加地伸行:論語

作成日 : 2019-11-06
最終更新日 :

概要

論語は、孔子とその門人の言行録からなる、永遠の古典である。

感想

本書の全訳注者である加地伸行氏の名前は以前から知っていた。また、氏による 「漢文法基礎」を買ったこともあり、 論語の本の中で加地氏による本書を選ぶことに迷いはなかった。

後生畏るべし

論語で真っ先に調べたのは、後生畏るべし、ということばである。子罕、第九にそのことばがある。 まず原文を見よう。

子曰、後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。

書き下し文は省略しよう。加地氏の現代語訳では次のようになっている。

老先生の教え。若い者を侮ってはならない。 後輩よりも現役の者のほうがすぐれているとどうしてわかるのか。 〔現役と称しながら〕四十、五十となっても、まだその名が聞こえないようならば、畏るるに足りない。

注には、「後生」は、後に生まれた者、後輩。とある。 この言葉は、2019 年に経験したある事件によって、深く身に染みたのである。 そしてこの本を読んでさらに一撃が加わったのは〔現役と称しながら〕以降の訳文である。 これはまさに私ではないか。

私のことはともかくとして、今日テレビをつけたら、きのうの卓球全日本選手権の結果が伝えられていた。 女子は19歳の選手が、男子は18歳の選手がともに初優勝した。もっとも、男子で準優勝した選手は 16 歳であるから、 必ずしも若い選手が年上の選手に勝つという図式ではないが、(女子の準優勝選手は 26 歳)、 後生畏るべし、ということばはますます私の心に残ることばとなった。

反訓

泰伯 第八で、反訓の例がある。原文はこうだ。

舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人。(後略)

同じく書き下し文は省略し、加地氏の現代語訳を紹介する。

舜に五人のすぐれた臣がいて、天下がよく治まった。 〔周の〕武王は、私には十人のすぐれた臣がいる、と言った。

注も合わせて紹介する。

「乱」は「治」。乱という状態は、一方から見ればいわゆる乱であるが、 相手側から見ると治まっている。このように「ミダル・オサマル」の相反した訓(解釈)を反訓という。

一方から見れば……、相手側から見ると……の説明は理解しがたいが、これが反訓として解釈されなければならないことがわかった。 メビウスのことばを参照してほしい。

呆けぶり

「公冶長 第五」の二一 (p.115) に、次の書き下し文がある。

子曰く、 甯武士 ( ねいぶし ) は邦に道有れば、即ち知、邦に道無ければ、即ち愚。 其の知は及ぶ可きも、其の愚は及ぶ可からざるなり。

現代語訳はこうだ。

老先生の批評。〔衛国の大夫である〕甯武士は、国がきちんと治まっていたときは、 賢者として働く。逆に乱れていたときは、 ( ) けて過ごして、身を全うした。 彼の賢者ぶりは誰でもまねることができるが、 その呆けぶりは、なみの者ではなかなか。

私はこれを「怠ける権利」などと勝手に結び付けて楽しんでいる。 (2020-09-30)

書誌情報

書 名論語
著 者孔子
訳 者加地伸行
発行日2007 年 9 月 20 日 第 14 刷発行
発行元講談社
定 価1200円(本体)
サイズ文庫サイズ
ISBN123.83(経書)
特記事項講談社学芸文庫、古本屋で購入

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MARUYAMA Satosi