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(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
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かきね の そとなり 垣根 外成 | 「中村仲蔵をかき根そと成と名づくるとて | 巴人集 | ②412 | 天明3年 1783/07/ | |
かさや されん 笠屋 左簾 | 「東雲斎左簾七十の賀に | 紅梅集 | ②332 | 文化15年 1818/03/ | |
かし の たかつみ | 「神田祭みんとての宵祭に飯田町河岸高積がもとに酒のみけるに、あすのまらうどのまうけにとて強飯をふかさせけるに、まちがひてふた所よりふかしてもて来りけるときゝて 「高積がもとに酔ふしけるに、朝とく榊のわたり太鼓の音に驚きて | 巴人集 徳和歌後万載 | ②417 ①30 | 天明3年 1783/09/14 | |
かすがの 春日野 | 「火炎玉屋といふ青楼にて 「春日野といへるうかれめ 「宮戸といふうかれめ | あやめ草 | ②78 | 文化7年 1810/07/ | |
かぜはやのふりだし 風早 ふり出し | 「花みちのつらねのもとにて神並周全といへるくすしにあひ侍りしが、狂歌の名をこひ侍りけるに折ふし雨しきりにふりけるをみて、風早のふり出しとやよぶべきとあるじのたはぶれければ 返し 風早ふり出し | 万載狂歌集 | ①15 | 天明3年刊 1783/01/ | |
かつ お勝 (芸者) | | ||||
かつしか の かにこまる 葛飾 蟹子丸 | 「葛飾蟹子丸大のしやにてはたれ歌人をつどふまヽ、一筆かいて君奈斎の求めいなみがたく、右に筆をとり左に盃をとりて、諸白のすみだ川にうかばんとなり | をみなへし 千紅万紫 | ②36 ①255 | 文化5年 1808/10/ | |
かづま 花妻 (遊女) | 「遊女花妻が竹の画に | 七々集 万紫千紅 | ②259 ①290 | 文化12年 1815/09/ | |
かとう (みます) 河東 (十寸見) | 「豊岡大守のみまえにて河東によみておくれる歌 「扇の画に狂歌かきて河東におくれる中に、鶴に松のほとりにむれゐるかたかきたるに 同じく竹に雀 富士の画に | 巴人集 | ②415 | 天明3年 1783/08/ | |
かとりや またしち 香取屋 又七 | 「香取屋又七、四十二才の厄に これよりは又七十も八十も九十も百もいはふ香とり屋」 | 七々集 | ②288 | 文化12年 1815/12/ | |
かの (傾城) | 「甲戌の春 (「大つごもりの装束榎に狐火見んといひ、~」の狂文省略) | 巴人集拾遺 | ②480 | 文化11年 1814/01/ | |
がのじ 我の字 | 「松前のうかれめを名づけて我の字といふ | 七々集 | ②294 | 文化13年 1816/01/ | |
かぶき の たくみ 歌舞妓 工 | 「中村重助、表徳を故一といふ。いまだたいめせざるに、せうそこして、折もあらば相見ん事をねがふ事などいひおくれるに、そのゝちたづね侍りて 返し 中村故一 いちもつの鷹がござつた酒の君四方のあから門に入ふと 面白い事をはやらせ給ふかなわれらも狂歌よもの門人」 「中村故一、狂名を歌舞伎たくみとつき侍りければ 「歌舞伎のたくみが庭に二もとの竹あり。三木蔵といへる俳優のおくれるなりときゝて | 巴人集 | ②408 | 天明3年 1783/05/ | |
かぶらぼう せいせいえん 青青園 蕪坊 | 「春の日の長井の浦に長ゐして、契し人をまちわびて、尾生が信にはたがへども、たちかへるとて苫やの柱に、すみの江の岸によるから来る人をまつは久しきものとしれ。これは蕪坊が歌也。享和二のとし元日すみよしに詣でけるに、蕪坊とくきて帰りけるよしをきゝて、苫屋の柱に書つけるうた | 万紫千紅 | ①301 | 享和2年 1802/01/01/ | |
「わが五十三になりけるとし、はじめて難波におもむきけるに、天王寺西門の外に蕪坊とてたはれうたをこのみし人ありき。今はなき人なれば | 万紫千紅 | ①300 | 文化13年 1816/01/ | ||
かべ の なかぬり 加陪 仲塗 | 「文月いざよひ、加陪仲ぬりがむこがねのもとに、をの/\前赤壁の賦のことばをわかちてよみけるとき、滄海一粟の心を | 狂歌才蔵集 | ①48 | 天明4年 1784/07/16 | |
かぼちゃ の もとなり 加保茶 元成 | | ||||
かまくらのとおのり 鎌倉 遠則 | 「鎌倉遠則のもとよりかつほをおくられければ いつまでも猶いきいきの松の魚われらが頬の落葉かくまで」 | 巴人集 | ②406 | 天明3年 1783/05/ | |
かみがたやくしゃ 上方役者 | 「木挽町森田座の芝居になにはのわざおぎ人多く来りけるときヽて 「市川市蔵・藤川友吉といへるわざおぎみて | あやめ草 | ②65 | 文化7年 1810/02/ | |
かみや の まるひこ 紙屋 丸彦 | 「日ぐらしの会のあくる日、大屋うら住、銀杏みつかど、坂月米人、紙屋丸彦などと潮干狩すとて 、後万歳集、 | 巴人集 | ②397 | 天明3年 1783/03/20 | |
「かぼ茶のもとなりのもとにて、紙屋丸彦がゑがける弁慶のつぶりを半ばかりいだしたるかたちのおかしげなるを見て | 巴人集 | ②406 | 天明3年 1783/05/ | ||
「紙屋丸彦のろま人形つかふかたかきたる画に、うたかきてよとその子のこふにまかせて | 七々集 | ②287 | 文化12年 1815/12/ | ||
かめもじ 亀文字 (芸者) | 「勝と亀文字といへるうたひめとゝに、永代橋のもとに舟をとゞめて酒くむ 亀文字によみてつかはす | 放歌集 | ②196 | 文化9年 1812/05/ | |
かめや 亀や | 「亀や何がしの妾眉をそりし日にゆきて、その名を熊とあらためしときヽて もと富ヶ岡にすめる白拍子中吉といへるものなればなれ」 | をみなへし | ②22 | 文化5年? 1808/? | |
かめや ぶんぽう 亀屋 文宝 | | ||||
かも の すえたか 加茂 季鷹 | 「加茂季鷹の葵のはにて大小をしるせし扇をみて | 六々集 万紫千紅 | ②227 ①280 | 文化12年 1815/02/ | |
からこと 唐琴 (遊女) | 「にゐよしはらの里、丁子楼遊女唐琴とかやが画ける松の絵に | 狂歌才蔵集 | ①46 | 天明7年 1787/01/ | |
からごろも きつじゅう 唐衣 橘洲 | | ||||
かわら の やしき | 「かはらのやしきと名づけ侍る人のもとへ | 巴人集 | ②398 | 天明3年 1783/03/ | |
かんこどう おさまる 諫鼓堂 尾佐丸 | 「諌鼓堂尾佐丸大人の判者びらきの会に | 紅梅集 | ②323 | 文化15年 1818/01/ | |
かんぜたゆう 観世大夫 | 「観世大夫勧進能に三番叟ヲ見て 玉の井(歌なし) 富士太鼓(歌なし) 石橋 | 紅梅集 | ②312 | 文化14年 1817/09/ | |
がんぬ 雁奴 (大根太木) | 「飯田町鳫奴のもとにやどれりけるに、となりのからうすの音におどろかされて | をみなへし | ②10 | 未詳 |