| 浮世絵文献資料館 | |
| 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 |
「日ぐらしの会のあくる日、大屋うら住、銀杏みつかど、坂月米人、紙屋丸彦などと潮干狩すとて、 | 巴人集 | ②397 | 天明3年 1783/03/20 |
「(七月)五日(吾友軒米人の新宅に招かれる)霊岸島東港町なる米人が楼をとふ。その楼、越前侯の下邸の裏門にむかへり。邸をへだてゝ帆柱のみゆるは、かの百歩楼のあたりなるべし。よりてこの楼を五十歩楼と名づく。あるじ襖をはり置て、楼の記文をつくれといふ。則筆とりて | 細推物理 | ⑧378 | 享和3年 1803/07/05 |
「狂歌坊米人、霊岸島桧皮河岸にうつりすみけるに | をみなへし | ②28 | 文化4年? 1807/? |
「題狂歌房連中五十人一首狂歌首 | をみなへし 巴人集拾遺 | ②50 ②500 | 文政5年 1822/07/ |