明治初期、文明の本質を論じた福沢諭吉の代表的著作。
成毛 眞(監修) : この古典が仕事に効く!で紹介されていたので買って読んでいる。 それにしても読みにくい。というのも文語体だからだ。 今は現代日本語訳がある、というのも当然だろう。 そんなことだから、この本を読んでいる現在は、仕事に効くとか効かないとかいう以前の段階である。 漢文法基礎をやり直さないといけないようだ。
この本では、「文明と野蛮」という図式が示されているという。 週刊金曜日 2018-08-31 号、杉田聡氏への聞き書きによる。 どこに書かれているか、調べてみた。おそらく、p.25 の第二章 西洋の文明を目的とする事、というところだろうか。 以下、引用する。ただし、欧羅巴など、地域や国を漢字で書いているところは、ヨーロッパなど、カタカナに置き換えた。
前章に事物の軽重是非は相対したる語なりといえり。 されば文明開化の字もまた相対したるものなり。 今、世界の文明を論ずるに、 ヨーロッパ諸国並にアメリカの合衆国を以て最上の文明国と為し、 トルコ、シナ、日本等、アジアの諸国を以て半開の国と称し、 アフリカおよびオーストラリア等を目して野蛮の国といい、 この名称を以て世界の通論となし、 西洋諸国の人民、 独り自 から文明を誇るのみならず、 彼の半開野蛮の人民も 自からこの名称の誣いざるに服し、 自から半開野蛮の名に安んじて、 敢て自国の有様を誇り西洋諸国の右に出ると思う者なし。
このあと、文明、半開、野蛮の定義が出てくるが、それらは割愛する。今から見れば、そんなこと言っていいの、 というところもあるが、そこはそれ、と思う。
こんな文章が出てきて、私は驚いた。どう解釈すればいいのか。
仏蘭西の第三世ナポレオン多年間諜を用いたれども、 プロシヤと戦争のときには国民の情実を探り得ざりしにや、 一敗の下に生捕られたるに非ずや。之を鑑みざるべからず。政府若し世間の実情を知らんと欲せば、 出版を自由にして智者の議論を聞くに若かず。著書新聞紙に制限を立てゝ智者の言路を塞ぎ、 間諜を用いて世情の動静を探索するは、その状あたかも活物を密封して空気の流通を絶ち、 傍よりその死生を候うが如し。何ぞそれ鄙劣なるや。 その死を欲せば、打て殺すべし、焼て殺すべし。 人民の智力を以て国に害ありとせば、 天下に読書を禁ずるも可なり、 天下の書生を坑にするも可なり。 秦皇の先例則とるべきなり。 ナポレオンの英明も尚この鄙劣を免かれず、政治家の心術賤むに堪たり。
<その死を欲せば>から、<秦皇の先例則とるべきなり>まで、これは、そうすべき、 といっているのではないだろう。鄙劣(卑劣)な行為の例として挙げているだけだと私は思うのだが、 どうか。
p.232 にこんな文章が出てきた。
然るに論語に曰く、後世畏るべし、焉ぞ来者の今に如かざるを知らんと。
この、「後世畏るべし」という語句を私は誤解していた。「こいつは将来、自分たちが恐怖を覚えるほど凄い奴になる」 と勘違いをしていた。この後世というのは若い人を指していることを認識した上で、脚注をみてみよう。 <『論語』子罕篇に出る孔子のことば。後輩、青年こそ畏敬すべきである。これからの人が今に劣るなどとどうして分かるか、の意。 孔子の後進に対する期待と希望を表わすことばを、福沢は逆な意味にまげて使っている。>
私は、あることがあっての結果、若い人に対しても畏敬すべきということで「さん」づけで読んでいる( 陰でくんづけすることはあるけれど)。 何はともあれ、 論語を読んでみよう。
p.285 で、福沢が自身のことについてこう書いている。
余は元と生まれながら、幕府の時代に無力なる譜代の小藩中の小臣なし。 その藩中にあるとき、歴々の大臣士族に接すれば、常に蔑視せられて、 子供心にも不平なきを得ざりしといえども、この不平の真の情実は、小臣たる余輩の仲間にあらざればこれを知らず。 彼の大臣士族は今日に至ても、あるいはこれを想像すること能わざるべし。
いろいろ不公平なことがあっても、上の人にはわからない、ということなのだろうか。福沢は少し後で、 <自分は士族だったから、士族以下の百姓町人には、不公平を抱かせたこともあるのだろう。ただ自分は知らない。> ということを言っている。このあたりは自分の立場を冷静に見ていると思う。
書 名 | 文明論之概略 |
著 者 | 福沢諭吉 |
発行日 | ????年??月??日 |
発行元 | 岩波書店 |
定 価 | ???円(本体) |
サイズ | ?? |
ISBN | ???? |
特記事項 | 岩波文庫、古本屋で購入 |
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