《その7》

野口整体とは何か

《その7》

 

7-1 体や心を自由につかえる方法

  

野口晴哉  「技術を使う心」『月刊全生』昭和40年5月号 20頁
(広島講習伝授会記録)

   

 …ですから、人間が原始の頃のような心をもって体を使っておれば、つまり敏感な状態に戻しさえすれば、手を当てるだけで異常を経過するということが可能になる。そういうような異常に敏感な状態を保って生活することが今の人には特に大切な体の使い方ではなかろうかと、そう考えるのであります。

 では、異常があれば手を当てるだけで治るような体にするにはどうしたらいゝかというと、体が鈍った状態のまゝではまずい又体が鈍ってなくとも、心がよそ見をしたまゝではやはり体が鈍ったのと同じ状態になる。だから潜在意識の方向を正し、いろんな生活のために生じた体の歪みを正し、それによっていつも敏感な状態を保つように、整体操法とか、整体体操とか、活元運動とかいうものを行っているならば、いつでも敏感な体を保てる。そうすれば異常があったら手を当てるだけでいい。出来れば何もしなくとも健康を保てるような体にしたい。つまり異常感に敏感な、そうして異常を感じると一緒に自づと整っていくような体を保って生きたい。そういう体をつくってゆくことに、自然に具っている手を使うということを積極的に活かすにはどうしたらいゝかということが、整体操法のうまれた理由でありまして、昨日までお話ししましたことはそういう整体をつくっていく技術であると、先ずそうお考え願いたい。

(中略)

 それには体をつかう筋道や、心をつかう筋道を明らかにし、人間がその持っている体や心を自由につかえる方法を知らなくてはならない。

 人間の心というものは可笑しなもので、自分の心というものは自由に出来ない。こんなところで怒っては損だと思っていても怒ってしまう。泣くまいと思っていると涙が出てくる。自分の体だって自由に出来ない。もう少し胃袋を働かせようときばったって胃袋は働かない。ところが恥かしいと思うと顔が赤くなる。嫌やな人が傍に来ただけで食欲がなくなる。だから意志では自由には出来ないが、感情では出来る。空想では出来る。意識でどんなに顔を赤くしようとしても赤くならないが、十年前のことでも恥かしかったことを想い出すと、顔が赤くなる。この間多摩川で強盗におそわれた人が、私の所に参りまして顔を蒼くしてその時のことを話しておりました。「強盗におそわれたのは昨日のことでしょ。僕が強盗のわけじゃないんだから今そんなに顔を蒼くしなくてもよかろうじゃないか」といったのですが、彼女は蒼くなって震えながら話をしておりました。つまり実感があったんですネ。怖いと思ってる間は顔が蒼くなる。恥かしいという感じがある間は赤くなる。

 だから人間の心や体は自由に出来ないということのうしろには、自由にする方法を知らないということがあります。「胃袋よ働け」といったって、胃袋は働かない。だけども愉快だったらお腹が空いてくる。自分の好きな人のにぎってくれたにぎり飯なら美味い。御飯の中に蠅が一匹入っていたって食欲がなくなる。食欲がなくなるということは、胃袋の働きを抑えたことになる。だから意志では自由にできないが、空想とか感情とかいうものを使えば自由に働かせることができる。とすると、自由に動かせるはずの心や体を、今迄は意識というものにだけ、あるいは意志とか努力とかいうものだけ求めていたから、自由にできなかったのだということができる。だから方法さえ得れば、体も心も自由になるはずである。つまり方法を知らなかった為に、無知であった為に、自分の心や体をマスター出来なかっただけで、自由に出来ないと思い込んでいること自体が違う。

 こういう心や体をつかう筋道を知らせるつもりで、私は整体指導ということを掲げてやっているのであります。ですから、みなさんも整体操法の技術をこの心にそってお使い願いたい。肩がこったらもんであげましょう、下痢したらとめてあげます。お腹が痛ければ治してあげます、というような清掃管理人のまねはしないようにして頂きたい。もっと指導的立場をハッキリと自覚して、その立場に立って整体指導をやって頂きたいと思います。

(中略)

 誰もいろいろな欠点を持ちながら生きていけるのは、それを乗り超える心や体のはたらきがあるからです。

 その乗り超える心や体のはたらきを開拓しないで、病気に気を奪われて、それを治すことに一生懸命になっているとしたならば、どんな努力したとて、それは整体指導とはいえない。やはりそれを乗り超える力を、心の中から、体の中から喚び起こさなくてはならない。

 乗り超える力があれば失敗はない。乗り超えられないから失敗なのです。乗り超えられゝば、それは成功への基礎なのです。病気だってそうなんです。乗り超えられゝば健康への道なのです。だから乗り超えられる力があったら、いくら壊れようが病気ではない。つまずこうと失敗したのではない。こうすれば失敗するということがわかったのだから、失敗が一つ減ったことになる。ただ乗り超える自覚のない者がクヨクヨしているだけです。だから私達はその人達のヘナヘナな気持の中から、それ等を乗り超えていく心や体の力を喚び起こし、認め出していく。そうしてその使い方を教えていく。

    

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