「七福神」 今回は七福神の話とします。 恵比寿、大黒、毘沙門天、福禄寿 (福禄人)と寿老人、布袋、紅一点の弁天(弁財天)で七福神。 宝船に乗っています。元旦の夜に宝船に乗った七福神の絵を 枕の下において寝ると初夢にいい夢をみる、そうすると一年好い ことがある。悪い夢を見れば絵を焼いてしまうか、川に流せば よいとされています。 昔、中国の宋の時代(西暦1000年前後)に「八仙渡海図」 という絵があって、当時の中国ではお正月にその絵を家の 入り口に貼る、あるいは嫁を迎えるときに家の入り口 に貼るという習慣がありました。この「八仙渡海図」は日本の 宝船に似ています。 中国ではこの船は東、つまり蓬莱(ほうらい)島である日本 に向かうとされていました。しかしこの八仙人のなかには 現在の七福神は一人もいなません。 「宝船と七福神」の オリジナルは「八仙渡海図」としても、そこから独自に日本で 発展したものです。宝船は室町時代に創作されました。 一方、神さまは、室町時代ごろまでは恵比寿・大黒の 二神信仰であったようです。それが二神より三神、三神より 五神、五神より七神のほうが縁起がよいというふうに だんだんと増えて、江戸時代初期に七福神となりました。 元禄時代ごろになって、この七福神を室町からあった”宝船” に乗せて「宝船の七福神」が完成しました。 さてその七福神 ですが、 大黒天:これは仏教の守護神の一人でインドの 神様です。密教とともに日本に渡ってきて、大国主命と 合体しました。もともとは戦闘の神様で、これが中国に 入ってカマドの神様、厨房で飲食を司る神様になりました。 あの大きな袋の中には食糧が入っています。米俵に乗って いるのも飲食の神様の故です。 打出の小槌は寺院の会計が苦しくなる時に助けるためと いわれています。 恵比寿:七福神の中で唯一のメイド・イン・ ジャパン、日本の神様です。古事記に出てくる伊邪那岐 (いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の第一子で本名は蛭児命 (ひるこのみこと)といます。 この方が恵比寿さん(エベッサン)になりました。鯛を抱えて 釣竿を持っているのは鯛を釣り上げたところを意味していて、 もともとは漁民が開運の安全や豊漁を願う神さまでした。 この豊漁の神さまを農民は豊作の神に、商人は商業の神に してしまいました。 毘沙門天:インドの神様で、須弥山(しゅみせん)の中腹にいて、 北方の武神、仏教守護の神様です。多聞天(たもんてん)とも いいます。日本へ渡ってきてからは火事と雷から人間を守って、 福徳を授けてくれる神様になりました。 中国出身の福の神となると福禄寿(福禄人)と寿老人。 寿老人は福禄寿を同じ神様であるという説もあります。福禄寿 の三字は、中国の道教の希求する幸福・富貴・長寿の意味です。 これを江戸時代の人が二つに分けました。つまり、福禄寿は 福徳の神、寿老人が長寿の神となります。 この分離に際しては、『昔は福禄寿と寿老人は一つの神様で、 七福神には吉祥天が入っていた。吉祥天は毘沙門天の奥さんで、 宝船の中で夫婦でイチャイチャと仲の良いところをいつも見せ つけるので弁天様が怒って吉祥天を追い出して六福神に なってしまった。そこでみんなが困って福禄寿から寿を分離して 寿老人を生みだし、めでたく七つの神がそろい、新七福神に なった』という話もあります。 布袋:弥勒菩薩の化身といわれています。実在の人物で、 唐の末から後梁(りょう)にかけて、道教をも尊崇していた仏教の お坊さんです。本名は契此(けいし)といい、生年は分かりませんが、 亡くなったのはは西暦917年であるとされています。 弁財天:七福神の紅一点。いまは”弁財天”と書きますが、 もとの名は”弁在天”。音楽とか弁才、上手にしゃべる言語・学芸 の神様です。ですから琵琶を持っています。 江戸時代の人が弁財天と改名して、蓄財の神様としました。 文責 田中邦雄 |
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