後藤明生の初期の中編と短編を収める。
冒頭の短編「関係」は、なんと読みにくい小説なのだろう。 それこそ関係代名詞をいちいち補わないと先に進めないだと思った。 でも、そのこんがらかりかたにとことん付き合うと決めると、面白くなる。不思議な小説だ。
後藤明生の初期の作品として引用されることが多い。冒頭はこうだ。
あいつは笑われたくないために、いつも自分から先に笑い出しているのだ、 と青木は四ツ谷の深夜スナックのカウンターで馬場のことをわたしにいった。
読みにくいですね。でも、後藤自身はこういう人間関係を散らす書き方を好んでいた。私はやっと、 ついていけるようになった。
p.193 にこんな箇所がある。
馬場の話によると、 「明日の朝ぼくの部屋で、気のきいーた味噌汁をごちそうするよ」 というのが青木の口説き文句らしい。
この「気のきいーた味噌汁」には笑った。このあとでも何回か出てくる。
p.214 にこんな箇所がある。一文が長い。傍点の表記に関しては前と同じ。
それならいっそ、安保元年とでも命名すればいいような気さえするのだが、とにかく、 ある中どころの広告代理店に勤めていたわたしは、その安保元年五月十九日、 あるウイスキー会社のラジオ用コマーシャルの件で、課長と衝突した。 衝突といっても、わずか十秒だか十五秒だかのコマーシャル・スポットのためにおよそ半日を費やしたあげく、 作りあげた原稿をわたしが課長に提出すると、アハハハと笑って突き返されたので、 わたしはわざわざ課長の席まで歩いてゆき、課長の目の前でその原稿をびりびりと破り、 課長用の紙屑籠に放り込んだというだけなのであるが、なにしろその原稿が、 「ドストエフスキーではありません。トリスウイスキーです」というものであったために、 日頃はウイスキー党のわたしも、さすがにその日だけはウイスキーを飲む気になれず、 夕方から有楽町駅の横丁の一ぱい飲み屋でコップ酒を飲み続けていた。
この引用していた原稿は、どうやら後藤自身の原稿らしい。 後藤の年譜に、実際に博報堂時代に作ったということ、ボツになったということまで書かれている。 課長に突き返されたとか、破って放り込んだとかまで実際にあったのかどうかはわからないが、 こんな形で作品に出ていたとは知らなかった。
この作品は次の文で始まる。わたしは見張りだ。山の中の断食道場の見張りである。
そして、その断食道場を中心とした話が展開される。その中で、断食道場にあるサウナ風呂の効能書きやら、
断食道場の寮長からもらった般若心経やらが引用されるほか、
カフカの断食芸人の筋が出てくる。
読み進めていって、最後の3ページが私にとって宙ぶらりんの結末だった。その宙ぶらりんさが、
文学の文学たるゆえんなのだろう (2019-11-05)。
書 名 | 後藤明生コレクション1 |
著 者 | 後藤 明生 |
発行日 | 年 月 日(第3刷) |
発行元 | 国書刊行会 |
定 価 | 3000 円(本体) |
サイズ | |
ISBN | 978-4-336-xxxxx-x |
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