Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【よ】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
よういねい
葉以寧
「三日、葉以寧の西遊するを送る
 草堂佳節此相迎 聞説関河探勝行 王子風流逢上巳 潘生詞賦入西征 煙花三月長安道 石壁千尋大阪城
 為羨壮遊酬素志 一時忘却別離情」
南畝集5
漢詩番号0919
③316安永10年
1781/03/03
ようげつろう
邀月楼
 邀月楼 (別資料)(安藤言卿)(滕言卿)
ようこうえん たかみ
瑶光園 鷹見
「仙台瑶光園鷹見をいたむ ほとゝぎす鳴きつるかたのたかみには月なき瑶の光をぞみる」あやめ草②84文政4年
1821/05/
ようしゅうとう
楊秋棠 (清人)
「清人楊秋棠の書を見て張秋琴を懐ふ 十年離別少知音 流水高山両地心 忽見秋棠開海上 頻思一曲張秋琴」南畝集19
漢詩番号4135
⑤385文化13年
1816/01/
ようしょじょう
擁書城
 擁書城 (別資料)(近藤 重蔵 正斎の書庫)
ようしょろう
擁書楼
 擁書楼 (別資料)(高田与清の書庫)
よこすかこう
横須賀城主
(遠江)
「横須賀の城主のもとにて山寿といへる額をみて いく千代も動かぬ山の寿や遠つあふみにつづく櫛松
 小梅の山里の瓶に 一枝の小梅を折ていけ水に釣花いけの三日月の影
 同じみたちにて、姫君のあやめの琴柱に書つけるうた
 ふき自在みやうがある上にいく千代もあやめのねざし長き草の名
 おなじく琴の銘をこはせ給ひければ、あやめの縁によりて根差といふ名を奉れり」〈遠江・西尾忠善〉
放歌集②167文化8年
1811/09/
よこすか かしん
横須賀城主の臣
「横須賀の城主のおもと人より
 夏わかきけふをはつねのほとゝぎすまだかたことのことばわからず ときこへ給ひければ
 おつかひの有かたことのみことばをきくも山々はつほととぎす
 又みさかなを贈らせ給ひて
 此道の下地はちとも夏さくらはゞかりながらお目にかけます とありければ
 みさかなに何よりよけん此道の下地はすきなり御意もよき酒」
紅梅集②366文政2年
1819閏04/
よこぜ
横瀬
「横瀬氏の太夫人の七十を寿す 阿母堂前興不違 初筵歓舞満庭闈 赤城霞彩流如綺 斑斕裁成五色衣」南畝集3
漢詩番号0364
③129安永4年
1775/05/
よご こあん
余語 古庵
「金(ママ)語古庵亭にて古庵屋敷といふ事を なみなみと金魚を池にたたへしは小判やしきか古庵やしきか
「夏日、余語氏の園池に過る 残山剰水奪天工 略シャク潜通曲樹中 近得浪華商舶便 新移一箇石燈篭」
をみなへし
南畝集16
漢詩番号3182
②34
⑤105
文化5年
1808/06/
よしかわ
吉川
「春日、吉川氏邀へて、水藩の会沢氏・田中氏と湯島の酒楼に宴す
 城北高台望晩汀 篠池風色転浮萍 古祠何譲紅梅殿 勝迹猶留皓月亭 斗酒唯須耽酩酊 千金未必買娉婷
 坐中更有新知楽 共喜春宵得聚星」
南畝集5
漢詩番号0902
③310安永10年
1781/01/
よしかわ
吉川
「初冬、中子光・安子潤・滕子敬と同じく清水太傅吉川氏の別業に遊ぶ。君字を得たり
 楓葉芦花路自分 新荘開処絶塵氛 天寒大嶽千秋雪 日澹高田十畝雲 閑坐欹巾耽遠眺 行廚携酒愛微醺
 名園多少誇泉石 此地清幽不及君」
〈太傅は当主の養育職〉
南畝集5
漢詩番号1044
③357天明1年
1781/10/
よしだ
吉田
「四季楼。吉田生の韻に和す
 四時風色満高楼 三派江流駐綵舟 忽見金盤新膾 擎来侍女倚牀頭」
南畝集4
漢詩番号0710
③244安永8年
1779/08/
よしだ
吉田侯
(老中松平信明)
「十二月廿二日、吉田侯相を罷めらるると聞く
 曾披雲霧睹青天 相業依然十六年 自去蕭何如画一 清寧誰識漢時賢」
南畝集13
漢詩番号2394
④293享和3年
1803/12/
よしだ
吉田侯
「夏日、吉田侯の山園を寓目す【園に績翠館有り。又対山楼有り。明霞の字を掲ぐ】
 小径穿松積翠重 池通略彴草茸々 明霞忽散西窓外 先対芙蓉第一峰」
南畝集18
漢詩番号3515
⑤208文化8年
1811/05/
よしだ せし
吉田 世子
「吉田世子の筵に詩を講ず
 公門桃李餐如霞 豈謂寒村問杏花 謾把一経論四始 羞匡鼎解頤家
【三州吉田藩世子、松平駿河守信順】
南畝集16
漢詩番号3144
④94文化5
1808/03/
「午日、竜口世子の筵に経を講じ酒饌を賜る
 盤竜口上盤竜勢 揚子江心揚子干 此日此時宜錬鏡 一章一句愧登壇 西園雅集親游藝 端午朝衣過問安
 蒲酒珍羞頻勧酔 薫風吹雨入朱欄」
南畝集16
漢詩番号3169
④101文化5
1808/05/05
「鎌孫八歳、文房図賛を騰写す。竜口世子、辱じけなくも電覧を賜ひ、併せて彩筆五枝を恵む。謹しんで賦して謝し奉る
 五採毫毛五朶雲 蒼竜溝口借氛氳 安頭栄寵孫山賜 長照丈人峰上文」
南畝集16
漢詩番号3215
⑤113文化5年
1808/09/27?
「竜口世子、海錯一籃を賜ふ。会々女孫阿幾の誕辰なり
 貧家平日食無魚 淡飯麁茶喫菜疏 海物新従竜口至 恰逢孫女誕辰初 【九月廿七日】」
南畝集16
漢詩番号3216
⑤113文化5年
1808/09/27
「竜口世子の新営の落成を賀し奉る【時に大雅を講ず】
竜口青雲遶曲城 新開華館向東栄 講詩偶誦霊台句 恰見経営不日成」
南畝集16
漢詩番号3225
⑤116文化5年
1808/10/
「吉田世子の弄瓦の祥有るを賀す
 穠李夭桃照相門 々楣賀燕遶晴軒 華堂綵勝添人勝 奕葉蓁々万子孫」〈弄瓦は女児の誕生〉
南畝集17
漢詩番号3499
⑤200文化8年
1808/03/
よしだ ちゅうてい
吉田 仲禎
「古田 祥 仲禎の印章を恵むを謝す 鵲影窓間堕 竜文席上浮 投来瓊浦物 慙以木瓜酬」南畝集14
漢詩番号2590
④354文化1年
1804/10/
「(小川文庵・吉田仲禎・千賀伯寧。崎陽に遊んで医業を清人胡振兆新に問ふ。伯寧先づ帰る)吉田 祥 仲禎の東帰するを送る 千山万水各天涯 君去春光早満家 祖道将歌折楊柳 残年已見落梅花」南畝集14
漢詩番号2610
④360文化1年
1804/12/
よしだ らんこう
吉田 蘭香
「至日、吉蘭香諸子と同じく官医安子潤の一壷亭に宴す
 席上清談木屑飛 一壷春酒覚寒微 何唯綵線添長日 繋得同心不遣帰」
南畝集5
漢詩番号0878
③301安永9年
1780/11/26
「画人吉田蘭香を哭す【六月九日没、十一日葬四谷禅長寺、歳七十六、初名衛守。剃髪曰蘭香、曰東牛斎、晩称五木、学画於狩野玉栄、復為栄川典信門人、所著有綺麗扇六巻】
 壮年辞仕隠林扉 盤礴余風慕解衣 法妙寺中図仏滅 大悲楼上画補威 都人野客名皆熟 酒席歌筵興已違
 憶昨経営随意匠 一時千紙彩雲飛」
半日閑話 巻17⑪519寛政11年
1779/06/09
よしむら うさい
吉村 迂斎
「吉付迂斎、六月廿七日を以て没すと聞き、詩を以て之を悼む
 曾聞迂叟放猿詩 欲見其人企歩遅 豈謂一朝先白露 秋風更作断腸悲」
南畝集15
漢詩番号2711
④393文化2年
1805/06/27
よしみ ぎすけ
吉見 義助
 吉見義助 (別資料)(甥 吉義方・狂歌名 紀定丸・一枝巣)
よずみ
与住
「秋水茶寮【与住氏】に過飲し、牽牛花を看る
 舟通秋水一茶寮 卯飲看花自早朝 黒白江南千百種 重遊記得天王橋」
「水無月廿六日、浅草榧寺にて萩水茶寮朝顔合ありし(以下略)」〈朝顔参照〉
南畝集20
漢詩番号4485
紅梅集
⑤487
②369
文政2年
1819/06/26
よにんてい
四人亭主人
「四人亭主人に贈る 四十年前伴四人 々々亭訪野維民 眼看玉水東流去 相対蒼顔白髪新」
〈四人亭は野村六郎右衛門。号野維民。府中の旅籠屋主人。明和四年九月四日、南畝は「牛門詩友」と共に訪れている。『三餐余興』⑧6参照〉
玉川余波②114文化5年
1808/12/28
よろず
「万氏の別業に題す 逶迤幽径帯松蘿 漭沆滄池入芰荷 解道主人不相識 林泉到処引経過」南畝集3
漢詩番号0491
③170安永5年
1776/07/
「春日、万氏の別業に過る 苔石斜通径 春潮灑人池 悠然時啜茗 閑坐夕陽遅」南畝集8
漢詩番号1511
④8寛政1年
1789/02?
よろずや れいすい
万屋 麗水
「万屋麗水をいたむ 麗水になるてふ金の足駄でも玉の行衛やたづねわぶらん」放歌集②157文化8年
1811/07/
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係