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B「ガ」と「は」の使い分け 2005-11-25
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「が」と「は」の使い分け
かしゃぐら通信2005.11.11/ 2007-Dec-25/ 2008-01-19


 何かと問題のありげな「が」と」は」の使い分け。日本語を学んだシンハラ人はこの使い分けをどう処理しているのでしょう。前回ご紹介した『日本語とその文法』は「wa ga ニパータ・パダの特徴(「は」「が」の助詞の特徴)」と題して一章を設けています。


 これがその章のタイトル。
 
「は」「が」 助詞の特別な用法 という意味。
 ここで助詞をニパータ・パダと呼んでいます。この章は、

 日本語では助詞という名称で扱われるニパータ・パダの中で、よく使われるのは’は’と’が’のニパータ・パダ二つですが、これらは間違えないようにして用いることがとても重要です。


と始まって、助詞がニパータであるとした上で次のように「が」「は」の使い分けを紹介しています。

@主語には「が」を用いる。 そこにれいぞうこが あります。
A指示詞を主語に用いる文では「が」を用いる。これには強調の意味がある。
 これが わたしの 車です。
B
比較の文では「は」を用いる。 ふじさんは 日本で いちばん高い山です。
C「主語+だけ」という用法には「が」を用いる。かれだけが しゅくだいを している。
D疑問代名詞を後に従える文では主語に「は」を用いる。これは だれの 物 ですか。
E主語に疑問代名詞を用いるときは「が」を用いる。どこが いたいですか。
F強調の文(取り立て話法)には「は」を用いる。だいにじ世界たいせんは 1939年に はじまった。
G継続する現象を表す文には「は」を用いる。 たいようは 東からのぼり 西にしずむ。
H主語の推量を表す文には「は」を用いる。 わたしは そうだと おもいます。
I慣用として「が」を用いる文例 せんそうが はじまった。

 これらの分け方が適当かどうかには賛否あるでしょう。
 シンハラ文には主格を表すニパータがありません。「が」「は」にあたるニパータはないのです。日本語と同じ統語法を持つシンハラ語は主格主語以外の格には助詞であるニパータを使い日本語と同じようにして文を作るのですから、日本語のニパータに主格主語を表す助詞があるということは衝撃的な出会いなのです。まして同じような使い方をする「が」「は」の二つの助詞が同じく主格主語を表すのですから、これらをうまく使い分けろと言っても、普通、出来ません。
 上記10項目の「が」「は」の使い分けを覚えたとして、実際にはあまり役立たないでしょう。
 Aは「が」でも「は」でもいいわけですし、最上級の比較を表すにはBの場合「ふじさんが」と言っていいのですから。それにDの「これはだれの…」は複文となるとき、「これが誰のものか…」となって従属する後節の文につなぐのですから、几帳面にこれら10項目を覚えてしまうと返って日本語は話しづらくなります。

 

「へ」「に」「で」の使い分け

 「が」「は」のほかにも助詞には使いづらい訳があります。
 テキスト「シンハラ語の話し方」では助詞とニパータの対応を表にしてまとめています。ただし、上の10項目のようなまとめ方はしないで、ひとつひとつの文意に即して使われる助詞とニパータを対比して並べました。こうするとシンハラ語の学習がスムーズに進むからです。ただ、そこには問題が生じることがあります。助詞とニパータが余りに類似するところから、ニパータ・パダの学習には思わぬ障害が発生していたのです。

 たとえば、方向を表す日本語の「へ」とシンハラ語の「カラ」の関係です。
 日本語の「に」とシンハラ語の「カラ」は共に移動の到達地点を示します。「〜に・行く」をシンハラ語では「〜カラ・ヤナワ」と言います。
 ところがシンハラ語には「〜へ」を表す「〜タ」というニパータがあって、移動の目的地を示します。「カラ」は到達地を表すのでニパータが重複するような具合です。ここに問題が生じます。「カラ」と同じ音の日本語の「から」が移動の出発点を表すのです。
 こうなると「カラ」と「から」は同音-逆-異義語の関係を作ってしまう。あえて二語の違いといえば「カラ」のラ音は日本語の「から」の’ら’音より幾分長く発音されて、江戸っ子の「ら」とは逆の反り舌になるのですが、元々「ら」音の違いに気を止めない日本人にはその微妙な違いが分からないかもしれません。
 「大阪・へ・行く」は「オオサカ・カラ・ヤナワ(大阪のほうへ行く)」。だから「大阪へ行く」を「大阪カラ行きます」と、日本語覚え立てのシンハラ人が助詞とニパータ・パダを取り違えて言ってしまったにしても、それは無理からぬことなのです。

 ALの日本語試験で助詞の穴埋め問題に頻繁に取り上げられる「に」「で」にも、こうした誤解が関わって日本語を受験科目に選んだシンハラ人学生の頭を悩ませます。
 助詞の「に」「で」へは、三つのニパータ・パダ(助詞)、「エー、タ、ディー」が対応します。そして、「に」と「で」にそれら三つのニパータのどれが対応するか、シンハラ人には釈然としないのです。

@ そこ・へ/に・行く。
A そこ・で/に・遊ぶ。

 一つの表現(一つの意味)には一つの助詞を用いる、という原則を日本語がシビアーに作ってさえいれば混乱は生じなかったでしょう。ニュアンスという曖昧さを極端に好み、助詞の使い分けにも様々な転用実験をしている(今でも!)言霊の咲き匂う国の言語文化は、日本語初心者を最初から巻き込んでしまいます。その土壌が@の「へ」「に」を共用する用法を許してきましたし、むしろ、言葉の細々としたニュアンスを美徳とする文化として積極的に混用を認めてきました。
 新しい表現のニュアンスが新しい助詞の用法から生まれる。だから、Aの用法も「遊ぶ」という動詞の下ですが、許してしまうのです。でも、ここから混同が始まって「で=に」と覚えてしまうと


B そこ・に・居る
C そこ・で・居る。

は同じであるというように覚えてしまいます。
 シンハラ人の場合、シンハラ語のニパータが日本語の助詞と対応関係を持つという、幸運か、あるいはとんでもない言語的不幸のめぐり合わせを持っています。
 「に」「で」はシンハラ語のニパータの「タ」「ディー」「エー」と微妙に複雑に干渉しあう。そのことは、文法が似ているから覚えやすくて幸運だった、と言えて、その似ているがために母語の干渉が働いてしまい、誤解が多発して困ったということにもなるようです。日本人にはまだシンハラ語熱が流行っていないけど、スリランカでは日本語熱が蔓延してピークの状態ですから言葉が似ているがための誤解に振り回される人はめっぽう多いのです。助詞の「へ・に・で」とそれらに対応するニパータをご覧ください。

表@

 @は「行く」という移動を表すときの、Aは「遊ぶ」という行為を表すときの、Bは「居る」という存在の状態を表すときのそれぞれの助詞とニパータの用法です。「へ/に」と「タ」、「で/に」と「ディー」、「に」と「エー」が右の図のように絡み合うのです。タ・ディ・エーの三つのニパータに助詞の「に」が三叉をかけて混乱を引き起こすだろうことが予測できるでしょう。

 助詞穴埋め問題にどう答えるか

 「へ」「に」「で」などの助詞の用途の多様性がシンハラ人の日本語学習者に混乱を引き起こすことは容易に推察できます。
 下の助詞穴埋め問題を解いてみましょう。

適当なニパータ・パダを選んで下にある文章の空欄を埋めなさい。
@ わたしは このみせ( )のみもの( )買いません。
A このかん字( )あした( )じゅぎょう( )べんきょうしましょう。
B らいしゅう( )にちようび、友だち( )こいびと( )あいます。
C しあい( )かった人( )だれですか。

 問題がラフに出来ているようですが、スリランカの日本語学習者は次のような解答を選択することが多いのです。

@ わたしは このみせ( )のみもの( )買いません。
A このかん字( )あした( )じゅぎょう( )べんきょうしましょう。
B らいしゅう( )にちようび、友だち( )こいびと( )あいます。
C しあい( )かった人( )だれですか。

 @の場合、「に」は処格、「を」は対格を表します。対格を表す助詞は「を」だけですから空欄の助詞を探しやすい。でも「みせ」という場所を表すための助詞となると「に」「で」から選択しなければなりません。この「に」「で」の使い分けが難しいのです。
 Aの「じゅぎょう(に)」も処格を「に」「で」のどちらの助詞で表すかという質問です。
 Bは問題そのものがあやふやで複数の解答が可能です。On Sunday of next week, my friend meets his sweetheart なのか、 I meet my friend and my sweetheart なのか分かりません。 ただし、完全な誤りと言えるのは「こいびと(を)」。「会う」という動詞は与格の名詞を対格の代わりに要求すると教えれば「こいびと(に)」を選ぶでしょう。
Cは「しあい(で)」でも、「しあい(に)」でもいいのです。処格を表すニパータには「で」に音が近い「ディー」と、これより使われる比率の高い「ヒ/エヒ」があります。「ディー」はwhile being there と訳されます。つまり、この助詞の後ろには動作を表す動詞が置かれます。「ヒ/エヒ」は存在を表す助詞で、この後ろには存在動詞が続きます。

 助詞とニパータ・パダは音も意味も統語上の位置も殆ど一致するものがいくつもあるために、シンハラ人の日本語学習者は困惑することが多いようです。その困惑からシンハラ人のアイデンティテイを二つのタイプに分けることができそうです。

 印欧語族のシンハラ語がアルタイ語族の日本語と似ている訳がないと言うシンハラ人がいます。アーリア伝説という高貴な知識が彼らをして日本語を見下ろす傾向を作っています。高貴な語族に属するシンハラ語は屈折語で、屈折語にはサンスクリットに順ずるニパータはあっても、日本語のような助詞はない。そうした苦しい弁明を繰り返します。これまでの日本人はそうした人々からシンハラ語を学んできました。シンハラ人としては特権に恵まれた特殊な人々といえるでしょう。
 一方で、旧態の言語学説に縛られることのないシンハラ人がいます。彼らは何の条件もなく「日本語はシンハラ語と似ているから覚えやすい」と言います。
 つてを頼って大枚を払い、危ない思いをして日本上陸の手配をしてもらい、日本では入国管理事務所の窓口で滞在延長の印を受けながら、ひっそりと働いて暮らしています。彼らに、どういうわけか日本語とシンハラ語の馴染みやすさを指摘する人が多いようです。
 どちらのタイプのシンハラ人が日本語を上手に話すかといえば、後者の人々であることは言うまでもありません。 


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