整体指導とは、整体操法という技術を使って、相手の心身にはたらきかけていくことです。この操法の最初の問題としては、自分の力を統一することです。統一して指を使うと体中の力が指の先に集まるのです。ですから、指で押すというより体全部で押えていくのです。
さらに言うと、「気」で押えていくといったほうが本当です。
そして、「自分の心と体を開拓する」ことが、目に見えない技術となり、これを通じて、自ずと「相手の心と体が開拓される」こととなるのです。
押さえ方、愉気の仕方、などの技術も学びますが、究極は「自らの心と体を開拓した人」が、相手と話をしたり、触れたり、ということでその「気」が相手に伝わっていくのです。
一片の花にも美しさを感じさせる秩序がある。
一つかみの雪にも自然の秩序が整然とある。
その自然の秩序を人体上に現わしているものを健康と私らは感ずる。
健康を保つことは、どんな方法であっても、そのことが美として感ぜられねば、自然とはいえない。技術が真に行なわれれば美である。それ故、薬が苦く、注射が痛いことは間違っている。腹を割いて盲腸を切り取ることも美しく感ぜられない。治療することが美しい現われであるのに、何故その手段が美しく感ぜられないのだろう。
自然でないからである。
自然は美であり、快であり、それが善なのである。真はそこにある。
しかし投げ遣りにして抛っておくことは自然ではない。
自然は整然として動いている。それがそのまま現われるように生き、動くことが自然なのである。
鍛錬しぬいてのみ自然を会することが出来る。
懐手で知った自然は自然ではない。
頭で造った自然はもとより人為のものである。