじと「波」を読もうかな。
渋谷まで行くのに、東武線から直通の半蔵門線を使う。 結構速い。公式には、押上から渋谷まで30分で着くようだ。 とはいえ、この日はこの日で大変だった。
部屋の片づけをする。しかし、片付かない。
勤務先でも、家でも目がしょぼしょぼする。目を休ませないと。
目を休ませようと思い、勤務先でディスプレイを見るときに、メガネをはずしてみた。 目の疲れが心なしか和らいだ。
今朝見た夢。誰かが「光る水」と称して、いんちきっぽい高い水を売りつけている。 「150g220円で、この水をつけてテーブルを拭くと、この通りきれいに輝きます。」 と嘘八百を並べている。目が醒めて、なんでこんな夢を見たのだろうと顧みるに、 前日見た、プロジェクトXのせいだろうという結論に達した。 その放送では、「カミオカンデ」で美しく光る水とガラスが映し出されていた。
今朝新聞を取りに行ったら、イヌを飼っている家が窓を開けていた。 いやな予感がしたら、案の定イヌの鳴き声が聞こえて来た。 午前 7 時 20 分である。
前から気になっている左手親指腹のまめを爪切りで削った。きれいになるだろうか、気になる。
本来五月は、まりんきょの部屋とまりんきょ学問所の中身を確認し、 必要があれば直さないといけない強化月間である。しかし、 ほとんど何も手をつけないままで今まで来てしまった。 遅まきながら、まりんきょ学問所の一部を直した。それほど目立った変更ではないので、 ここでは特記しない。それに、日記を含む残りの部分は手付かずである。 まりんきょの部屋に至っては、全く見直しをしていない。
八重洲室内アンサンブルの練習に出かける。モーツァルトのピアノ協奏曲の代弾を買って出るが、 恥さらしとなった。