キングに影響を受けた作家、作品
キングの作品はプロの作家にとっても刺激的なのか、「自分でもこんな作品を書いてみたい。」と思わせるものがあるようです。それと「キングのような小説を書けば売れるに違いない。」と考える作家もいるようです。
キングが凄いのは売上だけではありません。キングの影響力を探ってみましょう。
ディーン・R・クーンツ
クーンツは一般的にはキングと似たような作風の作家だと思われているようで、人気もキングほどカルトなファンは少ないものの、なかなか高いようだ。
しかし同じようなテーマを扱いながらも、キングとクーンツでは作品の根底に流れているものはかなりの違いがある。テレビ番組で例えると「X-ファイル」と「水戸黄門」ぐらい違うと思う。
キングの場合は、我々と同じような普通の人々が困難で恐ろしい状況に遭遇し、それと精一杯戦い、時には敗れ、また難局を切り抜けたとしても深く傷つかずに済むことはない。安易に希望がもたらされることはなく、決してシニカルではないが全体的なトーンはかなりペシミスティックなものが多い。現実も物語の世界も一寸先は分からないことは同じだ。
それに対してクーンツは現実はカオスだが、物語は人生に秩序や意味を与え、希望を生み出すものと考えている。だから彼の作品はいつでもハッピーエンドなのだ。作家としての信念に基づくハッピーエンドである。(ちなみにこれと正反対の信念を持っているのがジャック・ケッチャムだ。)しかしそれが欠点でもある。ワンパターンになりがちだし、絶対にハッピーエンドで終わることが判っているため、いまひとつサスペンスが盛り上がらないのだ。
ともあれ、他のブームに乗って出てきた作家たちが消えていくなか、クーンツは生き残った。これからもキングのライバルとしてがんばって欲しい。

彼の作品の中でお薦めとしては、最もホラー色が強く、キングも影響を受けたといわれる初期の代表作『ファントム』と、クーンツの考えがよくわかり、以前に比べて登場人物にぐっと厚みが増して読みごたえのある『ミスター・マーダー』の2作を挙げておく。
ロバート・R・マキャモン
「キングに影響を受けた」というより、キングのパスティーシュ作家というほうが近いかもしれない。モダンホラー・ブームが終わると共に「脱ホラー作家宣言」をするも、その後は鳴かず飛ばず。評価の高い『少年時代』も私にはどこが良いのかさっぱりわからない。
さてここまで読んでもらったら、私が彼のことをあまり好きではない(上品な表現だ)ことが分かってしまったと思うが、あえて彼の作品の中から一冊お薦めするなら『ミステリー・ウォーク』(福武書店 1990年発行)の他にない。
この作品も簡単に言ってしまえば『キャリー』と『デッド・ゾーン』と『アルジャーノンに花束を』を足して3で割ったようなもの、つまり『キャリー』や『デッド・ゾーン』がハッピー・エンドになっただけのようなものだが、不覚にも涙してしまう。
トーテム 
デイヴィッド・マレル 早川書房 1987年
この作品は、キングの『呪われた町』に刺激を受けて書かれた「人狼小説」である。本書の解説にマレルのインタビューが載っていて、それによると彼は、『呪われた町』を読み終わったときにガックリきたそうだ。もっと読みたくてたまらなかったらしい。それで自分で書くことにした-ただし吸血鬼はキングが既に書いてしまったので、人狼ものにしたそうだ。ホラー・プロパーでない作家にホラー小説を書かせてしまうほど、キングの影響力は強いのだ。作品の出来自体は特に可もなく不可もなくといった程度のもので、別に語るべき点はない。
マレル以外にピーター・ストラウブも『呪われた町』に影響を受けたと語っているが、このアメリカの田舎町を舞台にした吸血鬼小説が与えた波紋は、キングの他のどの作品にも増して大きいようだ。モダンホラーの嚆矢といえば、一般的には『ローズマリーの赤ちゃん』や『エクソシスト』の名前があがるだろううが、キングも書いているようにそれらの作品は単発的なものだった。キングが登場して初めてモダンホラーが大きなムーブメントとなったわけだが、その出発点となったのは間違いなく『呪われた町』と、それに続く『シャイニング』だと思う。これを音楽に例えると、キングはパンクにおけるセックス・ピストルズ、グランジにおけるニルヴァーナであり、『呪われた町』は『勝手にしやがれ!』であり『ネバー・マインド』である。(洋楽を聞かない人には全く意味不明の例えだな・・・)
『呪われた町』はこのように特別な作品であるわけだが、今ではそれほど人気がないようなのが残念だ。
ボルネオホテル
景山民夫 講談社 1991年発行
墓地を見下ろす家
小池真理子 角川書店 1993年発行
鳩笛草

宮部みゆき 光文社 1995年発行

クロスファイア
宮部みゆき 光文社 1998年発行
屍鬼 
小野不由美 新潮社 1998年発行
読み始めてまず思ったのは、これは『呪われた町』へのオマージュというよりパスティーシュではないのかということ。『呪われた町』と設定が似ているどころか、ほとんど同じなのだ。心配しながら読み進むうちに、物語はしだいにキングの作品とは違う方向に進んでゆく。
キングの『呪われた町』が、吸血鬼が現代のアメリカの地方都市に現れたらどうなるかを「吸血鬼のルール」をかなり厳格に守った上で描いているのに対し、『屍鬼』の場合は、それを日本に置き換えたらどうなるかという意図のもとに書かれた作品だと思う。そこで際立ってくるのが日米の文化の違い、国民性の違いだ。
以下ネタバレあり
今までの吸血鬼ものとは違い、おきあがって(一度死んで蘇ること)も人間であった時の意識を失っていない屍鬼たちはかなり情けない存在である。優しかった人間は屍鬼になっても人間を襲えないし、いじめられっ子も屍鬼になったからといって立場が変るわけでもない。そして住職であり作家(キングっぽい!)でもある主人公は、そんな屍鬼たちとどうしても戦うことができない。村はどんどん屍鬼たちに蹂躙されてゆき、自分の家族が犠牲になってさえもだ。この主人公の姿に非常に日本人的なもの(特に優柔不断なところ)を感じるが、それはやや古風な日本人像のような気がする。やはり日米の違いを際立たせるためには、日本人らしさを強調する必要があり、そのためにも主人公は住職である必要があったのだろう。(西洋医学の洗礼を受けた友人の医師は、屍鬼狩りの先頭に立つ。)

本書は、キングの作品にインスパイアされて書かれた日本人作家の作品の中では最も力作だと思うが、さすがにキングほどの、読者の首根っこをつかんで離さないような筆力が感じられないため、この長さは少しつらいものがあるのが残念。
バトル・ロワイアル
高見広春 太田出版 1999年発行
この作品をここで取り上げるべきか、少し迷った。なぜならこの作品がキングの影響を受けているのかよくわからないからだ。しかしキングファンなら設定が『死のロングウォーク』に似ていると思わずにはいられないだろう。
本書に対しては「残酷すぎる」「非常に不愉快」「マンガっぽい」「TVゲームみたい。」等の批判もあるようだが、私はなかなか優れた娯楽小説として気に入っている。個人的には、やはり若書きの印象を免れない『死のロングウォーク』よりこちらの方が好きだ。
『バトル・ロワイアル』は特にこれといったテーマもない、「優れた娯楽小説」としか評することができない作品であるが、上記のような様々な批判を受けるのは、非現実的な設定のなかにも現実社会のネガティブな面が(恐らく作者の意図以上に)反映されているからだろう。

追記:『バトル・ロワイアル・インサイダー』という本で高見氏のインタビューを読んだ。彼は好きな作家の1人としてキングの名前を挙げており、『バトル・ロワイアル』の最初のアイデアは『死のロングウォーク』から得たと答えていた。前口上は『ニードフル・シングス』からの「いただき」だとも。
ダレン・シャン-奇怪なサーカス
ダレン・シャン 橋本恵 訳 小学館 2001年発行
著者来日時のインタビューで、「キングを読んで小説を書き始めた。」と語っていた。『ハリー・ポッター』は万人向けだが、本書はいかにも「男の子向け」という感じ。
以前どこかの雑誌で「キングがあれほど人気があるのは、アメリカでは日本のように漫画文化が発達しなかったから。」というような内容の記事を読んだことがあるが、本書などはまさに漫画が活字になったような雰囲気。20巻ほど続くという噂もあるそうで、そのあたりもまるで『ドラゴンボール』や『ワンピース』のよう。漫画化権を買い取って少年ジャンプで連載すべし。あっ、小学館ならサンデーか。それなら藤田和日朗だな。
闇の果ての光
ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター 文春文庫 2003年発行
あやかし
高橋克彦 双葉文庫 2003年発行
上巻の裏表紙に「ジャパニーズ・ホラーが遂にキングを超えた!」と書かれているのを見て、ケンカを売られているような気分になり即購入。「東北の田舎町を舞台に、高橋克彦自身の青春時代の克明な再現を含んだ、キングばりのホラー長編、しかもエンタテインメントの点でもキングを凌駕してやろうと考えた」そうな。内容的にはホラーと言うより、いつもの伝奇的な世界で、「宇宙行かんでもええやろ」とツッコミながらもそれなりに面白く読んだ。

解説によると、高橋克彦は「スティーヴン・キングが羨ましい」と語ったことがあるそうだ。その意味は、アメリカ文化は世界中で受け入れられているので、「スタンド・バイ・ミー」のように田舎町での個人的な思い出話を丹念に描いた作品でも、共感を持って読んでもらえるからだとか。だから東北の田舎町が舞台で、背景が60年代のこの作品に読者が付いてきてくれるかが心配だったらしい。
なるほど、「スタンド・バイ・ミー」は私的な小説にも見える。だがその中に、通過儀礼的な冒険、友情(少年ジャンプみたいだな)、無垢な少年時代の終焉と別離-ほとんど神話的、あるいは原型的な要素が含まれていて、だからこそこの作品は、国や人種を超えて受け入れられるのだ。アメリカ文化が背景だからという程度のものでは決してない。そこを無視して「キングが羨ましい」などと語るのは、志が低いとしか言いようがない。

それと本書もそうだが、日本の小説を読んでいるとよくS町だとか、H市という表記があるが、あれってなんとかならないのか。リアリティを削ぐこと甚だしい。
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