諏訪の森法律事務所 Lawyer SHIGENORI NAKAGAWA

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「エイズ予防法」のその後

1999年7月記

1994年8月、第10回国際エイズ会議が横浜で開かれた。私たちは、「当事者こそが国際会議の主役である」、との考えから、動くゲイとレズビアンの会やHELP等の市民グループとともに、「PWAとマイノリティに学ぶ実行委員会」をつくり、ドラッグユーザー(薬物使用者)やセックスワーカー(性産業従事者)も含めた患者・感染者・支援者の入国実現のためのキャンペーンを行った。 当時、私たちがこれら当事者の入国問題にこだわったのは、当時の日本のエイズ政策を全体としてみた場合、「当事者の発言・参加を権利として保障する」という発想が決定的に欠落していると考えたからである。本書(アーニ出版「エイズ集中講義」)でも大勢の方々が述べているように、それまでの日本のエイズ政策は、全体としてみれば、同性愛者やセックスワーカー、外国人に対する偏見を利用して患者・感染者への恐怖・敵意をあおり社会から排除することを基本としていたと言わざるをえない。行政はこれによって「薬害エイズ」の現実を覆い隠すこともできたのである。

私たちは、国際会議に先だって、海外から、ゲイ、レズビアン、そしてセックスワーカー支援グループのメンバーを招き、シンポジウムや法務省への申し入れを行った。法務省は「ドラッグユーザーやセックスワーカー経験者でも、会議のキーパースンであれば特別に入国を許可する」との方針を明らかにしたが、私たちは、国際会議の数日前から、弁護士数名が入国時のトラブルにそなえポケベル(!)を持って待機する態勢をとった。

会議には、内外から多数の「当事者」が参加し、その姿・活動が日本のマスコミでも報道された。また、「エイズ文化フォーラム」等を通じて市民との草の根の交流が活発に行われた。国際会議の開会式では大石敏寛さんが、自らが同性愛者であり性行為を通じて感染したことを織りまぜながらスピーチを行い、また、薬害エイズを告発する大規模な集会が国際会議の関連企画として開催された。

さらに、その後、薬害を追求・究明する運動が劇的な高まりをみせ、その中で、エイズパニック以来の日本のエイズ政策の暗部全体が大きく問い直されることとなった。また、長きにわたってハンセン病患者をいわれもなく社会から排除してきた「らい予防法」が、1996年についに廃止されるに至った。

このような中で、エイズ予防法の廃止が取りざたされ、その帰趨が注目されたが、結局、新たに制定された「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(1998年9月成立、1999年4月施行)に、他の感染症とともに再編・統合される結果となった。この法律は、エボラ出血熱、ペスト等の重篤な感染症から、インフルエンザ、エイズに至るまでの感染症を4つに分類し、これに対する対応を定める体裁をとっている。この法改正によって、入管法附則は廃止され、エイズについては原則的には強制的措置の対象外とされるに至った。

しかし、そもそも、感染力や感染経路のそれぞれ異なる多様な感染症を単一の法律で規律する必然性があるのかという疑問に加え、「過去における社会防衛中心の政策から、感染症予防と患者の人権尊重との両立を基盤とする新しい感染症政策に転換する」という法律制定の趣旨が、法律の本文に書かれず、国会の付帯決議に盛り込まれるにとどまっており、法律の内容面でも、患者・感染者に十二分な医療と人権を保障する具体的方策を欠いている等、不十分なものであった。

真の意味で日本のエイズ政策を新しい感染症政策に転換すべく、私たち市民が患者・感染者と力を合わせてゆくことが、いま求められている。


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