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   人物編Ⅰ 【か】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【勝(芸者)】(かつ)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「勝と亀文字といへるうたひめとゝに、永代橋のもとに舟をとゞめて酒くむ
 酒かめも(亀文字)しばし舟とめかつ(勝)酌ん夏の日ざしの永き代のはし
 勝といふうたひめによみてつかはしける 盃もあさかの沼の花かつみかつみるたびにいつも生酔」
放歌集②196文化9年
1812/05/
「歌妓阿勝に贈る
 駿河街上起歌鐘 名重平陽第一容 回望城東奇絶勝 遠山眉緑玉芙蓉」
南畝集18
漢詩番号3847
⑤302文化10年
1813/12/
「馬日、諸子歌妓阿勝を携へて来たる
 駿河街接駿河台 招駿千金自有媒 絶勝佳人迎馬日 靚粧袨服恵然来」
南畝集18
漢詩番号3852
⑤304文化11年
1814/01/06
「甲戌の春 (「大つごもりの装束榎に狐火見んといひ、~」の狂文省略)
 詩は五山役者は杜若似和嘉(傾はかの)藝者は御勝料理八百善」
〈当時全盛のもの、詩は菊池五山、役者は岩井半四郎、傾城はかの、芸者はお勝、料理は八百膳。狂文の全文は「人事編」の文化十一年の「述懐」か「時候編」の「春」一月の「吉書始め」参照〉
巴人集拾遺②480文化11年
1814/01/
「題三楽器図 応歌妓阿勝求
 四弦三線十三弦 一々清音妙曲伝 烏孫公兼秦氏 何似阮咸琴可憐
 流泉のひゞきも峯の松風邪もみすぢのいとにしくものぞなき」
六々集②219文化11年
1814/12/
「牛日、新橋の酒伴、歌妓阿勝を携へて来たる
 年(一字欠)酒伴挈歌鬟 来逐新春尽酔還  馬日不如牛日飲 歌鬟酒伴共酡顔」
南畝集19
漢詩番号3945
⑤333文化12年
1815/01/05
「新橋の酒肆に浅草門前の歌妓阿総酒を佐く。駿街の阿勝至る
 磊落新橋一酒徒 屠門大嚼黄公壚 新歌妓見旧歌妓 宛若小巫逢大巫」
南畝集19
漢詩番号3954
⑤336文化12年
1815/01/
「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く」(詩は「養老亭」参照)南畝集19
漢詩番号3959
3960・3961
⑤337文化12年
1815/01/
「鈴木恭白藤の「歳暮。杏園の集ひ」に和す。已に夜にして声妓阿勝を迎ふ。勝、盛名有つて一時に噪がし
 不羨千金築駿台 詩朋伴一時来 英才已結忘年契 楽飲須浮別歳盃 石室秘書投玉案 平陽歌妓占花魁
 頽然酔倒君休笑 華髪堕顛心未灰」
南畝集19
漢詩番号3968
⑤340文化12年
1815/02/
「春雨に柳花苑【新橋の酒家】に宴す
 躋寿館前楊柳枝 春風吹雨颭青旗 杜康所造忘憂物 正是神農竟不知」
「又 午衝風雨入旗亭 節近晴明気杳冥 美景良辰何足羨 平陽第一得娉婷」〈娉婷は美女。芸者お勝〉
南畝集19
漢詩番号3991
⑤346文化12年
1815/02/
「春雨、柳花苑に宴す、狂歌并びに序
 柳花苑は躋寿館の南にあり。かの千草万木をなめて、五昧八珍をあぢはひ給ひし神の御徳にあやかり、こゝに高どのゝ出居をまうけて、いづ喜とよべる旗亭あり。春は青柳のいとかけ鯛に、なびくみどりのみだれ酒をくみ、夏は嵆康が柳かげに鰹のさしみの庖丁を鍛ひ、秋は一葉のちり蓮花にはつたけのうす葛をすくひ、冬籠の茶碗むしに鳥の子の十づゝ十も、雪をれのなき枝をかさねてまとゐするもの日々にたえず。まづ落付の吸物に赤みそをあげて、上がたの白味噌をわらひ、すまし汁の塩梅をちよっと一口すいぜんじのり地になりてのみ過ず。瓊筵をひらきて花にうかれ、羽觴を飛して月の夜も雨のふる日も一しほゆかしと、桃李園の序の声色をつかひて、柳花園の記とするもおかし。今日こゝにあつまりて、酒をのむものはたそ、文蝶北馬の画にたくみなる人、伊勢伝福甚の興にのる人、詩は吾山、役者は杜若と、世にきこえたる駿河町の名妓になんありける
 春雨にぬるゝとかしりながらおりたつ脛のしろきをぞみる
 雨ふれば柳の糸の長/\と長さかもりもかつはうれしき」
六々集②231
「詩は五山、藝者はおかつとともにすみだ川の花見にまかりしに、岩井杜若の来れるをみて人々どよみければ 花を見に杜若がきたとかつ聞けば梅はかざして五山せいなあ」六々集②231文化12年
1815/03/11
「花やしきの秋の七草をみにまかりけるに、歌妓おかつも来りければ
 七くさの花はあれどもをみなへしたゞ一もとにかつものはなし」
七々集②248文化12年
1815/08/
「駿河町おかつがいもとありときゝて
 するが町ふじのすそ野にはらからのありとしきけばかつはなつかし
 もろ人とゝもに舟にのりて、深川といふ所に、何がしの山里あるをたづねゆく。うたひめおかつ・おきをもともにのれり
 秋もやゝ深川さしてゆく舟はきをひかかつてかつ酒をのむ」
七々集②256文化12年
1815/09/
「朝に鎌倉の舎利をみし日、夕つかた薬研堀の辺よしの屋にて、山谷の墨跡一巻をみたり。うたひめお勝黒き繻子の帯して来りければ
 かまくらの舎利と山谷の墨跡としめておかつが黒繻子の帯
 めづらしきお勝がしゆすの帯の肌ちよとさはりても千代はへぬべし」
七々集②262文化12年
1815/10/03
「(茶屋長意に行きける日)、歌妓おかつさはる事ありて来らざりければ
 おかつとは馴染といへどかつみえず茶屋が茶屋でもいかゞなる茶屋」
七々集②271文化12年
1815/10/
「擁書城の小集。歌妓阿勝・豊島を迎ふ。而して勝至らず。勝、駿河台に住す
 培塿無松柏 書城列鼓鐘 駿河雲霧隔 不見玉芙蓉」
「南畝君に酬い奉る 鈴木 恭 鴬口翻楓葉 鬢雲連鳳釵 莫将楊柳陌 不及駿河街」
 〈鈴木恭の識語に「嶋の姿色技芸、遙かに勝を超へ、及ばざる所は款待の妙のみ」とあり〉
南畝集19
漢詩番号4105
一話一言巻50
④375
⑮347
文化12年
1813/11/05
「所意を夢みる 道遠無由見所思 夢飛将欲近凝脂 分明疇昔蘭湯裏 三尺寒泉浸玉時」
〈寛政11年頃の歌麿肉筆に「蘭湯灔々昭儀坐其中 若三尺寒泉浸明玉 録飛燕別集語 鴬谷吏垣」南畝賛〉
南畝集19
漢詩番号4106
④376文化12年
1813/11/
「歌妓おかつが丸髷にゆひしをみて さゞれ石のいはほとなれる寿はよもぎかず嶋田丸くなるまで」
「栄之のゑに瀬戸物町おのぶと駿河町おかつをかける
 われものの瀬戸物町もさだ過ぬ嶋田も丸くするが町より」
七々集②275文化12年
1815/11/
「きさらぎ十一日、呉船楼にて歌ひめお勝、あすは眉を落し歯黒めすときゝて
 しろい歯のけふが見をさめあすよりは又くろうととなりてさかえん
 千金の眉をおとして万金の歯をもそめなばよはひ十千万」

「同、十二日よみてつかはしける
 青柳のまゆうちはらふ春風のすがたを千々のかねつけてみん」
七々集②298文化13年
1816/02/11
「仲春、呉船楼に宴す 呉門舟楫集通溝 満酌軽寒覚気柔 相見粲然三婦艶 春光偏在主人楼」南畝集19
漢詩番号4137
⑤385
「うたひめお勝が扇に 酒もりの第一ばんのうたあはせいつもひだりをもつて勝とす」
〈欄外注に「駿河町藝者」とあり〉
万紫千紅①271文化年間
1804~1817