Top      浮世絵文献資料館 人物編Ⅰ
 
   人物編Ⅰ 【さ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【酒月 米人】(さかづき の こめんど)(狂歌房・吾友軒・五十歩楼・扇屋三右衛門)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「日ぐらしの会のあくる日、大屋うら住、銀杏みつかど、坂月米人、紙屋丸彦などと潮干狩すとて、
 けふも又馬鹿をつくだの塩干がりきのふは山にひぐらしの里、後万歳集、
 鳫金をかへした跡も桜がり塩干とまでにかりつくしたり」
〈『狂歌知足振』酒上不埒序「過し弥生の十九日、日ぐらしの里狂歌大会の節布袋堂の前にてひらき候まゝ」とあり〉
巴人集②397天明3年
1783/03/20
「(七月)五日(吾友軒米人の新宅に招かれる)霊岸島東港町なる米人が楼をとふ。その楼、越前侯の下邸の裏門にむかへり。邸をへだてゝ帆柱のみゆるは、かの百歩楼のあたりなるべし。よりてこの楼を五十歩楼と名づく。あるじ襖をはり置て、楼の記文をつくれといふ。則筆とりて
 五十歩を以て百歩を笑はゞいかん。これも又走り井の水きよく、夏をむねとたてたる高どのに、けふなん あるじ名を改めて扇屋三右衛門といふ」
細推物理⑧378享和3年
1803/07/05
「狂歌坊米人、霊岸島桧皮河岸にうつりすみけるに
 軒迎吾友論風骨 房詠狂歌題檜皮 まきもくの桧原が河岸に庵しめて狂歌の斧をとる人はたそ」
〈『細推物理』⑧374「吾友軒米人【扇や三右衛門】」〉
をみなへし②28文化4年?
1807/?
「題狂歌房連中五十人一首狂歌首
 茶碗頻傾巵米人 信濃陸奥四方巡 狂歌房在金吹町 大屋主人裏住隣」
をみなへし
巴人集拾遺
②50
②500
文政5年
1822/07/