USテロ事件のこと

 今回の旅行はある意味忘れられないものとなった。9月11日旅行中に、ニューヨークの貿易センタービルが、テロリストにハイジャックされた旅客機で破壊されるというショッキングな事件が起こった。翌朝のテレビニュースで知り、英語にドイツ語で何のことかさっぱりわからなかったけど、タリバン、テロリストという言葉と、何よりも旅客機があの有名なビルに突っ込んでいくという映像。その後起こったビルの崩壊。何か大切なものを失ったような空虚感と恐ろしさが、楽しい旅行気分をフッ飛ばしてくれました。それと同時によぎったのは、紛争地帯でアメリカが正義の名のもとおこなう空爆で犠牲になる民間人。彼らと今回テロ事件で犠牲になった人達とどう違うのか。
 その後訪れたドイツの美しい町並みも、かつて第二次世界大戦中にほとんどが破壊され、戦争の傷を受けている。第二次世界大戦は過去の出来事なのか、いったい何をしてきたのだろうか。
 テロ事件で犠牲になった方々にはご冥福を申し上げます。


雨、雨、雨

 9月といえどもヨーロッパはとても寒い。出発の直前にインターネットでドイツの天気予報を調べてみると、行く前の週からずーっと雨。週間予報も雨。寒い時には最低気温8℃。関西ではまだまだ半袖、30℃を越えることもあるのに。。。予報が外れることを期待して、フリースを余分に入れて出発した。
 行きの飛行機は乗り物酔いで、2回目食事もとれず、ワインも飲めず、フラフラになりながらフランクフルトに到着した。夜食に出たおにぎりを1個をリュックに入れた(これが後で役にたったが)。フランクフルトからミュンヘンまで4時間かけて列車で移動しなければならない。入国したら一目散に長距離列車の駅に向かった。この駅は空港から直結していて通路を抜けると、ドーム状でガラス張りの温室の中にいるような感覚、これが駅だった。ホームはそこから地下に下りて、外が見える。青空がのぞき、まあまあ良い天気だった。
 列車が到着。さすがICE、日本で言う新幹線だが二等車でも一人掛、二人掛、コンパートメントタイプといろいろ。座席もリクライニングゆったりで内装もきれい。これでシュトゥットガルトまで乗るのだが、席を確保するとそのままぐったり。シュトゥットガルト駅に着いた時には、もうすっかり雨で寒い!フリースを取りだし、ゴアテックスの防寒着を着込んで次の列車を待った。気分もだんだん良くなってくると、今度はお腹が空いた。実はマルクに両替していなかった。今日は土曜日の夕方、両替するのは絶望的。先ほどのおにぎりを取り出しかぶりつく。
 乗換えは、ECインスブルク行きの国際列車だ。手前のミュンヘンで降りないとオーストリアまで行ってしまう。寝ないで起きていよう。ミュンヘンに到着すると、どしゃぶりの雨。小さな傘に荷物を持って、駅から3分ほどのホテルに到着した時には、雨に濡れてベタベタだった。その日は早く休んで体調を回復。翌朝から雨、降ったり止んだりの一日、結局予報に違うことなく毎日雨だった。


ドイツ人の飲み会

 ミュンヘンのビアホールで本場ビールとソーセージで乾杯をしたい。さっそく有名な「ホーフブロイハウス」に行って見る。すごい人、そんなに遅い時間じゃないのにみんな酔っぱらい、ステージでは楽団がドイツの音楽や歌を奏でている。楽しそうなんだけどとても一人で食事ができるような場所も無い。楽団の写真だけ収めて、他のレストランを探そうかと思ったその時、運ばれてくるビールジョッキーのビールが美味しそう!絶対一杯は飲んで帰ろう。
 座れる場所を探して二階のレストランにも行って見ると、二階は閉まっていた。ベランダから下にまた戻ってくると、1階厨房横のテーブルが空いている。音楽も聞こえてくるし、ここにしよう。日本人ツアーの団体が、厨房裏はすれの席に座っている。他に空いているんだから何もあんなところに座らなくても。。。メニューに首を突っ込んでいると、一人のおじさんから相席いいですかと聞かれた。どうぞかまいませんよと答えると、連れの男性、女性が次々現れてなんと8人のドイツ人の団体。取り囲まれてしまった。
 ご夫婦2組に女性4人の団体は、フランクフルトから2泊3日で観光にやってきた友人同士。日本人の私など全く気にする様子無く、ギズラさんという中でも年配のおばさんが英語で話しかけてきた。私が一人でドイツにやってきて旅行していると言うと、みんなとても驚く。さて、注文を取りにきた。ビール!これはもしかして、念願のドイツ人とビールジョッキーで乾杯ができるのかなぁ。
 ビール飲み物がやってきた。念願叶って、かんぱ〜い!みんなとても陽気で、楽団から知っている曲が流れると、歌いだし、それに合わせてビールを飲む。本物だよ。教えてもらった曲は、「アイン、ツバイン、ソッファー」っていうところ。アイン、ツバインでジョッキーを振り、ソッファーでビールを飲む。楽しい♪
 最初は自己紹介をしたり、いろいろ質問をしたりしていたが、時間が経つと私を除いてそれぞれが話しをしたり、聞いてあげたりしている。ドイツ語で何の話しかわかんないけど、話しが一段楽すると、ギズラさんが「さっきの話しはね、彼女の実のお母さんと旦那さんとのことでね。。。。」ああそれでいろいろ聞いてあげていたんだね。ドイツでも飲み会は変わらないね。
 そうこうしているうちに11時を回り、ホテルが同じ方向だったので、一緒に帰ることになった。夜のショッピング街を歩いて帰る。ギズラさんは私の腕をとって、とても私のことを心配していた。「ドイツのお母さんだと思って」彼女はそう言ってくれた。ありがとう。ギズラさんは子供さんがいないそうだ。娘のように思ってくれたのかな。本当にみなさんお世話になりました。楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。

 写真はこちら→ミュンヘン「ホーフブロイハウス」


ナンシーさん

 ミュンヘンからフッセンまでローカル線で2時間。電車は1時間に一本しか無い。時間ぎりぎり慌てて電車に駆込んだ。空いている席を探していると、向かい合わせ4人掛けの席に一人の女性が座っていた。ここいいですかと訊ねて席についた。
 女性は何か編物をしていましたが、しばらくすると英語で日本人ですかと聞いてきた。そうですと答えると、女性はとても興味深げで話しかけてきた。ナンシーさんというお名前で、日本に行ったことがあるそうだ。東京、大阪、福岡。。。日本語の単語を少し知っている。これが日本に行った時のビザだよ、パスポートを見せてくれた。ビザ?ミュンヘンのオペラ歌手で、日本には公演で行った事があるそうだ。写真も見せてくれた。ナンシーさんはアメリカ人。道理で訛もなく英語が上手。25年前ドイツにやってきて、ドイツ人の旦那さんと結婚してドイツで暮らしている。旦那さんもミュンヘンの大学で音楽の先生をされているそうだ。それからお互い英語と日本語を教え合いながら、楽しくいろいろな話しをした。
 ナンシーさんには23歳と18歳の息子さんが二人いらっしゃって、ご家族の写真も見せてくれた。上の息子さんは、バンドをしているようで、音楽家のご両親の影響かな。とてもハンサムだった。ううん、紹介してもらえば良かった。ナンシーさんは、1時間ほどしたところの駅で下車。友人のお家にしばらく滞在するそうだ。機会があれば、ナンシーさんの公演も見たいなぁ。


英語でガイド

 今回の旅行の目玉ノイシュヴァンシュタイン城の見学は、ディズニーランド並の混雑もあるらしい。実際行って見ると、チケットセンターでチケットを購入すると整理番号と時間が印刷されていて、その時間に合わせて入口に行けばいい。チケットセンターに行くと、「日本人?英語のツアーでいいね?」、英語ツアーに参加することになった。私は英語が大の苦手。英語のガイド説明はわからないので、いつも入場前に日本語のガイドブックを売店で購入し、本を見ながら見学する。
 城の入口に行くと、大勢の人達が整理番号が表示されるのを待っていた。その中に同じホテルに宿泊していた日本人ツアーの団体さんがいた。昨日レストランで顔見知りになっていたので、待っている間彼らと話しをした。今日はこの後スイスのユングフラウヨッホに行くそうだ。なかなかハードスケジュール。
 順番がきた。列に並ぶと40人ほどになった。半分近くが中国人の団体。あとはアメリカ人、スペイン人、イタリア人で、日本人は私一人だった。見学ツアーは部屋を一つ一つ説明してくれるのだが、とにかくすごい人、次のツアーもやってくる。ボーっと見ていると「早く来なさい!」と急かされた。英語のガイドを聞きながら、日本語ガイドを見ながら歩いていると、「あれ?食堂の説明がなかったぞ」そんなことであっという間にツアーは終わってしまった。
 ツアーから解放されて最後が城の台所の見学。ガイドブックによると、最新鋭設備の台所だったらしい。一つづつ確認しながら、急かされずにこうやってゆっくり見たいなと思っていると、「それに何て書いてあるの?」背の高い男性が英語で話しかけてきた。豪華な主人の部屋と違って、台所は通り過ぎたら何も見るべきものはない。早速通訳してあげることにしたが、英語が。。。
 まずは奥にあるのが肉を焼くための機械で、レオナルド・ダ・ヴィンチの発明?!「ええっとダヴィンチの発明、発明。。。」単語を並べていると「ああ、イタリアからきたものなのだね」。わかってくれた!次に目の前にあるのがオーブン。「オーブンね」このオーブンがすごい。煙は下から出て外に出される。「おお、本当だ上に煙突がない」男性と彼の奥さんは感心する。調子が出てきたぞ。イルカの蛇口と水槽は魚料理の為のもの。この台所から出される熱は、他の部屋を暖めれるように利用された。あと、エレベーターがあるはずです。奥さんが「奥にあるわ」「食事を運ぶものかしら」。いいえ、薪を運ぶためのエレベーターです。「そうか薪は重いからか」
 ご夫婦はアメリカ人でカンザスから来られたそうだ。とても喜んでくれて、「君はすばらしいガイドだ」と誉めてくれた。でももう少しマシな英語が話せるようなりたい。さて、その後NYでテロ事件が起こった。あのご夫婦は順調にアメリカに帰れたのかな。

 写真はこちら→ロマンチック街道「ノイシュヴァンシュタイン城」


バスにおいていかれた

 9月12日、ヨーロッパバスに乗ってローテンブルクまで行く。8:07発のバスを待っていると、会社の休みを利用して1週間旅行をしている日本人女性2人組。それから、バックパッカーの日本人女性、よし子さんもやってきた。よし子さんは会社を辞め、失業保険が切れたので8/20から一人でヨーロッパを旅行して、9/20にフランスからNYへ渡ってアメリカを旅行する予定だ。バスの乗客の半分は日本人。よし子さんと近くの席についた。「NYで凄いテロ事件が起こったよ。飛行機で貿易センターに突っ込んで破壊してしまった。もしかしたら戦争が始まるかもしれない。旅行に行けるような状態じゃないよ」私はよし子さんに朝見たばかりのショッキングな映像を話した。その時は、ハイジャック機を使った同時多発テロとは知らなかった。よし子さんはホテルにテレビが無かったので、事件は知らない。
 ヨーロッパバスは、ロマンチック街道沿いの街を訪れ、いくつかは休憩を兼ねて停車する。最初の停車地は世界遺産の「ヴィース教会」。たった10分間のうちに、壮麗な教会の内部を写真に収め、テロで犠牲になった人達のために手を合わせ祈った。次の停車地はランツベルク。すぐ近くに「聖母マリア昇天教区教会」があるので、よし子さんと行って見ることにした。停車時間10分、足早に戻ってくると、バスにはまだ運転手がいない。アメリカ人夫婦が、戻ってきた運転手にトイレの場所を聞いていた。運転手は二人を案内して、私達も着いていくことにした。これが間違いの元であった。トイレは一つしかなかった。アメリカ人の奥さんの次に並んだ。ちょっと嫌な予感がした。よし子さんは私を待ってくれた。しかし予感は的中、戻って見るとバスは無い!運転手もアメリカ人も私達のことを気がつかなかったのか?!とりあえず、パスポート、現金、鉄道パスは身につけている。ガイドブック、カメラ、荷物は無い。よし子さん、「ツーリストインフォメーションに相談してみようか」でもどこかわからない。路線バスの運転手に聞こうとしたが、追い払われた。
 まずいなぁ、どうやって荷物取りに行こう。ローテンブルクの観光今日はできへんなぁ、しょうがないかという気持ちにもなっていた。鉄道駅もどこかわからない、途方に暮れてその場を動かなかったのが良かった。よし子さんが、「バスが戻ってきた!」旅行はリセットすることができた。運転手さんは「ちゃんと時間を守らないとだめだよ」私達がいないことに気がついた日本人のおじさんが、運転手さんに言ってくれた。「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました」教訓、「気がついているだろうは、だめだ」無事ローテンブルク到着し、よし子さんや他の乗客達とも別れた。
 翌日ローテンブルク駅でよし子さんに会った。私はニュルンベルクまで、よし子さんはライン川沿いの街に行く予定だ。10:07の電車に乗って、次の乗換え駅まで一緒に行った。「よし子さん、NYは気をつけてね」手を振って別れた。

 写真はこちら→ロマンチック街道「ランツベルク」


国際電話を掛ける

 ローテンブルクのホテルで、CNNニュースを見ることができた。ニュースはテロ事件一色、ビルが破壊された映像、解説者のコメント、ブッシュ大統領や政府高官の声明。それから、ハイジャックを警戒して、アメリカ全土で飛行機の運行がストップしているではないか。大変なことになった。無事日本に帰れるのかな。突如自分の状況が心配になった。私は海外から家に電話を掛けることはめったに無いが、現在23時ドイツとの時差は7時間、掛けてみよう。ホテルに備え付けの案内に目を通す。国際電話は、通話料の他に手数料が30マルクも掛かる。高い!明日公衆電話からかけることにした。
 ニュルンベルクに、翌日12時に着いた。荷物を駅に預け、観光前に電話を掛けられるところを探す。地下鉄駅のキオスクで、telephoneという看板を見つけた。レジで「テレフォンカード下さい」というと、金額別にカードを見せられた。「じゃあ、これ下さい」20マルクのカードを選び、20マルクを渡すと、「はい、おつり」2マルクが返ってきた。「あれ?」という顔すると、レジのお姉さんは「ディスカウント」
 早速、駅の公衆電話にカードを突っ込む。反応が無い。反対に入れてみる。同じだ。電話機を変えてみる。やっぱり電話は掛からない。慌てている私を見て、横のおじさんは「カード、カード」なんか言ってるけどわからない。よく見るとカードはボール紙製、これは使えないカードを買ってしまった。さっきのキオスクに言わないと!外国では、英語が上手く話せなくても言う時は言うんだというのが私の信条。そのままの勢いでキオスクに駆込み、電話が掛けられないと訴えた。
 先ほどのお姉さんの他に、ちょっとイカツイお兄さんがいた。お兄さんは冷静に、カードを裏返してここを読んだかと言う。?でも私の勢いは止まらない。さらにお兄さんは、裏に書いてある電話番号をに電話しろという。そしておもむろに銀色の部分を削ると、番号が出てきた。お兄さんは私を公衆電話のところに連れてきた。実は、まず最初にカードの裏の電話番号に電話する。削った部分にシークレット番号があって、それを入力する。それから通常通り国際電話を掛ける。
 お兄さんは、電話番号を書いてよこせという。そして実際に電話を掛けてくれた。電話が掛かると私を残し、お店に戻って行った。電話には父が出た。「なんかあったのか?」「なんかって、アメリカですごい事件があったじゃない」父から初めてハイジャックされた飛行機が貿易センタービルに突っ込み、他にもペンタゴンと原野に墜落した飛行機があることを知った。とりあえず無事であることとドイツ国内は平穏であることを伝えた。
 電話を切って、先ほどのキオスクに戻った。レジのお姉さんとイカツいお兄さんはお客さん相手に忙しそう。「電話できたよ。ありがとう」私は一言声を掛けた。でもお兄さん、よく見たら恐そう。

ニュルンベルク

 ニュルンベルクといえばオペラ「マイスタージンガー」の職人の町、ニュールンベルク名物焼きソーセージ「ニュルンベルガー」。そして「ヒットラーとナチス」。ローテンブルクの観光を切り上げ、ニュルンベルクに立寄って見ることにした。ニュルンベルクは大きな町で、旧市街の外れには堅牢な城塞「カイザーブルク」が建ち、町の中心には歴史ある教会がいくつか建てられていている。カイザーブルク近くには、画家デューラーの家が博物館として公開されている。順番に観光して町の中心広場「ハウプト広場」の方へ向かった。カイザーブルクからハウプト広場に戻る途中、「フェンボー市立博物館」に入ってみた。この博物館は16世紀後半の貴族の館で、16世紀からの町の歴史を知ることができるとガイドブックには書かれている。もしかしたら、私のニュルンベルクに対する興味を満たしてくれるかな。
 博物館に入ると、まず一番上の階へ。そこには町全体図の精巧な模型が作られていて、よく見ると第2次世界大戦で空襲を受け、ほとんどを破壊尽くされた当時の様子だった。歴史的建造物が戦争で破壊された写真を紹介するフィルムが上映された。あれ、この建物さっきの通りにあった古い建物やこんなに壊されて、わからないように元どおりに復元されたんや。そんな建物がいっぱいあった。その展示室には、私と先に来て英語の説明を聞いていた外国人のご夫妻。それからドイツ人の親子連れがあとからやって来た。彼らは英語の説明をちょっと不満そうにつまらなそうに聞いていた。博物館は、町の発展を語る当時の手工業者や職人達の様子を描いたパネルや手工業品。貴族の館そのままを再現した見事な木彫り内装の部屋や、台所など見るだけでも楽しい。さらに所々で短い説明の映画を上映していた。
 展示室も終わりに近づいた。映画を上映している部屋に入ると、先ほどの親子連れが熱心に見ていた。それはドイツ語で全く説明はわからなかったが映像は古い記録フィルムで、戦前の町の様子。一糸乱れぬ行進のナチス。そこへ歓喜をもって迎えるニュルンベルクの若い女性や市民達。次にいろいろな人たちの逮捕された時のような写真。これはゲシュタポかそれに捕まった人たちか?。続いてニュルンベルク空襲と廃墟になった町の様子。そして連合軍の占領でフィルムは終わる。親子連れは、二人の子供、父親、年配の女性はおばあさんみたいだった。彼らは最後までフィルムをみて黙って立ち去った。
 見終わるとなんだか熱いものがこみ上げてきた。日本とドイツ、空襲を受け、ともに敗戦国となったこと。きっとあのおばあさんにとっては、先ほどの映像は彼女の人生の中で、全く関係無いことでは無いだろう。イギリス人やフランス人とは共有できない思いが、ドイツ人とはわかることが出来るのではないか?そんな勝手な思いが横切った。もしドイツ語が話せたら、「あなた方の気持ちはよくわかる」
 ニュルンベルクはかつてナチスの党大会が毎年行われた場所で、そのためか歴史あるこの町は、連合軍からひどい空襲を受けたらしい。

 写真はこちら→「ニュルンベルク1」 「ニュルンベルク2」

ドイツワインについて

 最後に訪れたヴェルツブルクは、「ボックステイル」と呼ばれる瓶にとても特徴のあるフランケン・ワインの産地。私の好きな白ワインばかり。でもドイツワインってとにかく酸っぱい。ミュンヘンの「ホーフブロイハウス」で一緒だったギズラさんは、ビアグラスぐらいに入った酸っぱいワインを5杯ぐらいは飲んでた。酸っぱいのは、「リースリング」というドイツワインを代表する葡萄の品種。
 ヴェルツブルクでは葡萄畑の中を歩き、由緒ある「ジュビガー・シュピタール」でワインを買って帰りました。いろいろ飲み比べて見ると、酸っぱいだけでなくなかなか味がある。全体にはキリリと辛口。幸せ!

写真はこちら→「ヴュルツブルク」
「マイスター・トゥルンク」について
フランケンワイン
船便で日本に届いたワイン

USテロ事件のこと(2)

 今日は日本に帰国する日。最後の滞在地ヴェルツブルクから、国際空港のあるフランクフルトまで特急列車で約1時間。以前乗換でフランクフルト空港に降りた時、「フランクフルトは何も見る所が無くて、"ゲーテハウス"ぐらいだよ」その言葉を思い出した。飛行機の出発時間は13:45分。それなら、ついでにゲーテハウスに行こう!
 フランクフルトに向かう電車、車両はコンパートメントだった。誰もいない部屋を見つけると、荷物を置いてくつろいだ。途中停車駅から女性と、小学生ぐらいの男の子を連れた男性が乗ってきた。時折彼らは世間話しをしているようだ。もちろんドイツ語、何のことかさっぱりわからない。フランクフルトの高層ビルが遠くに見えてきた頃、男の子のお父さんが私に英語で話しかけてきた。「日本人ですか」、「そうです。今日、日本に帰ります」と答えた。
 ゲーテハウスの見学、買物、あっという間に時間が過ぎ、出発2時間前に空港に到着した。チェックインカウンター前のロビーは、人で溢れかえっていた。まだアメリカ行きの飛行機が欠航していてる。チェックインカウンターの方に向かうと、空港入口から長蛇の列が続いている。やっとそばまで来ると、ここのカウンターは閉めたから、あっちの列に並んでくれ!追い返されて仕方なく戻る。
 とりあえず時間はあるし、列に並んだ。そろそろ先が見えた頃、列の前の方の人に空港係員が指示している。私のすぐ前は背の高い男性だった。彼の番になると係員は説明して、男性は向うに歩いて行ってしまった。私の番、どうしょわかるかな、不安そうな顔を向けると、係員は「彼について行け」。男性の後をついて歩いていると、男性は突然横にそれて何処かに行ってしまった。ちょっと待ってや何処いくんや!でもすぐ戻ってきた。バーカウンターでくつろいでいる奥さんを呼びに行ったのだ。お待たせという顔で私のところに戻ってきた。
 また並んだ先は、一番最初に行ったカウンターだった。そこからもさらに待って、やっと搭乗券を手にした。「あと出発時間まで1時間しかないよ、急いで搭乗口に行ってください。」その後、手荷物検査もすごい人。免税店でゆっくり買物する暇も無く、免税の手続きも諦めて、約20分前に搭乗口に滑りこんだ。ほとんどの乗客は飛行機にもう乗っていて、定刻で飛行機は出発した。

 日本に帰国して翌日会社に行くと、自由に夏休みが取れるうちの会社ではどうやらこの時期に海外に出掛けた人が多く、長期休暇を取っていた人の行先と一部安否確認をしていた。私は行先不明でリストに載っていたらしい。

写真はこちら→「フランクフルト」

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