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野口整体の源流は日本の身体文化 V1

1、『養生訓』の世界 

江戸時代の「気」の医学と、
「身」に触れ、「心とからだ」を観る野口整体
 

野口整体 気・自然健康保持会

主宰 金井省蒼

2009年春期 整体指導法講習会 第四回・第五回より

3 「おのづから癒 (いゆ) る」  (前編)

  

待つ、という「受動性」と、
持てる力の行使、という「能動性」

  

立川昭二 『養生訓』に学ぶ(PHP新書 2001年)
4 自然治癒力への信頼

「おのづから癒(いゆ)る」(70頁)

 『養生訓』の根底を流れる思想として、最後にあげなければならないのは自然治癒力への信頼ということである。(中略)

薬をのまずして、おのずからいゆる病多し。是(これ)をしらで、みだりに薬を用(もちい)て、薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死に至るも亦(また)多し。薬を用る事つつしむべし。

 益軒は薬学の道を究めていただけに、薬のことを説くにあたって一番留意したことは、「みだりに薬を用いるな」ということであった。…その真意は「保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのづから癒るを待つべし」というところにあった。(中略)
 この「おのづから癒る」ということばにみられるのは、からだの内なる自然への信頼、自然治癒力あるいは自己回復力に対する確固とした信念である。自分のからだは自分で守り、病気も自然に癒す、という確信である。
 ここには、私たち現代人のように自分の健康や病気を安易に医薬や病院に依存するという考えはない。過剰な医療をさけ、急がず時を待つ、という考えである。
 今日では自然治癒力というと医療の放棄と受け取られがちであるが、そうではなく、人間の体にもともとそなわっている癒える自然の力を活かすということである。
(中略)
 からだの自然を自律的な動きとしてとらえるヒポクラテスは、自然を他者によりかかり、要求するものとは考えない。その自然の経過に応じてその人の内なるいきおいが発揮できるように、そのいきおいと技術とで対処していくことが、自然にそう医療であり、からだの中の自然の働きを回復することが健康法そして医療であった。
 こうした考えは、病いは「おのづから癒る」という益軒の考えと根本に重なりあうのである。

  

「病の災より薬の災多し」(73頁)

 現代人は、病気といえばすぐに病院、痛いといえばすぐに医者、熱が出たといえば急いで解熱剤というように医薬に頼ろうとする。苦痛を辛抱強く耐えるとか、病気の経過をじっと待つ、という習性を失ってしまった。病気は病院がすぐに治すもの、苦痛は医者がすぐに取ってくれるもの、熱は薬や注射が下げてくれるもの、と医者も素人も思いこんでしまっている。金井 野口先生の仕事は「病気は医者が治すもの」、と皆が思っていることに対する啓蒙活動でした。)
 しかし、江戸時代には、医者もいたし薬もあったが、だれも病気は医者がすぐに治してくれるとか薬を飲めば熱はすぐに下がる、とは思っていなかった。益軒も、健康のためには医者や薬をたよるより養生にたよるべきである、と言っている。

(76頁)「自然」とは、自然の「経過」のことであり、その経過の中でおのずと自然治癒力あるいは自己回復力が有効に働くというのである。(中略)とはいえ、益軒は何もしないでいいというのではない。「人のいのちは我にあり、天にあらず」と言う。人のいのちの長短はもともと定まったものではない。その人の養生次第、生き方次第であると説くことも忘れない。

  

「その自然にまかすべし」 

(77頁)江戸の人たちには、病は「その時節にてなければ」治らないという確固とした信念があった。病いはどんなにあせっても治るべき「時節」が来なければ治らない。「治癒力としての時間」ということを信じていた。
 一昔前はよく、病気には「峠」というものがあるということを言っていた。
(中略)

   

  

金井 私が子どものころ、風邪をひいて寝ていた時、熱が出、汗をたくさんかくと、祖母は「これで峠が過ぎた」と。それは今から思うと「経過を見守ってくれていた」というように感じることができます。
 大変な時、苦しい時も「頑張りなさい」ではなく、「今が峠だよ」と言って、暗に「通り過ぎれば楽になるよ」という観守り方(愉気法)がありました。日本の野山という「自然観」を通して「じねん」を教えていたのです。

   

  

立川昭二 『養生訓』に学ぶ(PHP新書 2001年)

(78頁)自分あるいは家族が病気になった場合、医者や薬にあわててたよるよりも、まず病態の時間的変化をしっかり観察し、その病態に合わせて取るべき注意たとえば食養生をしっかりと守り、病勢の転帰である時間軸としての「峠」を見極め、快方への経過をひたすら待ったのである。
 この「待つ」ということについて、益軒は『初学訓』巻之五で次のように語っている。

万事を行ふに待という字を用ゆべし。待とは急ならざる事はいそがずして心しづかに思案し、詳(つまびらか)に行ふを云(いう)。かくの如くすれば過(あやまち)すくなし。事を行ふにいそがしく急なれば、かならずあやまりあり。

 「待つ」ということは、相手を信じることである。病気の場合、体の自然を信じることである。こうした病気における自然の経過を信頼するという考え方について、整体法の創始者として知られる野口晴哉(はるちか)は『風邪の効用』で次のように語っている。

 最近の病気に対する考え方は、病気の怖いことだけ考えて、病気でさえあれば何でも治してしまわなければならない、しかも早く治してしまわなければならないと考えられ、人間が生きていく上での体全体の動き、或いはからだの自然というものを無視している。……早く治すというのが良いのではない。遅く治るというのが良いのでもない。その体にとって自然の経過を通ることが望ましい。

 彼にとって「風邪というものは、治療するものではなく経過するもの」であり、「風邪を上手に経過させることができれば、まず難病を治せると言っていい」のである。
 病気を人のからだの「経過」と考えるここには、病気を敵対視する近代西洋医学の思想はない。そして、「体の全体の動きと時機をつかまえる」ことが大切であるという野口晴哉の言葉には、益軒やヒポクラテスの言葉と響きあうものがある。

  

(註)ヒポクラテス(紀元前460年〜紀元前377年)

古代ギリシアの医者。ヒポクラテスは深い洞察力と観察の目を持ち、思慮深く自分の人望に奢ることなく健全な医療を実践した、徳の高い偉人であったといわれている。よって後世に「医聖」「医学の父」と崇拝されたのである。

我々の身体にはもともと健康になろうとするPhysis(自然の力)があり、医者はそれを助けるのが責務であるとした。病気は自然の経過と考え、医術はこれを助ける技術であると考えた。つまり、人の身体に備わる自然の力と身体の環境との関わりを重要視した。

  

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