諏訪の森法律事務所 Lawyer SHIGENORI NAKAGAWA

住所:〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-16-8 アライヒルズグレース2A

電話:03-5287-3750



HOME > 論稿集 > エイズ予防法を読む


エイズ予防法を読む

1993年7月 性を語る会シンポジウムにて

エイズ予防法の実際の条文を読んだ方はあまりいないのではないでしょうか。
この法律はいま、みなさんが関心をもったり活動されていることに直接かかわることです。
そういう意味でこの法律を身近な問題としてどう読むか−について考えてみたいと思います。

(エイズ予防法は、1999年4月1日、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の施行と同時に廃止された。エイズは、感染症新法の中で、インフルエンザ、梅毒、C型肝炎等とともに「4類感染症」に分類されました。)

エイズ集中講義 アーニ出版 1999年より。一部加筆訂正


エイズ予防法の問題点

エイズ予防法は、国・社会が、エイズと闘う、エイズに立ち向かうという目的をもった法律としては、日本で唯一の法律です。
この法律はいつできたのでしょうか? 1989年1月17日に公布され同年2月17日に施行されています。法案が国会に出されたのは1987年の3月31日です。(補足・エイズパニックと予防法)

この法律の問題点は、社会がHIV/AIDSに対してどんな発想をとるか、患者や感染者の人権との関係をどう考えるかという法律の基礎にある考え方にあります。

一般に、感染症対策には二つのパターン、方向が考えられます。一つめは、個々の感染者を徹底的に把握し管理するという考え方です。行政が個々の患者・感染者の住所氏名を把握して、その行動を規制する。こうして感染の広がりをストップしようという考え方。これは患者・感染者から社会を防衛する、社会が守られればいいという考え方です。

これに対し、もう一つの考え方は、患者・感染者の人権と医療を受ける機会を保障して、自発的な協力を重視する考え方です。患者感染者に対して、プライバシーを守りつつ十分な治療の機会を提供し、社会的差別の防止や救済を含めて人権を十分に保証する。患者・感染者の人権が大切にされてはじめて、社会全体の感染症対策としても十分な効果をあげることができる、という考え方です。


人権侵害の予防法

 残念ながらエイズ予防法は、患者・感染者に十分な治療を保障しようという立場からの法律ではありません。法律の具体的な条文をみると、医師の通報、報告を義務づけたり、(一定の場合ですが)行政が個々の患者・感染者の住所・氏名を把握し管理する、場合によれば刑罰の脅しをもって感染経路・「感染源」を解明しよう、という発想にたっていることがわかります。

まず法律の5条を読んでみましょう。そこには、医師が診察した人が感染者であるとわかったら、医師はほかの人を感染させないために必要な指示を行い、住所氏名を除いた情報を知事に報告しなければならない、と定められています(この通報、報告が基になって厚生省のエイズサーベイランス委員会から2ヶ月おきに患者数、感染者数が発表され新聞に載ります)。

問題は7条です。

まず7条1項ですが、いまお話したように、医師は感染者であると判明した人に対して、2次感染の防止上必要な指示をする(そこには当然、セックスのあり方のような、個人のプライバシーの最たるものも含まれます)。ところがこの医師の指示に従わず、なおかつ多数の者に感染させるおそれがあると医師が認めた時には、住所氏名を含んだ情報を行政に通報するもとのとする、と書かれています。

7条2項では、医師が診察をしてある人(Aさん)が感染していることがわかったとする。そこで、Aさんに「感染させた」人(Bさん)の話が出てくる。Bさんはさらにほかの多数の人に感染を広げるような行動を行っているらしい、ということを医師が「知り得た場合」、医師は、このBさんの住所氏名を知事に「報告することができる」と書いてあります。極端な場合には、医師は一度もBさんに会ったことがなくてもBさんの住所・氏名等を通報することができることになります。これは医師が日常生活や性生活など、クリニックの外で起きていることまで判断するわけで、そもそも医師にそんなことまで判断する能力があるのか、誤った情報や判断に基づいて住所氏名の通報がなされ重大な人権侵害が発生しないか、という大きな問題があります。

一つ注意してほしいのは、7条1項で住所・氏名を通報する場合というのは、薬害エイズの被害者も対象になっている、ということです(薬害被害者の場合、5条の定める義務のうち「報告」の対象からはずされているが、二次感染防止のための「指示」の対象にはなっている。したがって、この「指示」に従わず、かつ多数に感染させるおそれがある、ということになれば、7条1項によって住所・氏名等が知事に報告される仕組みになっている)。

忘れてならないのは、人権の問題は「公衆衛生」上の有効性にも直結しているということです。実際、1987年3月にエイズ予防法が国会に提案される直前、新聞で、「新しい法律では、一定の場合に感染者の住所氏名が知事に知らされることになる」ということが報道されました。このことが報道されたとたん、都立駒込病院におけるHIV抗体検査の予約のキャンセルが激増した、ということが報告されています(東京都立駒込病院エイズ診療医師団「エイズを診る」1987,朝日新聞社、193頁以下。同書によれば、法案上程後の4月13日のキャンセル率は実に69パーセントに上っている)。病院へ行って検査をしてもらえばアドバイスや治療を受けることができると思うからこそ検査を申し込んでいるのに、自分の名前が行政に伝わるかもしれないと言われれば誰だって脅威です。特に、エイズパニックの渦中の日本では、行政や社会に感染の事実を知られることは、自分や家族が社会的に葬り去られることを意味していたのです。

さらにエイズ予防法の条文をみてみましょう。感染者が「医師の指示に従わず、多数の者に感染させるおそれがある」、ということで氏名等を報告された場合(7条1項)、今度は知事がその感染者に対して必要な指示をできる、ということが定められています(9条)。その際、行政は必要な質問もできる(10条)。質問に答えなかった場合処罰するとは書いてありませんが、「虚偽の答弁をした者は10万円以下の罰金に処する」とあります(16条二号)。

犯罪捜査の場合だって黙秘権があるのに、事実上答えることを強制する。国会の審議の中で、こんな質問もされました。「女性が感染していることがわかったが、妊娠している。出産をするかどうかが指示の対象になるか」と。もちろん厚生省側は「指示の対象になる」とはいわない。ただ日本弁護士連合会の検討では、条文だけでみると「”一定の場合”に含まれると解釈されてしまう余地がある」と指摘されています。どんな指示ができるのか、何について指示できるのかという限定が、条文に明記されていないからです。

たとえば梅毒という性感染症が、19世紀から20世紀初頭のイギリスで猛威をふるいました。やがて制圧され有病率が低下する。一般には1909年にサルバルサンが発明されて有病率が低下したといわれていますが、実はそうではないのです。患者のプライバシーをきちんと守り、無料で治療する「オープン・ドア・クリニック」が各自治体に設置されてはじめて、有病率が顕著に低下したという歴史的な教訓があります。

性行為を通して感染する側面をもった感染症については、把握し追いかけて管理する方法では効果的な感染症対策にはならない。逆に、人権侵害や、公衆衛生上からみて本当に抗体検査を受けたい人・受けてほしい人が医療機関から遠ざかってしまうのです。

そういう意味から私はこのエイズ予防法という法律はなくすべきだと思っています。「こんな法律はいらない」というと、「これがあるからサーベイランス事業が成り立つ」、という人がいますが事実ではありません。エイズ予防法ができる前からサーベイランス事業はあって、新聞に数字が載っていました。人々が医療機関を忌避するようになれば、サーベイランスじたい成り立ちません。こんな法律はなくてもいいのです。


時代錯誤の入国管理法

入管法附則第7項も大きな問題です。条文には、感染者が多数のものに感染させるおそれがある場合には入国できない、と書いてある。どのような場合がこれにあたるのか、その基準が法律とは思えないぐらいあいまいです。また、この条文には、日本のHIV/AIDSに対する行政・法律の本音が最も端的に現れています。「エイズは社会の外、外国人や不健全な特別な人々が持ってくる」という考え、そして、「患者・感染者を社会から排除することで感染の拡大を抑制できる」という考え方です。このような考え方はまったくの幻想ですが、入管法の条文は、法律が先頭にたってそういうことを言っているようなものです。

現実的な問題としては、1994年に横浜で開かれる第10回国際エイズ会議。国際会議は単なる医師や製薬企業の会議ではない。多くの患者・感染者が世界中からきて実際のケア・生活上の智恵、日常に関する情報交換、行政との対応などを伝えあうことは、日本の患者・感染者にとって大きな意味をもつはずなのに、それを制限されるとしたら本当に残念なことです。

いま、その人たちから「こんな法律があるが日本に入国できるのか」「こんな法律のある国でエイズ国際会議をやっていいのか」ということが問われています。日本の厚生省は「入国の際に感染の有無は聞きません」と答えましたが、今回の国際会議以外はどうなのか? 今後とも運用が変わらない保障はあるのか、という問題が残っています。実際には、この付則7項は一度も適用されたことはないそうです。とすれば、この際いらないものはなくすべきです。

また、附則第7条の問題ではありませんが、入国の問題については、薬物使用者や、あるいはセックスワーカー−そういう人たちは入国できないのか、という問題もあります。もし、こういう人たちは入れない、あるいはこの入管法の問題で、入国についてトラブルが起こるということになると、国際エイズ会議の今までの成果が大きく損なわれてしまいます。ぜひこの法律に関心をもって、いろいろなところで声をあげていただければと思います。


質疑応答

北沢
「多数の者に感染させる」の「多数」とは何人のことをいうのですか?

中川
「多数とは何名である」と法律に書いてあるわけではありません。解釈によっては、自分以外の2名に感染させそうだという場合「多数」とされる余地がある(笑)。最終的には裁判所が判断するわけですが、論理的には自分以外に2名という解釈は成り立ちます。「多数の者に感染させるおそれがある」ということで通報されて(7条1項)9条の指示を受ける、その際に行政の職員から質問を受けて(10条)、虚偽の答弁をした、という疑いを持たれれば、告発されて逮捕されることもあり得るのです。もちろん逮捕する場合には、「虚偽の答弁をした」というだけではなく、「逃亡のおそれ」とか「証拠隠滅のおそれ」のような逮捕される理由が必要ですが・・・。

フロアから
エイズ予防法をなくす具体的な条件は?

中川
エイズ予防法が国会を通るときに付帯決議がなされ、「法律が施行されてから3年で見直しをする」ということだったのに、現実には国会の中の動きがまったくない。この法律をなくすための具体的な条件は何か、という点ですが、患者・感染者と一緒になって運動している人たちの声が大きくなって、患者・感染者に十分な医療を保障し、人権を尊重するようにする。そこにスポットがあたらなければ、エイズ予防法をなくそうということにはなりません。みなさんが患者・感染者と共に個々の問題について声をあげる。そういう運動を積み上げていくことが大切だと思います。


Copyright (C) Suwanomori Law Office All Rights Reserved.