後藤 明生:後藤明生コレクション4

作成日: 2019-05-12
最終更新日:

概要

後藤明生の後期の中短編を収める。

感想

「ピラミッドトーク」については「首塚の上のアドバルーン」を参照してほしい。

「『饗宴』問答」については「汝の隣人」を参照してほしい。

謎の手紙をめぐる数通の手紙

この小説を読んで、私は恐ろしさを感じた。まず、最初の手紙が、これが謎の手紙なのだが、 最初の数ページを読んでも何をいいたいのだかさっぱりわからない。 実際にこの謎の手紙を書いた主は「何だか、前置きがながくなりました」(p.36) といっているぐらいだから長いのだが、 そのあとの本題での会話は私の論理を超えている。おまけに、手紙でやりとりされているエニグマ氏の、 追伸のストーカー的記録に、私はおびえた。何を評すればいいのだろう。

なお、p.34 にあるこのバヤイは。そうです、そうです。ははあ、「小西節」が出るようではの「小西節」がわからなかった。 おそらく昔有名だったアナウンサーの口癖なのだろう、とその時はおもった。 少し調べたが、確固たる結論は出なかった。野球解説者の小西得郎(故人)の口癖であろう、と憶測するしかない。

鰐か鯨か

鰐はワニと読むのだろう。鯨はクジラだ。両者の共通点は、海または川に住んでいて、大きな動物だ、ということだ。 さて、「わたし」は「鯨と鰐」という演題で講演を引き受ける。この講演で話す鯨は、メルヴィルの長編『白鯨』のことである。 作者は『白鯨』について語りだすのだが、この小説は筋が簡単だというより、筋を話しても無意味に近い小説だといえる。 では筋以外に何があるのか。もちろんクジラはスジばかりではない。油もあれば肉もあると、見事にずれてしまう。何なんだ。

脱線が続いた後で鰐の話になる。ここの鰐はドストエフスキーの小説『鰐』を指している。作者はこんどは『鰐』についてとうとうと語り、 ついに『鯨鰐』対照表を各種の文献について作ることにした。というのも、『白鯨』では<文献>部があり、そこには旧約聖書の断章が引用されているからだ。 その後の行きつ戻りつはぜひとも同書を読んでほしい。 「わたし」が聖書の原典を読みながら日本語と突き合わせてみると、英語で「海の大きな魚」と表現されている箇所を、 日本語では「鯨」と訳しているようなのだ。また、英語で「水中の巨大な魚」を意味するとき、英語では leviathan と表現されている箇所もあり、 日本語訳は「鯨」と訳している辞書もあるようだが総体的には「鰐」を充てている辞書が多いようなのだ。

「わたし」がそのような調べ作業を続けていると、しかし、ここでとつぜん、電話が鳴りはじめたとあり、ドタバタの世界に入っていく。 電話の主は「わたし」の講演を聞いていて、それに関連して捕鯨反対をまくしたてる。その傍若無人ぶりに「わたし」は捕鯨運動との無関係を主張するが、 なぜか会話で戦後の食糧難時代に話が及び、「わたし」はその配給の塩クジラのお蔭でクジラ好きになっちゃったわけだといってしまっている。 電話の主は(わたしの父は)あなたとは正反対に、もう絶対に鯨はイヤだといってますよと抗議をしてわけがわからなくなる。 まあ、とにかく要約は不可能である。実際に読んでもらうのが早い。

どうでもいいことだが、私の父は後藤明生より少し年下だが、塩クジラやクジラのベーコンは大好きである。そして、 私は塩クジラもクジラのベーコンも嫌いである。クジラの龍田揚げも小学校の給食にはよく出たが、あまり好きではなかった。 ただし、クジラの刺身は好きだ。

書誌情報

書 名後藤明生コレクション4
著 者後藤 明生
発行日 年 月 日
発行元国書刊行会
定 価3000円(本体)
サイズ
ISBN978-4-336-06054-9

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MARUYAMA Satosi