ハルプライヒ論文-三重奏曲ニ短調 Op.120

作成日 : 2011-05-03
最終更新日 :

フォーレの最後の数年間は,悪化する健康と, そのうえ物質的な逼迫のために暗いものとなっていた。 フォーレの生涯の最後の3年間, アヌシ・ル・ヴィユーにある自分の家をフォーレに提供した忠実な友人マイヨが, 1922年6月20日にソルボンヌでフォーレの作品による大演奏会を開催したのも, この物質的な逼迫を少しでも緩和しようとしたためだった。 公けの機関がすぐにこの企てに賛同を示した。 しかし1922年の初めの数ヶ月間, 新しい作品はひとつとして作られず, 出版社のデュランが書くようにすすめた三重奏曲もスケッチの段階に留っていたし, フォーレはそれにまったく不満であった。 彼は心と精神の若々しさとはまったくうらはらの肉体の消耗にいたく悩まされていたのである。 2月21日ニースで書かれた手紙の悲愴な叫びも, この苦しみから発せられたものである, 「調子はいい。顔色がとてもいいといわれる。 しかし街では,私はゆっくりとか, ゆっくりゆっくりとしか歩けない高齢の老人にみえるのだ。 老齢など悪魔に喰われてしまえ! 必要になったら新しい足と肺を買うことが出来ないだろうか!」

ニースでもアルジュレスでも完成出来なかったことが, アヌシ・ル・ヴィユーで可能になった。9月5日にフォーレは告げる, 「私はやっとまた仕事を始めた」。そして26日には, 「私はクラリネット(あるいはヴァイオリン), チェロ, ピアノのための三重奏曲に着手した。 一ケ月前に作曲を始めたこの三重奏曲の重要な楽章がひとつ完成したことを明らかにしている。 それはアンダンティーノのことである。しかし二つの早い楽章は, 1922年から23年にかけての冬, パリで作曲された。公開の初演は, コルトー=ティボー=カザルス三重奏団によって, 1923年6月, パリで行われた。この演奏会のあとでフォーレはアヌシ・ル・ヴィユーに戻ったが, その数日後, 彼が作品108のソナタを献呈したべルギーのエリザベト女王から次のような手紙を受けとった。

「貴方の美しい三重奏曲を聞いて, 深い感動を覚えました。 この作品は非常に偉大で詩的な魅力に溢れております。 私は貴方の作品から発散される説明しがたい歓びに包まれたのです。 いま貴方が私のそばにいらっしゃらないのが残念でなりません。 貴方の三重奏曲をあんなに見事に演奏した芸術家たちが<私のソナタ>を演奏してくれました。 偉大な尊敬すべき大家から献呈を受けたことは私にとって本当に貴重なことです」。

 フォーレの伝記作家たちは, 一般に女王のこの先見の曲に富んだ熱烈な賞賛に賛同していないようだ。ヴィエルモーズでさえ, 不思議なことにこの曲については触れていないのだ。クロード・ロスタンは次のように自問自答している, 「この三重奏曲では慎重さと抑制が支配的なので, ほかの後期の作品のもつ力強さをほんとうにもっているかどうか, 一瞬いぶかしく思うかもしれない。おそらくもっているのだろう。」 いやたしかにもっている。 ためらわずにそう断言しよう。澄んだ明るさ, 線的構造の輝くばかりの完全さをもったこの三重奏曲は, それと前後する室内楽の作品と同様の傑作である。ラヴェルの三重奏曲と並んで, これは20世紀におけるこのジャンルの曲でもっとも完全に成功した作品である。印刷された楽譜が, 作曲者が予測したように, ヴァイオリンとクラリネットの交換にまったく言及していないのはおかしなことである。しかし, この異例な形での演奏を試みる価値は少くともある。おそらく, それはこの曲の魅力を増すだろう。

〔第1楽章〕アレグロ・マ・ノン・トロッポ(4分の3拍子,ニ短調)。

まったく古典的なソナタ形式(二つの展開部をもつ)で, その外観は前の<チェロ・ソナタ>作品117 の初めのそれに似ている。 そしてその発想も同様にまず旋律的な性質のものである。 転調のないことによって和声にはきわめてフォーレ的なドリア旋法の色あいが与えられており, その表現の地上的な情熱から遠く距った, 晴朗な解脱感を強調している。 最初の主題はチェロで歌われる(譜例59)。

譜例59

ヴァイオリンによって敷衍されたこの主題は, やがてピアノで奏される変ロ調の第2楽想に席を譲る(譜例60a)。
譜例60a

ヘ長調で弦によって繰り返されたこの主題は, それを導入した短い「経過句」から作られた補足的なモチーフ(譜例60b)と結合する。
譜例60b

展開部は, ピアノの低音部で奏される。 いくぶん形を変えた第1主題によって始まる。 次いで第2主題の二つの要素が, 一時的に第1主題と結合しながら, 対位法的作業の対象となる。 〔譜例60〕にもとづき, 上昇する音によって転調する大きなクレッシェンドが再現部につづく。 再現部は, ヴァイオリンの下向する音階の下で, フォルティッシモのオククーヴで始まる。 第2主題の繰返しは, 対主題(譜例60b)を含まない。 末尾の展開部は, はじめ第1主題の終りを展開させ, ついでその冒頭を展開させて, 最後には〔譜例60a〕と〔譜例59〕の終りとを結合させる。 力強いコーダはこの〔譜例59〕の終わりにもとづいており, 低められた導音に固執することによってこの楽章の旋法的な色彩をはっきりさせながら, 力強く曲を締めくくる.

 形式的シェマ=呈示部.1-106.展開部.107-210.再現部, 211-274 末尾の展開部.275-318, コーダ.319-342.

〔第2楽章〕 アンダンティーノ(4分の4拍子,ヘ長調)

この楽章は,その規模の大きさ,そしてとくにその発想の崇高な展開によって,曲全体のなかでもひときわ目立っている。 この楽章はヴァイオリンが奏する主題(譜例61)に本質的には基礎をもつ。
譜例61

チェロがヴァイオリンに答える。 そして主題は12小節の大きな楽節に展開するが,、その楽節は主題の豊かな魅力とやさしさと詩情を展開させる。 ここでピアノが表現しがたい悲壮さをもった補助的な楽想(譜例61b)を提示する。
譜例61b

四度にわたってこの楽想はニ短調の宿命から逃れようとするが, フォーレの和声の魅惑的な魔力も無力なことが確認される――「いまや私の魔力はすべて破れ……」 (Now my charms are all o'erthrown!),<あらし>の終りで老いた魔術師プロスペーロのいうように……。 次いでフォーレは第1主題に帰すが,その回帰は定義どおりのものではない。 楽章の中央部は,ピアノによるシンコペーションをもった驚くべき旋律によって占められるが、 それは捉えがたく重みをまったく欠き,ほかのなにものにも支えられていない。
譜例62脚注1
それはやがて漸移的な大きな上昇を作り上げるための対象となる。 やがてそれにピアノによる第1主題が結合する。 そして原調のヘ長調によるこの楽想の完全な再現がつづく。 補助的なエピソード(譜例61b)がへ短調で再現され転調的な新しい, 非常に力強いクレッシェンドがそれにつづく(2小節のあいだ,弦楽四重奏曲のアンダンテを先取りする)。 第2主題が再現されるとき,第1主題はピアノでそれに答え,コーダでの最後の回帰を予告する。 コーダは,ハ長調が確立され,大きく穏やかなものであるが,強い調性の固執はブルックナーを思わせる。

形式的シェマ=A,1-33.B,34-67.A,68-107.コーダ(B次いでA).108-136.

〔第3楽章〕 フィナーレ=アレグロ・ヴイーヴォ(8分の3拍子,ニ短調)

非常に短いこの楽章は,スケルツォのテンポと外観をもっているが, その精神は非常に複雑であり,むしろユモレスクの精神に近く,苦悩にも欠けていない。 冒頭の劇的なアピール(譜例63a)は,いったいどんな意味を負っているのだろうか。
譜例63


(上記譜面の前半6小節は63a、後半6小節が63b)。
それはあの有名な叫び「さらば笑え,道化師!」(註・レオンカヴァッロのオペラ<イ・パリアッチ>) を弦で忠実に再現しているのである。 フォーレがヴェリスムに対して抱いていた嫌悪感はよく知られているが、 この引用は偶然のものではないだろう。死のまぎわに挨拶をして退場する俳優の苦しみをみるべきか, 冷たく醒めた「喜劇は終った!」を,あるいは逆に,運命への時への,老齢への挑戦をそこにみるべきか。 いつものように喜びのうちに終るこの楽章のつづきは,この最後の仮説を正当なものにするように思われる。 それはそれとして,この呼びかけにすぐにピアノが答えるが,それはやがて現れる主要主題を用意する。 対話がつづいて,導入部を形成する(これはフォーレにおいてはまれなケースである)。 そして主要主題(譜例63b)は60小節経過してから初めて,ニ短調でチェロに現れる。
譜例64a

譜例64b

第2主題は二つの要素(譜例64a,b)を合むが,ひとつは〔譜例63b〕 の短々長格のリズムから生まれた弦で奏されるものであり, 〔譜例63b〕の旋律的展開を呈示する。 もうひとつはピアノに現れ,陽気で軽やかな性質のものである。 この二つのモチーフの対話のあとで, 転回部は主要主題のカノン的彫琢によって始まり, つづいて第2主題が回帰し,ストレッタでは2度のカノン(1小節距離をおいた) で提示される第1主題の新しい出現がそれにつづく。 いろいろな楽想が多様に示されるが,そのなかには<道化師>のそれも含まれ,重要な役割を果す。 主要主題への短いほのめかしのあとに,第2主題群(譜例64)の通例どおりの再現が(ニ長調で)つづく。 次いで第1主題が介入するが,変奏されて呈示される。 最後に<道化師>にもとづいた漸移的推移が重なり,〔譜例63b〕が最後の回帰を行う。 コーダでは<道化師>の楽想が支配的である。 <道化師>はいまや心から笑い,結局は同じ血筋に属している〔譜例64a〕と結合する。 この短いけれども複維で,巧妙に作られた楽章のすべての要素は,みな同じ血筋のものなのだ。

 形式的シェマ=導入部,1-60,呈示部.61-153.展開部.154-267.再現部(主題の順序が逆転している), 268-354.コーダ.355-417.


参考

三重奏曲 Op.120


まりんきょ学問所フォーレの部屋ハルプライヒ論文-三重奏曲ニ短調 Op.120


MARUYAMA Satosi