連作小説の形をとっている。次の7篇からなり、最後の小説の題名が連作小説全体の題名ともなっている。
後藤明生の小説の一つの極致として引用されることが多いのが、この「ピラミッドトーク」ではないだろうか。
たとえば、後藤明生コレクションから収録されているのはこの短編である(後藤明生コレクション4)。
さて、この表題は、文字盤のない、ピラミッド型の時計を指している。どうやって時間を知るかというと、ピラミッドの頂上を指で押すと時間を知らせる
。
ここで「知らせる」というのは、時刻を人工的に合成した女性の音声で聞かせる、という意味である。
まるで、後藤明生が小説を書くために発明された装置のようだ。
私は今、Google Home などのスピーカーを思い出した。
小説の「わたし」は、いつ頃からか、私はピラミッドの頂上を指で押す前に、人工女性の声を予想するようになった
。
ところがしかし、彼女の〟お告げ”と私の予想はなかなか一致しなかった。というよりも予想はほとんど外れた。
どんなときに予想するのか、予想にあたってどんなことをするのかは本書を見てもらいたいが、まあともかくばかばかしいのだ。
以下書くことは、この小説とは全く関係ないことである。知人が「時計を見ずに、この環境で、今何時何分かを予想する訓練をしている」と言われ、 「じゃあ、俺もやってみる」と答え、事実そのような訓練をしてみたことがある。訓練を積み重ねると、たいていの場合、 かなりの精度で(だいたいプラスマイナス5分ぐらい)当たるようになった。当時、私は規則的な生活をしていたからだと考えている。
この小説では、いよいよ首塚が出てくる。その首塚は「わたし」がベランダから見える丘にある。さて、
この黄色い箱は随所で参照されるが、私はずっと黄色い箱の正体がわからなかった。
再読してやっとわかったのはこの文庫本のしょっぱなに書いてあったのだった。
十四階のベランダから、こんもり繁った丘のようなものが見える。S字型六車線に沿った黄色い箱は室内テニス練習場である。
こんもり繁った丘のようなものは、その黄色い箱のうしろに見える。
私はまったくバカな読者である。
ここで作者の書き方も変化する。いや、作者は変化していないのだろう。ただ、私が困っているだけのことだ。
というのは、アミダクジが歴史の方向に入った途端についていけなくなったから。パウル・クレーはまだいい。
この前の小説「黄色い箱」で、「わたし」はこんもりと繁った丘で首塚を見つける。そして「わたし」は、
とつぜん、新田義貞の首塚を見つけたときのことを思い出した。さらに「わたし」の連想は楠木正成まで及ぶ。そして「わたし」
新田義貞が歌われた文部省唱歌『鎌倉』と、楠木正成が歌われた(こちらは文部省唱歌ではないが)『大楠公』を引用し、
以降この戦後この二大英雄
のことをえんえんと記述する。これには参った。このあたりから、私は読むのを敬遠してきていた。
ただ、以前読んだときから 20 年は経過している。再度の楽しみに、未見の場所を腹を据えて読んでみるのもいいかもしれない、そうして我慢して先を進めた。
そうすると、私にも連想が働いてくるのだった。確かに私は新田義貞のことは知らないし、 この『鎌倉』という唱歌も知らない。しかし、この『鎌倉』歌詞に出てくる「稲村が崎」はきいたことがある。 たまたま私は、詰将棋の本「看寿賞作品集」というのをもっている。 その中の受賞作に「稲村ヶ崎」と名付けられた、柳田明氏による煙詰がある。 同書にはその作品に対する柳田氏自身による解説があり、ここで新田義貞とか、剣を投じたとか、そういうことを知ったのだった。
また、新田義貞と並んで出てきた楠木正成だが、この人物についてもほとんどといっていいほど知らない。 ただ、難攻不落の千早城というイメージは私も持っている。 なぜそんなイメージを持っているのか。私は歴史からは学ばなかったが、詰将棋からは学んだからである。 同じく看寿賞作品集に高木秀次氏による詰将棋が(「千早城」ではないが)掲載されていて、その解説で、 高木氏の「千早城」という難解な詰将棋が詰将棋専門雑誌に掲載されたが、 正解者ゼロ人だったということが書かれていた。まさに難攻不落だったのだ。 なお、同作品集には、楠木正成のことは出ていない。楠木正成と千早城の結び付きはどこで得たかは覚えていない。
楠木正成で思い出したが、私が忌み嫌っている人物が数人いる。これら人物の一人が、 こんなことを言っていたような気がする: 「自分が尊敬するのは楠木正成だ。 自分は楠木正成のような名参謀となることを目指している」。 楠木正成には何の罪もないのだが、 この忌み嫌っている人物を思い出してしまい、気分が悪くなる。
さて、この小説について。前後はまさしく、作中の「わたし」が体験している、 今目の前で住んでいる場所から見える変化する風景を述べているのだが、 中間部の歴史をたどる部分では作者自身が想起する風景の変化が描かれていて、 それに読者である私がついていけないのだ。(2019-06-13)
まず、瀧口入道、という字句がわからない。この間源氏物語を読み終えた印象から想像するに、 坊さんだろう、というぐらいの見当しかつかない。 本文を読み進めれば、平家物語に登場する人物であり、また高山樗牛の同名の小説に出てくる主人公でもある、 ということがわかる。では異聞とは何か。最初、異説という意味かと思ったが、 辞書を引いて「変わった話や珍しい話」という意味だということがわかり、異説とは異なる意味だとわかった。
さて、この小説も脱線を繰り返す。講談社文芸文庫版の p.100 で、著者は高山樗牛の
「瀧口入道」を読んでみたことの理由として美文体であることを挙げている。
美文体だから読めないのでは?という読者の疑問を見透かしたように、著者はこう続ける:
そしてそれは、他ならぬ美文体のためです。
これは矛盾ではなくて、小学生の頃、意味よりもまず丸暗記した軍歌と同じ理屈でしょう。
こういっていきなり軍歌「ブレドウ旅団の襲撃」を8行引用する。
まあ、確かに七五調の連続で美文体といえる。しかし、この軍歌のことは以降言及されない。
いまどきのことばでいえば、回収されない。しかし、軍歌が出てくるのは後藤明生お決まりのことだから、
笑って許すしかない。せっかくなので引用された「……襲撃」には「玲瓏」ということばが出てくる。
これは羽生善治がよく色紙に揮毫することばだった。
その後、読み進めるにつれ、「分身」で、「ブレドウ旅団の襲撃」に言及していることがわかった。もっとも、ただ丸暗記していた例の一つに過ぎない。
前半が「わたし」の手術記、後半が平家の首に関する話である。後半では、自分がいかに常識がないかを知らされた。
たとえば、p.132に、<見るべき程の事は見つ。いまは自害せん>の名セリフで知られる知盛が
とあるが、
これが名セリフであるとは知らなかった。だいたい、知盛とは何者か。「盛」の字がつくから平家なのだろう、ぐらいの見当しかつかない。
調べてみたら確かに平知盛で、上記の名セリフはやはり有名なのだった。
また、p.136では、実盛は、まず白髪で有名です。
とあるが、これもまた知らなかった。
確かに、斎藤別当実盛は、白髪であることが有名なようだ。
「わたし」は、『平家』の首からは血が流れません。
と記している。「わたし」の記載を見る限りでは、確かにそう思える。
pp.149-150 で、「わたし」は、京都の地図を調べている。二つの場所の距離をボールペンの軸をあてがって調べている。ここがなぜかおかしい。
p.153 では「二条河原落書」について述べられている。「此頃都ニハヤル物」で始まり世の中のできごとを列挙する形式は、 この「二条河原落書」が始まりであることを、この本で初めて知った。
その後、太平記や、兼好法師や、その他いろいろ歴史上の人物や書物が出てくるが、それらの関係については追って読んでみたい。
ここで三度めの『ブレドウ旅団の襲撃』が出てくる。「わたし」は習志野にいたことがあり、
習志野では、すぐにこの歌を思い出した
とある。なぜかというと、この軍歌の作詞者は、習志野騎兵隊第十五連隊に勤務中だったある少尉だったからである。
やはり回収されているのだ。ううーむ。
それにしても、後藤明生ファンが「聖地巡礼」を始めたら面白そうだな。私は、松原団地「跡」しか見ていないから、聖地を巡礼する資格などないな。 千葉市に住んでいたことはあり、そのころに後藤明生のファンになったのだけれど、まだこの「首塚の上のアドバルーン」には出会っていないから、 聖地を巡礼するなどとは思ってもいないのだった。
書 名 | 首塚の上のアドバルーン |
著 者 | 後藤 明生 |
発行日 | 1999 年 10 月 10 日(第1刷) |
発行元 | 講談社 |
定 価 | 1100 円(本体) |
ISBN | 4-06-197683-4 |
その他 | 講談社文芸文庫 |
まりんきょ学問所 > 読んだ本の記録> 後藤 明生:首塚の上のアドバルーン