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 森ノ宮医療学園附属診療所  院長 田中 邦雄
「貝原益軒・養生訓より」 

江戸時代に貝原益軒という学者がいました。彼が84才で亡くなる一年前に
書いた「養生訓」という本は有名です。養生についての本を書いたので
貝原益軒は医者と思われていますが、もともとは儒学者で、医学・本草学・
名物学・地理学・天文学までに興味をしめした思想家にして医者にして
博物学者という何でもこいのマルチ学者でした。 

この「養生訓」の中に今でも通用することがいろいろ書かれています。その
中からいくつか抜粋してみました。(昔の本ですので、稲永先生の訳を採用
します。)「人の命はもとより天から受けた生まれつきのものであるが、養生を
よくすれば長命となり、不摂生であれば短命になる。つまり長命か短命かは、
われわれの心次第である。

健康で長命に生まれついた人でも、養生の術になかわなければ早世するし、
生まれつき虚弱で短命にみえる人も、保養一つで長生きできる。」「養生訓・
巻第一の七」 もっとも益軒は、だた長生きすればよいと言っているわけではなく、
「常に楽しんで日を送るがよい。人をうらんだり、怒ったり、身体を憂いなげいて
心を苦しめ、楽しまないで、はかなむ年月をすごすことは惜しい。

このように惜しむべき大切な年月を、一日も楽しまないでむなしくすごして
しまっては愚かというほかない。たとえ家が貧しく不幸にして飢えて死ぬと
しても、死ぬときまで楽しんですごすほうがよい。」「養生訓・巻第八の
十五後半」いかにストレスを克服するかについて、「日頃から元気を消耗する
ことはなるべく避け、多弁をせず、七情をほどよく整えるがよい。七情の中でも、
とくに怒り、悲しみ、憂い、思いを少なくすることを心がけることが大切であろう。

欲をおさえ、心を平静にし、気をやわらげ、物事に動ぜずして騒がず、心は
絶えず平和で安楽でなくてはならない。憂い苦しんではだめだ。」「養生訓 
巻第一の五後半」五十を過ぎてからの人生が本当の人生であるといっています。
「人生は五十歳くらいにならないと血気がまだまだ不安定で、知恵も出ないし、
昔から今までの歴史的な知識にもうとく、社会の変化にもなれていないので、
間違った言も多く、行いを後悔することがしばしばである。

人生の道理も楽しみも知らない。五十歳にならないで早世することを若死という。
これは不幸短命といわなければならない。長生きすれば、楽しみ多くそれだけ益も
多い。これまで知らなかったことを日々に知り、月々にいままで不可能であったこと
も可能になる。だから学問知識の進歩発達も、長生きしなければ得られないので
ある。」

「養生訓・巻第一の十九」 もっとも、当時の平均寿命は50以下なので、50を
過ぎるまで生きるということが至難でした。健康と長寿の最大の敵はストレスで
あるとして、「およそ人間のからだは弱くもろく、しかもむなしい。風前のともしびの
ように消えやすい。思えば心細いことだ。つねづね慎んで身を保つべきである。

まして内外から身を攻める敵が多いのだから、まことに危険である。まず飲食の欲、
好色の欲、睡眠の欲、あるいは怒り、悲しみ、憂いという敵が身を攻めてくる。
これらの敵はすべて身内から生じて身を攻める欲であるから内敵(いまでいう
精神的ストレス)である。風・寒・暑・湿は、身の外からはいりこんでわれわれを
攻めるものだから、外敵という。

ひとの身は金や石で作られたものではないので、破綻しやすい。ましてこのような
内外の大敵を受けるのであるから、内の慎みと外側の防御なくしては、多くの敵
に勝てない。きわめて危険である。だから人々は長命をたもつことが難しい。
十分に用心して、たえず内外の敵を防ぐ計略がなくてはならない。敵に勝た
なければ身の破滅をまねくのである。」「巻第一の二十」 これは江戸時代から
現代でいうストレスという考えがあり、対処法もあったということを示しています。           
                           文責 田中邦雄




 


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