福沢諭吉のこと

週刊金曜日を読む 2018-08-31

作成日:2018-09-23
最終更新日:

福沢諭吉の評価

明治 150 年キャンペーンを斬る!という記事がある。この表題は、 <ヘイトスピーチの元祖 福沢諭吉の「圧制のすゝめ」>とある。 そこまで言われなければならないのか、というのが素直な疑問である。 この記事は、杉田聡・帯広畜産大学教授からの聞き書きである。 明治政府が行った侵略と植民地支配に対して福沢の罪は非常に重いのではないか、 という問いかけに関して、杉田氏がご指摘の通り、としてその根拠を述べたところから始まる。その後は記事から引用する。

―――明治政府の先鞭をつけたと。
確かに、福沢が言論面から各種の方向を提示し、それに明治政府が従ったケースもあります。 典型的なのは『文明論之概略』で示された「文明と野蛮」という図式を使って、 伊藤や陸奥が日清戦争や韓国(大韓帝国)併合を合理化した例です(後略)

整理しよう。『文明論之概略』で示された「文明と野蛮」という図式を提示したのは福沢諭吉であり、 この図式を使って戦争や併合を合理化(=正当化)したのは、伊藤や陸奥といった明治政府である、というのが私の読み方である。

さらに読み進めると、福沢が「圧制のすゝめ」をした事例を杉田氏が紹介する。そして次の箇所が来る。

―――他人に圧制を加えるのが「人間最上の愉快」というなどというのは、もうこれは明らかにニヒリズムではないですか。
そうです。福沢は人間に対する信頼感も、博愛意識も書いています。人権思想への深い共感もありません。 (中略)さらに言えばこうしたニヒリズムの根底には、福沢の強いコンプレックスがあります。 かつて身分の低い下級武士として痛めつけられたという怨念があるから、 何とか他者を痛めつける側に立ちたい、 だからインド人や中国人をあれほど虐げた英国人を「羨む」のです。

これが事実とすれば(おそらく事実なのだろうが)、 確かに福沢を偉人扱いするのはやめるべきだろう。ただ、コンプレックス、劣等感があって、その反動で英国人を羨む、 というのは、それはそうだろうな、と同感する。もちろん、受け入れられないのだけれど。


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MARUYAMA Satosi