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   人物編Ⅰ 【き】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【玉梅】(ぎょくばい)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「玉梅女史、山王の無量院に諸賢を邀ふ。此を賦して贈と為す
 昨宵新挂掃晴娘 旧雨全収入艶陽 為憶王山仙女会 一時彤管擅詞場」
南畝集18
漢詩番号3764
⑤279文化10年
1813/03/
「雲林庵に玉梅文鳳二女史を見る。玉梅画を善し、文鳳詩及び書を善す【三月初吉】
 文鳳如舟月 玉梅似玉山 昨夜十軒店 見此二人顔
 〔欄外。白金瑞祥寺内に雲林庵有り、臥雲禅師の営む所なり〕」
巴人集拾遺
万紫千紅
②492
①268
文化11年
1814/03/
「玉梅女史画く所の鶏と長春と蒲公英 翰音報清暁 芳意入長春 欲共蒲公去 提罌野水浜」
「同前。喜鵲と菊と柏 翠柏交黄菊 陶家没草莱 一声聞喜鵲 応報白衣来」
南畝集18
漢詩番号3917-8
⑤322文化11年
1814/08/
「梅鶴堂前、梅初めて開く。会々玉梅女史至る
 玉梅来日玉梅開 白玉梅花映玉盃 酔裏老翁猶未死 生涯一点絶塵埃」
南畝集19
漢詩番号3987
⑤345文化12年
1815/02/
「初夏、玉梅女史に示す 昨来玉梅開 今来梅結子 莫言春已過 長在画図裏」南畝集19
漢詩番号4036
⑤357文化12年
1815/04/
「夏日、玉梅女史、諸君を邀へて両国橋東柏楼に宴す。女史、画を善くす
 翠柏楼高両国橋 玉人彤管代瑶簫 請看煙火千竿戯 不及丹青一幅綃」〈東両国かしわ屋〉
南畝集19
漢詩番号4180
⑤396文化13年
1816/06/
「夏日、桐隠君・臥雲師と同じく山口侯の池亭に宴る。文鳳・玉梅二女史、坐に在り
 一路長松外 経過此水亭 竹深篭鳥雀 萍聚点蜻蛉 永日誌難就 薫風酒未醒 坐中書与画 須属二娉婷」
南畝集19
漢詩番号4276
⑤423文化14年
1817/04/
「玉梅女史宅に河漏麪を喫す、味甚美なりと云ふ、是麻布長坂の名物
 蕎麦三千丈 味因長坂長 不知麻布木 何処倹飩箱 後聞く、此蕎麦の名更科」
紅梅集
巴人集拾遺
②310
②494
文化14年
1817/08/30
「両国ばしのむかふ柏屋にて玉梅の絵の書ぞめの会にあしいたみてゆく事ならねば
 たまたまの梅のはつ会折あしく臥たる竜の身をいかにせん
 いかにせん恵びすの紋の柏屋にゆかんとすれど足たたずして」
紅梅集②327文化15年
1818/02/
「夏日、玉梅女史の席上に韓客の扇頭の詩を見、其の韻を歩す
 当時諸女史 能画有誰倫 堦静芝三秀 窓深美一人 送梅多雨露 把酒動精神 緑籜篁含色 紫茸花初新
 時々鳥雀噪 事々園林真 但願揮彤管 長為席上珍」

「原詩
 女中善画者 自古少其倫 無双趙家姫 有一管婦人 而来数千載 岡氏能伝神 花木与鳥獣 揮灑更清新
 展尽蒲葵面 箇々逼天真 願将一二握 去作篋笥珍 朝鮮の太学上舎生菊隠李君善、辛未仲夏、馬島の館中に書す」
南畝集20
漢詩番号4375
⑤455文政1年
1818/05/
「暮秋、諸子と同じく玉梅女史に過る
 青山芙病命肩輿 女史風流負郭居 不但小園収芋栗 樽前更有玉芝魚」
南畝集20
漢詩番号4413
⑤465文政1年
1818/09/
「青山玉梅女のもとにて 摽るものみつよついつゝむつなゝつ日ぐれになりぬ玉梅のやど」紅梅集②341文政1年
1818/06/
「春雪、玉梅女史諸君を邀へて百川楼に宴すると聞く
 春風吹雪百川楼 聞道群仙会十洲 弄玉双成侍王母 高歌黄竹酒無籌」
南畝集20
漢詩番号4441
⑤475文政2年
1819/01/
「玉梅女史の宅に筍(たかむな)を食するの約有り。霖雨に期を愆(うしな)ふ
 幽期失約不相従 霖雨涳濛宿露濃 坐見初篁辞緑籜 凌雲乍一蒼竜」
南畝集20
漢詩番号4543
⑤503文政3年
1820/05/
「秋日、玉梅女子に過る
 女史丹青照蓽門 一時彤管墨花翻 白鴉栗与烏椑柿 収拾秋光更満園」
南畝集20
漢詩番号4563
⑤509文政3年
1820/09/