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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【き】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
きお
喜尾 (芸者)
「四日市魚会所にて、歌妓お喜尾の来りければ
 あたらしき魚の数々品川のおきをのりこむ押おくり舟」
七々集②272文化12年
1815/10/
きくち ござん
菊池 五山
 菊池五山 (別資料) (桐孫・左太夫)
きさく
喜作
「喜作がはなしをきゝて ぢい様は山に草かりばア様は川へきさくのはなしせんたく」巴人集②448不明
き の かるんど
紀 軽人
(桃李園・百川楼)
「本町四丁目伊豆蔵の主管、桃李園紀軽人が遨頭にて、百川楼に宴す
 城外旗亭会列仙 雄談大嚼屠門前 先駄小妓搊三絃 欲共長鯨吸百川
 葉落肉林霜自脆 杯飛肴核味愈鮮 此郷旧是浮生巷 酔夢茫々絶世縁」

〈四方山人の狂文「桃李園記」有り。交遊編・桃李園参照〉
細推物理⑧397享和3年11/03
「小田原桃李園軽人のもとより、よし浜の湯一桶を贈りけるに
 打ち身にはよし浜の湯の一桶をまはせる舟のあしの軽人」
紅梅集
巴人集拾遺
②340
②495
文政1年
1818/05/
き の つかぬ
紀 束
「紀つかぬ子へよみて贈る 是ほどに心をつかふ御亭主をきのつかぬとはたが名付けん」
〈文政元年(1818)『諸家人名江戸方角分』に「小石川住、古人・狂歌師、紀束(号佩觽堂)。諏訪町後ニ伝通院前、(初名)伊勢屋(清左衛門)。西川清左衛門」南畝は西川権とも記す〉
巴人集②451不明
きむろ ぼううん
木室 卯雲
「卯雲翁を下谷にとひて 狂歌をば天井までもひびかせて下屋にすめる翁とはばや」をみなへし②6明和?
「卯雲翁に久しく音づれもえせで申し遣はしける
 一寸の暇なき用にさしつまりつゐ五分さたとなりにけるかな
 返し 此方も一寸のひまなきゆへにつまる所は無沙汰五分々々」
②9
「卯雲翁より肥後の小代焼といへる花生をおくられければ
 肥後ずゐきそれにはあらで花生の名におふいもがこしろやきかな」
をみなへし②14天明1年?
きょうかどう
狂歌堂
 狂歌堂 (別資料) (鹿津部真顔・四方歌垣・北川嘉兵衛)
きょうかどう
狂歌房
 狂歌房 (別資料) (酒月米人・盃米人)
ぎょくざん
玉山
「舟月玉山が雛のうた むさし野の原舟月にすべらぎのみやこどりかも玉山の雛」六々集②228文化12年
1810/02/
ぎょくばい
玉梅
 玉梅 (別資料) (玉梅女史)
きよもと
えいじゅたゆう
清元 栄寿太夫
「松竹梅栄の寿 清元栄寿大夫初会(巳三次郎改名)
 そも/\松を大夫といひ、竹を此君とまうすとかや、梅はもとより南枝にて、この/\かみの冬籠、いまをはるべとさき草の、みつばよつばの殿づくり、【欄外。むべも富けり栄ゆく、ことぶき長き】川水の、みなもときよききよもとの、ながれの末はうみの子の、いやつぎ/\のふしはかせ、さすかひなには悪魔をはらひ、おさむる手には寿福をいたゞき、千歳楽じや万斎楽じや、声もたかさごすみの江の、まつと竹とは相生の、梅がゝさそふ春の風、さつ/\の声ぞたのむしむ/\」
紅梅集②360文政2年
1819/01/
ぎよもと
えんじゅたゆう
清元 延寿太夫
「清元延寿太夫によみて贈る。ちゝの延寿斎と年比なじみふかゝりし事を思ひて
 源のきよ元なればそのながれ二世のゑん寿のちぎり幾千代」
七々集②259文化12年
1818/09/